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俺達は何を求めて迷宮へ赴くのか

作者:海戦型
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66.最終地獄・蹈節死界

 
前書き
前回没会話 オリヴァスが頭を搔き毟ってたあたりのアズとオーネスト

アズ「よっ、ファンタジー界のバリー・ボンズ!」
オネ「ドーピングしなくても実力はありますってか?馬鹿馬鹿しい。大体バリー・ボンズは薬物使用を辞めてからホームラン数が落ち込んだだろうが」
アズ「おっ、お前野球も話せるクチかよ?」
オネ「有名どころだけだ。間違っても話を振ってくるな。薬の話題も含め、二度とだ」
アズ(この反応、昔にクスリで何かあったか………?)
オネ「俺を騙して裏派閥に孤児として売ろうとした同年代のクソ野郎がな、復讐してやろうと思って2年越しに探し出したらシャブ漬けでラリってたんだよ。末期だ。何日か後に自分から馬車に突っ込んで死んだ」
アズ「そんなコエー話を頼んでないのに話すな!!」
周囲(のん気かこいつら)
 

 
 
 神より恩恵を受けた冒険者は、レベル1で常人と袂を分かち、レベル2で超人と袂を分かち、そしてレベル3で人というくびきと袂を分かつと言われている。一つの解釈の仕方として、ファミリアのレベル3以降に坐する存在というのは「人間ではない」。冒険者とは、恩恵とは、人が人より外へと踏み込む行為なのだ。

 だが、そもそも恩恵とは何か。

 恩恵によって人間が常識を外れた成長性を持つのならば、なぜこの世界の人間がたった一つの事実に疑問を抱かなかったのか、オーネスト・ライアーは不思議でならない。恩恵を受けた人間がどうしてそれを疑問に思わなかったのかが理解できない。
 いや、恐らくはこの世界の人間たちは「神に与えられた力」という1点にばかり目を取られ、重要な事実に気付けなかったのだろう。

 神の力で成長の限界を突破したとして、その膨大な力を収める器は変わらない。
 人が人の域を踏み越えた後でも、その見てくれは変わらずそこにある。
 化け物と称されるだけのエネルギーを、1枚の皮で抑え込む。

 「人間」という器は、一体どれほどの可能性を秘めているというのか。

 そしてその器の可能性を示したのがあの亜人染みた「異端児(ゼノス)」であるというのならば――試作品ではなく完成品(こくりゅう)は、一体どこまで手を伸ばすのか。魔物の限界か。人の限界か。或いはそれらすべてを内包し、その翼を天へと伸ばすのか。
 これが実験であり、実験が成功したとしたら、神と人類に残された道は何だ。

 ――そんな取り留めもない未来を考えつつ、しかしその未来に興味はない。

 一つの物事に意識が集中し、それ以外のすべての事柄が雑音以下の存在となって過ぎてゆく。
 今や幾度となく衝突した時に抱いた破滅的な欲動も感じず、ただ涼風が吹き抜けるような心地よささえ感じる。何もかもが滅茶苦茶だった自分の人生で、漸くたった一つだけ綺麗に物事が片付くような、根拠もない予感。

 今日、自分の手で、一つのケリをつける。

「オーネスト、彼は――」
「どけ、フィン。俺の獲物だ。冒険者のマナーは理解してるな?」

 駆け寄るフィンにそれだけを告げると、彼はすぐに察した顔をする。
 ダンジョンにおける魔物との戦いは、原則として横取り禁止。冒険者指南の要綱には乗っていない暗黙のルールだ。特別に厳守したことなどないが、こういう時には問答が不要で役に立つ。それに、せっかくなのだ。邪魔者は少ない方がいい。

 フィンは瞬時に思案を巡らせ、先ほどの黒竜の攻撃について洞察し、すぐさま結論を下した。

「………ロキ・ファミリアは現時点を以て撤退する。オーネスト、勝つんだよ」
「ついでにアズ達も連れていけ。ケリは俺が付ける」

 聡い男だ。あの一撃でファミリア達が即死しなかったことが単なる偶然であることにすぐさま気が付いたらしい。
 そう、黒竜は相手を斬るかどうかなど考えず、ただ手の具合を確かめる為だけに手を振っただけだ。ファミリアが斬られたのは副次効果であり、気にも留めなかったが故の生存であり、本気で攻撃するつもりがあれば今頃ダンジョンには輪切りの肉が数十ほど転がっていただろう。

