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打球は快音響かせて

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高校2年
  第四十五話 夢が終わり、夢が始まる

第四十五話



点差は僅か一点。
しかし、この一点は、たった一振りで入る事もあるが、追い込まれた状況では途轍もなく大きな差に思える。

カーン!
「……やっちまった」

越戸が顔をしかめた。打球はフラフラと内野に上がり、簡単に捕球される。スコアボードのOのランプの二つ目が灯り、一塁側アルプスがドッと湧き上がった。

「「「あと1人!あと1人!」」」

高校野球ではマナー違反とされるあと1人コールも自然と沸き起こるほど、一塁側南学アルプスは興奮に包まれていた。

「ツーアウトよー!」
「知花ァ!終わり方こだわんなよぉ!慌てんなよ!」

内野陣が知花に声をかける。
知花は飄々とした顔を崩さず、その声に応える。

「当たり前よォ。慌ててなんていちゃ勿体ないけん。だって、こんなに楽しいっちゃのに。」



<4番レフト好村君に代わりまして、結城君。バッターは結城君>

打撃はダメな翼に代わって、代打には背番号9をつけた2年生、結城が出てくる。秋の大会は不調で、スタメンを越戸や剣持に奪われてきたが、ここは意地を見せたい。

「結城ー!」
「絶対出ろォー!」

三龍ベンチでは、1人残らず最前列で身を乗り出し、声を限りにして叫んでいた。
あと一つ、あと一つ勝てば甲子園が見えてくる。
この試合は、人生で最も勝ちたい試合。
涙を浮かべながら、結城に思いを託す選手もいる。

カンーー!

しかし、無情にも打球は空に舞う。

パシッ!

センターの当山がフライを捕った瞬間、両手を高々と掲げて仁王立ちした。

「「「ドワァァアアアアア」」」

それこそ、球場が割れんばかりの大歓声がこだました。マウンドの知花の周りに、南学ナインの歓喜の輪ができた。




ーーーーーーーーーーーーーー



「……よし、ミーティング始めようか」

試合後、球場外のある場所に、三龍野球部員が集合していた。目を真っ赤に泣き腫らしている部員も多数居る。東豊緑州大会準々決勝、事実上の甲子園決定戦。その試合に、三龍は敗れた。
特に渡辺は、宮園と飾磨に抱きかかえられるようにしてやっと立っていた。大きな嗚咽が響く。
顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。

「…………」

円陣の中心に立ち、ミーティングを始めようとした浅海だが、しばらく言葉が何も出てこない。
気まずい沈黙が続く。

「…………ごめん。……何から話してい…いか……」
「…………!」

マトモに前を向いていられる状態の部員は、浅海の様子を見てハッとした。
泣いていた。浅海も泣いていた。
端正な顔に、涙がボロボロとこぼれ落ちていた。

「……すまない!……本当にすまない…………今日の試合は私の責任だ……余計なエンドランのサイン出したり…….スクイズ失敗したり……君らの勢いに、水ばかり差して……!余計な事ばかりして……!!」

浅海は両手で自分の顔を覆った。
華奢な体が、ぶるっと震える。
いつも毅然とした浅海が初めて見せる、弱さだった。

「…………本当にごめん……最低だな……本当に泣きたいのは、君らなのにな…………!私……最低……!!」

浅海につられるように、何人もの部員が嗚咽を漏らした。負けた。負けたとは、こういう事なのだ。

球場外には、三龍野球部の嗚咽と啜り泣きが、長いこと響いていた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーー



from:葵
to翼
題:残念
内野席から応援してました。
8回に守備に出てきた時はめっちゃヒヤヒヤしたけど、ちゃんとこなしてて凄かったよ!
できたら打席も見たかったけど……
あんな大事な場面で守備固めなんて、信頼されよるんやなぁって、武も言ってました。どうせあいつは直接メールなんて送らんけ、代わりに伝えておきます^_−☆
今日は負けちゃったけど、ほんのちょっとの差やと思うけん、今度は夏目指して頑張って。
南学のバカどもが甲子園行くゆうんは癪やけど……今回はあいつらに譲ったって事で。



応援団用のバスに乗り込んだ葵は、翼へのメールを打っていた。実際試合中は南学の応援などしていなかったが、現金なモノである。

「あ!南学野球部や!」

車内から声が聞こえて、葵が窓の外を覗くと、南学ナインが並んで、島からの応援団のバスに手を振っていた。皆笑顔。とびきりの笑顔である。
こういう所、好かれる努力とでも言おうか、実にキッチリしているのが南学野球部だった。

(……知花)

葵は窓越しに、知花と目が合った。
知花も葵の視線に気づく。

「……」フイッ

しかし知花はすぐに目を逸らして、別のバスに手を振った。

(彼氏の夢を潰しておいて、勝ったぞーとも言えんけんなぁ)

