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死んだふり

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第二章


第二章

 それだけではない。後期阪急は南海を徹底的にカモにしていたのだ。
 十二勝一引き分け。ここまで徹底的にやられたのもそうそうなかった。
「死んだふりでもしとるんか!?」
 マスコミもファンも南海のあまりの弱さに思わず口を尖らせた。
「まあそういうところやな」
 野村は否定しなかった。これを彼の知略と見る者もいた。だが実は違っていた。
 実際に勝てなかったのだ。とにかく戦力が違い過ぎた。西本が育て上げた阪急はそれからすぐにシリーズ三連覇を達成する。差は歴然としていたのだ。
 選手達もまるで自信がなかった。はじまる前からもう負けたと思っていた。
 だが野村は負けながらも阪急の試合をまじまじと見ていた。そしていつも何やら書いていた。
「また無駄なことしとるわ」
 南海を赤子をあしらうように倒した阪急ナインは野村がノートをつけているのを見てせせら笑っていた。
「あれでわし等に勝てるんやったら一勝でもしてみい」
 そう言いながらベンチを去る。だがそれを一人真剣な顔で見ている者がいた。
「ノムの奴またたくらんどるな」
 西本であった。彼は野村を見てその目を光らせていた。
「まさか、考え過ぎですよ」
 コーチの一人がそう言った。西本はとかく考え過ぎるところがあった。これは彼があまりにも生真面目であったからだ。
「いや、ちゃうな。あいつは賢い奴や」
 不思議なことに西本は彼が嫌いではなかった。野村も彼に対しては敬意を払っていた。
「プレーオフは厳しい戦いになるかも知れんな」
 そう言うとベンチを去った。こうしてペナントでの両者の戦いは阪急の圧倒的優勢のまま終わった。
「うちの野球は押し相撲や」
 西本は阪急の野球をこう評していた。
「一気に相手を押して勝ち進む。そうでなくてはいかんな」
 流石に闘将といわれただけはあった。彼は積極的に攻撃を仕掛け一気に勝負をつける攻撃的な野球を好んでいた。だがここに言外に潜ませていることがあった。
(野村は何をしてくるかわからん)
 この考えがあった。
(余計なことをせんうちに倒してしもうたほうがええ。時間をかけたらまずい)
 西本の脳裏にノートをつける野村の姿があった。それがどうしても離れなかったのだ。
「うちはもう体当たりしかないな」
 逆に野村はこう言う。
「戦力が違うよってな。けれど」
 ここで彼の目が光った。
「ムッ!?」
 それを見た西本は思わず前に出た。
「連投がきく奴、そうやな佐藤道郎か」
 南海のストッパーである。
「あと左へのワンポイントの村上雅則、この二人には期待しとるわ。福本と加藤を抑えることをな」
「あの二人をフクとヒデにか」
 西本は彼の言葉から耳を離さなかった。
「そして江本と山内新一、西岡三四郎やな。この連中でやりくりしていくしかありませんわな」
 そう言って笑った。
「投手戦を挑んでくるつもりか」
 西本はまずはそう思った。野村はここで西本をチラリ、と見た。
(ここが勝負やな)
 そして言った。
「もうここまで来たらガッツしかありませんわ。もう死ぬ気でいきますわ」
「精神論か、今度は」
 西本はそう考えた。
「確かに戦力はうちの方がずっと上や」
 それは西本にもよくわかっていた。だからといって驕るような男では決してない。彼は相手を舐めるような行動を特に忌み嫌っていたのだ。
「そやが時として別の力が必要になる時がある」
 彼もこれまで伊達に六度もチームをリーグ優勝させシリーズを戦ってきたわけではない。それは痛い程よくわかっていた。
 大毎を率いて戦った時は三原の魔術の如き采配の前に一敗地にまみれた。それに激怒したオーナー永田雅一により解任されている。
 阪急では五度優勝している。だが勝てなかった。
 四三年は雨で一試合空けたところで流れが変わった。その次の年は正捕手岡村浩二のブロックを巡る抗議と彼の退場で流れを向こうにやってしまった。
「周りがセーフと言っても選手がアウトと言えばアウトなんだ」
 西本は写真を見せられてもそう言って選手を庇った。理不尽な言葉だがここに彼の心があった。
 戦力が揃った昭和四六年は切り札の山田が王貞治に第三戦で逆転サヨナラスリーランを浴びて終わった。西本はマウンドに崩れ落ちる山田を迎えに言った。
「監督、すいません」
 彼は泣いていた。西本はそんな彼に対し一言だけ言った。
「ご苦労さん」
 それだけであった。だがそれで充分であった。彼は山田を背負うようにして球場を去った。
 次の年は福本でかき回すつもりだった。だが巨人バッテリーの巧みな牽制とクイックの前にそれは効果を発揮できなかった。それどころか外野を四人配置する独特の王シフトも成功せずそれどころか助っ人ソーレルの拙守もあり崩れた。そしてまた敗れた。
「今年こそは」
 そう思っていても勝てなかった。流れを掴んでもここぞという時に常にそれは敵にいった。戦力で有利と言われる状況でも敗れた。流れ、その恐ろしさを彼もよく知っていたのだ。
「それはあっという間に変わるもんや」
 シリーズ等短期決戦では特にそうである。プレーオフも同じだ。
「南海がもし全員死兵できたら」
 ふと西本の脳裏にそれが浮かんだ。
「うちも危ういな」
 彼は野村が珍しく言ったその精神論的な言葉に警戒した。
「かかったかな」
 野村はそんな西本をチラリ、と見た。
「まあこれがかかったら儲けもんやが」
 彼も西本のことはよく知っていた。伊達に大毎時代から戦ってきたわけではない。その力量は素直に認めている。むしろ敬愛すらしている。
 
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