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碁神

作者:Ardito
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山口先生の前世はきっと神様か仏様。

 
前書き
擬態の山口。 

 
食欲のそそられる良い香りが鼻腔をくすぐり、ふと目が覚めた。
そこが自宅の寝室で無いことに気付き慌てて体を起こそうとしたが、全身に鈍い疼きが走り再びベッドに倒れ込んでしまう。
仕方ないので少し頭を動かして周りの様子を窺った。

部屋は薄暗いが、カーテンを通して差し込む日の光が部屋の様子を確認できる程度には照らし出していた。
クローゼット、テーブル、椅子、そして今横たわっている柔らかなベッド……一通りの家具が揃っており、全て木目が暖かな木製だ。
部屋の所々に同じく木製の、可愛らしい置物が置かれている。
穏やかな優しい印象の部屋だ。

俺の理想を体現したかのようなこの部屋に、俺は心当たりがあった。
というか、もはや見慣れつつあると言っても過言ではない。

問題は、この部屋に泊まることになった経緯だ。
俺は目を閉じ静かに考察する。

まず……昨日の飲み会の途中から全く記憶が無い。
全身を倦怠感が包み、身体が酷く重く感じる。
頭はガンガンと痛む。

……うん。
……分かってた、この部屋で寝てる時点で分かってたよ……。

「――また、やらかしたぁ……」

声まで低く掠れています。
どう考えても二日酔いです。 本当にありがとうございました。

過去に何度も訪れたこの部屋は山口先生宅の客室だ。
勤め始めてからというもの、酒を飲んだ翌日はほぼ毎回この部屋で目を覚ます。

あー……確かに自分のウーロン茶を飲んだはずだったのに!
ウーロンハイもウーロン茶も見た目は一緒だが、普通間違えないだろ……。
気をつけてたつもりだったんだけどなぁ……。

自分のアホさ加減にゲンナリし、重苦しいため息を付きながら頭を抱えた。
うぅ……頭痛い。

とにかく、また山口先生に迷惑をかけてしまった。
身体が重くて起き上がるのが非常に億劫だが、ここが山口先生の家である以上いつまでも寝ているわけにはいかない。

俺は痛む頭を刺激しないようにゆっくりと身体を起こした。
うぐぐ……身体が滅茶苦茶重い……特に腰。
何と言うか凄い肉体労働をした後のような疲労感だ。

って、あれ?

俺、パジャマになってる……いつもは前日着てた服のままだったのに……。
じ、自分で着替えたのか? それとも――

「お、目ぇ覚めました?」
「山口先生……」

薄く開いていたドアが開かれ山口先生が顔を覗かせた。
同時に美味しそうな香りがふわりと部屋へ流れこむ。
客室の外はキッチンとリビングが一緒になった部屋だ。
何か作っていたのだろう。

「いつもいつも済みません……」
「そんな気にしなくていいですよ。 酔った椎名先生にも大分慣れたし、来客の少ない家ですから結構楽しんでたりもするんです。 はい、水どうぞ」

山口先生……なんて良い人なんだ……!
お礼を言って山口先生からコップを受け取り、冷たい水を一気飲みする。
……うん、少し頭痛が和らいだかな。

「ありがとうございます……! ところで、ええと俺の服なんですけど――」
「ああ……昨日椎名先生派手にリバースしましたからね……」
「え……」

目を見開き絶句した。

「流石にそのままでは寝かせられなくて……」
「ほ、本当に済みませんでしたっ! 何か山口先生の物を汚してしまっていたら弁償しまっ……」

大きい声を出したら頭に強い痛みが走り、言葉が中途半端に終わってしまった。

「大丈夫ですか? 椎名先生、二日酔いが重いんですから無理はいけませんよ。 私の物は特に汚れて無いので大丈夫です」
「うぅ……済みません……」
「ほら、もうそんなに謝らなくて良いですって。 それよりも昼食を作ったので良かったらご一緒しませんか?」
「はい……毎回ありがとうございま――昼食?」

昼食、昼食……今日土曜日だよな……何かあったような――あ!

