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銀河英雄伝説<軍務省中心>短編集

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私はマキャヴェリスト

 
前書き
ヒルダの提言について、ラインハルトが「それはオーベルシュタインが主張する領分だ。知者は時に同じ橋を渡るものらしい」とかなんとか言っていましたが、オーベルシュタインとヒルダの思考は、案外似ているのかもしれない。そんな発想から生まれたオーベルシュタインの片思いです。 

 
「フロイライン・マリーンドルフ」
ミュラーの帰還報告とシャフト技術大将の拘禁劇の後、散開した諸将を尻目に廊下へと消えた女性秘書官を、オーベルシュタインは静かに呼び止めた。
「総参謀長閣下、何か?」
ローエングラム元帥の秘書官ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフは、姿勢良く振り返ると、プロフェッショナルらしい笑みを浮かべた。一見して才女という感があり、すでに評判になりつつある。その評価についてはオーベルシュタインも、異を唱えるつもりはなかった。物怖じせず意見を述べるあたりが、プライドの高い男たちの癇に障ることもあるようで、女のくせに生意気だとの陰口もちらほら耳にするが、実力ある者への嫉妬であるのだから、意に介する必要はないだろう。
正面から彼女の顔を見て、オーベルシュタインは瞬間、自分が何を言おうとしていたのか失念してしまい戸惑いを覚えた。僅かに視線を逸らして平静を取り戻す。
そうだ、思い出した。
「あのあと、フロイラインが宰相閣下にミュラーの寛恕を進言されたのかな」
オーベルシュタインがもたらした損害報告に、ラインハルトは確かに激怒していた。副司令官であるミュラー大将は間違いなく処断されるであろうと思われたのだ。それが今日になってみると、ラインハルトは負傷したミュラーに労りの言葉を掛けたではないか。誰かが、おそらくラインハルトのごく身近にいる誰かが、彼の怒りを宥めたに違いない。
「いいえ」
見当違いだったのか、彼の問いかけにヒルダの眉がきつく寄せられた。
「宰相閣下がご自身でお決めになられたことです。わたくしは何も申し上げておりません」
しかめた表情のまま、薄い朱色の唇が言葉を紡ぐ。
「それに、わたくしなどが申し上げて、翻意される方でもありませんでしょう」
やや俯いてかぶりを振ると、短い金髪が小さく揺れて、オーベルシュタインは眩しげに目を細めた。
「そうかな」
自然と口角が上がり、彼女の表情の変化を楽しむようになっていた。男のように短髪で、機能性重視の服に身を包むヒルダは、若い新米士官よりも遥かに頼りがいのある印象である。面白い女性だと、オーベルシュタインは思った。
「そうです。でも誰かが忠告したのだとしたら、あの方でしょう。キルヒアイス提督がいらしたのですわ」
キルヒアイス。その名前に彼の思考が止まる。ジークフリート・キルヒアイスはラインハルトにとって特別な存在だった。彼ならば確かに諫言し得るだろう。しかし既に故人であり、オーベルシュタインとて彼の顔を頭に浮かべて思考停止したのではない。ヒルダが彼の名を出し、寂しげな顔をしたのだ。「キルヒアイスでなければ、ラインハルトを翻意させられない」と。それは裏返せば、ヒルダ自身がその立場に身を置きたいということの表れではないだろうか。
オーベルシュタインの胸は、たちまち後悔でいっぱいになった。このような話などしなければ良かったと、女々しい気持ちになったのだ。
相手に嫌われようと、それによる嫌がらせを受けようと、日頃から彼は気に留めたことがない。だが無論、全ての人間に対してというわけではない。例えば彼の上官ラインハルトに対して、確かに歯に衣着せぬ物言いをするが、それは上官の自分に対する評価を承知しているからである。ラインハルトは元々、彼に友情や忠誠心を求めてなどいない。参謀としての能力やしたたかさ、自分には背負えない影の部分を担う者として、その存在意義を認められているのだ。であるならば、その役割を全うしている限り、自分の立場は安泰なのである。そのあたりの計算をした上で、彼は自らの言動を統制している。
翻って目の前の女性と自分の立ち位置に、確固たる定義はない。互いに論理的思考を持つ存在であることは認識しているが、論を戦わせたこともなく、また、そのような場もなかった。だが彼は、この頭脳明晰で冷静な思考を持つ秘書官に、好感を抱いていた。ラインハルトにとって「特別な存在」になるのは避けさせたいが、彼女個人だけを評価すれば、その頭の中身に惚れ込んでいると言って良いほどなのだ。だから、いつかは彼女と議論の場を持ちたいと望んでおり、彼女とであればラインハルトと話す以上に高度で知的な話もできるのではないかと考えている。そのために、彼女とは少なくとも敵愾心のない関係でいたかった。

そう考えて、オーベルシュタインは全身にむず痒くなるような電撃が走るのを感じた。
自分は彼女の能力に惚れ込んでいるだけではないのかもしれない。
能力を評価している者ならば、この元帥府にいくらもいる。しかし彼らに好意を求めたことはないはずだ。では、彼女にだけは嫌われたくないと思う、その理由は何だというのか。
オーベルシュタインは心の中で必死に首を振って、平常の自分へと戻ろうと努めた。誰よりもマキャヴェリストの自分へ。すると自然に、口からは彼女への揶揄が出た。
「フロイラインは存外ロマンチストのようだ」
ほのかに笑った自分は完璧な嫌われ者を演じきれたはずだと、後ろ髪を引かれながら踵を返した。廊下を進む己の足が、いつもより重い気がしてならなかった。


(Ende) 
 

 
後書き
ご読了ありがとうございました。 
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