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知と知の死闘

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第二章


第二章

 だがそれを明かしヤクルトに仕掛けるのは第四戦である。第三戦は西武は石井丈裕、ヤクルトは後にヤクルトのエースとなり大リーグに渡る石井一久であった。
 この年石井丈裕は沢村賞を受賞している。森が郭と共に最も信頼する投手の一人だった。
「この二人で二勝は計算出来る」
 森はそう言った。それだけ彼を信頼していたのだ。
 彼はその信頼に応えた。内角を速球で攻め立て腰を引かせた後に外角へ投げる。かと思えば外角を意識させ内角を攻める。彼はヤクルト打線を広沢のホームラン一本に抑えた。
 対する石井一久はまだ高卒一年目のルーキーである。如何にドラフト一位指名でありその剛速球があるとはいえこの年にはまだ一勝もあげてはいない。だがその彼を先発に送らなければならない程ヤクルト投手陣の台所事情は深刻であったのだ。
 彼はその剛速球を主体に投げる。彼も必死であった。死力を尽くして投げる。しかしそれだけで勝てる相手ではなかった。三回三分の一、二失点で無念の降板となった。
 その後二対一で試合は進んでいた。
『あと一点・・・・・・!』
 だがその一点があまりにも遠い。そして八回裏となった。
 遂にヤクルトの中継ぎ陣が西武打線に捕まった。四失点を許し試合を決定付けてしまった。これでこの試合は終わりだった。
 これで二対一。西武はヤクルトの先勝なぞ意に介さずあっさりと形勢を逆転させてしまった。
 西武ナインは風がこちらに向いてきたのを感じていた。しかし森はそれよりも重要なものをこの試合で見出していた。
「このシリーズはこの男に預けた」
 彼は石井丈裕を見た。彼を郭が戦線離脱し工藤の出番が遅れている先発投手陣の柱にする事に決めたのだ。

 そして第四戦。森はここで意に秘めていた秘策を遂に出した。
 ヤクルトの先発は大方の予想通り岡林中三日の登板である。問題は対する西武であった。
「渡辺久信だろ」
 誰かが言った。だが森はあえて彼を使わなかった。
 先発のマウンドにいたのは確かに渡辺であった。だがそれは渡辺智男であった。
 このシーズン制球難に苦しみシーズン後半には三軍落ちまでしている男である。これには西武球場にいた誰もが唖然とした。
「森はこの試合負けるつもりか!」
 誰かが野次を飛ばした。そう、彼はこの試合負ける事を覚悟である秘策を胸に秘めていたのだ。
 岡林は絶好調で飛ばしていた。彼はもう負けられない、ここで負けたら後が無い、と鬼気迫る形相で投げていた。その前の試合に石井一久と中継ぎ陣を打ち崩した西武打線も思うように攻められない。対する渡辺は予想通り制球に苦しみ四球を連発する。だが得点だけは許さない。
「ここだ・・・・・・」
 二回と三分の一を投げたところで森は動いた。そして主審に告げた。
「ピッチャー鹿取!」
「な・・・・・・!」
 これには観客席もヤクルトナインも驚いた。何と抑えの切り札を三回で投入してきたのだ。
「こんなところで鹿取を出してくるとはな。思いきった事をしてくれるわ」
 野村も苦虫を噛み潰した。森の奇策とはこれだったのだ。
 鹿取はヤクルト打線を見事に抑える。第一戦での悪夢が嘘のような投球だった。
 しかし岡林も引き下がらない。西武の強力打線を力でねじ伏せる。
 だが西武の力は絶大である。四回、バッターボックスには大砲の一人秋山が入った。
 抜群の運動神経を誇り驚異的な能力で攻守走の要となっていた彼は後にダイエーで個性派揃いの荒くれ者達を見事に纏め上げていた人格者でもある。温厚で穏やかな人柄で知られる。
 だがそれが森をはじめ首脳陣には歯がゆかったのだろう。西武の顔に成長していた清原と比べ何かと秋山のプライドを傷つける発言を繰り返していた。
 このシリーズでも例外ではない。第三戦の前野手陣に休養指令を出した時だった。
 主力陣は休養を返上して練習に励んでいた。だがそこに秋山の姿は無かった。彼だけ言われた通りに休んでいたのだ。
「一番当たっていない奴がいない」
 森は呟いた。彼の補佐役でヘッドコーチを務める黒江も言った。
「あいつには責任感が無いのか」
 だがそこには秋山の奮起を促す目的もあった。そして彼はそれに乗った。
 秋山のバットが一閃した。打球はそのままスタンドに入った。
 この一打で勝負は決まった。岡林は一球に泣く事となった。
 鹿取の後は潮崎だった。彼がセーブを挙げ西武はこれで王手をかけた。
 三試合共西武の投手力がものをいった試合だった。打高投低のチームにとってはつらい試合展開だった。
 三試合で打点一。とりわけ主砲パウエルは十三打数一安打六三振。完全に抑えられていた。
「パウエルはこのまま眠っていてもらおう」
 森は言った。これは彼の持論の賜物であった。
「相手チームのキーマンを潰せばそのチームの攻撃力は格段に落ちる」
 それが彼の持論、彼はそれに基づき現役時代よりシリーズで多くの選手を封じてきた。
 阪急のスペンサー、福本、ロッテのアルトマン、巨人のスミス、クロマティ、中日の落合。そして彼は今までシリーズで勝利を収めてきたのだ。
 これによりパウエルは封じられてしまった。だがキーマンを封じられると他の者も連鎖的に動けなくなるのがこの作戦の恐ろしいところだ。
「古田まで打てんようになるとはな」
 野村は舌打ちした。野村も突破口を開こうとする。スチール等で西武を掻き回そうとする。
 だが鉄壁の守備を誇る西武にそれは容易ではない。とりわけ伊東の肩の前にスチールを試みたランナーが次々と刺されて
いた。これもまた森の野球であった。
「相手の攻めの芽を摘んでいく」
 それこそが森野球であった。対する野村は唇を噛んだ。
「うちの野球になっとらんわ」
 ヤクルトは若いチームである。勢いに乗れば強い。だが一度立ち止まるとなし崩し的に負けていく。それはシーズン中でもそうであった。連敗により優勝は絶望的とさえ見られていた。
 しかし森は気を緩めない。シリーズとはきっかけ一つでその流れが大きく変わる。その事例の多くを自分の目で見てきたからこそそれがよくわかっていた。


 

 
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