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14部分:第十四章


第十四章

「けれど日本一にはなれないかもな」
「日本一には」
「そんな気がする」
 あくまでそんな気だった。当時は。
「けれどな」
「けれど?」
「あの人はそんなちんけなものじゃないんだろうな」
「日本一がちんけなの」
 これは小坂だけではない。おそらく殆どの者がそれを聞いて首を傾げただろう。日本一になることこそがチームの目標だからだ、それをチンケというのだから。
「それは」
「いや、確かに重要だ」
 これは本田も認める。
「それでもなんだよ」
「何か言ってる意味がよくわからないんだけれど」
「ああ、つまりな。感動なんだよ」
 彼が言うのはそれだった。
「やっぱりあれだろ。野球を観たい理由っていったら」
「感動だね」
「そうだろ。素晴らしいプレイや勝負を観て感動する」
 本田はそれを言うのだ。
「それがあるから野球を観るんだよな」
「そうだね。それがあるからやっぱり」
「野球を観るんだよ。西本さんの野球はそうなんだ」
「人を感動させる野球」
「ああ。勝っても負けてもな」
 ここでは勝ち負けさえ超越しているのだと言っていた。西本幸雄の野球はそうなのだと。
「杉浦の時は素直に勝利と熱投に感動したさ」
「あれはね。負けたけれどいい思い出だよ」
「だよな。敗れてもいい勝負なら感動するもんだよ」
 それが人間でありスポーツマンなのだ。ただスポーツをするからスポーツマンではない。そこにある感動を知るからこそスポーツマンなのだ。本田が言うのはそれだった。
「西本さんはずっと敗れ続けたさ。それでも」
「感動があったんだね」
「山田が打たれた時も」
 あの時のことをまた話す。
「打たれてマウンドに蹲る山田を迎えに行ってな。あんなことはそうそうできないさ」
「そうだね。普通はそのまま放っておくよね」
「それをしないのが西本さんなんだ。だから感動するんだ」
「見てよ本田君」
 ここで小坂はまた本田に言う。
「どうした?」
「ほら、もうすぐ終わりだよ」
「ああ、そうだな」
 見れば九回だ。しかも裏。巨人の攻撃はこれで最後だ。
「ここで抑えれば阪急の勝ちだ」
「感動できる?」
「もうしてるさ」
 静かで、それでいて温かい言葉だった。
「それでも。これから最高の感動を味わえるんだな」
「若しもだよ」
 また小坂は彼に言う。
「今日巨人と阪急の立場が逆だったら。それでも感動できた?」
「ああ」
 小坂のその言葉に頷いてみせた。やはり静かに。
「できたよ」
「負けても、だね」
「勝ち負けで言うとな。やっぱり勝つに越したことはないさ」
「それでも」
「感動できなきゃ意味はない。野球は感動なんだよ」
 静かに座って最後のイニングを見ている。小坂もその横に座っている。
「もうすぐだ。もうすぐ」
「阪急の日本一だね」
「なあ小坂」
 今度は本田が小坂に声をかけてきた。
「何かな」
「これからも。ずっと野球を見ていこうな」
 親友への言葉だった。
「やっぱり野球は最高だよ」
「そうだね。そこに感動があるから」
「泣く時もあれば笑う時もあるけれど」
 今度はこう表現する。実際に彼はもう泣きかけていてそれでいて微笑んでいた。二つの相反するものが混ざり合ってそのうえ調和している、不思議な顔だった。
「それも感動があってだからな」
「感動だね」
「ああ、やっぱりそれだよ」
 またそれを言った。
「それがあるから」
「さあ、いよいよ最後のバッターだね」
「そうだな。長かった」
 感慨が、今までの感慨が本田の心の中を占めていっていた。
「西本さんは笑顔にはならないだろうけれどそれでもな」
「感謝してるんだね」
「当たり前だろ。西本さんが強くされたチームだ」
 阪急は何といってもそうだった。かつては弱小球団に過ぎなかった。巨人と日本一をかけて戦うなど夢の話だった。しかしその阪急が黄金時代の巨人に向かいそして今こうしてその巨人を倒そうとしている。本田はそのことに感動を覚えたまらなかったのだ。
「今は敵だけれどな。それでも」
「そうだね。やっぱり見ているだけでね」
「そうだよ。とにかくもうすぐだ」
 言いながらグラウンドを見続ける。
「感動だよ」
「日本一じゃなくて」
「感動だ」
 やはり出る言葉は感動だった。
「感動が待っているからな」
「うん」
 そして遂に。試合が終わった。阪急ナインは笑顔でマウンドに駆け寄り抱き合う。今阪急が日本一になった、感動の瞬間だった。
「やった!」
「やったぞ!」
 ナインもファン達も笑顔だ。喜びを爆発させる。しかし本田は。その中でただ静かに泣くだけだった。一人で座って静かに泣いていた。
「やったよ・・・・・・・本当に」
「そうだね。巨人を破って日本一になったよ」
「五回も敗れてやっとな」
 かつての記憶が蘇る。走馬灯そのままに。
「日本一か。巨人を倒したんだ」
「ほら、上田さんが」
「ああ、そうだな」
 胴上げだった。上田が胴上げされている。試合がはじまる前は不安げだった彼が今は笑顔で胴上げされている。後楽園にその細い身体が舞っている。
「勝ったんだよ、今」
「インタビューに行こう」
「インタビュー?」
「僕達の仕事じゃないか」
「あ、ああ」
 はたと気付く。言われてやっとだった。
「そうだったな。俺達の仕事だ」
「そうだよ。だからもう」
「わかったよ。それじゃあ」
 小坂に促されて立ち上がる。二人の動きは小坂の方が早かった。
「行くか」
「上田さん何て言うかな」
「御前は長嶋さんに行かないといけないだろ」
「おっと、そうだった」
 小坂もまた忘れていた。二人は同じだった。
「そうだったね」
「いや、何か嬉しくてな」
 まだ涙を流す本田だった。
「感動したよ、全く」
「感動したけれどこれで終わりじゃないよ」
「終わりじゃない」
「だって。そうじゃないか」
 顔一面を涙で濡らしている本田に対しての言葉である。
「野球はこれからもずっとあるんだし」
「そうだったな」
「そうだよ。だからね」
「じゃあ。これからもな」
「見ていくんだね」
「そうだいうことだな」
 頷く。涙をそのままに笑いながら。これからのことを思いつつ感動の中にあったのだった。


応援   完


                  2008・5・1
 
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