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魔法戦史リリカルなのはSAGA(サーガ)

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【プロローグ】新暦65年から94年までの出来事。
 【第10章】カナタとツバサ、帰郷後の一連の流れ。
   【第8節】背景設定10: 古代ベルカの霊魂観と聖王教会の教義について。

 
前書き
 この項目は、完全に「オカルト分野」のお話です。念のために申し添えておきますが、以下は、あくまでも『この作品の独自の設定として「古代ベルカ人はこのような信仰を持っていた」という設定で行きます』というだけの話であって、決して『私自身がこう信じている』という話ではありませんし、ましてや『何かを布教しよう』などという意図は微塵(みじん)もありません。どうか、誤解の無いように、お願い申し上げます。 

 

 まず、古代ベルカでは「輪廻転生」が(ひろ)く信じられていました。
 そして、先史時代の昔から一貫して、誰もがそれを「当たり前の事実」として信じていたため、一般的な宗教の教義も、当然に「それを正当化する内容」と成らざるを得ませんでした。

 ですが、実のところ、単純な「霊肉二元論」では、輪廻転生という現象を上手く説明することができません。
()」は「この世」と「あの世」の二つだけ。「人間を構成する要素」も「肉体」と「霊魂」の二つだけ。そうした霊肉二元論では、次のような疑問に、矛盾なく答えることができないのです。

『本当に、死後にも「生前の記憶や人格」が霊的な形でそのままに維持されるのであれば、それらは一体何故、再び生まれて来た時には失われてしまっているのか?』

 そこで、古代ベルカ人は「三元論」を採用し、『実のところ、「()」は三つあり、「人間を構成する要素」もまた三つあるのだ』と考えました。
 それが、「この世」と「あの世」と「神の世」であり、「身体(からだ)」と「身魂(みたま)」と「霊魂(たましひ)」です。

『生前の「具体的な記憶や人格」は、実は、「霊魂(たましひ)」の属性ではなく、「身魂(みたま)」の属性なのだ。人間は「この世」に生まれて何十年かすると、まず「身体(からだ)」が滅び、「身魂(みたま)霊魂(たましひ)だけの存在」となって「あの世」へと移行する。そして、また何十年かすると、今度は「身魂(みたま)」も滅び、ついに「霊魂(たましひ)だけの存在」となって「神の世」へと移行する。
 それから長い歳月を経て、その「まっさらな霊魂(たましひ)」が再び「この世」に生まれ変わって来る時には、神からまた「新たな身魂(みたま)」を授かって生まれて来るので、前世の「具体的な記憶や人格」は継承されないのだ』

 彼等は、そう考えました。
 そして、そうした「霊的な宇宙論」を「学識の無い一般大衆」にも解りやすく説明するために、あえて「天動説的な世界観」を「象徴」として利用したのです。
【現代では、大半の人々が誤解しているようですが、古代の「天動説」とは、元来は『星の世界は現実に(物理的に)このようになっている』という考え方のことではなく、『星の世界をこのようなものであると考えた方が、「象徴」として(あくまでも「もののたとえ」として)霊的な領域のことをより解りやすく説明することができる』という考え方のことだったのです。】

 その「天動説的な世界観」では、まず「目に見える宇宙」の果てには「恒星天」という「球殻」が存在している、と考えます。
 ここで言う「恒星」とは、一定の星座を組んで、お互いにその「相対位置」を変えることなく、全体で一塊(ひとかたまり)になって夜空を運行する星々のことです。
(つまり、その世界の「太陽」は、「恒星」のうちには含まれません。)
 また、肉眼で観測する限り、個々の恒星までの「距離の違い」を認識することはできないので、「天動説的な世界観」では、すべての恒星は地上世界から等距離にあるものと想定します。
 古代ベルカでも、知識階級は当然に「天文学的な事実」を(つまり、個々の恒星までの距離は、まちまちであることを)知っていましたが、「天動説的な世界観」はあくまでも「象徴」であり、「説明のための便宜(べんぎ)」に過ぎないので、そうした「物理次元における事実」になど従う必要はありません。
 だから、すべての恒星を「一個の球殻の内側に張り付いている無数の光点」であるものと見做(みな)しても、一向に問題は無いのです。

