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知と知の死闘

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第一章


第一章

                          知と知の死闘
 かって多くの死闘が行われてきた日本シリーズ昭和二十五年に我が国のプロ野球界がセリーグとパリーグに分かれて以来毎年行われ多くの戦いが演じられてきた。
 かっては鶴岡一人が巨人に戦いを挑んだ。三原脩と水原茂が三年間に渡り遺恨試合を行った。闘将西本幸雄は八回も日本一に挑みながらも遂に果たせなかった。そこには人々の心を打つ様々なドラマがあった。
 そのドラマの一つにある戦いがある。それは将達が知と知を尽くし、選手達が死力を尽くし戦い抜き勝利を、栄冠をその手に勝ち取った戦いであった。
 その年のセリーグのペナントは予想外の展開であった。昭和六十年の日本一の後深い沼の底に沈んでいた阪神と長い間弱小球団と蔑まれていたヤクルトが激突したのであった。
 結果はヤクルトが勝利を収めた甲子園球場で胴上げ投手となった伊東昭光はその瞬間飛び上がった。野村克也は南海の時から数えて二回目の胴上げであった。
 そして日本シリーズとなった。対するは当時黄金時代にあった西武、率いるは森祇晶である。
 この二人には面白い共通点がある。それは二人共知将と謳われた人物であると共に捕手出身の監督であるということだ。両者共選手としての日本シリーズの経験も豊富である。そして一時代を築いた捕手であるということだ。
 二人の仲の良さは知る人ぞ知るものである。野村と長嶋茂雄の仲の悪さは実に有名であるが森と長嶋が意外と仲がいいのは知られていない。だがそれでもこの二人は仲がいい。森は現役時代日本シリーズ前になると野村の家へ泊り込み相手チームの選手について教えてもらっていた。それを教える野村の情報量は実に多く、またその分析も鋭く正確だった。巨人がロッテのミサイル打線を封じたのも韋駄天と謳われた福本豊の脚を封じたのも彼の情報によるところが大きかったのだ。
 その為二人には同志といった感じが強かった。捕手ということに特別のこだわりを持つ彼等はそれだけに共感を覚える部分も多かったのである。
 話は変わるが野村克也という人物はそのささやき戦術でも有名である。相手チームの選手を必要以上に持ち上げたりけなしたりする事で惑わせ動揺を誘うのである。そしてそこにつけ込む。かってそれで多くの敵を倒してきた。
 だが森はそのささやき戦術については安心していた。それは何故か。前述の通り同志であり共感を覚える相手だったからである。しかしその考えは甘かった。
 野村は森に対してもそのささやきを仕掛けて来た。昔の事まで持ち出して言って来る。これに対し森は無視する。挑発に応じるような森ではないしまた応じた時の怖ろしさもよく理解していた。かってそれで長嶋がどれだけ負けたことか。
 だが森が無視すれば野村はまた言う。マスコミがそれを面白がって取り上げる。森は思わずぼやいてしまった。
「野球以外の話が多過ぎる」 
 試合前の前哨戦は野村のペースで進められた。
 だが野村もそうせざるを得なかった。例え相手が森であろうともささやきは仕掛けるつもりであった。だがこの時は今までにも増してその裏には危機感があった。
 野村が率いるヤクルトは阪神とのペナントを紙一重で勝ち抜いていた。戦力的にも心もとなくまた怪我人も多かった。
 信頼出来る先発は岡林洋一と伊東しかいない。荒木大輔や高野光もいるが怪我からようやく復帰したところである。
 抑えもいない。またパワーを誇った野手陣も若く勿論シリーズの経験なぞ皆無である。一枚もカードに余裕は無かった。
 否、そのカードでさえまともに勝負出来るかとうか甚だ心もとない状況であった。
 対するは西武。黄金時代であり投手陣も野手陣も万全の状況である。その戦力はあの王、長嶋を擁していた黄金時代の巨人をも凌駕すると言われていた。投手には郭泰源、工藤公康、渡辺久信、そして石井丈裕。野手陣は当時最高の捕手と言われた伊東勤を扇の要に清原和博、秋山幸二、デストラーデ、石毛宏典、辻発彦、平野謙。そうそうたる顔触れが揃っていた。
 『西武圧倒的有利』誰もがそう言った。西武の四戦全勝、若しくは四勝一敗で西武が勝つと殆どの者が予想していた。『王者西武にあのヤクルトが勝てるものか』、『これは今までで一番戦力差のあるカードだ』そう言う者達すらいた。
