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第五章


第五章

「投げる」
 彼は言った。
「投げる。何があってもな」
「投げるんだね」
「俺は投げるのが仕事だ」
 言葉が続く。今度は自分自身ことを見ての言葉だった。
「だから。投げる」
「投げるんだね」
「考えてみればあれだよな」
 前を見据えて走ったまま。未樹に言ってきた。
「誰だってあることだよな」
「怪我のことかい?」
「ああ、そのことだ」
 このことを未樹に対して言っていた。横にいる彼女に。
「俺だけじゃない。誰でも一緒だよな」
「・・・・・・ああ」
 何故かここで。言葉を鈍いものにさせる未樹だった。
「そうだね。それはね」
「?どうしたんだ?」
 未樹の言葉が鈍いものになったことは赤藤も察した。それで彼女に目を向けて問うのだった。
「急に弱くなったな」
「いや、別に」
 だが未樹は今度の言葉には答えなかった。何故か誤魔化してきたのである。
「別に。何でもないさ」
「そうか」
「ああ、そうさ」
 未樹は前を見たまま答える。
「何でもないから。気にしなくていいよ」
「わかったさ。それじゃあ今日はな」
「どうするんだい?」
「ずっと走る」
 彼は言った。
「ずっとな。ここを走るさ」
「他のトレーニングはしないのかい」
「それはまた明日だな」
 やはり前を見ての言葉だった。
「それより今は」
「走るんだね」
「ああ、とことんまで走る」
 もう決めた言葉だった。
「今日はな。それでいいよな」
「私に反対する権利はないよ」
 答えるその声が微笑んでいた。
「決めるのはあんただしね」
「俺か」
「投げるのを決めるのもあんたさ」
 このことも言い加える未樹だった。
「あんたのことを決めるのはあんただ。他の誰でもない」
「そうだよな。俺が全部決めるんだ」
「だから。走るのも自分が走りたいだけ走ればいいさ」
「好きなだけか」
「私はそれに付き合うだけだよ」
 言葉がまた微笑んだものになっていた。その言葉を続けていく。
「今日は。何処までも付き合うよ」
「悪いな」
「いいさ。これも縁だよ」
「縁か」
「縁なら付き合う」
 思いきりのいい言葉だった。それだけにはっきりとした強さがそこにはある。
「それだけだよ」
「あんた、今わかったけれど」
 赤藤はもうその目を前に向けていた。前を向いて走りながら。そうしてまた未樹に声をかけた。
「何だい?」
「いい奴なんだな」
「今わかったんだね」
「最初は嫌な奴だと思ったさ」
 本音を述べてみせた。ここで隠しても何にもならないとわかっていたからこそ。今は本音を述べるのだった。偽らざる己の本音を。
「けれどそれは誤解だったな」
「随分酷い誤解だよ」
「悪い。けれど今は違う」
 このことも語るのだった。本音をそのまま。
「いい奴なんだな」
「褒めても何も出ないけれどそれでもいいんだね」
「ああ、構わない」
 最初からそんなものは求めていない。だから本音を言ったのだった。
「全くな」
「いいね、その男意気」
 今度は未樹が赤藤を褒めてきた。言葉が微笑んでいた。
「その意気だよ」
「その意気でやれってか」
「その意気があれば何の問題もないからさ」
 こうも言うのだった。
「だからね。投げるのもね」
「そうだな。投げる」
 そのことをまたしても決意する。そして。
「だから今は走る」
「その男意気でだね」
「ああ、走るさ」
 言いながら走り続ける。既にその距離は普通の日のそれを超えている。だがそれでも走り続ける。その横にいる未樹を感じながら。
「今はな」
「今はだね」
「もうすぐまた病院だ。その時に」
 言葉を続けていく。
「肩がどうか聞けるさ。ひょっとしたらもうすぐ投げられるようになるかも知れない」
「もうすぐなんだね」
「ああ、ひょっとしたらだけれどな」
 こうは前置きする。
「それでも。俺はやっぱり」
「投げるんだね」
「ああ、投げる」
 決意した言葉がまた出される。それはさっきのものより強くなっていた。
「絶対にな」
「投げればいいさ。けれどその時は」
「その時は?」
「私が見てもいいかな」 
 不意にこう言う未樹だった。
「あんたが投げるのを。見てもいいかな」
「ああ、好きにするんだな」
 未樹の今の言葉を受けての返答だった。
「あんたが好きなようにな」
「じゃあそうさせてもらうさ。それじゃあ」
 また走り続けていく。何があってもという感じで。
「その時にまた会おうな」
「楽しみにしているよ」
 こう言いながら走っていく。二人並んで。この日はこのままお互い疲れ切るまで走った。それから数日後。彼は医者の診断を受けこう言われた。
 
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