「天動説的な世界観」では、この「恒星天」という「漆黒の球殻」の内側を「宇宙」と呼びます。
また、宇宙の中心には「地上世界」があります。
(これは「惑星ベルカ」と言い換えても良いでしょう。)
 そして、恒星天と地上世界との間に、七層の「惑星天」があります。

【なお、「天動説の文脈」では、「日ごとに月ごとに年ごとに、星座の星々(遠方の恒星)との相対位置を『周期的に』変えてゆく天体」のことを、すべて「惑星」と呼びます。
 だから、太陽や月をも含めて「惑星」です。同じ発音の単語ですが、天文学で言う「惑星」とは最初から『用語としての定義が異なっている』のです。
(決して『用語として間違っている』のではありません。)】

 惑星天はすべて「透明な球殻」であり、「入れ子」のような同心球になっています。
 また、「地上から肉眼で見ることのできる七つの惑星」は、それらの球殻に一つずつ張り付いた「光点」であり、「透明な球殻」と完全に一体化しています。
 そして、それら七層の惑星天は、それぞれに独自の周期で回転しており、時には不規則な動きをすることもあります。

 また、これは全くの偶然なのですが、ベルカ世界でも〈外97地球〉と同じく、「地上から肉眼で見ることのできる惑星の数は七個(ななつ)」であり、かつ、その内訳(うちわけ)は、内側から順に「衛星(つき)が一つ、内惑星が二つ、母恒星(たいよう)が一つ、外惑星が三つ」でした。
(つまり、惑星ベルカは、その星系における「第三惑星」ということになります。)

【ただし、それらの外惑星は三つとも、いわゆる「巨大ガス惑星」で、公転周期はそれぞれ、およそ10年、およそ30年、およそ40年、でした。
 つまり、第四惑星と第五惑星の「会合周期」はほぼ15年、第五惑星と第六惑星の「会合周期」はほぼ120年、ということになります。
(ちなみに、「会合周期」とは、地上から見て「二つの惑星が一度(ひとたび)同じ方角に見えてから、再び同じ方角に見えるようになるまでの周期」のことです。)
 そして、現代では、『古代ベルカで、15年や30年や120年が「大きな時間の単位」として認識されていた理由も、ひとつには、こうした第五惑星の「公転周期」や「他の外惑星との会合周期」にあったのではないか』とも言われています。】

 また、古代ベルカでは一般に、それらの天球を「内側から順に」番号をつけて呼んでいました。つまり、月天が「第一天」で、太陽天が「第四天」で、恒星天は「第八天」です。
『死者の霊魂(たましひ)は「肉の(ころも)」を()ぎ捨てた後、自分の身魂(みたま)にこびりついている「(けが)れ」を()ぎ落としながら、それらの天球を一つずつ順番に昇って行き、何年か何十年かの後に、すべての「穢れ」を削ぎ落とし終えて恒星天に到達すると、また改めて地上世界を見下ろし、やがて満足すると、ついにはその「浄化された身魂(みたま)」をも脱ぎ捨てて「神の世」に入るのだ。』
 彼等は、そう考えていました。

【なお、通常の(人間的な意味での)「意識」は、身魂(みたま)が司っているので、第八天(恒星天)は、「完全に浄化された身魂(みたま)」の(つまり、「人間としての、最高の意識状態」の)象徴となります。
 この『浄化された身魂(みたま)をもって、恒星天から地上世界を見下ろしている』という状態が、地球で俗に言う『お星様になって見守っている』という状態です。
(ただし、古代ベルカの霊魂観においては、死んですぐに「この状態」になることはできません。必ずや、最低でも数年、最大で三十年ほどの時間を要します。)
 古代ベルカでは、一般に『大半の死者は、この状態を手短(てみじか)に切り上げて、早々(そうそう)に「神の世」へと行くものだが、中には、何かしら「心残り」があって、この状態に長く(とど)まり続ける人物もいる』と信じられていたようです。】

