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碁神

作者:Ardito
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許容しがたいことは誰にだってあります。

「は……へ?」

唐突な美鶴の言葉に理解が追い付かず間抜けな声がでた。
山口先生と? 縁を切る?
何で食事会の直後にそういう話になるんだ?

「だから、あの山口とか言う男とは――」
「い、いや、縁を切れっていうのは分かったけど……何で?」
「あの男は危険だ」

大事なところを一切省いた美鶴の物言いに唖然とした。
山口先生と美鶴は会ったばかりで危険も何も無いだろうに。
やはり初対面同士で放置する形になってしまったのが悪かったのだろうか。
本来の予定では予め料理を完成させた状態で美鶴を迎えるはずだった。
俺が酒さえ飲まなければ……今更それを言っても仕方ないか。

あの短時間のやり取りで美鶴が山口先生を危険人物だと判断するだけの何かがあったなら、山口先生にとっても美鶴に悪感情を抱くに足る出来事があった可能性がある。

美鶴は大事な友人だし、山口先生は恩人だ。
俺の家での食事会が原因で、俺にとって大切な二人がお互いを嫌うようになってしまったとすれば……最悪だ……。
ともかく何があったのか聞いて、誤解を解かないと。
山口先生に危険なんて、あるはず無いのだから。

「なに言ってんだよ……山口先生は良い人だぞ? 飯作ってる間に、何かあったのか?」
「そういう訳では無いが、あの男おそらく――」

そういって少し口ごもった美鶴だったが、目を閉じ逡巡した後、俺の目を見て言い放った。

「お前に気がある」

……ん? 俺に? キガアル? って、気がある?
……何の?

「つまり、あの男は椎名に惚れている――可能性が高いということだ」
「は、はぁあ?」

誤解を解かなくては、と身構えていたが、余りに突拍子の無いことを言われて脱力してしまった。

「惚れるって、恋愛感情を持ってるって意味で?」
「それ以外にあるのか?」
「は、はは、は……」

至極真面目に問い返され、笑い飛ばそうとしたが上手くいかなかった。

「わかってると思うけど……俺は男だぞ? 山口先生も男だ」
「世の中には同性愛者というのがいるらしいぞ」
「……」

そういう人がいるのはテレビとかで何となく知ってるけど……。
山口先生が、俺を? 笑えない冗談だ。
美鶴は何でそんなことを思ったんだろう。
同性愛者なんて少数派だ。 早々いるもんじゃない。
俺はかわいい女の子が好きなんだ。
男同士なんて――……気持ち悪い。

苦笑しながら美鶴の横を通り過ぎ、食べ終わった食器を片付けようとちゃぶ台へ向かった。

「あはは……あり得ないよ。 考慮の余地も無い。 美鶴の勘違いだ。 何でそんなこと思いついたのか知らないけど……」
「しかし、彼の目は普通では――」
「美鶴」

自分でも驚くほど冷たい声が出てハッとした。
誤魔化すために後ろを振り返り、生徒に対して浮かべるような優しい笑顔を意識して美鶴に笑いかけた。

「山口先生は美鶴が思ってるような人じゃないよ。 そういえば貧乳が好きとか言ってたな。 ちゃんと女性の好みもある普通の人! そういうわけだから、この話はもうおしまい、な?」
「……――分かった。 だが、最後に一つ……もし何かあったらすぐ俺に連絡してくれ。 どこに居ようと必ず――」
「あーはいはい、分かったよ。 なんか困ったことがあったら美鶴に電話するから。 それでいいだろ? そんなことより早く打とうぜ!」

美鶴が渋々とでも一応頷いてくれたので俺も食器を片付け始める。
食器をざっと水につけエプロンを外した後、そっと両腕を擦った。

……あーもう滅茶苦茶鳥肌立ってる。 背中もゾワゾワするし。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
自分が男から恋愛対象に見られるなんてもう生理的に受け付けられない。
ただの美鶴の勘違いなわけなんだから、こんな風に引きずる必要は無いんだけど、そういうことを示唆されるだけで気持ち悪くてすぐに切り替えられない。
だって、そもそも何で男同士でイチャつこうと思えるのか意味不明だ。
どこ触ったって固いだけだろ。
理解できないし、理解したくも無い。
ああもう考えるのもやめよう。
こういうの考えるのは生徒がそっち系に目覚めちゃったのを更生させる時だけで十分だ。

キッチンからリビングに戻りちゃぶ台の周りに置かれた座布団を二枚拾い上げて浮かない表情の美鶴に笑いかけた。

「お待たせ」

ほら、待ちに待った対局だろ?
あんなに俺とリアルで打ちたがってたじゃないか。
俺もさっきのことは忘れて無理にでも気持ちを切り替えよう。
ネットで打つのとリアルで打つのでそう何かが変わるとは思えないけど、それでもリアルでの初対局ってのは何となく特別な感じがする。 
因みに囲碁部のあれはハンデ付きすぎでノーカン。
美鶴と打つのは好きだし、楽しみにしていたのは俺だって同じなんだ。
そんな気持ちを込めて微笑みかければ、美鶴も気持ちを切り替えてくれたのか笑い返してくれた。

