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トンデケ

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第四話 テレポーテーション

夕方、墓参りから戻ると、百香はだるそうな顔でソファに横たわった。
どこかで武井に出くわすのではないかと、移動中ずっと神経が張り詰めていたから、
帰る頃にはすっかりくたびれてしまったのだ。そのまま夕飯まで眠りこんでしまい、
肩が冷えたのか、夜になって熱を出し、氷枕をあてて早めに休んだ。
そんなわけで、その日は両親の話を聞けずに終わってしまった。

翌日は学校を休んだ。新学期早々体調を崩した百香だったが、
久しぶりに祖母に甘えられて嬉しかった。

「もーちゃん、どうだい具合は。」

「頭がなんかぼーっとしてる。」

脇に挟んでいた体温計を祖母が抜き取り、目盛を見ると37度ちょっと。

「うん、下がったね。でも、午後にまた上がるかもしれないから、
 今日は 大人しくしてなさい。喉乾いたろ。あとで林檎すってあげようね。」

すると百香が「おばあちゃん」と、か弱い声で呼んだ。

「うん?」

「わたしね、ママとパパのこと、だいたいのことは知ってるよ。」

「………」

「あの夜のこと、わたし、だいぶ思い出したんだ。」

「百香、今はいいから。」

「ううん。あの時ね、わたし、ママの声を聞いたんだ。」

「ママの声?」

「うん。パパがママを刺したあと、パパがわたしのところに来て、
 自分のお腹を刺して… それを見てわたし、怖くなって泣いたの。
 そのうちに耳がうわん、うわんしてきて… 
 そのうちに聞こえてきたんだ。ママの声が…。トンデケ、トンデケって…。」

祖母が大きく目を見開いた。

「もーちゃん、あんた…」

口に手をあて絶句する祖母。百香から視線を外らすと、
遠くを見るような眼差しで窓の外を見ていたが、
次に聞こえてきた祖母の声はとても落ち着いていた。

「まり子、お前のママは、小さい頃からちょっと変わってた。
 まり子が小学生の頃、こんなことがあったの。
 学校の帰り道に隣の犬に吠えられて怖い思いをしたらしいのよ。
 繋がれた紐が長すぎて、大きな犬が玄関の柵を飛び越えそうな勢いだったんだって。
 飼い主さんが言うには、その時にまり子がね、耳を塞ぎながらなんか叫んだあと
 気絶しちゃったって…。そしたら、いつの間にか犬がその場から消えてたって言うのよ。
 なに言ってんだろって思ったわ。あとでわかったんだけどね、その犬、
 家からだいぶ離れた大通りで車に轢かれて死んでたんだって。」

百香には話さないでおいたが、まり子が高校時代の夏休みにも大きな事件があった。
まり子は浴衣を着て、あこがれの先輩と花火大会に出かけて行った。初デートだった。
ところが帰り道、雑木林に連れ込まれ、乱暴されそうになる。
あまりの恐怖になんと叫んだかは覚えていないが、まり子が目を覚ますと、先輩の姿は消えていた。
翌日になり、彼の溺死体が近くを流れる川で発見されたことを知ったまり子は、
大きなショックを受ける。そして、母・美智子にこう打ち明けたという。

「先輩は私が殺したんだと思う。」

「ええ? 何言うのよ、まり子。」

「またあの発作が起きたのよ。気絶して、目が覚めたら先輩はどこかへ消えてたわ。」

「……彼となにがあったの。」

まり子は気絶する寸前までの出来事を抑揚のない声で語りだした。
すると突然、耳を塞ぎ悲痛な声をあげた。

「私が極限の恐怖を感じると、何か叫んで気絶してしまうの。
 そうすると、目の前から消えちゃうの、人や物が。
 前にも何度かあったの、同じようなことが。 
 こういうの、テレポーテーション、て言うんだって。」

「なんなのよ、それ…。」

「瞬間移動。」

「なに、わけのわからないことを言うのよ。まり子、あんた…」

「嘘じゃないの。私も最初は信じられなかった。でも、私の仕業だと思う。
 先輩を川まで飛ばしたのは私よ。エスパーなんだわ、私…」


「エスパー…」

美智子の口から漏れた聞きなれない言葉。
百香はすかさず尋ねた。

「ねえねえ、エスパーってなあに?」

「ああ…、ええとね。特別な能力を持つ人のことよ。」

「じゃあ、ママも私もエスパーなんだね。」

「うん…、そうかもしれないね。」

特別な能力を持つ人間、エスパー。
あの幼い時の体験はまさに母のそれと同じだ。
つまり、両親をプールへ飛ばしたのはこの私、ということだ。
恐らくあの極限の中で、特別な能力が覚醒したに違いない。
私は母と同じ超能力者、百香はその事実を否が応にも
受け入れるしかないのだ。
百香はなんだか重い鉛を飲みこんだような胸苦しさを覚えた。

