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MS Operative Theory

作者:ユリス
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MS開発史
  陸戦用MS②

 
前書き

 

 
——進化の袋小路に陥った陸戦用MS ——

 陸戦用MSのベースとなったF型が拡張性に優れた機体だったこともあり、ザクⅡJ型は海洋以外の大半の地球環境に適応し、砂漠用のD型(ディザート・ザク)や砲戦用のK型(ザク・キャノン)などの陸戦用MSバリエーションを生み出す母体ともなった(このほかにも、未確認だがホバー装甲機能を持つG型(陸戦強化型ザクⅡ)や形式番号不明の寒冷地用(ザクⅡ寒冷地仕様)などが存在した)。さらに戦線の推移に伴い、J型の性能を向上させたJC型なども開発された。

 しかし、ザクⅡ自体の基本設計の古いことや、連邦軍のMS開発技術の発展により、次第に性能不足———————対MS戦戦力不足———————とみなされるようになった。そこで、一年戦争以前から開発が進められていた新型の陸戦用/局地戦用MSが投入された。

 これらの新型MSの代表が、ZEONIC(ジオニック)社のグフ・シリーズとZIMMAD(ツィマッド)社のドム・シリーズである。

 MS­-07の形式番号を与えられたグフ・シリーズは、一部ザクⅡJ型(D型とも言われる)のパーツを流用しているが、機体の60%は新造されており、最初から陸戦用として設計された機体であった。グフは連邦軍のMSに対抗するために開発された機体で、対MS戦能力を追求した格闘戦専用機であった。

 特にグフの決定版といわれるMS­-07Bでは、右腕に格闘兵器ヒート・ロッド、左腕には5連装機関銃砲を固定装備したうえ、グリップとマウント・ラッチの二つの接続方法を持つシールドを標準装備するなど、「対MS戦用」に特化した機体であった。グフの実戦投入は比較的早く、U.C.0079,03,18に行われた第3次降下作戦で投入されたとも言われている。

 もっとも、この説が正しいとするなら、投入されたのはYMS-­07(プロトタイプグフ)だと考えられるが。その後、グフはキャルフォルニア・ベースで生産が進められ、マ・クベ少佐指揮下の欧州鉱山部隊を中心に配備された。ザクⅡJ型に代わる主力陸戦用MSとなるかに思えたグフだが、ザクⅡJ型の後継候補にはもう一つのMSがあった。それがMS­-09ドムである。

 ドムはグフよりもはるかに画期的な機体であった。陸戦用MSは移動方法が限られているために、機動性が低くなることが短所とされた。宇宙空間であればスラスターによる高速移動も可能だが、地球上では「歩行」するしかなく、ザクやグフではその速度では最大で時速70~80km程度でしかなかった。そこで、ドムは脚部に熱核ジェット・エンジン(正確には熱核ハイブリッド・エンジン)を内蔵することで、「ホバー走行」という新概念を取り入れ、時速381kmもの高速移動を可能とした。されに360mmもの口径を持つジャイアント・バズによる大火力と、重装甲化による耐弾性を併せ持ち、これらの要素を組み合わせた一撃離脱戦法は経験の浅いパイロットにも高い戦果が期待できた。

 一方のグフは格闘戦に特化したがゆえに、パイロットの練度によって戦果にも開きがあるとされていた。このため、操作性においてもドムの優位が明らかであった。この結果、ザクⅡJ型の後継となる主力陸戦用MSにはドムが選ばれ、グフの生産は縮小されることとなった。

 MSに求められる汎用性を軽視し、格闘戦専用機というべき設計思想の下に生まれたグフが主力機足り得なかったのは当然であった。

 だが一方のドムも、誕生した時点で「寿命が尽きていた」MSだったのである。確かにドムは高い完成度を持つMSではあった。しかし、それゆえに発展性が皆無であったのだ。これはドムの後に開発された系列機が、ドムの単純な高性能型しかないということからも理解できる。陸戦用MSの決定版として開発されたグフとドムは、方向性こそ違うが共に進化の袋小路に迷い込み、消えていった。

 そして、ザク・シリーズを祖とする汎用機こそが、一年戦争後の地上戦で主力を務めることになるのである。





補足事項

——サブ・フライト・システムの開発——

 乾燥地帯や湿地帯などでも性能を発揮した公国軍の陸戦用MSだったが、開発当初に予定していた機動力を発揮しなかった。そのため、MSを航空機に乗せて機動性と展開能力を強化するプランが採用された。そこで白羽の矢が立ったのが要撃爆撃機ド・ダイYSである。

 ド・ダイYSはエンジン出力と機体強度に余裕があったことや、フラットな期待構造が評価され、MS搭乗用ステップなどが増設されたのち、「MS搭乗航空機」として運用された。この発想は、一年戦争後にサブ・フライト・システム(SFS)の開発に貢献することとなった。
 
 

 
後書き
次回 水陸両用MS 
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