 恒星天に到達した後、身魂(みたま)をも脱ぎ捨てると、死者の霊魂(たましひ)はいよいよ「光の門」をくぐって、恒星天の「向こう側」へと、つまり、「漆黒の球殻」の内側から外側へと(外部から見れば、球殻の裏面から表面へと)抜けて行きます。
【ここで言う「光の門」とは、具体的には、ベルカ世界の夜空に見える20個あまりの特別に明るい恒星(いわゆる1等星)のことです。
 こうした「見立て」の背景には、『漆黒の球殻(恒星天)には幾つもの小さな穴が開いており、その穴から「向こう側」にある「神の世」の光が漏れて来ている。その小さな光点が、地上世界では「夜空の恒星(ほし)」として見えているのだ』という考え方があります。
 それが、単なる「穴」ではなく、「開かれた門」であるならば、その光が、より明るく見えるのも当然のことでしょう。】

 そうした「光の門」の向こう側は、すでに「神の世」であり、霊的な「(まばゆ)いほどの光」に満ち(あふ)れた世界です。
 また、その球殻の表面は「神々の大地」であって、そこを基準として見れば、地上世界から恒星天に至る「目に見える宇宙」は、すべて「暗い洞窟(どうくつ)のような地下世界」でしかありません。
 言うならば、「神々の大地」はすでに「宇宙の外側」であり、霊的に言えば、そちらの方が「本物の世界」なのです。
【地球の用語で言うと、古代ギリシャのプラトンが述べた「イデアの世界」というのが、まさにこの「本物の世界」のことです。
 なお、ここから、古代ベルカでは「この世で生きてゆくこと」それ自体を、文学的には『小さな灯火(ともしび)(かか)げて、暗き洞窟(ほらあな)を行くが(ごと)し』などと表現するようになりました。】

 また、古代ベルカでは、この「神々の大地」のことを「神前(しんぜん)広庭(ひろにわ)」とも呼んでいました。
(まこと)の神々」は、そうした「本物の大地」のさらに上空に浮かぶ「雲上の神殿」に住んでおり、そこからいつもその「本物の大地」を見下ろし、見守っているからです。
 そして、「(まこと)の神々」の多くは、そうした「本物の大地」の上に「離宮」を構えており、しばしば「雲上の神殿」から、その「離宮」や「広庭」にまで降りて来るのですが、人間(ひと)霊魂(たましひ)ごときは(みな)、力量の上では、文字どおりそうした神々の「足元」にすら及びません。
 その力量の差は、(たと)えるならば「部屋を照らすロウソクの光」と「世界を照らす太陽の光」ほどもの差であり、まさに「比較すること自体がおこがましいほどの違い」なのです。

 ただし、神々はあまりにも巨大すぎて、「光の門」を通り抜けることができません。
『だから、地上に生きる生身の人間が「(まこと)の神々」と直接に交流することなど、決してあり得ないのだ』
 古代ベルカの人々は、そう考えていました。彼等にとって、(まこと)の神々とは「純然たる霊」であり、決して「身魂(みたま)を持った存在(いわゆる、人格神)」などではあり得なかったのです。
 そのため、彼等は、神の似姿(にすがた)を像に刻んだり、絵に()いたりすることも無ければ、神々を擬人化して(キャラクターとして)神話に登場させることすらありませんでした。
 そのような行為は、彼等にとっては「(まこと)の神々への冒涜(ぼうとく)」に(ほか)ならなかったからです。


 また、「信仰の体系」そのものは、ベルカの〈中央大陸〉全土で共通していましたが、具体的な神名となると、『同じ神が、地域ごとに全く別々の名前で呼ばれている』という状況だったため、古代ベルカの神々はみな、「世界共通の一般名称」としては、その神を象徴する「神器や動植物などの名前」で呼ばれていました。
 例えば、「槍の神」とか、「(つち)の神」とか、「鹿角(しかつの)の神」とか、「角笛(つのぶえ)の神」とか、「(いのしし)の女神」とか、「果実の女神」などといった具合です。
 そして、『地上の人間と直接に交流するのは、決して「(まこと)の神々」自身ではなく、その「小さな分身」か、さもなくば「()使(つか)い」や「精霊」などの(たぐい)である』と考えられていました。
 元々は「神々の大地」に住んでいた霊的実体でも、「人間のような大きさ」であれば、「門」をくぐって身魂(みたま)をまとい、一時的に「人格的な存在」となって地上世界に降りて来ることも、また可能なはずだからです。

