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打球は快音響かせて

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高校2年
  第二十五話

第二十五話



夏の大会後のオフが明け、新チームが始動する。
44人の部員による円陣の中心には

「このチームより、監督を務めさせて頂きます。浅海奈緒です。」

監督になった浅海。
そして、

「……コーチに格下げになりました、乙黒雅直です」

コーチになった乙黒。
しょんぼりした乙黒の顔を見て、選手達はニヤニヤと笑っている。

三龍の新チーム、始動。



ーーーーーーーーーーーーーーー



「ふぅー」
「ノックお疲れ様」

初日の練習後、監督室で息をついていた乙黒に浅海が声をかけた。
つい一週間前までは、乙黒が浅海にお疲れ様と言っていたのだが。

「まぁーなぁ。体動かすのはお前よりも得意やけ、そーゆうトコで働かしてもらうわ」

乙黒はメガネをとってタオルで顔を拭きながらその労いに応える。突然の監督交代。乙黒が少しいじけた態度になるのも当然で、むしろいじける程度で済んでいる辺りは乙黒も人が良い。事実、乙黒は無能っぽいしネタにはされるが、選手に嫌われてまではいなかった。

「そんなに変わった事せんかったな。浅海“監督”は一体どんな事をするんか、楽しみやったんに。」

初日の練習メニューは、基礎の確認を中心にしたものだった。そのメニューの大半は、乙黒が監督の時のメニューと同じもの。

「うん、変える必要もないでしょ?」

少し嫌味の入った乙黒の問いを全く意に介さずに浅海は答える。

「やっぱりあなた、強豪で野球してきただけあって、練習メニューは結構工夫されているわよ。うん、全然悪くないし、現に選手の力量はそこそこ育ってる。週一のオフも美点ね。休みなく練習して生徒の身を削るような真似をしなくて良いのは、伝統の無いウチの強み。強豪だとそうはいかないでしょう。練習しないという訳にはいかないのよ。練習量を無理に多くしない事で、睡眠時間を確保し、練習の効果を生かす事で勝負ができる…」
「…ご高説賜ってるトコ悪いっちゃけど、何で急に女言葉になったん?」

乙黒からのツッコミが入って、浅海はハッとする。急に恥ずかしそうな顔になって、乙黒を睨んだ。

「う、うるさいな!コーチとしてあんたを立てる必要が無くなったから、気が緩んだんだ!」
「別にわざわざ直さんでええのに」

乙黒は浅海の妙なこだわりに呆れる。
浅海はコホン、と咳をひとつして話を本線に戻す。

「とにかく、だ。体力作りのメニューを年間通して取り入れるという事以外は、そんなにあんたの時から練習を変える気はない。このチームに欲しいのはキッカケ。それさえ与えられれば、勝負はできる。あんたの言う通り、このチームは期待できるからな。」
「ホントばい。美味しいとこだけ持ってかれてしまうわーつらいわー」

浅海はニヤと笑って、子どものようにむくれる乙黒を見る。

「……美味しいトコにはな、食べ方があるんだよ」




ーーーーーーーーーーーーーーー



「ただいまー」
「あ、お帰りなさい」

ジャージ姿の翼がグランドに帰ってくると、京子がクラブハウスの流し台で甲斐甲斐しくドリンクを作っていた。翼はすぐそれを手伝う。
その足にもうギプスは巻かれていなかった。

「明日から練習復帰するよ」
「本当ですか?早いですね。予定より一週間以上早いやないですか」
「まぁ、まだ若いからね。医者は治療予定を長めに言うものだし」

新チームが始まって、既に一週間経った。ギプスが外れてから、病院でのリハビリを経て、遂に晴れて練習に復帰できる状態にまでなったのである。翼の表情も実に晴れやか。やっと野球ができる。

「明日から好村さんに手伝ってもらえんのかー、大変やなー」
「え?いっそ俺、マネージャーになろうか?」
「ダメですよーだ。ちゃーんとグランドでしんどい思いしてください〜」

京子が顎でしゃくったその先には、グランドでTRXや腕立て、ラダーダッシュやフロントブリッジなどに取り組む選手たちの姿があった。
どれもこれも、しんどそうである。

「……なんか戻りたくなくなってきたな」
「何言ってんですか!はい、これ持って下さい!」

京子に言われて、ドリンクの入ったタンクの半分を持つ。小さい京子と、そこそこ背丈のある翼。凸凹のコンビで、エッチラオッチラゆっくりとベンチまでタンクを運んでいった。
その様子たるや、中々に微笑ましいものがあった。



ーーーーーーーーーーーーーーー



「え?外野の練習?」
「そうだ。鷹合は今日から外野ノックに入れ。投手練習はノックの時間中には禁止。分かったな。」

ある日の練習前に、鷹合は浅海に呼び出された。
そして告げられたのは、外野ノックに参加して守備練習を行う事。これまで鷹合はノック中には走り込みやトレーニング、投げ込み等の投手の練習をしている事が多く、ノックにはブルペンが空いていない日に時間潰しに入るくらいだった。
それが今、ノック時間中の投手の練習を禁止された。

「えぇ?俺、ピッチャークビなってしもたんですか?」

鷹合は落胆を隠し切れない表情を見せた。
投球内容としては、昨秋、今夏と大量失点で敗れている為クビになってもおかしくはないが、一方で新聞に取り上げられる程のポテンシャルを見せたりはしてるので判断が微妙な所である。
見限るか、覚醒を待つかの判断が。

