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続・プレイボール ~ちばあきお「プレイボール」“もう一つの続編”~

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第4話 めざめよ井口!の巻

 
前書き
松川:二年生。ポジションは投手だが、内野も守ることができる。倉橋と隅田川中時代よりバッテリーを組み、かつて谷口率いる墨谷二中と激闘を演じた。重い球質のストレートが武器。また制球力にも定評がある。スタミナにやや難あり。
 

島田:二年生。ポジションは外野手。一年時よりレギュラーを張る。駿足かつ堅守巧打、さらにスイッチヒッターもできる好選手である。また、外野というポジションに対する誇りと思い入れが人一倍強い。墨谷二中時代は、丸井と共に同校を地区大会優勝へと導く。

 
戸室裕之:三年生。ポジションは外野手。肩が弱いという課題はあるが、ガッツあふれるプレーで度々チームを救ってきた。 

 
1.早朝のグラウンド



 翌、日曜日。
 イガラシは、毎朝の習慣としている十キロのランニングを終え、そのまま学校のグラウンドへと向かった。
 校舎の大時計が、ちょうど六時を差している。この一時間前には着き、一旦荷物は置いていた。水飲み場で喉を潤し、呼吸を整えながら部室の方を見ると、人影がある。
 井口だった。
(どうしたんだアイツ)
 こんなに早く来るのは、珍しい。それどころか、もうユニフォーム姿だ。辺りをキョロキョロと見回し、何だか落ち着きがない。
「おーい井口」
 呼んでみると、井口は「おう来たか」と、なぜか嬉しげだ。小走りに、こちらへ駆け寄ってくる。
「どういう風の吹き回しだよ。いっつも、時間ギリギリのくせによ」
 井口は立ち止まると、尻のポケットからボールを取り出した。
「おまえが来るのを待ってたんだ。ちと、受けてくんねぇか」
「はあ?」
 唐突な頼みに、戸惑う。
「もうアップはすんでる。キャッチャー用具も、さっき部室から出しといたから」
 井口の言った通り、ブルペン横に用具一式が置かれている。
「そりゃかまわんが、なんでこんな朝っぱらから」
 胸の内に、ひょっとして……という思いがもたげる。
「感覚、つかめたのか」
「そっそうなんだよ」
 イガラシの問いに、井口は興奮気味に答えた。
「どうしてなのか、俺にもよく分からんが。昨晩、ふと夜中に目がさめてな。なにげなく、枕元においてたボールを握ってみたら、こう……ぴたっと吸いついてくる感じでな」
「ほぉ」
「昔、何球をうまく操れるようになった頃と、おんなじ感覚でよ。これなら、いけんじゃねぇかと……な、なにがおかしいんだ」
 つい吹き出してしまう。
「……いいや、べつに」
 こいつらしいな、とイガラシは思った。
(普通なら段々と慣れていくものだが、ふとしたきっかけで何気なしにできてしまうのが、いかにも井口らしいや。昨日までは、まだおっかなびっくりでボールを扱っていたというのによ)
「ま、いきさつはどうだっていいさ」
 過程がどうあれ、出来るようになったのなら上等だ。
 二人はブルペンへ行き、イガラシは捕手用プロテクターを装着し、井口はその間にマウンドの土を均した。
「待たせたな」
 左手にミットを嵌め、軽く右手で叩きながら、イガラシはマウンド上の井口を呼んだ。
「アップをすませてるのなら、さっそくいこうか」
「おうっ」
「まずはおまえの得意球、シュートからだ」
「よしきた」
 ロージンバックを放り、井口が投球動作へと移る。ワインドアップモーションから、足を踏み込み、グラブを突き出し、左腕をしならせた。
 指先からボールが放たれる。ホームベースの左側、右打者から見て外角のボール球……と見えた瞬間、鋭く変化してミットに飛び込んできた。乾いた音が鳴る。
 それはまさしく、かつて「直角に曲がる」と恐れられ、あの青葉を完封しイガラシら墨谷二中を最後まで苦しめた、井口のシュートだった。
「やるじゃねぇか」
 イガラシはそう言って、返球した。
「だが、一球だけじゃマグレかもしれん。まだ信用できねぇな」
「分かってる。どんどん投げるから、捕り損ねてケガすんなよ」
「あいにくだったな。昨年、おまえを攻りゃくするために、このボールは嫌ってほど目に焼きつけてたんだ。かえって、昨日のしょぼいシュートの方が、捕りづらいってもんよ」
「わ、悪かったな」