「碁盤はこっちの部屋にあるんだ」

そう言って私室へ繋がるドアを開き電気をつけた。
俺の後から部屋に入ってきた美鶴は、俺の部屋を見て目を丸くした。

俺の私室はリビングとほぼ同じ広さで雰囲気もそう変わらない。
ただ、決定的に違う所が一つ。

「……すごいな」
「そーか?」

それは部屋の半分以上を埋め尽くす囲碁の関連図書だ。
部屋を半分で区分けしており、片方はPCが乗った机やベッド、クローゼットがあり、隅には碁盤が置かれている。 室内に一つしかない窓はこちら側にあって、窓際には大量のサボテンが居座っている。

そして、もう片方は一言で表せば小さな本屋だ。
背中合わせに設置された本棚が3列と、それを囲むようにコの字型で本棚が設置されている。 中に納まっている本はすべて囲碁に関する本だ。
どの本も繰り返し繰り返し何度も読んだせいでボロボロだが、それだけ一冊一冊に歴史があり、俺の宝物なのだ。

部屋いっぱいに広がる紙の匂いが好きで、この部屋にいるとそれだけで癒される。
いつの間にか匂いが移って体臭のようになってしまい、高校の同窓会なんかに出席すると『図書館で働いてるんだっけ?』なんて聞かれることもしばしばだ。 別に臭いわけじゃないし大丈夫だよな……?

「少し見ても良いか?」
「もちろん」

興味津々な様子で本棚を見て回る美鶴を尻目に碁盤を広い場所に移し座布団を床に敷いて対局の用意を進める。

「どの本も相当読み込まれている……師匠がいないというのは本当のようだな」
「何だ、信じて無かったのか? まぁ、ネット碁で強い人達に教えて貰ったりしたから、ある意味ではその人たちが師匠とも言えるけどな」
「そういうのは師匠とは言わない。 ……父の本が多いようだが――」
「当然! 香坂砕臥先生は俺の憧れだからなっ!」

あの重厚な守り! 石の流れの美しさ! 相手を完膚なきまでに叩き潰す苛烈な攻め! あの人の棋譜を初めて見た時、俺が感じた衝撃をどうやって言葉に表せば良いだろうか! それはただの棋譜なのに、まるで香坂先生本人がそこにいるかのような存在感、迫力を感じた程だ!
そう、初めて棋譜を見たその時から、雷に打たれたような衝撃と共に俺は香坂先生の大ファンなのだ。

「なるほど。 ……そして俺の本は一冊も無いんだな……」
「ん?」
「いや、何でもない。 確かに言われてみれば椎名の棋風は父と似たところがあるな」
「な、何言ってるんだよぉ! 俺なんかまだまだ香坂先生の足元にも及ばないって!」
「……似てると言っただけだ」

棋風が似てると言われてついつい頬が緩んでしまう。 一番近くで彼を見てきたであろう、香坂先生の息子に言われたのだから嬉しさも一入だ。
だが、間抜けなにやけ面を晒しているだろう俺をみて、美鶴はふと自嘲を浮かべた。

「……確かに父は強いが、俺は父に負けるつもりは無いし、対局時には必ず勝つつもりで打っている。 ――俺のライバルである椎名にそういうことを言われると……複雑だ」

いや、今の実力で美鶴が香坂先生に勝てるわけ無いだろ、と香坂砕臥信者の俺は一瞬思ったが、考えてみれば美鶴はタイトルホルダーだ。
香坂先生と、親子としてではなく対等の棋士として公式の場で戦う機会も多いだろう。 簡単に勝てないとか弱音を吐くことは許されないのかもしれない。
偉大な父という壁を乗り越えられないことを悩んでいたとしたら無責任なことを言ってしまったかもしれない。
美鶴は、気楽な立場で碁を打っている俺とは違うのだから。

「っ……ごめ、俺……」
「いや、すまない、八つ当たりしてしまったな。 俺の実力が不足しているのは事実だ。 俺が強くなれば良いだけだから、気にしないでくれ」

そういって微笑む美鶴にホッとした。 気にしなくて良いというのなら気楽な立場でものを言わせてもらうとしよう。
俺は狼狽えたことを隠すようにニヤリと笑い返した。

「そうだな。 俺に勝てない美鶴が香坂先生に敵うわけ無いんだから、まずは俺を倒さないと」
「ほぉ? 俺を煽るとは良い度胸だ。 今日こそは必ずお前に敗北の味を思い出させてやろう」

そんな軽口を叩きながら碁盤を挟んで向かい合う。
さっそく石をにぎると俺が先番になった。

「黒か、久しぶりだ」
「まさかそれを負けの言い訳に使うつもりでは無いだろうな?」
「はっ、そういうことは一度でも勝ってから言えっての。 それじゃ――」

「「おねがいします」」

挨拶と共に余計なことが頭から消え、思考が、心が明瞭になり澄み渡っていく。
そう、今はこれから紡がれる一局のことだけ考えていればいい、――それ以外は何もいらない。

心から対局以外のことが全て消えた時、俺はガシャリと音を立て碁笥に手を突っ込んだ。 
 

 
後書き
椎名先生は同性愛が元々生理的に無理だったわけでは無く、無理になった原因があります。
あとそれほどこだわりがあるわけではありませんが、椎名先生は美乳好き。 エロ本はベッドの下です。 
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