 『そんな都合のいい事は黒竜に限ってはあり得ない筈なのだが』、結果はそうなった。神に牙を剥く最強の尖兵が内包する尋常ならざる殺意が、あの瞬間には込められていなかった。というよりも今、確かに目の前にある筈の――自分に瓜二つと言っても、あまり鏡を見る趣味がないので実感は湧かないが――黒竜からは、そんな完成された暴力装置としてのそれを感じられない。

「皮肉だな」
「何が、だ」
「変わろうとしている。同じ姿になった者同士が、互いに」
「数奇な宿命を認めよう。神ではこの未来を予想することは不可能だっただろう」

 憎み蔑む存在の力を取り入れる。口で言うのは容易な事だが、十世紀を超える時代も同じ存在であり続けた存在が自らを変えるなどというのは並大抵の変化ではない。そして、その変化を生み出した存在が何者なのかと聞かれれば、それは恐らく――。

「因果だな」
「何が、だ」
「変化の原因を与えたのは、俺たちか」
「数奇な邂逅を認めよう。この時代、この時間に貴様たちという存在が現れなければ、我もこのような考えは抱かなんだ」

 奴が変化を恐れないというのなら、俺もまた『それ』を躊躇うまい。餓鬼の意地っ張りを貫いてこの8年間碌に使うことのなかったそれを引っ張り出して我が物顔で振るう厚顔無恥さで、自分ではない誰かの為にと反吐が出るような戯言を胸に秘め、巫山戯た夢想を貫き通そう。

 不意に視線を感じて後ろを見たら、ベートに担がれてぐったりしながらこちらを見つめるアズと目が合った。ティオナやアイズ、リージュや他の顔見知り達も撤退しながらこちらを見ていた。

「これで勝って帰ったらお前たぶん『英雄』になっちまうけど、そこんとこどうなの?」
「これから戦うって時にやる気の失せること言うんじゃねえよ、アズ」
「テメェ、死んだら絶対に許さねぇからな!お前を完膚なきまでブチのめすのは俺だかんな!」
「分かった、分かったからその荷物の運搬は任せるぞベート」
「死んだら駄目なんだからね、オーネスト!!アンタが死んだらメリージアとか、あんたが名前も知らない人だって泣いちゃうんだからね!!アンタは生きて帰ってきて、これからの人生を真っ当に生きるの!!」
「オーネスト……生きて!生きて、またロキたちと一緒にご飯を食べたり一緒に戦ったりしよう!?」
「若造が生き急ぐなよ!人生は長いんじゃからな!」

 どいつもこいつも、こんな屑の瀬戸際程度で煩わしく騒ぐものだ。本当に馬鹿で途方もなく物好きで理解不能で――そして、心底どうして自分にこんな人の繋がりが生まれたのか理解に苦しむ。しかし、人生は思い通りに事を運べないのが当たり前だとするならば、これも俺の歩んだ結果なのだろう。

「アキくん、これを!」

 撤退のさなか、立ち止まったリージュが自らの剣を投げて寄越す。くるくると美しい軌道を描いたそれを、あまり意識せず直感的に受け取る。鞘に収まったそれは彼女の愛剣『村雨・御神渡』――元はシユウの作成した、この世界に現存する最高級の刀だ。

「……素手でやるつもりだったんだがな」
「私、信じてるから……また一緒に笑える明日が来るのを信じてるよ、アキくん」

 大きな声ではなかったが、やけに耳に残る透明な声を残し、リージュは背を向けて撤退した。俺の剣がない事を気にしての事だろう。レールガンの弾丸となって地面に叩き付けられた挙句に黒竜に喰われたあの直剣を思い出し、あれを打って貰うのも最後にしようか、と思った。一度自ら禁を破ったのだ。今更元通りも馬鹿らしい。