 それから十球、井口はシュートを続けた。やはりキレは落ちない。むしろ投げるごとに、その威力を増していくようだった。偶然ではないかと多少心配していたが、どうやら完全に硬球の感覚を掴んだらしい。
 イガラシはさらに、真っすぐとカーブを五球ずつ要求した。こちらも申し分ない。
「オーケー。悪くないんじゃないか」
 率直に評価を述べた。
「いつでもこれぐらい投げられるのなら、シード校クラスでもそうそう打てねぇよ」
「ほぉ。ほめてくれるたぁ、珍しいな」
「ほめたつもりはねぇよ、思ったことを言ったまでだ。井口……これぐらいで満足してもらっちゃ、困るぞ」
 あえて厳しい口調で、付け加える。
「そうそう打てねぇっていうのは、打たれる可能性もあるってことだ。俺なら二打席も見りゃあ、三、四打席目にはヒットにできる。そして……第一シードレベルともなれば、俺なんか足元にも及ばねぇ打者が、ゴロゴロしてるんだ。おまえも見たろ、谷原のバッティング」
「あ、ああ……」
 井口が唾を飲み込む。あの試合、センターを守っていた井口の頭上を、鋭い打球が何本も越えていった。その打棒の凄まじさを、彼もまた見せ付けられている。
「そこでだが、井口」
 一つの提案を伝えることにした。
「昔、一緒にやってた頃……おまえスローカーブ投げてたろ」
「む。だが、中学では他の球種をおぼえたから、ほとんど使ってねぇな」
「いいから、投げてみろよ」
 強く促すと、井口は渋々ながら、そのボールを投じた。スピードこそないが、落差のあるカーブが低めに決まる。
「おおっ。昔と変わりなく、投げられるじゃねぇか」
 使えそうだな、と言い添える。
「だが、ちとコントロールがつきにくくてよ。今はたまたま低めにいったが、高めに浮くこともある。ねらわれると、長打を喰らう危険があるんでな」
「ばぁか。だから、練習すんだよ。これで緩急がつけられれば、真っすぐとシュートをより生かせるぞ」
 足元にマスクを置き、イガラシはマウンドに駆け寄る。そして、「なんだ?」と言いたげな井口の尻を蹴り上げた。
「テッ。な、なにしやがる」
「おせぇんだよ。正直、谷原戦より片瀬のことより、一番てめぇに気をもんでたんだ。ったく、手間かけさせやがって」
「し、仕方ねぇだろ。軟球とは違うんだし」
「いーや、それだけじゃあるまい。てめぇはふぬけてんだよ。谷口さんや丸井さんに、つまんねーことで注意されやがって」
 ふん、と鼻を鳴らす。
「ちったぁ、しっかりしろい。もっと野球に集中しろってんだ」
 剣幕に押されたのか、相手は口をつぐむ。
「まぁ、ちとおまえの気持ちを察するなら」
 イガラシは、少し口調を柔らかくして言った。
「自分がチームの主導権を握れねぇのが、つまらない、ってのは……分からなくもねぇが」
 井口が目を見上げる。
「え、俺……んなこと一言も」
「しっかり顔に書いてあるぜ、退屈だってな。弱小だった江田川と違って、墨高野球部はある程度、チームとして出来上がっている。イチから作り上げる面白さは、ここじゃ味わえない。そう思って、どこか気乗りしないんだろ」
 図星だったのだろう。井口は反論もせず、黙っていた。
「けどな、おまえ一つ……まだ知らねぇことがあるぞ」
 イガラシの言葉に興味を引かれたらしく、「なんだよそりゃ」と問い返す。
「やっぱ自分じゃ、わかんねぇか」
「このっ。もったいぶってねぇで、さっさと言えよ」
 ムキになる幼馴染を「まあまあ」となだめ、イガラシは短く答える。
「優勝することさ」
 井口は不意を突かれたのか、しばし口をつぐむ。
「つぎつぎと強敵をぶっ倒して、最後まで勝ち残る。そのよろこび、おまえ味わったことねぇだろ。けっきょく江田川は、地区の準優勝どまりだったもんな」
「イヤミかよ」
「またそんな、つまんねーこと言いやがる。どうなんだよ井口。おまえの才能にふさわしい、大きな舞台に、こんどこそ立ってみたくないか? 」
 イガラシはわざと煽るように言った。
「俺はな、井口。おまえさえその気になりゃあ、じゅうぶんに可能と思ってるんだが」
 井口が「おまえ……」と、溜息をつく。
「口がうまくなったもんだな。ずる賢さに、磨きがかかってきやがらぁ」
「大きなお世話だ」
 二人が憎まれ口を叩き合っていると、部室の方から「おおい」と声がした。振り向くと、倉橋がやはりユニフォーム姿で、こちらに駆けてくる。
「倉橋さん。おはようございます」
 イガラシが一礼すると、井口もやや小さな声で「おはようございます」と挨拶した。連日の投球練習で、倉橋にしごかれているから、さしもの井口も緊張してしまうらしい。
「ああ、おはよう。なんだ二人して、朝っぱらから。特訓でもしてたのか」