 それとは逆に、「神の世」における「霊魂(たましひ)だけの存在」は、たとえ元は人間であったとしても、すでに地上世界に対する「すべての心残り(執着心)」を断ち切って来た存在なので、もはや「通常の意味での、人間的な(つまり、人格的な)存在」ではありません。
 言うならば、彼等はすでに「一度は『人間』を卒業してしまった存在」なのです。
 そうした霊魂(たましひ)にとっては、「前回の人生」など、単なる「無数の輪廻転生のうちの一回」でしかなく、必ずしも『その人生だけに特別な思い入れがある』という訳ではありません。
 例えばの話ですが、「毎年、夏の長期休暇には必ず同じ観光地を訪れる人」がいたとして、その人が冬になってから自宅で「夏の経験」を思い出す時、果たして「今年の夏」の経験ばかりを思い出すでしょうか。もしかすると、『昨年の夏や一昨年の夏の方が、ずっと思い()深い夏だった』などということもあるかも知れません。
 それと同じような意味で、死んでから再び「本来の故郷」である「神の世」に戻って来た「人間(ひと)霊魂(たましひ)」にとっては、もう「前回の人生」だけが「特別に思い()深い人生」であるとは限らないのです。
 それならば、地上の(生身の)人間たちが、そうした霊魂(たましひ)に対して、なおも「生前の名前」で呼びかけ、(まつ)り続けることに、一体どれほどの意味があると言うのでしょうか。

 さらに言えば、故人の遺族がその故人を(まつ)る際には、一般にその人の「人格的な要素」を、つまり、その人の「身魂(みたま)」を祀っているのです。
 したがって、論理的に言えば、『故人の霊魂(たましひ)が「光の門」を抜ける際に、その身魂(みたま)()ぎ捨てられ、それはじきに消滅してしまうのだから、それ以降は、遺族がその人物を祀り続けることには(少なくとも、「生前の名前」で呼びかけ続けることには)もう全く意味が無い』ということになります。
 こうした考え方が、「(まつ)り上げ」という行事の理論的な根拠なのです。

【なお、古代ベルカでは、『ごく(まれ)に、新たに「転生の時」を迎えた霊魂(たましひ)が、間違って、そのように「脱ぎ捨てられた身魂(みたま)」を(それが消滅する前に)素早くまとって生まれて来てしまうことがある』と考えられていました。
 そのようにして生まれて来た赤子は、当然ながら、その「浄化された身魂(みたま)」に残された「具体的な記憶や人格」の多くをそのままに継承してしまいます。
 地球では、これを「前世の記憶を持った小児(こども)たち」などと呼んでいるようですが、古代ベルカ人は皆、『それは、ただ単に「転生時の事故」によって、別人の記憶を継承してしまっただけで、決して本人が自分自身の前世の記憶を保持している訳では無い』と考えていました。
 成長するにつれて、そうした記憶も次第に失われてゆくのが、何よりの証拠です。
 その身魂(みたま)はすでに浄化されているので、自分の記憶に対しても「執着」がありません。だからこそ、その小児(こども)自身の経験によって記憶が容易に「上書き」され、故人の記憶は速やかに失われてゆくのです。】

 また、「人間(ひと)が地上世界で身体(からだ)を失ってから、さらに恒星天で身魂(みたま)を失うまでの(あいだ)」のことを、言い換えれば「一度、地上世界で死んでから、さらに恒星天で『二度目の死』を迎えるまでの間」のことを、古代ベルカでは、一般に「星辰期(せいしんき)」と呼んでいました。
 そして、『個々人の「星辰期」の長さは、当然に個人差もあるが、普通は最大でも30年ほどで、また、30歳未満で早死にした人の場合、いくら長くても「享年(きょうねん)」を超えることは無い』と考えられていました。
 そのために、「30回忌」で故人の身魂(みたま)を「祀り上げ」にする風習が、いつしかベルカ世界の〈中央大陸〉全土に広まっていったのです。

【これは、あえて悪い方に受け取るならば、『ベルカ世界では、特に戦乱の時代には、あまりにも多くの人々が日常的に死に過ぎていたので、その一人一人を長々と祀り続けるのは、遺族にとっても大変な負担だった。だから、せいぜい「親子の(とし)の差」ぐらいの年数で切り上げることにしたのだ』というだけのことだったのかも知れません。
 古代ベルカでは、現実には、戦死者の多くが『正しく祀られることも無く、ただその場で空しく()ちていった』のです。】