「ええ、もう昼時なので……椎名先生?」
「山口先生……今、何時ですかね……?」
「ええーと、もうすぐ1時ですね」

忘れてた。 いや覚えてたけど忘れてた。
今日美鶴がうちに来るんだったー!
約束は12時、もう一時間も過ぎてる!

「済みませんっ、今日お昼に来客の予定が! お昼はご一緒できな――いだだ……」

ベッドから勢い良く降りようとして、頭の激痛に蹲る。
ああもう学習しろよ俺!

「……来客?」
「うぐぐ……はい、今日昼食を振舞う約束してて……急がないと……!」
「……椎名先生の手料理を? いいですねぇ。 もしかして、コレですか?」

おどけたように山口先生が小指を立ててくる。
恋人かって? ははは。
……そんな相手がいたら、どんなに、どんなに良いか……!
どうせ俺は年齢=恋人いない歴ですよっ。

「……残念ながら、男ですよ……。 ほら、囲碁部に指導しにきてくれた香坂美鶴――先生ですよ」

逡巡したが、美鶴との関係は話さないことにした。
別に秘密ってわけじゃないけど、まず詳しく説明してる時間が無いのと、詳しく説明したとして、俺と美鶴がライバルだなんて信じて貰えないかも知れないし、信じて貰った所で自慢だと受け取られたり、過剰に賞賛されたりするのが嫌だからだ。
つい一昨日まで明らかに初対面だった様子を山口先生は見ているし、どうせ山口先生は囲碁に興味が無い。 詳しく説明する必要は無いだろう。

「この間の囲碁の先生ですか。 でも何やら凄い先生なんですよね? 何故椎名先生の家に?」
「せっかくの機会なので、個人的に打って貰えないか駄目元で頼んでみたんです。 そういうわけなので、済みませんが――」
「椎名先生」

頭と腰を抑えてゾンビのようにヨロヨロとドアへ向かうと山口先生が心配そうに寄り添ってくれた。

「そんな調子じゃ家につくまでに日が暮れてしまいますよ。 車なら15分くらいで着きますから送りましょうか?」
「え! ……でも、そこまで迷惑を掛けるわけには……」
「そのフラフラの身体で帰るんですか? 駅まで普通に歩いても20分はかかります。 電車に乗ってる時間と駅を降りてから椎名先生の家までの時間も合わせたら1時間を超えますよ?」
「それは……」
「そんな状態じゃあ、私も心配で気が休まりませんから。 私が送りたいんです。 どうしても気になるなら後日何らかの形で埋め合わせしてくれれば良いですよ」

そう言って山口先生はニッと笑った。
ああ、何かもう後光が見えてきた……!

「……っありがとうございます。 それじゃあ、ご厚意に甘えさせてもらいますね」
「はい。 服はまだ乾いていないので私のを貸しますね。 乾いたら学校で返しますから」

山口先生に用意してもらった服に着替えて美鶴に謝罪のメールを送った。
送ってすぐに返信きた。
最悪もう帰っちゃった可能性も考えていたが、まだ待ってくれていたようだ。
美鶴にも山口先生にも悪いことをしてしまった。
今度こそ二度と酒は飲まんぞ……!
あ、山口先生に事情を話してないから適当に話を合わせて欲しいってことも伝えておこう。

急いで支度を終わらせ客室から出ると、リビングのテーブルには二人分の食器が用意されていた。
せっかく用意してくれたのに、と胸が少し痛んだが、山口先生は気にしなくて良いというように笑いかけてくれた。
この埋め合わせ、絶対にしないとな……!

