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二日続けての大舞台

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第二章


第二章

「ボールをじっくり待つのもええがな、最初から強気で向かっていくのが近鉄や阪急の野球や」
「近鉄や阪急の・・・・・・」
 それを聞いた加藤は思わずハッとした。
「そうや、それを思い出したらちやうと思うで」
 西本は優しい声で言った。
「わしが言えるのはそれだけや」
 彼はそう言うと別の選手のところに向かった。小さなその背中がとてつもなく巨大に見えた。
「西本さん・・・・・・」
 彼はその背を見て呟いた。
「そうでしたな。最初から思いきりいかな。ずっとそれを忘れていましたわ」
 彼はかって西本に手取り足取り教えてもらっていた若き日を思い出した。
「口で言うてもわからんかあっ!」
 よく拳骨が飛んだ。痛い拳であった。信じられない程の硬さであった。
 だがそれ以上に熱かった。西本の選手を思う気持ちがその拳から伝わってきたのだ。
 加藤もよく殴られた。とにかく厳しい教育であった。だがその拳が今の加藤を作り上げたのだ。
「あの拳を思い出すか」
 彼はそう呟くとバットを握った。
「今日から思いきってやるで」
 バットを振った。今までとは違う音がした。
 それを聞いて笑った。そして試合に向けて一人黙々と練習をはじめた。
 その試合は近鉄久保康生、南海藤本修二の先発ではじまった。両方共若い投手である。
 試合は南海優勢に進む。南海の若手三塁手久保寺雄二が二打点をあげ阪急は八回までに三点をあげていた。
「久保寺は相変わらずええな」
 ベンチにいる加藤はそれを見て言った。彼は四番指名打者だったので守ってはいなかったのだ。
「そうやな、あのセンスはええ」
 近鉄の監督岡本伊三美もそれを見て言った。彼はかって南海でMVPを獲得したこともある男だ。『見出しの男』と呼ばれここぞという時によく打った。
 その岡本や加藤が認める程久保寺は良かった。だが彼はこのシーズン終了後急死する。それを聞いた南海ファンは皆涙を流した。
 藤本も力投した。近鉄は八回を終わって二点に抑えられていた。
「しんどいな」
 そういう声は聞こえてきた。九回表南海は藤本を降ろしストッパー金城基泰を投入してきた。
 アンダースローからのスライダーとシンカーを武器とする男である。キャッチャーも万を持してドカベン香川伸行から金城と相性のいい岩木哲にかえた。
「頼んます」
「よし」
 岩木は笑顔でキャッチャーボックスに向かった。香川はベンチに戻るとプロテクターを外しその巨体をベンチに下ろした。
「今日の藤本はよおやったけれど交代は当然やな」
 香川はそう思った。力投したが八回には栗橋にホームランを打たれている。球威が落ちていたのだ。
 だが金城の投球を見ていると香川は不安になった。どうも普段と様子が違うのだ。
「おかしいな」
 彼は首をかしげた。ストレートも変化球もいつものノビやキレがないのだ。
 だが金城も百戦錬磨の男である。こうした事態をいつも切り抜けてきた。ここは彼に全てを託すしかなかったのだ。
 確かに金城は不調であった。だが不調だけなら切り抜けられたかも知れない。
 この日彼はもう一つ大切なものがなかった。それは運である。
 勝負の世界は運がものをいうことが多い。運も実力のうちなのである。
 香川もそれはよくわかっていた。だが神ならぬ身である彼はその運を見ることはできなかった。そしてこれから起こることを知るよしもなかったのである。
 まずは梨田を三振にとる。これでいけるかと思われた。
 ここで近鉄ベンチが動いた。代打である。
 柳原隆弘だ。ヤクルトから近鉄にトレードで来た男である。
 この柳原がセンター前に打った。変化球に弱い彼はストレートに的を絞ったのだ。
「しまったな、あそこでスライダーかシンカーを投げておけば」
 金城はそう思った。だが冷静である。あと二人しとめれば終わりなのだから。
 打順は一番に戻った。大石大二郎である。小柄ながらパワーがある。
「ここは慎重にいくか」
 バッテリーはそう思った。大石はボールにバットを当てた。
 何とか当てたという感じであった。打球はフラフラとレフトにあがった。
「よし」
 金城も岩木も打ち取ったと思った。だがここで外野の動きがおかしかった。
 目測を誤ってしまた。その結果打球は左中間にポトリと落ちた。
「え!?」
 これには金城も驚いたがだからといってどうにもなるものではなかった。大石は二塁を陥れていた。
「点が入らなかっただけでもよしとするか」
 金城はそう思うことにし再びバッターに顔を向けた。そして続く平野をショートゴロに打ち取った。
「あと一人」
 そう思ったところで力が入ってしまった。栗橋は歩かせてしまった。これで満塁である。
「落ち着け」
 それを見た南海の監督穴吹義雄はマウンドでバッテリーに対して言った。
「今のあいつは抑えられるで」
 そう言って打席に向かう加藤をチラリ、と見た。
「だからここは丁寧についていけばええ。わかったな」
「はい」
 二人は頷いた。それを見た穴吹は安心してベンチに戻った。
「大丈夫かな」
 香川はまだ不安を拭いきれていなかった。
「今日の加藤さんは調子ええけど」
 そうであった。この試合加藤は二安打を放っている。往年の冴えが戻ったかのような振りであった。
 
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