「この手合いの獲物も、使うことはないと思っていたんだがな」

 微かな逡巡を押し殺し、刀をベルトに納める。刀――それも日本刀を扱ったことはないが、恐らく『他のどの武器より手に馴染む』だろう。なにせ、『リージュの剣術の基礎は俺が教えたようなもの』なのだから。忌まわしいはずの記憶が巡り巡ってこの手に収まるとは、因果だ。

 歪でもある。俺の人間関係は実に混沌とした坩堝だ。しかし、気が付けばそんな連中が好き勝手に叫びながら撤退していくのを薄い笑みで見送っている自分がいて、それに違和感を覚えない。或いは、彼らに毒されてしまったのかもしれない。

 バリッ、と空間が固定化されるような緊張感の中で、ゾーンに入ったように自分の意志が剣へと注がれていく。いや、剣と結びついていく。「(じん)とは(じん)なり」――ひどく錆びれた記憶の中で、それを伝授した男の顔が朧げに脳裏を過った。

 俺の今までの剣とは、暴力の延長線上にあるものだ。棍棒と同等だ。繰り出すのは業でもなんでもなく、単なる物理的エネルギーを放つ為の不可欠たり得ない道具を使っている。それは技術の伴わない、剣術とはまるで異なるものだ。
 剣術とは剣ありきで、剣を使う人間ありき。すなわち剣と人間を同時進行的に考え、武器と命を直結させることで完成する。それは暴力ではなく一種の儀式であり、その武器を用いて相手を殺す為に不要な過程を殺ぎ落とした究極の結晶だ。

 剣術とは己が剣の力を極限まで引き出すことにあり、剣が己を極限まで高める行為。

 故に、(じん)とは(じん)。憑依、或いは融合。転じて、人刃一体。

 左手を刀の鞘にかけ、親指で鍔を押し上げる。時折咄嗟に使ってしまいかけるため、その動きをこの体は嫌味なまでによく覚えているのだろう。普段戦いに於いて見せる仁王立ちのような雑把な暴力ではなく、業としての剣技。
 対し、黒竜は無構え。決まった方などもとより持たず、何より人型の体を操るのも初めての黒竜としては、当然といえば当然かもしれない。

 沈黙――ここに三大怪物の一角と『狂闘士』の異名を持つ存在が向かい合っているなどとは考えられないほどの沈黙が、場を支配する。まだ冷めやらぬ溶岩に照らされた二人の口が、動いた。

「行くぞ、人間」
「来い、化物」

 二人の視覚的存在がぶれて消え去り――瞬間、空間を置き去りにするほどの膨大で雑多な不可視の咢がが行き場を失って第60階層に荒れ狂った。



 = =



 武術とは、基本的に心技体の全てが揃ってこそ理想的な形になるとされている。
 武術という極めて洗練されて無駄を省いた形に己を嵌めるには、どうしても自分の我の部分を殺さなければ収まらない。それは人によっては美的感覚のような話であったり、忌避感であったり、そしてオーネストにとっては極めて私的な拒否反応でしかなかった。

 だからこそ、武術には必ずどこかしらに妥協の部分が存在する。武道というルールや変化を拒まれたことへの納得、邪道外道の道の外、武術ではなくそれを使う人間に対する意識。枚挙に暇がないその妥協を振り切ったその先に、極という道が拓ける。

「………完全には反応しきれなかったらしい」
「そのようだな」

 まるで実験結果を共に観察する双子のような二人だが、そこには既に優劣が現れていた。

 黒竜は人間の肉体と竜の特性を駆使した爆発的な加速によって0,01秒にも満たない速度でオーネストの背後に回り込み、大きく身を反らせて破断の砕爪を振った。速度は黒天竜時のトップスピードに匹敵し、込められた力は小手調べとはいえ当たれば衝撃波で人体が赤い霧と化す程のものだった。

 しかし、背後に回り込んだとき、既にオーネストは常軌を逸した反射神経でそれに反応し、爪が振るわれる位置に対して斬撃を放っていた。結果、斬撃と爪が衝突し、猛烈な衝撃波が発生した。黒竜の頑強なる肉体ならばともかく、自分の移動速度で自壊を起こしたオーネストがこれを至近距離で受ければ、肉体のダメージは計り知れない。