知花は、葵と、今日勝った相手の18番の選手に気を遣った。しかし、その表情は、めちゃくちゃ嬉しそうであった。



ーーーーーーーーーーーーーーーー


「……先生、何だって?」
「……明日と明後日はオフだって。あと、明日の全校朝礼で応援のお礼を言うんだって。」

寮のロビーで、野球部の寮生が浅海の部屋から出てくる渡辺を待っていた。皆、痛恨の面持ちだが、試合から時間が経った為か、少し落ち着いていた。泣きじゃくっていた渡辺も、もう泣き疲れたのか、冷静になっていた。

翼は一人だけ泣きもせず、呆然としていた。
あと一つ。甲子園まであと一つ勝てば……という状況にも現実感が無かったが、その大チャンス、一生に一度かもしれない大チャンスを逃したというのも、にわかに信じがたい話だった。

「……なぁ」
「ん?」

気まずい沈黙の後、渡辺が不意に口を開いた。

「今日の試合、負けたんは、浅海先生のせいか?」

突然尋ねられ、周囲はドキッとした。

「いやぁ……」
「そんな事は……」

首を傾げる者が多い中で、宮園だけがキッパリと言い切った。

「確かに、浅海先生の今日の采配は裏目を引いていた。向こうに読まれてたと思う。牽制トリックプレーもエンドランのサインが出た時ドンピシャで仕掛けてきたし、スクイズの時にショートバウンドで外されたし。」

あまりにハッキリ言うので、宮園以外はギョッとした。空気を読まないことに誇りを持っている鷹合ですら、それはちょっと……という顔をしていた。

「……じゃあ宮園……俺たちがここまで勝ってこられたんは……」
「それは浅海先生のおかげだ。俺もそれは分かってるよ。少なくとも海洋には、あの人の奇策が無きゃ勝てなかった。」

続けて尋ねようとする渡辺を遮って、宮園は言う。それを聞いた渡辺は、フッと笑った。

「……そうよなぁ……あの人のおかげで勝って来られたんよなぁ……」

渡辺はつぶやき、ソファにドカッと腰を下ろした。そして息をすぅ、と吸い込み、
一気にまくし立てた。

「……何だかんだ俺ら、ずっと浅海先生に勝たしてもらってきたんや!オノレの力で勝ってきたんやない!先生は今日、俺らの打力を信じんかった!エンドラン仕掛けるんも、バントした所で次が続くか分からんかったからや!スクイズ仕掛けるんも……俺があの場面で打つとは思わんかったからや!!…………俺はそれが何より悔しい…………相手には、そら負けるかも知れんけど、ずっと一緒に戦ってきた先生に信じてもらえなんだなんてなァ……」

気がつくと、渡辺の目から涙がまたこぼれ落ちていた。目元はもう、ヒリヒリと痛んでいる。

「……別に先生にムカついてはないけど……力のない俺らを勝たそうと、一生懸命やってくれてんやし……ほんで今、あんなに責任背負いこんどんやし……でも何か悔しいんや……くそっ……くそっ…………」

渡辺は俯き、ソファをガシガシと拳で叩く。
聞いている皆も、全員が俯き、表情が沈んだ。
枡田は、もらい泣きして鼻をしきりに啜っている。

「……俺は決めた!」

渡辺は机をバン、と叩いた。
俯いていた顔を上げ、力のこもった目で同僚を見た。

「夏こそは絶対、浅海先生を甲子園に連れていっちゃる!浅海先生に勝たしてもらうんやない、俺らがあん人を勝たしちゃるんや!サインなんか出さんでもええ、座ってるだけでええ!俺らがあん人を連れていっちゃるんじゃァ!」
「せやせや!俺がホームラン5本でも10本でも打ちゃあ、サインら出さんでも勝てるわい!全試合コールドで甲子園に行ったるわ!」

渡辺の大言壮語に、鷹合が乗っかった。
2人とも、顔がマジだった。
大マジだった。

「……決勝戦にコールドはないけどな」
「……お、俺も!夏は全部で投げ抜いちゃるけんな!」

宮園が呆れ、美濃部は鷹合に負けじとアドバルーンを上げた。
越戸、枡田、そして翼は、言葉こそ出なかったが、しかしその顔は確実に前を向いていた。

「よっしゃァー!浅海先生を夏こそは男にするぞォ!」
「……は?」
「いやいや、浅海先生女だし」
「あ!……じゃあ、女にする」
「女にするって言ったら、何かイヤらしくないか、それ?」

渡辺が意気込んだが良いが決まらず、一同に笑いが起こる。敗戦から少し、立ち直った瞬間だった。



ーーーーーーーーーーーーーーーー


「…………」

ロビーでのやり取りは、自室のデスクに突っ伏した浅海にも聞こえていた。そういう話は、聞こえない所でするもんだぞ……生徒達を微笑ましく思いながら、また浅海は自分を責める。

(渡辺、傷つけちゃったなぁ……渡辺の打ちたい気持ちは、そりゃ分かってたけど……そこであえてサイン出したなら、必ず成功するタイミングじゃなきゃいけなかったわね……)

右の拳を握り、トン、トンとデスクを叩く。
悪い事をした。そういう自責もさる事ながら、甲子園を目前で逃した。その事実も、大きな喪失感としてのしかかってくる。

(……悔しい……)

また、鳩尾がキリキリと痛んだ。










 
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