「え。ええ、まぁ……そんなトコです」
 説明に戸惑いながら答えると、傍らで井口が「そういやぁ」とつぶやく。
「墨二は、倉橋さんと松川さんの隅田中と、対戦したんだっけな」
「そうなんだよ」
 苦笑い混じりに、イガラシはうなずいた。
「あんときゃ勝つには勝ったが、倉橋さんのリードにしてやられてな。唯一その試合、ノーヒットに抑えられたよ」
「の、ノーヒットって……おまえがかよ」
 井口が声を上ずらせる。倉橋は「よく言うぜ」と、呆れ顔で言った。
「マトモに打ち取れたのは、最初の打席だけだ。あとは捉えた当たりが野手の正面だったのと、敬遠が三つ。こちとら抑えたって感覚はねぇよ。しかもおまえ……松川のスタミナ不足を見抜いて、しつこく揺さぶりやがって」
「ははっ、イガラシのやりそうなことっスね」
「ほっとけ。それより……倉橋さん。せっかくなので、少し受けてもらえませんか」
 イガラシはそう言って、捕手用プロテクターを外していく。
「もちろんさ」
 倉橋は快諾した。
「俺もそのつもりで来たんだ。昨日はけっきょく、ずっと打撃投手を務めただけで、全力ではなかったからな」
「ありがとうございます」
 イガラシはマウンドに立ち、ロージンバックを拾い上げる。指に馴染ませながら、傍らの井口を呼ぶ。
「後で全力投球する時、打席に立ってくんねぇか。立つだけでいい」
「お安い御用さ」
 倉橋がホームベース前にしゃがむと、イガラシは軽めに十球程度投げ込んだ。リリーフ登板を多く経験しているからか、肩が温まるのは早い。
「準備オーケーです」
 声を掛けると、倉橋がミットの左手を挙げ「分かった」と合図する。
「ここから全力で行きます。井口を立たせてかまいませんか?」
「ああ、いつでも来い」
 井口が左打席に入るのを待ってから、イガラシは投球動作へと移る。ワインドアップモーションから、グラブを突き出し左足を踏み込み、思い切り右腕を振り下ろす。
 倉橋のミットが、迫力ある音を鳴らした。井口が「あのヤロウ」と、こちらを睨む。
 イガラシは真っすぐを十球続けた後、カーブ、シュート、落ちるシュート(シンカー)を五球ずつ投じた。倉橋はさすがに、一球もこぼすことなく捕球する。
「井口、なんだよその反応は」
 からかう口調で言った。
「俺のボールなんて、昨年の試合でさんざん見たろ」
「なに言ってやがる。そん時と比べても、数段スピードもキレも増してるじゃねぇか」
「どうってことねぇよ」
 返球を捕り、素っ気なく答える。
「たしかにスピードは増したが、強豪校の連中にすりゃあ、驚くほど速いわけじゃないだろう。変化球も、空振りを取れそうなのはカーブだけだ。あとはヤマを張られたら、きっと捉えられちまう。あ……それでなんですけど、倉橋さん」
「おう。どしたい」
「そろそろ集合時間ですし、最後に試したいボールがあるんです」
 井口がはっとしたように、目を見開く。
「おい。まさか、新しい球種をおぼえたのか」
「まあ、見てろって」
 イガラシは振りかぶり、速球とほぼ同じフォームで投球する。しかし、スピードがかなり落とされ、さらにホームベース手前ですうっと沈む。
 予測しなかった変化らしく、倉橋がボールを手前にこぼした。
「い、イガラシ……これって」
 マスクを取り、問うてくる。
「谷口と同じ、フォークなのか?」
「いいえ。これは、チェンジアップです」
 返球を捕り、イガラシはその握りを見せた。指先を縫い目に掛けず、親指と人差し指で「オーケー」の形を作る。
「ほら、指に挟んでないでしょう。フォークも試してみたんですけど、どうしても握力が要るので、こっちの方が負担なく投げられると」
「なるほど。だれかに習ったのか?」
「いえ、マネしてみたんです。去年戦った白新中のピッチャーが、スローボール主体でうまく抑えてたのを見て、ちょっと取り入れてみました」
「ほぉ……だとさ、井口」
 横目でじろっと、倉橋は井口を睨む。
「硬球を扱うだけで、四苦八苦してる誰かさんとは、えらい違いだ」
 返す言葉もなくうなだれる井口に、一言付け加える。
「それでも、ちっとはマシになったみてぇだが」
「えっ。じゃあ見てたんですか」
 イガラシが尋ねると、倉橋はにやっとして「ああ」とうなずいた。
「このところハプニング続きだったが、井口が復調したことで、少しは先行きが明るくなりそうだ。井口、イガラシ、ここからが勝負だぞ」
 二人は声を揃え、「はいっ」と返事した。
 時折吹いてくる風に、青葉が揺れる。近くで囀りが聴こえた。登校時にはまだ柔らかかった陽射しが、少しずつ強さを増していく。

