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あと三勝

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第二章


第二章

 一〇月七日、後楽園球場は満員となった。巨人の試合ではない。パリーグの試合である。球場は異様な熱気に覆われていた。
「今日で決まりか。東映の時以来だな」
「何言うとるんや、西本さんは今日の試合を足掛かりにするんや」
 観客達はそう話していた。そして試合の開始を待っていた。
 近鉄ナインは部屋に集められていた。その前に西本が立っていた。
「あと三勝や」
 西本は彼等に対して言った。
「あと三勝で優勝や!」
 選手達はその言葉に当初戸惑った。だがすぐに西本の言葉に気付いた。
「はい、あと三勝ですね!」
「そうや、それで優勝や!」
 選手達の意気は上がった。西本はそれが狙いだったのだ。
「よし、これでええ」
 彼はそれを見て笑った。固くなりそうなナインに暗示をかけ戦い易くしたのである。そしてこの日の先発鈴木啓示に声をかけた。
「スズ、今日は五点勝負や」
 そう言葉をかけた。四点まではとられてもいい、と。
「わかりました」
 鈴木はそれを聞いて頷いた。鈴木は彼に暗示をかけられたのだ。
 こうして西本は試合前の準備を終えた。これで勝つ為の手は全て打った。
 ベンチに姿を現わした近鉄ナイン。それを見て大沢は自軍のナインに対して言った。
「おい、今日で決めるぞ」
 威勢のいい言葉であった。
「何も心配はいらねえ。一気にドドーーーンといくぜ」
「はいっ!」
 彼は選手達の力を信じていた。そしてこの日の先発高橋一三の方へ顔を向けた。
「まずはおめえに任せる。胸張って行け」
「わかりました」
 高橋は彼の言葉を聞き頷いた。彼は大沢に対し微笑んでいた。
 彼は巨人にいた。あの黄金時代は左のエースとして幾度も胴上げ投手になっている。
 しかし衰えが見られたとしてトレードに出された。その彼を温かく迎えたのがこの大沢だったのだ。
「俺は日本ハムの高橋だよ」
 彼はよくそう言った。最早彼は巨人ではなく日本ハムに心があったのだ。
 大沢はまずはその彼にマウンドを託した。そしてこう言った。
「無理する必要はねえからな。おめえはおめえの仕事をしてくれ」
「はい」
「そして時が来たら・・・・・・」
 彼は顔を移した。そこには別の男がいた。
 背番号一六.左腕の男であった。
「おめえの投入だ。頼むぜ」
「はい」 
 その男は答えた。顔が真摯なものであった。
 この男が木田であった。ルーキーながら投手のタイトルを総なめする勢いでありこの年のパリーグの台風の目であった。
「あとは何処で投入するかだ」
 大沢は近鉄ベンチを見て言った。
「向こうの打線はすげえからな。だがおめえ等に全てを任せるからな」
 そう言った時の大沢の決断力は凄かった。彼は何処までも選手を信じる男であった。
 試合前のやりとりは終わった。そして戦いがはじまった。
 まずは日本ハムが攻撃を仕掛けた。二回裏鈴木から一点をもぎ取ったのである。
 場内は喚声に包まれた。大沢はそれを聞きながらほくそ笑んだ。
「幸先がいいぜ。まずはうちが先制だ」
 だが西本は動じなかった。九番の吹石徳一がツーベースを放った。
 これを見た大沢が動いた。そして審判に告げた。
「ピッチャー、木田」
 これを聞いた後楽園の観衆が一斉に喚声をあげた。木田はその中をゆっくりと進んだ。
「もう出て来たか」
 西本は木田の姿を見て呟いた。そして投球を見ていた。
「成程な」
 彼は木田を丹念に見ていた。心なしか木田は疲れていた。
 やはり今まで投げ過ぎたのであろう。新人でありながら大車輪の活躍でチームをここまで導いてきた。その疲労が限界にまできていた。
「普段の木田やったら打てんところやがな」
 彼はそこでベンチにいる自ら育てた選手達を見た。
「今やったら打てる。こいつ等やったらな」
 だが木田も踏ん張った。二死をとり三番の佐々木恭介を迎えた。
 佐々木は西本に心酔していることで知られていた。特にその打撃指導をよく教わりそれを最も積極的に学んでいた。褌をはきかっては相撲もしていた古風な男だ。そしてその左投手に対する強さは有名だった。
 
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