 ――至近距離で、『本当にその身に受けたならば』、という過程の話だが。

 衝撃波の晴れた場所にいたのは、半ばまで断たれた爪から血を漏らす黒竜と――まったくの無傷で悠然と佇むオーネストの姿だった。

「我が爪を半ばまで断ち切るとはな。身を引かなければこの腕、持っていかれたか。まだ体の扱いが甘いらしい」
「それはこちらもだ。少しばかり態勢を整えきれなかったせいで刃の入りが浅かった」

 衝撃波の軌跡は、オーネストの肉体があった場所を中心に一本の道のように、衝撃波に抉られていないそのままの形で残っていた。他の全てが破壊しつくされた中で、そこだけが守られたように無事だった。首元を振ってごきり、と音を鳴らしたオーネストが、どこかうんざりしたようにごちる。

「しかし慣れないものだな。こんなものは脳筋馬鹿の発想だ。できる自分が嫌になる」
「爪を斬って衝撃波が発生した瞬間、貴様、返す刃で衝撃波の向きを上塗りしたな。それがお前の本当の実力というものか?」
「そんな大層なものでもない。やったのは素人でも知っている単純な技だ」

 そう、オーネストが使ったのは秘伝の極意でも必勝の技でもなんでもない。
 刀を、とりわけ日本刀を扱う人間ならば呆れるか、或いは感心するほどシンプル。
 そしてオーネストの戦術とは本来致命的に噛み合わないもの。

居合(いあい)――ただ単純に、ただ速く、ただ正確に間合いを切り裂くだけの………極めて守護に近い技だ」

 それが、オーネストがずっと使わずにいた忌々しい過去の遺物。
 元々、オーネストの本気の斬撃は普段のような破壊と粉砕ではなく、静かに研ぎ澄まされた斬撃だった。感情が高ぶった時や絶対に斬ると決めた時しか使わなかったそれは、しかし抜けば必ず常軌を逸した速度で相手を斬ってきた。

 しかし居合とは間合いに入った存在を斬るという特性上、常に特攻するオーネストの戦い方とは思想も相性も最悪。更に言えば、この居合を学んだ相手にオーネストは気がおかしくなりそうなほどの愛憎を抱いていた時期があったため、自然と使うことを嫌がっていった技でもある。

 しかし、それは過去だ。経験したのはオーネスト・ライアーではなくその前だ。

「魔法も使った。自滅も捨てた。おまけに得意分野を使うようになった。だが、結果が伴う程の力を得た時には全てが手遅れだった。そう思っていた。だが――」

 今、オーネストは過去ではなく現在、そして現在の続く未来へと歩んでいる。
 ならば――もう躊躇わない。

「生きた人間ってのはそうであってもそうではない。決まったことなど何一つありはしない。何故なら……ああ、本当に馬鹿だ。俺が自分で言ったことだ。それは俺が決めるんだよ、全部」

 瞬間――オーネストは黒竜の間合いに沈み込むように踏み込んだ。
 次に待っていた光景は鱗や表皮を切り裂かれて後方に下がる黒竜。遅れて、空間にガギギギィッ!!と同時複数の金属音が響き渡る。吹き飛んだ黒竜が態勢を立て直そうと身を翻そうとしたその瞬間に、またオーネストは黒竜の目の前に沈むように近づいていた。

 音もない。刃を鞘に納めている。似つかわしくないほどに静かだ。
 しかして、その攻め手は――。

「そういえば貴様、俺から何か探るんだろ?本気で抵抗しないと細切れだ。命を有効に使って探れよ」

 再び、同時複数の斬撃音を残して黒竜の全身が引き裂かれた。




 黒竜は最初の一度は何をされたのか理解できなかったが、二度目の斬撃において「やっとオーネストが斬撃の後に剣を鞘に納めるところを垣間見た」。そう、黒竜にはオーネストが剣を抜いて自身を斬った瞬間を全く認識できないまま、ただの本能で身を捻って致命傷を避け続けていた。

 人間の形の肉体に不慣れなのは確かだが、身体能力そのものが以前より衰えている訳でもない。オーネストの斬撃を受ける皮膚や鱗も、黒竜時点での堅牢な防御力に劣るものではない。なのに、事実として黒竜は切り裂かれ、そして斬撃を見切れなかった。

