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銀英伝小品集

作者:菊池信輝
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閃光の傷跡

 
前書き
 バーミリオン会戦後のトゥルナイゼンを描いたお話、です。今のところ。
このままいくとIF展開に発展しそうな気がしますが、その時はその時で…。 

 
 戦闘が終結したとき、イザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼンの艦隊は過半を失い、残る半数も戦闘に耐え得る状態ではなかった。トゥルナイゼン自身は戦死を免れたものの、副司令官ツェルナー少将以下麾下の提督に複数の戦死者を出し、司令部も機能不全に陥りかけていた。

 艦全体に複数の直撃弾を受けた旗艦テオドリクスに率いられたかつての級友の艦隊が旗艦同様、満身創痍の体で本営に帰還してきたとの報告は、ラインハルトにとって愉快なものではなかった。
 数日に及ぶ激闘の中を生還してきた提督たちにとっても、それは同様であった。
 指令を無視したトゥルナイゼンの突出がなければ、無用な犠牲を強いられずに済んだとの思いが彼らにはある。グリューネマンやカルナップの司令部で生き残った者たちには、特にそれが強かった。
 疲れ切った表情で上官の前に膝まづく青年提督はそんな僚友たちの視線に、黙って耐えていた。
 「トゥルナイゼン提督」
 ラインハルトの声は大きくはなかったが、諸将を凍りつかせるほどの冷たい響きを帯びていた。怒気を漲らせていた諸将の気炎が一瞬にして吹き消され、彼らは鞭に打たれたかのごとく背筋を伸ばした。
 「はっ…」
 「卿は功を焦って突出した。そのために全軍の連携が乱れ、敵をしてよからぬ策動をなす余裕を与えてしまった。別働隊が敵首都を突くのが一歩遅れていれば、我が軍は消滅していたところであった。何か申し開きすることはあるか?」
 「ございません…」
 答える声は、戦前の覇気を影も留めぬほどに力なかった。続けるラインハルトの声は、なおも冷たい響きを変えることがない。
 「言うまでもないが信賞必罰は武門の拠って立つところ。卿の艦隊は総司令部の直接指揮下に置く。さしあたって自室において謹慎せよ。卿の責任はオーディンに帰還してのち問うことにする」
 解散が命じられた時、艦橋にいた大半の者がこの貴族出身の青年提督が死を賜るものと感じた。弁解の余地も与えぬラインハルトの冷酷さは過日輸送部隊を撃破された失態によってゾンバルト少将が粛清された先例を思い起こさせるに十分であり、それ以外の結末を想像する想像力を封じ込めてしまうほどの衝撃を立ちあった者に与えるものであった。
 ゆえに後日トゥルナイゼンに下された処分が「国内の治安維持部隊への転出」にとどまったことは、それに伴い彼が大将に昇進したことと共に大多数の者に意外の感を与えた。
 この一件について、過去の出来事を詳細に記憶している者で、霊魂の存在を信じる者には彼なりの野心や計算によってであったとはいえ、級友たちの敵視を受けるラインハルトに対してそれなりに友好的であったかつての野心的な少年の処遇を死せるジークフリード・キルヒアイスがラインハルトにとりなしたことを真剣に信じる者も少なくなかった。
 だが彼らの誰ひとりとして、あるいはもっと現実的な思考の持ち主たちにも、このいささか甘過ぎるとも思える処置が取られた真相を突きとめ得た者はいなかった。
 