 そうした中のプレーボールであった。十月十七日、秋晴れの日の下で試合が始まった。西武の先発は渡辺久信、ヤクルトは岡林であった。まずはデストラーデが得意とするシリーズ初打席アーチを仕掛ける。これに顔を暗くしたのは神宮の一塁側だった。
 それに対し野村は果敢に攻撃を仕掛けて来た。切り込み隊長飯田哲也のプッシュバント、そして投手の岡林のバスターエンドラン。しかしそれは西武のセカンド辻の見事な処理で防がれた。森はそれを見て余裕の笑みを浮かべた。
「当然やってくると思っていた。あっちは変わったことをやって成功すれば褒められる。楽だな、あちらさんは」
 それに対し野村は気を引き締めた。
「やはりな。一筋縄ではいかんわ。そう簡単にだませる相手やない」
 彼は試合前に西武の守りの中心であるその辻や石毛がグラウンドでボールを転がしているのを知っていた。そうしてグラウンドの地を見ている、西武の野球は違っていた。その事を野村は誰よりも知っていたしまた恐怖していた。
 だがその恐怖に将自身が捉われたならばその時点で負けである。野村はそれを封じ込め、西武に気圧されているチームに喝を入れる為にあえて積極策を執ったのだ。だが喝は監督ではなく選手の一人が入れた。
 岡林のバスターエンドラン失敗の後飯田に打席が回った。二塁には岡林が送った形になった笘篠賢治がいる。飯田はここでエンタイトルツーベースを放った。これで同点となった。
 次は荒井幸雄、小柄な左打者である。彼はバットをコンパクトに振り抜きボールをライト前に運んだ。二塁ランナーの飯田は三塁ベースを回った。
 西武のライトは平野。俊足、堅守、そして強肩で知られる。彼はボールを素早く処理し冷静にバックホームを放った。
 神宮の緑の芝の上を白いカッターは切り裂いていくようであった。それがワンバウンドでキャッチャー伊東のミットに収まる。伊東は立ち上がった。そして三塁とホームの間のラインに仁王立ちして突入して来る飯田を殺さんと待ち構えていた。
 だが飯田は突っ込んでは来なかった。飯田はそこにはいなかった。伊東が捕球してタッチに向かおうとしたそれより前に彼の左足を迂回してその背に回り込んでいたのだ。
 伊東は追う。しかし飯田の動きは速かった。彼は左手から滑り込んだ。そして右手首のスナップを効かせホームを叩いた。難攻不落と呼ばれ西武のホームを死守してきた伊東から果敢にホームを奪ったのだ。
「セーーーーフッ!」
 主審の右手が横に切られる。神宮の社が喚声に包まれた。
 それは観客だけではなかった。ヤクルトナインにもそれは伝わった。
 “やるんだ、そして勝つんだ!”
 今まで王者西武に呑まれていた戦士達が息を吹き返した。彼等の目に光が宿った。
 ヤクルトナインは奮い立った。そしてこの時西武を睨み付けた。
 “やってやる、日本一になってやる”
 それにまず応えたのが古田であった。六回にソロアーチを飛ばした。これで三対二。試合はヤクルト有利となっていた。
 しかし相手もさるものである。土壇場の九回に石毛の犠牲フライで同点に追いつく。試合は振り出しに戻り遂に延長戦に突入した。
 延長十二回、勝負はもつれ込んだ。神はここでドラマを演出した。
 ヤクルトはこの回秦真司の二塁打等で一死満塁の絶好のチャンスを作る。だがマウンドに立つのは西武の誇るストッパー鹿取義隆。巨人時代よりシンカーとピンチでの強さを知られた男である。野村はここで代打を送った。
「代打、杉浦」
 このアナウンスを聞いた時場内は呆気に取られた。皆驚いていた。誰かが言った。
「こんな時に何であんな老いぼれなんだ!」
 そう言ったのも無理は無いだろう。杉浦亨。かってのヤクルトの日本一の時の最後の現役選手である。この時四十歳であった。
 かっては弱小スワローズを一人で支えた主砲であった。だがそんな彼も寄る年波には勝てずこの年の前年には野村に引退を申し入れていた。だが野村に引き留められそれを思い留まった。自らも長い現役時代を送った野村の優しさだったのだろう。色々と言われているが野村にはこうした優しさもある。だからこそ彼をいまだに慕う者が多くいるのである。
 だが話はそう上手くはいかないものである。彼は腰痛等で二回の二軍落ち。打率一割八分二厘、ホームラン僅かに二本。かってのスラッガーの面影は何処にも無かった。
 この時も左足以外は全て故障していた。まさに満身創痍の状況であった。
(これが最後の打席かも知れないな)
 彼はそう思ったかもしれない。この年で引退しようと決意していた。彼は腹をくくった。
(それならば!)