 これがオーネスト・ライアーの本気。神の尖兵でも傀儡でも何でもない。ただ自分のためだけに生き、自分の存在意義を神の意志さえ無視して決定する傲慢な男の、可能性の更なる先。そう、それでこそなのだ。

 人は神に生み出された。
 魔物は魔王(かあさま)から生み出された。

 どちらも親に愛されし子で、同じ条件である筈だ。
 しかし黒竜には、自分の意志の決定権は元を辿れば魔王(かあさま)の意志であると考え、「知ったことか」と吐き捨てるなどという発想は全く浮かびもしなかった。魔物はすべからく心の奥の、本能と限りなく近い場所にそれが普遍的に存在しうると思っていた。他の誰かに勾引(かどわ)かされる意志の脆弱な存在ならまだしも、そのような意志を抱くのは欠陥品の証だと思っていた。

 しかしオーネストはその神にとっては致命的な欠陥を抱えながらも、他のどの人の子よりも手強く黒竜に戦いを挑み、生き残ってきた。その戦いの中で爆発的に成長してきた。オーネストは人の既成概念を打ち破る存在で、そして黒竜のそれをも打ち破る存在だった。

 これだから人間なのだ。故に神の期待する人間なのだ。
 小さな小さな脆くて儚いその肉体に、世界の創造を凌駕する可能性を内包しているのだ。
 面白いのだ。興味深いのだ。知りたくて間近で見ていたくて、だから神々は地上へ降りた。

 混沌と進化の権化。可能性の生き物。
 だから、もっとだ。もっと人間を、可能性を知りたい。
 その先に己の進化が待っているのならば、自分の行き先すら知りたい。

「我はまだ死なぬ、死ねぬ!希望と可能性を知るその時まで、存分に踊り狂おうぞ、オーネスト・ライアァァァァーーーーーーーっ!!!」

 瞬時に再生された傷を撫でながら、黒竜は心底純粋な好奇心に胸を躍らせ、破顔した。



 = =



 全方位に張り巡らされた神経の網――第六感とも呼べる感覚を頼りに剣を抜き、斬り、そして納める。秒間に数十回は襲いくる斬撃や蹴り、尾やブレスの連撃、どれもが殺意の籠らぬ無邪気な破壊。だからこそ反応するのが余計に困難だが、その一つ一つを呼吸ひとつ乱さず凌ぎ、余った時間に反撃を叩き込む。

 時には弾き、逸らし、受け止め、そして二重に斬り、襲いくるありとあらゆる角度、威力の殺撃を真っ向から突破する。次第に人間の肉体と魔物のパーツの融合に慣れ始めた黒竜は、背に4枚の翼を展開して真空の刃さえ交えた波状広範囲攻撃を仕掛けてくるが、そのすべてを余すことなく認知し、反応し、一切を叩き斬る。

 居合とは居ながらにして死合う事。自ら赴かず、迫る全てを受領した上で応報する。故に本来は全ての一撃が後手となる。しかし人間の眼球が捉えた映像と現実に起きる映像にはラグが存在し、物事に反応した人間が行動を起こすまでの間にも僅かなラグが存在する。人は常に一瞬遅れた世界で生きている。
 では、何故遅れた世界の中で人間は不自由なく生きていけるのか。それは先読みをしているからだ。これは何も人間だけの話ではなく、動物や魔物とて似たような事をしている。相手の動きを基に一瞬先、一秒先の動きを先読みし、視覚の認識より早く行動に移すことで予想通りの現実を迎えることが出来る。

 だから読む。黒竜の先を只管に読む。一つ斬撃の角度や数を間違えればその瞬間に破綻する攻防の中で、無限の選択肢の中から適切なものを選択し続ける。その先、その先、遥か先。勝利と生存に向けて選び続ける。もっと速く、もっと速く、速く、速く、速く――。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!?」

 一撃を放つ速度が加速していく。黒竜の縦横無尽な速度と馬鹿力で周囲の岩盤が砕けて溶岩が舞い上がるのに、それ以上に周囲が俺の斬撃によって切り刻まれていく。斬撃は、いつしか嵐になっていた。ゴギャギャギャギャギャッ!!と耳障りな金属音が響く度に、刃がもっとと囁く。