 「難しいものだな、フロイライン」
 ある休息の時間、紅茶の芳香を楽しみながら、ラインハルトは言った。
 「人はみな光にあこがれ、光に目を向けたがる。強い光に目がくらめば大半の者は目が覚めるが、わずかでも才ある者は自分も光になったと思い込む。あるいは目をくらませた光に追いつき追い越そうと走る。自分がどれだけ息が続くかということも考えずに。だが元より光を見ようともせぬ者には成長も大成も決してありえぬ。…今度の戦いはいささか、考えさせられた」
 ヒルダはらしくもなく、ラインハルトが疲れた表情をしているのを見た。
 「それが、トゥルナイゼン提督を軽い処分でお済ませになる理由なのですね」
 「そうだフロイライン。ケンプを失った時、気付くべきだった。敵であれ味方であれ、強い光に目を焼かれた者はその光を追って止まない、ということをな」
 自嘲の意味を込めてか、ラインハルトは軽く笑った。
 「私自身、ヤン・ウェンリーの光に目を焼かれていたのだ。そうであればこそ、一対一で雌雄を決するという発想に思い至った。トゥルナイゼンを咎めることはできぬ」
 ラインハルトの追憶を、ヒルダは黙って聞いていた。
 私情としては、今さらと思う心がないでもない。だが公人としては、歓迎すべきことだった。動乱と再建の時代はいずれ過ぎ去る。いや過ぎ去ろうとしている。その時ラインハルトが目を焼いた光を追い続けてやまぬままであれば、帝国軍は幾億の屍を積み重ねることになるのか想像もつかない。ヤン・ウェンリーが生きている間はいい。対等でなくなるとしても、手ごわい敵手としてあり続けるうちは。だがヤンとて不死の存在ではない。もしヤンがラインハルトより早く死ぬようなことがあれば、ラインハルトは味方のうちに敵を求めるのではあるまいか…。そしてそれに付け込もうとする輩がいれば、流血と怨嗟の声は止まるところを知らぬだろう。
 恐るべき想像に、ヒルダは背筋を氷塊が滑り降りるのを感じた。
 「盲いることなければ、いずれ光に焼かれた目も癒える。そういう男は貴重だ。傷が癒え、目が覚めてなお覇気を失わぬのであれば、才に劣っていても時間と経験によって補い得るだろう。後に続く者たちのためにも、死なせたくない…」
 ヒルダは何も言わなかった。
 今この瞬間に少年期を脱しつつある眼前の覇者に、その機会を逸させることを恐れたのだ。
 「艦隊の再編が済み次第、フェザーン外縁星系の警備司令官に転任させる。経験を積んで一千光年を見通す目を備えるに至れば、今の私の階位に並ぶこともあろう」
 そこまで言うと、ラインハルトは軽く笑った。
 その笑いがヒルダにはラインハルトが自身の「少年期」を笑っているように思われた。
 ヒルダは懸案を解決しておくいい機会だと思った。
 「閣下」
 「なにかな、フロイライン」
 「お許しを得て申し上げます。ハイネセン駐在弁務官の人選について、でございます」
 「珍しいこともあるものだな。あなたがオーベルシュタインと見解を同じくするとは」
 ヒルダが口にする前に、ラインハルトはその意図するところを見抜いて言った。
 その言い様は皮肉のようであったが、不快を感じていないのは明らかだった。
 「では聞こう。レンネンカンプが鎖に繋がれた猟犬でしかありえぬとすれば、何人をもって同盟政府の監視者を務めさせるべきか、フロイラインには考えがあるのだろう」
 訊く、というよりはただ聞く姿勢を見せて、ラインハルトは問うた。これに対するヒルダの返答は明言を避けつつも明快だった。
 「同盟政府を監視することはもとより、ヤン・ウェンリー一党の牙を抜き、ヤンを彼が望む安逸に封じ込めるためには、威をもって同盟政府を圧する実力を備えつつも軍人の型に留まらぬ思考のできる人間である必要があります。そうなると、おのずと人選は限られてくるでしょう」
 「なるほど。その通りだ。ではメックリンガーに任せることにしよう。これでよろしいか、フロイライン」
 「それでよろしいかと存じますわ。もう一つ申し上げますならば、レンネンカンプ提督が士心を得たよき将領であることもご考慮くだされば将兵も安堵することと思います」
 「まるで母親のようだな、フロイライン」
 ヒルダの表情にらしからぬものを見出したのか、ラインハルトは「青年のように」苦笑した。この方はいよいよもって、子供時代の終わりを迎えようとしておられる。戸惑いの表情を浮かべつつ、ヒルダは心の中で安堵の溜息をもらした。
 「レンネンカンプはものがたい父親だ。息子としては真似をしてもすまいとしても、悪影響は避けられぬ。だが老兵には、よき上官だ。去りゆく者たちが安心して去って行けるためには、あの男はなくてはならぬ存在だな」
 ヒルダはただ黙って頭を下げた。
 