山口先生のマンションから俺のアパートまでは車ならわりとすぐだ。
二日酔いのせいで普段なら酔わない車に酔い、山口先生の手を借りて何とか車から降りる。
冷房の効いた車内から外に出ると、その激しい気温差に吐き気が込み上げ、無理やり押さえ込む。
いつもなら気温差等どうって事は無いのだが、体調最悪の今は茹だる様な暑さが応えた。

「椎名!?」

アパートは二階建てで、俺の家は二階だ。
山口先生に寄り添って貰いフラフラと階段を登ると私服の美鶴が駆け寄ってきた。
美鶴は腰を屈めて目線を合わせ、心配そうに俺の頬へ手を当てた。

「どうしたんだ、顔真っ青じゃないか!」
「二日酔いと車酔いで……時間に遅れて悪――済みませんでした」

『悪かった』と言いそうになり言いなおす。
山口先生視点、俺は美鶴に囲碁の指導を頼む立場だからタメ口は可笑しいだろう。

「いえ、事情があったんですから気にしないでください。 それより、大丈夫なんですか?」

俺の話し方で美鶴も察してくれたらしい。 タメ口から敬語になった。

「ええ、こちらの山口先生のおかげで何とか……二日酔いは良くなってきましたし、車酔いはすぐ治りますから」
「それなら良かった。 ……貴方が山口先生ですか?」

初めて美鶴が山口先生に向き直る。
綺麗な笑顔を浮かべる美鶴に山口先生も笑顔で頷いた。

「はい。 一昨日お会いしましたね」
「そういえばそうでしたね。 椎名先生を色々と助けていただいたようでありがとうございました」
「ははは、香坂先生がお礼を言うことではないでしょう。 いつものことですしね。 今にも倒れそうな椎名先生を一人で帰すわけにいきませんから」
「いつものこと。 なるほど。 椎名先生に随分頼られているんですね。 しかし、ここからは私が――」

二人がにこやかに何やら話してる間に、アパートの廊下の手すりに寄りかかり夏の爽やかな風に当たりながら遠くの景色を眺めていたら車酔いも二日酔いも大分マシになってきた。
いや、一応俺の客人に当たる初対面同士の二人を放っておくのはどうなのかと思ったけどね? 何か妙に話が盛り上がっている様だったから、それなら酔いを醒ますのを優先しようかなっと。
別に仲間はずれにされて寂しいとかじゃないので勘違いしないように。

通路庇で出来る影がギリギリ俺の頭を覆ってくれ、いくら真夏とは言え風さえあれば日陰はそれほど暑く無く、ボーと蝉の鳴き声に意識を溶かしていたら徐々に頭痛が消え、心なしか身体も軽くなった気がした。
――夏という季節は嫌いじゃないのだ。

「よしっ」

自分に気合いを入れるように声を上げてくるりと後ろを振り返ると、美鶴と山口先生が話を中断し俺の方に向き直った。

「それじゃあ山口先生、本っ当にありがとうございました! もう酔いも醒めてきたので大丈夫ですよ」
「……そうですか、良かったですね」
「では、私達はそろそろ中に入りましょうか」

美鶴が山口先生に会釈して俺の腰に手をかけた。
男にスキンシップされるの好きじゃないんだけど、美鶴の場合は所作が自然過ぎてあまり気にならない。
……そうだ! こいつの所作を学べば俺もモテるんじゃないか!?
凄いことに気づいてしまったな。 これからは美鶴の動きをよく観察することにしよう。

「山口先生、この埋め合わせは必ずしますから!」
「はい、楽しみにしていますよ――あ、そうだ」
「はい?」
「二人はこれから昼食なんですよね? 今日は私もまだなんです」

そういえば、俺のせいで山口先生はお昼を食べ損ねてしまった。
――あ、なるほど。 確かにそれだったら調度良いお礼になるな。
山口先生の言わんとしていることに察しが付き、俺は笑顔を浮かべた。

「もし二人が良かったらなのですが……昼食だけご一緒してもいいですか?」 
 

 
後書き
ウーロン茶とウーロンハイの位置を入れ替えたのは山口先生です。 
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