 斬撃で防ぐ、返す刃で反撃する。その間の時間を予測し続けるうちに、間の時間にもう一つの攻撃を叩きこむ隙間を見つけた。そこに一撃を挟むともう一つ、更にもう一つと、札を切る速度が破綻していく。1ターンに1回の制約が崩れ、選択肢が雪崩れ込んでくる。

 斬撃を放つ腕が熱い。骨が融けて内側から灼かれているようだ。自らの斬撃の速度に肉体が耐えきれていない。再生速度を破壊速度が上回り、血反吐を吐き出す方がまだマシな激痛が腕を中心に全身に広がっていく。
 皮膚が破けて血管が弾け、服が紙のように裂けていく。全力と本気を掛け合わせた死に物狂いの攻撃が、捨て身で戦っていた自分が本当は生ぬるい選択肢を選んでいたのだと嘲笑う。本当に――本当に――これはきっとアズの痛みに近い。自分が知り、自分を知り、今と戦う人間の痛みに近い。

 生命を絞り出す愚者の号哭。自分が自分と向き合う事をしなかったから、本当はこんなにも痛いのだと今の今まで知らなかった。
 だから、知れてよかった。これが痛み、これが前に進むということ。この痛みが、止まった俺の時間の針に、そっと指をかける。緩んだばねを螺子で回し、再び鐘の音を響かせる。

「ハ……ッ、ハァっ。貴様、まだ加速するの、かぁ……!!」

 俺の斬撃の量を捌ききれなくなった黒竜が、全身に切り傷を浴びながら笑う。既にこちらの斬撃には黒竜を本気で切り裂いた威力が乗っているというのに、それに対応する黒竜も加速度的に深化している。神の血を持つとはいえ所詮は人間である俺と、人間ではない魔物の黒竜。ここで仕留めきれなければ、いつか俺は奴の可能性に押し潰されるだろう。

「ならばァ!!今度はこれも試してやろうッ!!貴様とあの男を殺す為に用意したにも関わらず、獣に邪魔された切り札をォッ!!」

 瞬間、黒竜の左目が深紅の輝きを放ち、その内から目さえも灰塵に帰すほどに膨大な熱量が権限を始める。結局不発に終わった切り札の正体。それは、成程確かに――あの時に使われていれば、絶対に死んでいたであろう「切り札」だった。魔石とは違う魔力蓄積機関と化していた黒竜の欠けた眼球から、生命力そのものを絞り出すような莫大なエネルギーが抽出される。それは、使い方を一歩掛け違えば、このダンジョンという広大な空間の全てを焼き尽くす地上の太陽となりうる力。

「統てを喰らえ、我が業炎――『焼喪天(バニシングゼロ)』ッ!!!」

 眼球の目の前で膨れ上がった巨大な熱量の球が圧縮されるようにギュルリと縮み、黒竜はその血に塗れた両腕でそれを握り潰した。

 瞬間、莫大な熱量が腕の隙間より無数に分裂して空間を埋め尽くす。その光景は、空に巨大な彼岸花が咲いたかのように美しく、そして残酷な力。一筋の光は二筋に分裂し、四筋、八筋、十六筋にと倍々に分裂する。分裂した炎の矢の一つが第60層の壁を掠り、掠った場所が飴細工のようにどろりと融け落ちた。

 一撃を受け間違えたら、などという問題ではない。近づいただけで万象を焼く魔力の炎が無尽に分裂し、未来を食い潰していく。きっとこの街の全ての冒険者が、絶望、或いは迫りくる死と表現するであろう圧倒的な破壊だった。

 だが、俺はもう決めていたし、確信していた。

「有難う」
「……ッ!?」
「お前の……お前らのおかげで、8年もかかった反抗期が終わりそうだ。だから――」

 息を吐き、吸い、刀を鞘に納め、俺は感謝する。

 憎悪と虚しさの記憶、或いは愛憎の記憶。

 俺はそれが嫌いで、それでも忘れられなくて、余計に苦しんで。

 でも、今こうして自分に向き合えるというのならば、大丈夫な気がした。



有難(ありがと)う」



 俺は、そのとき/  /を超えた。



 黒竜が気付いた時には、『焼喪天(バニシングゼロ)』は空間が捻じれるような力を受けて霧散した。かちん、とオーネストが刀を鞘に納めるのが見えた。自分が下に落ちていることに気付いた。そして――。