 

2.三人の投手リレー
 

―― 墨高野球部は、この日も練習試合が組まれている。
 午前中、学校のグラウンドにて守備練習を行ってから、昼食後に近くの荒川野球場へと移動する。相手は、埼玉県の浦和商工である。
 双方とも球場到着後、一時間弱でアップを済ませている。すでに後攻の墨谷ナインが守備位置に着き、あとはプレイボールを待つばかりだった。

 「攻めてけよ井口」
 三塁側ベンチ横のブルペンにて、イガラシは声援を送る。
「しょぼいピッチングしやがったら、承知しねぇぞ。そこから引きずり降ろしてやる」
「うるせっ。誰にモノ言ってやがんだ」
 すぐに憎まれ口が返ってきた。くすっと笑いがこぼれる。これなら大丈夫だろう……と、ひそかに胸を撫で下ろす。
 イガラシは先発メンバーから外れ、リリーフ登板の準備を指示されていた。もし井口が序盤で崩れたら、いつでも交代できるようにという意味合いである。
「おいイガラシ」
 根岸が、ぽんと左肩を叩く。
「井口を心配するのも分かるが、こっちも準備しとかないと」
「む。たぶんのんびりアップして、ちょうどいい塩梅だろうよ」
「えっ? そりゃ井口を信用しすぎだろう。相手、けっこう強いらしいじゃないか。キャプテンの話によると、浦和商工は昨夏の埼玉八強、今年もシードを獲得した実力校だそうだし。とくに投手力と守備には定評があるって」
「だいじょうぶだよ」
 イガラシはそう返答して、一塁側へと視線を向ける。先攻の浦和商工ナインが、ベンチ前で素振りしていた。
「キャプテンも言ってたじゃないか、ほとんど三点以下に抑えてるって。それでベストエイト止まりってことは、つまりバッティングが良くないんだ」
「なるほど。言われてみれば、やつら……どいつもこいつもヘッドが下がった、力のないスイングだもんな」
「だろ? あれじゃあ、上位クラスのピッチャーを打ち崩すなんて、無理だ」
 ほどなく、アンパイアが「プレイ!」とコールする。
 マウンド上。井口はサインにうなずくと、すぐに投球動作へと移る。ワインドアップモーションから、第一球を投じた。
 井口の指先から放たれたボールが、打者の手元で鋭く変化する。
「ストライク!」
 相手打者が、明らかに面食らった顔をした。それと同時に、一塁側ベンチから動揺の声が漏れる。
「え……なんだ、今のタマは」
「し、シュートだよ。けど、速球とほぼ同じスピードで、あんな手元で曲がるなんて」
「ぜんぜん見えなかったぞ。だれなんだ、あの一年坊主」
 あまりにも分かりやすすぎる反応に、イガラシは苦笑いしてしまう。
「……な? 打てそうにないだろ」
 そう言うと、根岸は「たしかに」と肩を竦める。
 井口の投球に驚かされたのは、浦和商工ナインだけではなかった。墨高ナインもまた、初めて彼本来のボールの迫力に、誰もが半ば呆然としている。例外は、イガラシと同じ墨谷二中出身の丸井と久保だけだった。
「なんだよてめぇ。投げられるんなら、さいしょから投げやがれ」
 丸井がセカンドから怒鳴る。その後方で、久保は呆れ顔で頭を掻いていた。これが井口だよな、とでも言いたげに。