その後も祖母は折に触れ、両親の馴れ初めや
事件の動機につながる出来事などを色々と話してくれた。

研究者だった康介とまり子は同じ研究グループで出会った。
二年の交際を経て結婚し、翌年には百香が生まれた。
それを機にまり子が離職したが、
康介はグループのリーダーとして研究を続け、ついに万能細胞を発見する。
1983年1月、専門誌にその論文が載ると一躍注目を浴び、
将来のノーベル賞候補として目されるまでになる。

ところが、その一ヶ月後、論文のデータに複数の不正や盗用が見つかり、
研究そのものの信ぴょう性が疑われ始める。
すると論文執筆の筆頭責任者として、康介がマスコミから厳しく追及を受けるようになり、
その頃からまり子との仲も急速に冷えていった。

そして、不正発覚から半年後に開かれた長時間に渡る釈明会見は、
テレビで全国へと生放送された。
康介は謹慎処分となり家にこもっていたが、二日後、
とうとう彼の自尊心の糸がぷつりと切れ、あの地獄の夜を迎えることになる。
論文も康介の死後、間もなく撤回されてしまった。

ところが、その一年後に海外の研究機関が、同じ万能細胞の形成に成功したとして論文を発表。
2000年に入ると、その技術が再生医療で次々に利用可能となり、
主要研究者たちがノーベル賞を受賞、その功績が讃えられた。
不正論文事件については陰謀説も囁かれたが、結局康介の身分回復なきまま、今に至っている。





「今日はどうします?」

「いつも通りでお願いします。」

「じゃあ、全体を軽くして、カットは2センチぐらいでいいですか?」

「ええ、お任せします。」

百香は行きつけの美容院にいた。店内には80年代の古い歌謡曲が流れている。

「あたし、古い歌謡曲が好きだから、有線はいつもこのチャンネルに固定してるのよね。」

店主がそう言いながら、クシで揃えた毛先を指で挟み、手早くカットしていく。
たまには安室ちゃんの歌も流れたが、それも90年代にヒットした古い曲だった。

百香が初めてこの美容院に入った時、店内は電気も音楽も消え、無人だった。
外には営業中の看板が出ていたはず。
すると奥から50歳くらいの女性店主が現れた。
「いらっしゃいませ」の声と共に電気と音楽がついて、ようやく店らしくなった。

「お客さんがいない時は電気消してるの。つけっぱなしだと、一日何万円もかかるのよ。」

彼女は一人でこの店を切り盛りしているのだ。
そして、同じネコ好きという理由だけで、百香はこの流行らない店をずっと贔屓にしている。
店名は「ココ」。これも、店主が飼っているネコの名前だ。

饒舌な店主で、しゃべりと手が同時進行だからすごい。
店主の愛猫自慢が一瞬だけ途切れ、やっと百香が口を挟むチャンスが訪れた。

「ねえ、さっきからずっと気になってたんだけど、そのネコのサンダル、どこで買ったの?」

鏡に店主の黒ネコサンダルが映った時からずっとそのことが聞きたくて、うずうずしていた百香。

「気がついた? これね、韓国の明洞で買ってきたの。これいいのよ。防水だし。」

「いいわね。そういうの私も欲しいな。」

「韓国なんかすぐよ。格安飛行機使えば、びっくりするぐらい安く行けるから。」

「そうねぇ…。通販では見たことないな、そういうの。」

「でもさ、これよく見てよ。左右でネコの顔違うんだよ。
 だから、この間来たお客さんがさ、靴がかたちんばだよ、て。
 まるで私をボケ老人扱いだよ。
 まあ、おたくは若いから、そんなこと言われないだろうけど。」

その時、有線でプリ・プリの「世界でいちばん熱い夏」が流れはじめた。
平成元年、百香が小学5年生の夏に大ヒットした曲だ。
サビの部分を口パクしながら鏡の中の自分を見つめ、
百香はあの“夏の終わり”に思いを馳せるのだった。
 
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