| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

二日続けての大舞台

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
< 前ページ 目次
 

第一章


第一章

                    二日続けての大舞台
 野球とはまさに筋書きのないドラマである。
 しかしだからといって奇跡がそうそう起こるわけではない。滅多に起こらないからこそ奇跡なのだから。
 だがそれが起こる時にそこに居合わせた者は感動に包まれる。それが野球の素晴らしさだ。
「それでも二日続けては起こらない」 
 それは誰もがそう思う。柳の下に二匹もどじょうはいない。
 だがこの時は違っていた。昭和五九年近鉄バファローズはその二匹のどじょうを捕まえたのだ。
 六月のことであった。舞台は藤井寺球場、相手は同じ関西の球団南海ホークスである。
「南海や阪急と戦うのは他のチームに比べて気が楽やわ」
 こう言うファンもいた。
 理由は簡単である。距離が近いからだ。お互い電車で楽に通える距離である。藤井寺も西宮も大阪も電車で一時間もかからなかった。互いのファンは遠足に行くような気分で相手の球場に行ったものであった。
 そして親会社が電鉄の会社だったことがあり何処か兄弟意識があった。特に近鉄と阪急はかって西本幸雄に率いられたこともありその意識は強かった。だからといって乱闘が起こらないわけでもなく応援団同士の野次合戦もあったがそれでも阪神ファンが巨人に見せるようなああした異常な敵愾心はなかった。あくまで好敵手同士であったのだ。
 この年パリーグは阪急の独走状態であった。強力な助っ人ブーマーが大暴れして阪急を引っ張っていた。対する近鉄と南海は瞬く間に離されてしまっていた。
 だがまだ望みはあった。彼等は阪急に追いつき、追い越そうとこの試合に挑んでいたのだ。二位と三位にあった。まさしく挑戦者決定戦であった。
 藤井寺球場、近鉄の本拠地である。ここで一人のベテランがバットを振っていた。
 加藤秀司であった。かっては阪急の四番としてその黄金時代を支えていた。
 彼は西本にそのバッティングを買われ阪急に入団した。そして彼により育てられたのであった。
 気性の激しい男であった。乱闘を起こして退場になったこともあればシリーズで審判の判定に噛み付いたこともある。その意外とも言える攻撃性で阪急を引っ張っていたのだ。
 だがその彼も衰えが見られるようになった。それは打撃よりもむしろ守備に顕著だった。それに危惧を覚えた上層部により彼は広島に水谷実雄と交換トレードされたのだった。
 ここで彼は肺炎になりシーズンを棒に振った。それで今度は近鉄に出されたのだ。
「まさかここに来るとは思わんかったな」
 加藤は藤井寺に来た時思わずこう言って苦笑した。
「何か阪急と違和感があらへんのう」
 それもその筈であった。阪急も近鉄も西本が作り上げた球団なのだから。
 見ればグラウンドにる選手達の多くは西本により育てられた選手達だ。つまり彼にとっては同門の者ばかりである。
「西本さんだけやな、ここにおらへんのは」
 西本は既に監督を退いていた。最後の近鉄、阪急両チームによる胴上げに加藤も加わっていた。
 西本はこの時解説者になっていた。よく藤井寺にも仕事でやって来ていた。
「おう、あいつ等も流石に固くなっとるわ」
 加藤は西本にインタビューを受ける同僚を見て笑った。
 見れば羽田も栗橋も梨田もである。皆西本の前では直立不動になっていた。
「そういえばあの連中とは長い間戦ってきたもんや。それが同じ釜で飯を食うようになるとはなあ」
 人間の世界とはよおわからんもんや、加藤はそう思った。
 近鉄と阪急は長年に渡って優勝をかけて争ってきた。西本幸雄を中心として。
 いつもどちらかに彼がいた。阪急の監督だった時も近鉄の監督だった時も。
 そして加藤も今西本のインタビューを受けている羽田や栗橋も西本に育てられた男であった。言うならば兄弟弟子である。
「だからここは居心地がええんかな」
 目を細めてそう思った。かっては阪急でもとびきりのはねっかえりであった。派手に暴れたものであった。無様な試合をした近鉄ナインを怒鳴りつけたこともある。
「わしもあの時は若かった」
 ほんの数年前のことである。しかしもう遥か昔のようだ。
「おい」
 昔のことを色々と思い出す加藤に声をかける者がいた。
「え、わし!?」
「そうや」
 その声には聞き覚えがあった。あの声だ。
「か、監督」
 加藤は思わず立った。そして直立不動でその人の前で畏まった。
「おいおい、何をそんなに慌てとるんや」
 声の主は笑ってそう言った。
「い、いえ何しろ監督の前ですから」
「わしはもう監督やないぞ」
 低い声だった。だがそこには誰にも何も言わせぬそうした頑固さと全てを包み込む優しさがあった。
 その西本であった。彼はにこにこと笑いながら加藤を見ていた。
「どうや、調子は」
「それはその・・・・・・」
 加藤は口篭もった。今彼は絶不調なのであった。
「あまりええことないみたいやな」
「はあ」
 実は彼はこのシーズン不調であった。打率もホームランもかっての阪急の主砲とは思えぬ程であった。
「加藤ももう年やな」
 ファンの間からこういう声がした。
「そやな、今までよう打ったけれどな」
 近鉄ファンだけでなく阪急ファンもこう言った。そんな声が加藤には辛かった。
 しかも膝も負傷していた。悪いことばかりだった。
 しかし彼は何とか踏ん張ろうとしていた。折角近鉄に来たのだ。このチャンスを逃すつもりはなかった。
「今が踏ん張り時やぞ」
 西本はそんな彼の思いをよくわかっていた。そしてこう言った。
 
< 前ページ 目次
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