 その日のうちに、正確にはヒルダが辞去せぬうちにハイネセン駐在弁務官の人事は変更された。弁務官はエルネスト・メックリンガー大将がこの任に就くこととなり、レンネンカンプ大将は新設の廃兵院院長と旧帝国領残留の治安部隊の統括を任務とすることとなった。ヒルダはレンネンカンプがこの措置を不満に思うのではないかと心配したが、意外にも好感を持って受け入れられた。
 「飲み慣れぬ水を飲んで兵が体を壊してはといささか心配しておりましたが、これで安心いたしました」
 レンネンカンプは損耗の激しい艦隊や傷病兵、従軍が長期に及んでいる兵を一足先に帝国本土へ連れ帰るよう命じられ、むしろ意気揚々として帰国の途に就いた。結局この後、レンネンカンプが前線に立つ機会は訪れることはなく、ラインハルトの遠征に従った諸提督の中で元帥杖を授与されるのは最も遅れることとなったのであるが、彼が不満を口にすることはなかったという。
 これに伴いレンネンカンプ艦隊は解体され、アーヴェルカンプ、オーブラー、クナップシュタインらの諸提督は中将の階級を得てラインハルトの直属に転じた。唯一参謀長グリルパルツァー少将はその識見を買っていたブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒの要請で二階級を特進の上フェザーン外縁星系の惑星開発を新たな任務とすることとなった。これに伴いグリルパルツァーが帝国騎士に叙せられたのは軍における双璧に相当するものを内政においても作り上げようとの意図によるものであった。他にも数十人単位の平民出身の士官が新たにフォンの称号を帯び、行政官に転じた。ナイトハルト・ミュラーに抑留されたままであったオーブリー・コクランもこの中に含まれていたが、これは同盟人に対する政治宣伝の意味が多分に含まれていた。

 「こいつは…恐ろしいな」
 フェザーンからのTV中継に明らかに納得していない表情のオーブリー・コクランの顔を認めて、ヤンは珍しく真剣な表情で言った。
 「オーベルシュタイン上級大将あたりの知恵ではないでしょうか」
 「だとしたら余計に恐ろしい。今までローエングラム公は政略というものを嫌悪しているふしがあった。だが今後、政略を用いることを躊躇わないとなると」
 ヤンは紅茶のカップを卓上に戻した。
 「まいったね、こりゃ。打つ手なし、かな」
 
 ヤン・ウェンリーが真剣な表情というものをしたのはこのときが最後であった、と後世の歴史家は語る。
 宇宙暦が廃止されて以降の彼はメックリンガーに懇請されて就任した歴史博物館の館長としては副館長に務めのほとんどを丸投げし、ソリビジョンのクイズ番組に出演するようになってからは珍妙な回答を連発して司会者のホワン・ルイを失望させ、メックリンガーの後任を引き継いだグリルパルツァー、トゥルナイゼンに彼をチャオ・ユイルンの末路に落とし込むことを早々に放棄させることになるのである。
 それは、彼とラインハルトの光に目を射られた若者の新たな旅路の始まりでもあった。

  
 

 
後書き
やっぱり、なんかの始まりになる予感がします。

(2013.10.06)
やっぱりIF展開になりました…。

(2013.11.11)
アーヴェルカンプは「反撃だ!卑劣な背信行為を許すな!」の中将、オーブラーは「道連れにしてやるぞ」の少将ということで。オーブラーの名前は『超獣戦隊ライブマン』のドクター・オブラーから。帝国語で『強靭なる肉体』という意味がある…とまたしても捏造設定。日本の特撮を愛好したドイツ人がルドルフの先祖にいたんだろうな…。
 
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