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誰が為に球は飛ぶ

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青い春
  拾参 知らない自分

第十三話

当たった瞬間、ヤバい、とは思ったよ。
何たってウチで1番のバッター剣崎さんの会心のライナーさ。何でグラブを出したんだろうって言われると、何でかは僕にだって分からない。
おかげで、左手の人差し指を骨折さ。骨まで折れてるとは思わなかったなあ。凄いよ、あの人の打球の威力は。

骨折したから、春の大会は全然投げられなかった。結局チームはブロック予選の決勝で負けちゃったよ。相手が昨秋のベスト16だから、6-8じゃ善戦した方かな。

最近、みんな凄いんだ。春の大会でも、健介は鋭い打球を何度も止めてピンチを救ったし、薫君はキャッチャー始めて間もないのにすっかり司令塔だったし、藤次はあれだけ荒れ球で短気だったのが、粘って試合を作れるようになってたんだ。

そうだ。みんな凄いんだ。
別に僕みたいな奴の力をわざわざ借りるまでもないんだ。

でも今は




だからこそ自分の力をもっと伸ばさないといけないって。
凄いみんなの役に立てるようにならないといけないって。



とりあえず思ってる。



ーーーーーーーーーーーーーーー

第三新東京市の、まだ真新しいシネマ・コンプレックス。その前のベンチに腰掛けて、真司は春の日差しにうつらうつらとまどろんでいた。
日中は、結構暖かくなってきた。
開発が進むこの街は、また色々な施設やビル、公園ができ、人が増え、その様子を目まぐるしく変えていく。

季節も変わる。街も変わる。
人間も同じだけ、変わっていくのだろうか?

「…こんにちは」

真司の前に現れたのは、黒のワンピースに身を包んだ、青の髪に赤い瞳の少女。
綾波玲だ。靴に至るまで黒で統一している服装と、真っ白い肌とのコントラストが目につく。華奢な足が裾から覗いているのが眩しい。

「…あっ、ああ、綾波」

ぼーっとしていた真司は、不意に声をかけられて少し戸惑った。バッグの中の財布から、チケットを取り出して玲に渡した。
受け取った玲は、そのチケットに書かれたタイトルを無表情で見つめる。

「よし、じゃあ、行こうか」

真司と玲は、シネコンの中へと二人で入っていく。近くも遠くもない距離を保ちながら、横に並んで歩く。

今日は真司は、春季大会敗退の翌日の日曜日で、部活は休み。何回目かの、玲とのデートだった。



ーーーーーーーーーーーーーーー

映画は、自分探しの旅に出た青年の生涯の物語だった。実話が基になっているらしい。
劇的な展開も、爽快な活劇もない。淡々と、「自分を見失った青年の内面の葛藤と、周囲の人間との関わりが語られていく。

真司は、隣の玲をしばしば横目で見た。
玲の表情には相変わらず抑揚がない。
その表情が硬直しているようには見えない。柔らかな、自然な無表情がずっと続いている。それが保たれている。

出会った時から、変わっていない。
玲はいつも、そんな顔つきをしていた。


ーーーーーーーーーーーーーーー

「ここに居る私は、私そのものだと思う?」

映画の帰りに寄ったカフェで二人コーヒーを飲んでいると、玲がそう切り出した。
映画館からここまで、ほとんど会話は無かった。真司はこういう時、玲の言葉を待つようにしている。最初は怒らせたのかと気を揉んでいたが、逢引を続いているうち、これが玲のペースだと分かってきていた。

「うん、もちろん。そう思ってるけど」
「ここに居るはずの自分を探す為に、遠くに行く…今ここに居る自分が、まるで自分じゃないように思えてしまうからなのね…」

つぶやくようにして言うと、玲は少しぬるくなったコーヒーを啜る。
真司は、さっき見た映画の話だな、とすぐに分かった。

今日見た映画は、玲がもとより見たがっていた映画だった。玲が、哲学的なテーマが強く出ている書籍をよく読んでいるのを真司は知っている。
そういう好みなのだろうか?

いや。

玲もまた、先ほど見た映画の主人公のように、



「自己」に悩んでいるからではないだろうか?


「クラスでの顔、家での顔、部活での顔…人は色々な顔を使い分けている。そのうちのどれが"自分そのもの"かなんて、決められると思う?」

玲の赤い瞳が真司の眼を見据えた。真司の胸がドキッとする。一緒に居る時間を重ねても、真司は中々この赤い瞳には慣れなかった。

「碇君…あなたの前に居る"私"は、本当に"私"かしら?」

正面に真司を捉え、静かに問うた玲に、真司は体が固まった。
何だよこれ。どう答えれば良いんだよ。
一体どう答えるのが正解なんだろう?

玲はその目を真司から離そうとしない。
気まずい沈黙が続く。
沈黙が続くのはいつもの事だが、今回はいつもの沈黙とは質が違った。
いつもの沈黙は、玲が全くそれを問題にしていないように感じた。だから真司もそれを問題にしなかった。
今は違う。玲は、真司を試すような目で見つめている。

「な、なんでそんな事…」

結局真司は、そう言ってお茶を濁すしかなかった。

「ごめんなさい」

玲は視線を外し、完全に冷めてしまったコーヒーの残りを啜った。飲み終えた自分の口を、紙ナプキンで丁寧に拭う。

「碇君と居る時の自分が、いつもの自分と違うような気がして…」
「え?」

また唐突に言われて、真司はキョトンとする。

「…自分の事、私は空っぽだと思ってた。中身なんて、何も無いわ。でも、碇君と居ると、少し違う気がするの」

真司は黙って聞く。

「…私の中に、何かがあるように思えて。ポカポカするの、心が」

玲は席を立った。

「行きましょう。帰る前に、私の家に寄っていかない?」
「……」

真司は、驚いて、玲の顔をまじまじと見たまま動けなかった。



無表情の、玲が。



あまりに表情に抑揚がないので、真司に「無表情の種類の中に表情を読み取る」という芸当を習得させた玲が。



笑っていたのである。




屈託無く。自然に。



「…どうしたの?」
「あ、ああ、行こう」


我に返り、慌てて真司は席を立った。
真司が飲み残したコーヒーの水面が、波を立てて揺れていた。











 
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