 また、「星辰期」とは、『死者が自分の身魂(みたま)から「罪や穢れ」を()ぎ落として行く過程』のことなので、そこから考えれば、当然ながら『罪や穢れに乏しい「善人」ほど、星辰期は短くなり、罪や穢れに満ちた「悪人」ほど、星辰期は長くなる』ということになります。
 そのため、30回忌を超えて故人の身魂(みたま)を祀り続けることは、『この故人は「並み外れた悪人」でした』と言っているのと同じことであり、貴賤(きせん)の別なく、古代ベルカの人々はそうした行為を恥じて、()み嫌いました。
 特に、早死にした人の場合は、『なるべく早めに「祀り上げ」を済ませることこそが、故人の名誉を守ることにつながる』と考えられ、五年単位で「享年」の端数(はすう)を切り捨ててしまうことも珍しくはありませんでした。
 時代や地域によっても異なりますが、例えば、『十代前半で死んでしまった小児(こども)身魂(みたま)を10回忌で早々と「祀り上げ」にしてしまう』などということも、実によくあることだったようです。

【新暦32年の2月に、ミゼット提督が「新暦22年の1月に12歳で死んだ愛娘(まなむすめ)のディオーナ」を10回忌で早々と「祀り上げ」にしてしまったのも、こうした伝統に基づいた「正当な行為」でした。
 また、ティアナも新暦89年の8月には「69年の7月に21歳で死んだ兄ティーダ」を20回忌で「祀り上げ」にしており、ゲンヤたちも新暦92年の10月には「67年の10月に26歳で死んだクイント」を25回忌で「祀り上げ」にしています。】


 それでは、そうした「神の国」における「霊魂(たましひ)だけの存在」は、何故また地上世界になど転生して来るのでしょうか。
『それは、そうした霊魂(たましひ)が、まだまだ「不完全な存在」だからだ。だからこそ、自分もまた神々のような「完全な存在」になりたいと願い、そのためには「自分に足りない部分」を補う必要があるから、そのために地上世界で「新たな経験」を積みたいと願った。すべての人間は、その願いを神々に(かな)えてもらった結果として、この世に生まれて来るのだ』
 古代ベルカ人たちは、そう考えました。身体(からだ)が親から授かったものであるのと同じように、身魂(みたま)は神々から直々(じきじき)に授かったものなのです。
 誰であれ、その人の身も心も、本来的には決してその人の個人的な「所有物」ではありません。だから、勝手に「意味も無く」傷つけたりしてはいけません。「授かりもの」を大切に扱わねばならないのは、当たり前のことだからです。
 だからこそ、古代ベルカでは、自分の意識(こころ)を闇で(けが)すことも、また「神に対する罪」であるものと考えられて来たのです。

『すでに「神の世」で願いを叶えてもらった結果として、我々は今、「この世」にいるのだから、生きている間は、もう「それ以上のモノ」を神々に求めたりしてはいけない。それは、前の借金を返すことなく、さらに借金を申し込むのと同じであり、人間(ひと)として恥ずべき行為(おこない)なのだ』
 古代ベルカ人は、本気でそう考えていました。
『神に救いを求めること自体が、実は悪いことなのだ』というのは、人間にとっては相当に厳しい宗教ですが、古代ベルカ人に言わせれば、『この世は、そもそも「修行の場」なのだから、厳しいのは当たり前だ。修行が嫌なら、そもそも「この世」になど生まれて来なければ良かったのだ』ということになるのです。

 それでは、この世で生きることが、どうして「霊魂(たましひ)をより完全な存在にするための修行」と成り得るのでしょうか。
 その疑問に対しては、古代ベルカ人は次のように考えました。
『そもそも、身体(からだ)は「目に見える肉体」と「目には見えない幽体」とから成り立っている。そして、個々人の死に際して、その人の幽体は「質の良い部分」だけが身魂(みたま)に吸収されて「あの世」へと旅立ち、「質の悪い部分」はそのまま亡骸(なきがら)となった肉体の中に残って、やがてはその亡骸とともに()ちてゆく。
 同様に、身魂(みたま)も、実は、霊的には可視である「意識体」と霊的にも不可視である「無意識体」とから成り立っている。そして、恒星天での「二度目の死」に際して、その人の無意識体は「有用な部分」だけが霊魂(たましひ)に吸収されて「神の世」に入り、「無用な部分」はそのまま意識体とともに「あの世」で()ぎ捨てられる。
「具体的な記憶や人格」を(にな)うのは、身魂(みたま)の中でも意識体の側であって、無意識体はもっぱら「抽象化された記憶や人徳」などを担っている。
 人徳とは地上における人生経験の「精髄」であり、こうした「徳」を増やしていくことによってこそ、霊魂(たましひ)はより「完全な存在」に近づいてゆくことができる。そのための人生であり、修行であり、苦難なのだ』

