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ランナーとの戦い

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第二章


第二章

 江夏はだ。三塁側の広島のベンチで呟くのだった。
「このシリーズ、凄い戦いになるで」
「そう言うんじゃな」
「ああ、絶対なるで」
 隣にいた衣笠幸男にもだ。こう言うのだ。
「どっちが日本一になってもおかしくないわ」
「そうじゃな。わしから見てもわかるわ」
 衣笠もだ。その近鉄を見て言うのであった。
「バッターの一人一人、ピッチャーの一人一人がじゃな」
「只の連中やない」
 そうだというのだ。
「若しかしたらそれ以外もな」
「それ以外?」
「ああ。野球はバッターやピッチャーだけやないからな」
 江夏はこのことがだ。これまでの野球人生でよくわかっていたのだ。多くの死闘を潜り抜けてだ。それだけのものがわかっていたのだ。
 だからこそだ。彼は真っ向から近鉄に向かうのだった。その出番は。
 第二試合でだ。彼は登板することになった。
「じゃあ頼むで」
「わかってますわ」
 マウンドに立った彼にだ。監督である古葉竹織が告げていた。球場は今緊迫した状況にあった。ストッパーの彼の登板の時にだ。
「ここで抑えますわ」
「ああ、頼むで」
 今は七回だ。まだ双方得点を入れてはいない。お互いに一歩も譲らずだったのだ。しかし近鉄の打線はだ。尋常な力ではなかった。
「いてまえ打線や!」
「ここで爆発や!」
「江夏攻略や!」
 一塁側からだ。近鉄ファンの声がする。
「江夏、悪いけどな!」
「ここはやっつけさせてもらうで!」
 彼等の多くは阪神ファンでもある。だからこそ江夏への愛情はまだ強い。しかしだ。彼等は今はだ。近鉄ファンであり続けていたのだ。
 その彼等の言葉を受けながら江夏はマウンドに立つ。そしてだ。
 まずは羽田耕一が彼からヒットを打つ。するとだ。
 西本はだ。すぐに動いたのだった。近鉄には切り札があったのだ。
 すぐにだ。羽田の代走にだ。江夏が知らない男が来た。
「代走、藤瀬史郎」
「藤瀬!?」
 その名前を聞いてだ。江夏はまずはいぶかしんだ。
 そしてだ。キャッチャーである水沼四郎にだ。こう問うのだった。
「誰や、あれは」
 見ればだ。やけに小柄な男だ。その彼を見ながら水沼と話すのだった。
「あんな奴もおったんか」
「そうらしいのう」
 水沼もだ。よく知らないようであった。
「何か足が速いらしい」
「というと福本みたいなんかいな」
 江夏はこう考えた。言わずと知れた阪急の盗塁王福本豊だ。この選手もまた小柄である。そして左利きでもあるところは江夏と同じだ。
「そやったらここは」
「牽制で刺すか」
「そうするか」
 この時はまだ安直に考えていた。江夏は牽制が上手いことでも知られていた。相手ランナーの癖を見抜きだ。そのうえで抑えることもできたのだ。
 だからこの時もそれでいけると思った。しかしだ。
 一塁にいる藤瀬はだ。江夏から見るとだ。
 江夏は左ピッチャーである。従って一塁が丸見えだ。だからこそ牽制も得意なのだがその彼が見てだ。藤瀬の動きはというとであった。
「鬱陶しい奴やな」
 こう思わざるを得ないものだった。小柄な藤瀬が何かと盗塁を狙う動きを見せたり江夏の一挙手一投足を覗いているように見えてだ。彼は不愉快さを感じていたのだ。
「ランナーとしてわしに挑むか」
 これまでも多くのそうした経験があるがだ。それでもだった。
 この藤瀬はだ。江夏が味わうことのなかった鬱陶しさをだ。シリーズという大舞台において見せていたのだ。そうしてきたのだ。
 それを受けながらバッターに向かわざるを得ない。言うならば藤瀬は伏兵だった。江夏を横から霍乱する。そうした存在だった。
 それで気を散らされてだ。バッターである近鉄の主砲マニエルにセンター前にヒットを許した。
「一二塁やな」
 江夏は打たれてそう思った。しかしだった。
 藤瀬の足はだ。江夏の予想を超えたものだった。
「なっ!?」
 マウンドで思わず目を瞠った。何とだ。
 二塁を一気に回った。そのベースランニングも速かった。
 
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