 自らの胴と羽根が両断されていることに、やっと気づいた。



 = =



「俺には父親がいたんだ」

「格好いい人だと思ってた。世界最強だとも信じてた」

「剣も教えてもらったし、冒険者としてのイロハとか、居合拳とか。本当に色々」

「でも、時々あの人を見る目が妙に怖くて、子供心には理由が全然……」

「10歳の時だった。誕生日の日――親父は俺に剣をくれた」

「冒険者登録もしてない俺を、親父はこっそりダンジョンに連れて行ってくれるって言った」

「喜んだよ、正直不安よりもそっちが大きかった」

「親父が魔物を切り裂いている所は、子供心ながら改めて父親の凄さを知れた」

「餓鬼だったから、何層まで降りたたかは覚えてないな」

「ただ、確か10層前後ってな所だ。そんなに深くはなかった」

「魔物の群れのいる洞穴みたいな空間を見せてもらった時な」

「突き落されて、洞穴に落とされた」

「訳が分からなかった」

「助けを求めたけど、自力で上がって来いって、まるで一人じゃ頭を洗えない子供に言うように……」

「今でもあれが何を考えてたのかなんて全ては分からない。俺の知らない所で死んだから」

「でも分かることはあるよ。最期に見た顔。俺を見下ろす顔が――」

「嗤ってたよ。デッサンの狂った絵みたいな顔だった」

「憎しみとか、嘲りとか、嫉妬とか――そんな俺の知らない感情を全部集めて……」

「汚泥と一緒にこねくり回して、無理矢理人間の形にしたような感情だった」

「俺はその時、初めて自分が親父に心底憎まれていたことに気付いたんだ」

「以来、ずっと努めて居合は使わなかった。明確な理由なんて本当は……」

「俺も分からないんだ。憎んでるのか、怖かったのか、あの瞬間をなかったことにしたかったのか」

「ただ、その訳の分からない感情を、今日、乗り越えたと思う」

「…………………」

「こいつ、貰っていくぞ」

「………それと、だ」

「貸しにしとく」

「じゃあな」

「下らない話に付き合ってくれて、感謝するよ」
 







 ダンジョン第50層に存在する宿屋――その外にあるベンチの上で、長身の男が寝転がっていた。物取りも恐れず呑気に眠るその男は、やがて寝息を止めて起き上がり、枕元に置いてあった鞄を抱えてベンチの端を開ける。そこに、上半身が裸になった男が刀を抱えてドカリと座る。

「服どうした?」
「破れた。下が残っているだけ上等だろ」
「まぁお前ならなくてもいけるって。ダビデ像みたいな感じで」
「お断りだボケナス。お前と違って俺は文明人であることに誇りがあるんでな」
「ひでぇ」

 金髪の男の暴言に苦笑いしながら、長身の男は鞄から二つのグラスと一本の酒瓶を取り出して、片方を金髪の男に渡す。受け取った傍から酒を注いだ男は、自分のグラスにも注いで、瓶を置く。

「任務完了だ。これで文句ないだろ?」
「ま、俺としてはお前が生きて帰ればそれでいいんだがな。今回は俺が先にグロッキーだったから正直参ったよ」
「鍛え直してやるから心配すんな。俺の心優しさに感謝しな」
「スパルタの予感しかしねぇよ。ま、それはそれとして………色々な記念を祝して、乾杯!」
「色々ってお前……ふん、乾杯」

 きぃん、と甲高い音が響いた。
 やがて騒がしい面子が集合するまでの数分間、二人のささやかな祝杯は続いた。
  
 

 
後書き
正直これほど間を開けることになるとは思っていなかった作者です。
最後の戦いはかなりドシンプルなドツキ合い(?)になったので1話に収まりました。
正直燃え尽き感が凄くて、いっそここが最終話でいいんじゃないのかと思い始めています。

ちなみに今回のこれで大体オーネストがどこの誰なのか特定出来るヒントは揃った気がします。ちなみに本名のヒントも微妙に揃いました。 
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