 実際には、一般庶民の多くは、あまり難しい理屈までは理解していなかったようですが、それはともかくとして、「古代ベルカの宗教」は、おおむね以上のような「人間の霊的な成長」を目的とした大変に厳しい宗教でした。


 一方、ミッドチルダの本来の宗教は、良くも悪しくも「原始的な」自然崇拝でした。
 それぞれの神殿において、それぞれの祭神に対して、それぞれの祭儀が()(おこ)なわれているだけで、教典も教義も戒律も宇宙論も、これといって「共通のもの」は何もありません。
 人々は、もっぱら「この世でより良く生きてゆくこと」にばかり関心を向けており、死後の問題に関しては、あまり細かいことは考えていませんでした。
 基本的には、『人間が年齢の順に死んでゆくことは「ありのままの自然」なのだから、そのまま受け()れる』という態度であり、『死後の魂の問題のような、いくら考えても答えなど出るはずの無い事柄について、あれこれ悩み続けるのは馬鹿のすることだ』という考え方です。
 それは、良く言えば『無駄に死を恐れることも無く、誰かに救済を求めることも無く、ただ生きてゆく』という、非常に「現実的な」宗教でした。

 そのため、後に〈号天〉から「輪廻転生とそこからの救済」を説く宗教が伝わって来た時にも、(それを伝えたのが、号天の宗教家ではなく、ルーフェンから来た交易商人だったこともあって)ミッドチルダの人々はそうした「東方の宗教」に対して、あまり強い関心は(いだ)きませんでした。
 ただ、その宗教の「ありがたい教典」が「高額の商品」として大量に持ち込まれたため、ミッドの知識階級はその宗教を「学問の一種」として受け止め、あたかも『元を取ろう』とするかのように、教典の翻訳やその内容に関する研究を進めました。
 そのため、ミッドでは今も、「東方の宗教」はあくまでも「古典教養の一種」として世に知られているのです。
 ミッドチルダは古来、基本的には平和な世界であり、ミッドの人々も「この世」のことをさほど「悪い場所」だとは思っていなかったので、「輪廻」という新しい考え方そのものには強い興味を示しましたが、『解脱(げだつ)こそが、輪廻からの救済である』という発想にはあまり共感を(おぼ)えなかったのでしょう。

 それに対して、ミッドチルダが「聖王家直轄領」となった後、古代ベルカの宗教は速やかに受け()れられました。
 理由は幾つもありますが、おおむね以下の五点にまとめられます。

 1.すでに「輪廻転生」という考え方がミッド人の意識に(ひろ)く根付いていた。
 2.総督家を始めとするベルカ貴族たちが現実にミッドに移り住み、そのまま土着したために、(書物だけが入って来た「東方の宗教」とは違って)その信仰の実践を、ミッド人が()の当たりにすることができた。
 3.表音文字で表記された古代ベルカ語は、表語文字で表記された号天語に比べれば、相対的に(あくまでも「相対的に」だが)「正確な翻訳」の容易な言語だった。
 4.表語文字で『色即是空』などと抽象的な事を言われても訳が解らないが、「天動説的な世界観」という具体的な比喩(たとえ)を使って、明瞭な「三元論」を()かれれば、当時のミッド人にも容易(たやす)く理解することができた。
 5.基本的には「戒律のユルい多神教」同士なので、先祖伝来の宗教を肯定したままで受容することができ、また、両者の「習合」も容易だった。
(例えば、ミッドの(ふる)き「嵐の神ヴェゴズローム」は、古代ベルカの「槍の神」の「小さな分身」であるものと想定された。)