 
―― イガラシの予想は当たった。
 硬球に指が慣れ、本来の調子を取り戻した井口を前に、打力のない浦和商工はまるで相手にならなかった。バットを短く持ったり、セーフティバントを試みたりと策は講じたものの、ボールに当てることすらままならず。
 結局、井口は四回を投げ、四球を二つ与えただけのノーヒットピッチング。十個の三振を奪う圧倒的な投球を見せ付けた。 
 六回からは、イガラシが二番手として登板。
 こちらも緩急を使ったピッチングで、相手打線を翻弄する。やはり四回を投げ、三振こそ四個に留まったものの、一人のランナーも許さない完璧な投球を披露する。

 一方の墨高打線は、浦和商工バッテリーの粘り強い投球と堅守を前に、序盤はなかなか得点することができずにいた。
 しかし四回。井口が自らを援護するホームランを放ち、均衡を破ると、七回には丸井と久保に連続タイムリーが飛び出し、計三点を挙げる。 
 迎えた九回。墨高は、ついにエース谷口をマウンドへと送った。
 相手の中軸を迎える回だったが、谷口はあっさり先頭打者を打ち取る。さらに、続く三番打者も、簡単にツーストライクと追い込み……

 
「ストライク、バッターアウト!」
 外角高めの速球に、浦和商工の三番打者のバットが空を切る。
「おい谷口。高めの吊り球なんて、要求してねぇぞ」
 倉橋が、両肩を回して「楽に楽に」と合図する。
「キャプテン。中軸だからって、そんなに神経使う必要はないですよ」
 谷口に代わりサードの守備に着いたイガラシは、そう声を掛けた。
「コースさえ突けば、十分打ち取れます」
「あ、ああ……分かってる」
 キャプテンは、苦笑い混じりに答える。
 相手の打順が、四番に回る。さすがに大柄な選手だ、と倉橋は胸の内につぶやいた。
(けどそれまでの三打席では、井口とイガラシにあっけなく仕留められている。ここも問題なくおさえられるだろう)
 初球。倉橋は、外角低めにミットを構えた。谷口がうなずき、ワインドアップモーションから速球を投じる。そのボールが、またも高めに浮く。
 快音が響いた。右打者の引っ張った鋭い打球が、ライトの頭上を襲う。
 抜かれたと思った、次の瞬間……ライトの久保が背走しながら、ジャンプする。捕球のパシッという音が、微かに聴こえた。
 久保はボールを掴み取ると、倒れることもなく外野の芝の上に着地する。
「アウト。ゲームセット!」
 アンパイアのコールと同時に、両チームの選手達が整列を始めた。ホームベースを挟んで向かい合う格好になる。
 人の流れに加わりながら、イガラシは小さく首を傾げた。
「めずらしいな。コントロールのいい谷口さんが、二日続けて乱調だなんて。あの人でも、急に筋力が付くと、うまくバランスを取るのが難しいのか。けど、それにしたって四番への最後のボールは、球威もなかったような。いや、待てよ……」
 この時、一つの考えが頭をよぎる。血の気が引いていく思いがした。顔を上げて、何事もないかのように振る舞うキャプテンの顔を、ひそかに見やる。
「谷口さん。まさか、ケガしてるんじゃ……」
 
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