 こういった極限の状況の時人はどれだけ腹をくくったかで決まる。そう、彼はそのバットに自らの全身全霊をかけたのであった。
 忽ちツーストライクまで追い込まれた。
「やっぱり駄目だ・・・・・・」
 観客のうち何人かがそう溜息をついた。神宮の社は既に夕陽がさしていた。太陽が沈もうとしている。
 三球目だった。鹿取は投げた。内角だった。
 杉浦はそれを思いきり振り抜いた。乾いた打球音がスタンドに響いた。
 ボールはゆっくりと舞い上がっていった。誰もがそのボールの行方を追った。
(まさか・・・・・・)
 最初にそう思ったのは誰だっただろうか。ボールは高々と舞い上がる。
 そのボールの行方を杉浦も追っていた。ヤクルトナインとファンは心の中で絶叫した。
(入れ!)
 その思いがボールに、神に伝わったのであろうか。それとも杉浦の渾身の力がそうさせたのであろうか。あるいはその両方か。ボールはライトスタンド上段に吸い込まれた。
 どれだけの時が流れていたのであろうか。それは一瞬の筈だった。だがその一瞬は永遠とも思える長さであった。
 杉浦のバットは投げられ乾いた音を立てグラウンドを転がっていた。バットが寝転がりその動きを止めるよりも先だった。
 場内は大喚声に包まれた。三万四千七百六十七人で埋められたスタンドが爆発したかのようだった。
 長い日本シリーズでもはじめての記録だった。
『代打満塁サヨナラホームラン』
 それを今この引退間際の男が成し遂げたのである。
 ヤクルトベンチは喜びに包まれた。劇的な勝利に沸き返るナイン。杉浦はダイアモンドを回る。彼はこの時泣いていた。長い彼の野球人生の中でも忘れられぬ一打であった。
 こうして四時間四分に渡る第一戦はヤクルトの勝利に終わった。ヤクルトナインもファンも思った。
“もしかしたら勝てる”
 だが一人口元を引き締める人物がいた。野村である。
「これ位で引き下がるような連中やあらへんし、参るような奴やあらへん」
 誰よりも西武の、そして森の怖ろしさを知っていたからだ。
 事実野村は試合を見て内心驚いていた。西武のその守備である。
「守りが固い。極端にシフトを敷いてくるわ。それに」
 辻や石毛の事が脳裏に浮かんだ。
「打球を打った瞬間もう足がボールの方へ半歩踏み出しとる。これは厄介な奴等やで」
 野球において守備の占める割合は素人が考えるより遥かに大きい。とある球団が大砲をどれだけ集めようとそれがなかなか勝利に結び付かず優勝を逃し同じ間違いを飽きもせず繰り返しているのはこの守備をおろそかにしている事が第一の要因である。
 それだからこそ彼はこれからの勝負がヤクルトにとって容易でないとわかっていた。彼は内心苦悩していた。
 第二戦、西武の先発は郭泰源、ヤクルトは荒木大輔であった。
 オリエンタル超速球と言われその速球と高速スライダーを武器にした男。このシーズンも抜群の安定感で十四勝、防御率は二・四一と投手陣の大黒柱であった。
 対する荒木はかって甲子園を湧かせた男。しかし度重なる怪我に苦しみ続けた。
 だがこの年の後半奇蹟の復活を遂げマウンドに戻って来た。後の無い崖っぷちの試合で常に投げ、ことごとく勝ってきた。しかし郭を前にしてヤクルト打線はあまりにひ弱だった。
 この日の郭は絶好調だった。飛ばす。打てない。ヤクルトは一回に飯田が内野安打を打っただけだった。怖ろしいまでのピッチングだった。
 森の理論の特徴としてシリーズの第二戦を最重要視するという点がある。その時に送り込んだ投手こそ郭だったのだ。
 野村もシーズン前に言った。
「第二、三、五、七戦が山場や」