「いや、ピッチャーを辞めろとは言ってない。ただ外野の練習をしろというだけだ。投げない時は君を外野で使う。君のバッティングを投げない時に使えないのは勿体無いからな」
「あぁ、そうゆう事ですか!確かに俺結構打ちますからねぇ!」

穏やかな顔で諭すように説明され、鷹合は途端に元気になった。鷹合は一礼してその場を離れ、クラブハウスに戻って行った。

「……上手い事手なずけますね」

物陰からひょこっと京子が顔を出す。
浅海は苦笑した。

「物の言い方は工夫すべきだろう?」
「投げない時に外野で使う、という事は“投げない時”がこれからあり得るという事やないですか。これまで鷹合さんが“投げない時”なんてなかったんですよね、エースだから。この事をあの人は分からないんですよね」

バカだから。京子は喉元まで出かかった言葉を呑み込んで、ニヤリと得意げに笑った。
浅海は参った、と言うようにため息をついた。

「中々高校生で、話の前提を疑える子は居ないからな。面と向かってピッチャークビだと言うよりは良いだろう。まぁそもそも、完全にクビにする気も無いが。」

しかしな。浅海は京子に力説を始める。

「鷹合はあの身長、あの遠投力で、なおかつ足も速いんだ。牽制やフィールディング、何よりピッチャーとしての繊細さは欠片もないが、しかしあれは良い外野手になるぞ。バッティングも、誰にも打てないような球を平気で打ったりする。この夏にピッチャーとしてドラフト候補に挙げられたが、むしろ向いてないはずのピッチャーで取り上げられる事こそがすごい。」

目を輝かせて話す浅海に、今度は京子が苦笑する羽目になった。

「……で、鷹合さんを外野に回して、マウンドには誰を上げるんですか?」
「あぁ、それはもう」

浅海は不敵な笑みを浮かべる。

「出番に飢えていたあいつが居るだろう?」




ーーーーーーーーーーーーーーー


ブンッ!
「ストライクアウト!」

ガクッ、と急激に、大きな変化を見せるスライダー。打者のバットは空を切る。
バットを押し込み、捕手のミットを突き上げるような鷹合のストレートとは違い、打者のスイングをすり抜けていく球である。

「よしっ!」

童顔に気合いを漲らせて練習試合のマウンドに上がっているのは美濃部。前チームまでは鷹合の影に隠れ、結局公式戦での登板は0のまま自分達の代を迎えたが、夏休み中の練習試合では大幅に出番が増えていた。

(鷹合がノーコンだった分、美濃部が相手だとミット通りに球が来る事に感動するな。)

宮園は思わず笑みを浮かべる。
球種も制球もない鷹合相手にバッテリーを組むのと、球種もいくつかあり、そこそこに制球も良い美濃部と組むのとではリードが違ってくる。
いや、むしろ、“やっとリードをさせてもらってる”と言った方が良い。
前チームまでは、美濃部は投げても2試合目だった為、2番手の先輩捕手が受ける事が多かった。やっとこの2人のバッテリーが実現したのである。144キロの球速に取り憑かれた乙黒がもしそのまま監督を続けていたら、無かったかもしれない事だ。

美濃部が小さな体を大きく見せるように背筋を伸ばして振りかぶる。そしてリズム感たっぷりに足を上げて踏み込み、腕を鋭く振る。

ゴキッ!

右打者に対して逃げていくスライダーを見せた後は、一転して懐をシュートで抉った。
ボテボテのゴロがセカンド渡辺の正面に転がり、無難に一塁へと送られる。

「ナイセカン!ツーアウトー!」

野手に声をかける宮園の表情は明るい。
前チームの頃より、声も大きくなったように感じられる。一言で言うと、生き生きしている。

(よっしゃ。高校初完封まであと1人や)

快調な投球を続ける美濃部は、確かな手応えを感じていた。元々、鷹合になんて負けているつもりは無かったが、やはり指導陣に認められ、こうして試合に使ってもらえないとモチベーションは上がらない。これまでの鬱憤を晴らすかのように美濃部は投げる。

(あっ!!やべっ!)
カーン!

少し気が抜けたか、欲が出たのか、甘めに入った球を打者はとらえる。ハーフライナーが外野まで飛んでいく。

「オーライ!」

左中間に飛んだ打球を、この回からレフトに入っていた翼が追いかける。ブランクから体を慣らす意味合いで外野ノックを受けていた翼の姿がたまたま浅海の目に留まり、初めて外野で起用されていたのだった。

パシッ!

右手のグラブを目一杯打球に伸ばすと、その先っぽに打球は収まった。

「おおー!」
「ナイスキャッチー!」

痛烈な打球をランニングキャッチした翼にチームメイトから歓声が上がる。翼は照れ臭そうに笑顔を見せる。

「ハハハ!ヨッシーまだまだやな!俺なら正面で捕れとるで!」

バックアップに回っていたセンターの鷹合が高笑いしながら、翼の頭をバシバシと叩く。
翼も鷹合にやり返して、左中間の2人ではしゃぎながら試合後の挨拶に向かった。

(……明らかに雰囲気変わったっちゃね)

ベンチでスコアをつけながら、京子は隣に立っている浅海を見上げる。

(この人が監督になってから。)

京子から見える浅海の横顔もまた、充実した表情を浮かべていた。



 
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