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死んだふり

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第三章


第三章

「そうそう迂闊なことをする人やない」
 彼は野村が自分よりも上だと認める男である。野村もこの程度で崩れるとは思ってはいない。
「まあそちらに注意がいけばこっちの考えはばれにくくなるな」 
 それが彼の狙いであった。
「これが決め手になる。脳ある鷹は爪隠すや」
 西本を見て思ったことは決して口には出さなかった。ここは隠蔽することにした。こうして試合前の記者会見は終わった。そして遂にプレイボールとなった。場所は大阪球場、南海の本拠地である。
「敵地やからといって遠慮することはないぞ」
 西本は選手達に対してそう言い檄を飛ばした。
「一気にやったるんや」
「はい!」
 阪急ナインは大声でそれに応えた。その覇気は天を衝かんばかりであった。
「さあ、はじまったな」
 野村は彼等を見ながら呟いた。既にキャッチャーボックスに入っている。
「ここからどうするかや。油断はできんな」
 マスク越しに西本を見る。西本もそれには気付いていた。
「野村も考えてくるやろ」
 西本は野村に目を向けていた。彼は西本から目を離し座り込んだ。
「そやがこっちも負けるわけにはいかんのや。策はわしが全部見抜いたる。そして」
 ナイン達を目だけで見回した。
「わしが育て上げたこの連中に勝てるか。伊達に手塩にかけて育てたわけやないで」
 彼にも自負があった。自らが育てた選手達は誇りであった。54
「その力、ここでも見せたる」
 そしてそれはいきなり南海に見せつけられた。
 まずは先頭打者の福本がホームランを打つ。先制だ。阪急は幸先いいスタートをきる。
 二回にも。阪急は二本のアーチでいきなり南海を圧倒したかに見えた。
「さて、どうする」
 西本はベンチにいる野村を見た。
「このまま黙っとるわけやないやろ」
 勿論野村にそんなつもりは毛頭ない。二回裏の南海の攻撃である。まずは一点を返した。そして尚も攻撃を続ける。
 二死ながら二、三塁。ここで打席に立つのは相羽欣厚である。彼もまた巨人から移籍してきた選手だ。
 その彼がライト前に打った。これで逆転だ。三回にはもう一点入れる。
 だが阪急の自慢の強力打線が黙ってはいない。西本は彼等に対して言った。
「取り返してくるんや」
「わかりました」
 そして次々とバッターボックスに向かう。それを見た野村の目が光った。
「さあ、こっからや」
 野村は立った。
「!?」
 西本は一瞬何かと思った。ここでピッチャー交代であった。
 西岡から佐藤に替える。何とここでストッパーの佐藤だ。
「もう佐藤を出してきたか」
 西本はそれを見て言った。
「意外と早いですね」
 コーチの一人が西本の側に来て言った。
「ああ。何かあるな」
「ですね」
 彼もまた野村のことはよく知っていた。
「ここで佐藤を出すっちゅうことはまだ切り札が向こうにあるっちゅうことや」
「山内でしょうか」
 そのコーチは言った。
「いや、山内は先発でくるやろ」
 西本はそう読んでいた。
「多分次の試合や」
「次の試合で、ですか。すると誰を出してくるか」
「それが問題やな。まさかこんな早く西岡を引っ込めるとは」
「相変わらず何をしてくるかわからない奴ですね」
 彼等は野村の采配に不安を感じた。それは野村にも伝わった。
「かかったようやな」
 彼はマスクの奥で笑った。
「今日はもろたで」
 そして佐藤のボールを受けた。
 佐藤は左右の揺さぶりを得意とする男である。野村はそれを自由自在に使い阪急打線をかわした。だが阪急打線は手強い。おそらく佐藤が疲れたらすぐに攻撃に出るだろう。野村は一球一球受けながら替え時を見計らっていた。
 三番手は村上である。ここであえて左だ。
 村上も変則派である。野村は変化球主体のリードで阪急の攻撃をかわすことにしたのだ。
「村上か。また難儀な奴を出したな」
 西本は顔を顰めた。こうした軟投派の継投はタイミングを崩されやすい。それが野村の狙いだということはよくわかっていた。
「考えよるわ」
 西本は苦い声を出した。
「次は江本がくるで」
「江本ですか!?」
 コーチはその名を聞いて驚いた。
「そうや。短期決戦やしな」
 流石にここまでくると野村の采配の意図が読めてきた。どうやら小刻みな継投でかわすつもりらしい。
「今日は苦しくなるな」
 その言葉は当たった。江本に繋がれそのサイドスローからくる独特のエモボールの前に凡打の山を築いた。そして九回表、阪急は追加点を得られないまま終わった。
「初戦を落とすとはな」
 西本は憮然とした顔で言った。
 
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