 と。その通りであった。郭はその重要な試合でヤクルト打線を完全に抑えていた。
 二塁すら踏ませない。抜群のコントロールであった。野村はチャートを見て舌を巻いた。
「真中のボールは一球もあらへん。隅っこばっかりや」
 これ程の投手を打てるのはそうざらにはいなかった。
 しかし対する荒木も粘る。彼にもプライドが、そして意地があった。
 だがその意地も打ち砕かれた。六回、西武の主砲清原にツーランホームランを浴びてしまった。
 これで森は勝利を確信したのだろう。六回裏にレフトを守っていた大砲の一人デストラーデを引っ込め代わりに俊足の笘篠誠治を入れた。野村はこれを見て忌々しげに呟いた。 
「六回の攻撃が終わって守備固めに入る野球なんてわしゃあ初めて見たわ。二点あったらおつりがくるっちゅうんかい」
 だがその通りだった。郭はその回も無失点に抑える。最早精密機械の様なピッチングだった。
 しかし運命の女神とは実に気紛れなものである。これはどの世界においても変わりはない。この世の真理の一つでもある。
 七回に事件は起こった。打席にはヤクルトの主砲ジャック=ハウエルがいた。
 ハウエルの打球は郭を襲った。それは彼の右親指を直撃した。
 郭は右投手である。これは危機を意味する。止む終えなく彼は退場することとなった。
 代わりにマウンドに上がったのはもう一人のストッパー潮崎哲也であった。彼は監督の期待に応えヤクルト打線をよせつけない。結局試合は清原のホームランを守りきり西武が勝利を収めた。西武ファンもマスコミも思った。やはり西武は強い、このまま優勝だと。
 しかし何故か森の顔色は晴れなかった。元々感情を表に出す事を好まない傾向のある人物であるがこの時はそれが何時にも増して強かった。
 次の試合は西武の本拠地西武球場で行なわれる。移動日となった十九日、森はレギュラーの野手陣に休養するよう伝えた。そして投手陣の練習にも顔を見せず一人監督室にこもっていた。
 そこで彼は第一戦及び二戦が終わった時点でのデータ分析を行なっていた。そして第三戦以降のローテーションの組み立てについても考えていた。
 彼は野手陣には手ごたえがあった。石毛や辻の守備、清原やデストラーデのバッティングを見て彼は選手が相手をよく観察していると思っていた。そしてそう発言した。実際野村は石毛や辻の守備に脅威を覚えていた。これこそが野村の野村たる所以でもあった。彼は守備の持つ力をよく理解していた。そしてそれは森も同じであった。
 だが守備は野手だけでするものではない。もう一つの要として投手がある。否、投手こそが守りの、野球の最も重要な部分なのだ。
 西武の投手陣は万全をもって知られていた。第一戦で先発を務めた渡辺も郭もそうであるし抑えの鹿取や潮崎もそうであった。西武は投手王国としても有名であった。
 だがその投手王国の最も重要な人物のうちの一人がこれまで出ていなかった。西武の左のエース工藤公康である。
 この時彼はシリーズ前の練習で左ふくらはぎを痛めていた。一時は回復したが第一戦の試合中の投球練習で再び痛めてしまった。回復は暫くかかる。その為ローテーションに不安があったのだ。
 しかも郭もいない。肝心の投手陣に左右の両輪が欠けてしまいかねない状況だったのだ。そしてそれは野村の耳にも入っている。森は思案していた。
(第四戦はあの男を使うか・・・・・・)
 森はこの時ある策を思いついた。そしてそれは彼の起死回生の秘策であった。



 
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