 このように両者が「習合」した宗教は、ミッドでは古来、ただ単に「古典宗教」と呼ばれています。
 また、近年の統計によれば、ミッドでは(どれぐらい熱心であるかは別にして、少なくとも形式的には)全人口の7~8割が「聖王教」の信者となっています。
 そして、残る2~3割は、大半が「古典宗教」の信者であり、「東方の宗教」や「その他の宗教」や「無宗教」は、ごくごく例外的な存在となっています。
(もちろん、「狂信的なカルト」は法律で明確に禁止されています。)

 しかしながら、「聖王教」と「古典宗教」の違いは、突き詰めてしまえば、『聖王オリヴィエを「霊魂(たましひ)の導き手」として、あるいは「神の(ごと)き人」として、認めるか否か』という点だけなので、双方の一般信者たちの間には(少なくとも、日常的には)特に「対立」はありません。
 だから、ミッドでは、基本的に「宗教テロ」は起きないのです。

 しかも、聖王教会では古来、聖王オリヴィエの遺訓に従って一切の「布教」を禁止しています。『訊かれたら答えても良いが、訊かれてもいないのに語ってはいけない』というのが、聖王教会の「本来のあり方」なのです。
(もちろん、末端では、その「あり方」は必ずしも厳格に守られている訳ではないのですが。)
 それでも、聖王教は、今では実際に多くの世界で信仰されているため、ミッドにおいても聖王教の信者でいた方が、何かと「便利」です。
 そこで、ミッド人の多くは(特に、現実に「他の世界へ行く機会」の多い人々は)そうした実利的な考え方から「聖王教の信者」と自称しているのです。
(実のところ、古典宗教の信者と比較して、「物事の考え方」に何か根本的な違いがある、という訳ではありません。)


 また、聖王教の教義は、基本的には「古代ベルカの宗教」をそのまま踏襲したものであり、ただそこに「聖王オリヴィエ」という特別な要素を付け加えただけの内容となっています。
 聖王教会の公式教義では、『オリヴィエの身魂(みたま)は、今も恒星天に(とど)まっている』ということになっていますが、それは、言うならば、『お星様になって「ずっとずっと」すべてを見守り続けている』という状態です。
 それは、まさに「霊魂(たましひ)の導き手」であり、神と人を仲介する「神の(ごと)き人」である、と言って良いでしょう。
 聖王教会では、『決してオリヴィエだけが「唯一の導き手」という訳では無く、そうした導き手は、極端な話、世界ごとに個別に存在していても構わない。ただ、聖王オリヴィエはそうした導き手たちを代表する「(おさ)」なのだ』という考え方に基づいて、他の世界にも同様の人物がいることを許容したため、聖王教はより多くの世界に広まって行きました。
 例えば、デヴォルザムでは独自に、最後の統王バムデガル九世を「神の如き人」として認定しており、聖王教会も公式にこれを認めています。

 なお、古代ベルカでは、一般に『輪廻転生の周期は360年である』と考えられていました。聖王教会も、基本的にはこれを踏襲(とうしゅう)しています。
 しかし、『その人物が「前世で死んでから再び地上に生まれてくるまで」が360年なのか、それとも「前世で生まれてから(生きた年数に関係なく)再び生まれてくるまで」が360年なのか』については、長年の議論にもかかわらず、いまだに決着がついてはいません。
 公式教義では、『360年は、あくまでも「目安」でしかない。例えば、幼くして死んだ者ならば、もっと早く生まれ変わって来る』ということになっています。
 また、中には、『死者の霊魂(たましひ)が「神の世」に留まる期間は、一般に直近の「星辰期」の10倍ほどである』などと主張する一派もあるようです。

 こうした細かな考え方の違いによって、教会の「正統派」も、さらに幾つかの小さな派に分かれています。最も大雑把に分類すれば、正統派は「古典派」と「世俗派」に分かれますが、それらはあくまでも個々人の信仰の問題であり、両派の間に目立った対立はありません。
 ただし、「異端派」は別です。
 主な異端派は、オリヴィエ以外の導き手を認めない「唯一派」と。オリヴィエ自身が再び地上に転生して来ると考える「再臨派」の二つです。
 聖王教会は古来、これらの異端派の「根絶」を目指してはいるのですが、近代的な法体系の許では「その人の考え方が異端であること」それ自体を理由としてその人を裁くことは許されていないので、実際には、単なる「日常的な対立」に(とど)まっています。
 実際、新暦81年の「聖王昇天360周年記念祭」では、再臨派のバカどもがあちらこちらで一般市民に迷惑をかけていましたが、現地の陸士隊としても「明らかな違法行為」が無い限り、彼等を軽々しく逮捕する訳にもいきませんでした。


 また、教会の組織は、『世界ごとに「本部」があり、「ミッド本部」が「総本部」を兼ねている』という構成になっています。
 そして、どの世界でも同じように、教会の組織は、『儀礼を司る司祭団』と『信徒らを守護する騎士団』と『さまざまな奉仕活動を営む奉仕団(修道会)』という、三つの部門から成り立っています。
 ミッド総本部では、これら三つの部門の頂点に立つ人物を、それぞれ、大司祭長、騎士団総長、大修道院長、と言い、この三人を合わせて、聖王教会の〈三巨頭〉と言います。
 聖王教会全体に関わる(特定の世界だけの問題では無い)重要な問題は、すべて、年に四回ほど開かれる「三巨頭会談」の議題となり、最終的には、この三人の合意のみによって決定されます。

【カリム・グラシアは新暦85年に38歳の若さで、この「騎士団総長」に就任しましたが……ああ見えて、実は、メチャメチャ偉い人なのです。】


                      (以上、プロローグ、終わり。)



 次回予告:【第一部】新世界ローゼン、アインハルト救出作戦。
      その、おおよその目次。


 【序章】 ベルカ、新たな〈次元航路〉の出現。
 【第1章】教会本部、ヴィヴィオとイクスヴェリア。
 【第2章】第一次調査隊の帰還と水面下の駆け引き。
 【第3章】実験艦〈スキドブラドニール〉、出航。
 【第4章】ザフィーラやヴィクトーリアたちとの会話。
 【第5章】第二次調査隊の艦内生活、初日の様子。
 【第6章】ベルカ世界より、いよいよ新世界へ。
 【第7章】アウグスタ王国の王都ティレニアにて。
 【第8章】一難去ってまた一難? 宴席への襲撃。
 【第9章】愚かなる大公コンスタンティンの野望。
 【第10章】さらば、ローゼン! また来る日まで。
 【終章】 八神はやて准将、ついに真実を語る。


 大体こんな感じで行きたいと思っております。
 もちろん、実際には、『各章ともに幾つかの「節」に分けた上で、「毎日」一節ずつ分割して掲載してゆく』という形式を取ることになる訳ですが……。
 第一部の「節」は、おおよそ「5千字以上、1万字以下」が基準となります。プロローグと比較して、「毎日、掲載される文章の量」が少しばかり減ることになるかとも思いますが、あらかじめ御了承ください。

 なお、プロローグでは、各章の本文の後に「キャラ設定」や「背景設定」を付け足しておりましたが、第一部は「本文」のみとなります。
 また、「第3章」から「第6章」あたりまでは、艦内での会話ばかりが続いて、物語の内容それ自体はあまり先に進みません。
 以上の二点も、(あわ)せて御了承いただければ幸いです。
【多分、第一部の総文字数は、全体としては「プロローグの総文字数の半分ぐらい」で収まってしまうのではないかと思います。(苦笑)】

【ところで、今、改めて数え直したのですが、プロローグだけで89万字って……。(自分でも絶句)
『普通の文庫本の文字数は、10万字から12万字ぐらい』と聞いたのですが……そうですか。文庫本で、ほぼ8冊分ですか……。これでも、だいぶ端折(はしょ)ったつもりだったんだけどなあ……。(遠い目)
 正直、ちょっと疲れました。という訳で(?)、誠に勝手ながら、ここでしばらく「お休み」をいただきます。実は、もう年寄りなので、今月はいよいよ白内障の手術を受けなければならなくなってしまったのです。(トホホ)
 第一部もまだ全部は書き上がっていないので……多分、二か月ほど、お休みすることになるかと思います。最悪でも、ゴールデンウィーク前には再開したいと思っておりますので、どうかそれまで忘れずにいてやってください。 (2024/ 01/ 21)】



 
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