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13部分:第十三章


第十三章

「家族サービスもしているんだけれどね」
「確かに仕事だよ」
 スポーツ新聞の記者。これは仕事だ。
「仕事だけれどな。それでも」
「それ以上のものがあるね」
「間違いないな」
「そうだね」
 また二人で言葉を交えさせる。
「生きがいだよな、野球は」
「あの時から」
「ほら、覚えてるか?」
 本田はまた小坂に尋ねてきた。
「立教に入ったあの時」
「本田君不機嫌だったよね」
「長嶋長嶋ばかりでな」
 今度はそのことを思い出していたのだ。
「正直腹が立って仕方なかったさ。巨人は嫌いだったからな」
「何でそこまで嫌いだったんだい?」
 今更の質問だがせずにはいられなかった。
「そもそも。そういえば理由は聞いていなかったね」
「俺は根性曲がりなんだよ」
「そうだったんだ」
「ああ、ガキの頃からな」
 話はそこにまで遡る。深い話になっていた。
「だから巨人が嫌いだった。皆巨人巨人ばかりだったからな」
「それだけ?」
 小坂はそう述べた本田にさらに問うた。
「それだけで巨人が嫌いなの?」
「別所だ」
 質問に答えて今度は人名を出す。
「別所のことがあったな。あれで決定的になった」
「ああ、あれね」
 これはあまりにも有名な事件だった。当時一リーグでありリーグでは南海が圧倒的な強さを誇っていた。その南海のエースが別所だったのだ。
「別所がうちで勝たなくてもいい」 
 当時巨人の監督だった三原は堂々とこう言い切った。
「うちにさえ勝たなければな」
 その考えで彼を口説き落とし巨人に入れたのだ。金が動いたのも間違いないとされている。こうして南海から別所を引き抜いたのだが当然ながら世間から圧倒的な批判を浴びた。もっとも巨人はこれに懲りる筈もなく何時までも何時までも同じことを繰り返すのだが。球界の盟主とは何ぞや、それは何処ぞの北の将軍様が君臨する究極の独裁国家そっくりの存在なのだ。正体は全体主義国家なのだ。
 これに怒ったのはファンや世論ばかりでなく選手達もだった。当時選手達のリーダーだった千葉茂はこう言って激怒したのだった。
「別所なんぞいなくても勝ってみせる!」
 こうした話が残っている。これで三原は巨人の監督を退くことになったとも言われているが少なくとも一因にはなった。それが西鉄の知将を生むきっかけにもなったのだが。
「あの時は三原さんを本気で殺したかった」
「子供なのに?」
「ああ、子供でもだ」
 今でも本気に聞こえる口調だった。
「本気でそう思ったさ」
「それから嫌いになったんだ」
「まさかそれから」
 ここから記憶が複雑な感情を混ぜて語られることになった。
「三原さんがずっと巨人に立ちはだかるとはな」
「思わなかったね」
「西本さんとも因縁があったしな」
 昭和三十五年だ。かつて西本は大毎の監督で三原は大洋の監督だった。西本はシリーズにおいてまさかの大敗北を喫したのだ。スクイズ失敗があまりにも有名だ。
 それから西本は阪急の監督となり三原は近鉄の監督となった。この時は西本が雪辱を晴らしている。この時も本田の筆は冴え渡っていた。
「わからないものだよ」
「その西本さんが今は近鉄の監督だし」
「俺も近鉄担当になった」
 話は本田自身にも及んでいたのだった。
「本当にわからないものさ」
「そうだね。ところで」
「何だ?」
「球場の雰囲気が変わったよ」
 小坂は今行われているその試合について話を戻したのだった。
「ほら、何か」
「森本のホームランのせいだ」
 それはもう完全にわかっている本田だった。
「これで流れは阪急に戻った」
「阪急にだね」
「あと三回だ」
 本田は次にイニングについて言及した。
「あと三回でまた阪急のものになった流れを元に戻せるか」
「難しいね」
 小坂はすぐに答えた。
「それは」
「ああ、それもかなりな」
 本田はまた言った。彼もグラウンドに目を戻していた。同時に観客席も見る。
「ここまでいったらな」
「もう巨人は負けかな」
「相当なことが起こらない限りな」
 何故かここでは妙に冷静だった。普段の巨人を前にした時の彼ならばそれこそ狂喜乱舞しているところだが。何故かこの時ばかりは冷静だった。
「阪急の日本一だ」
「日本一。二回目の」
「いや、一回目だ」
 しかし彼はここで一回目と言った。
「一回目って?去年のは」
「確かにあれも日本一だ」
 不思議な言葉だった。その優勝が日本一であるが一回目ではないと言うのだ。小坂にとっては実に意味のわからない奇妙な言葉だった。
「だが一回目じゃない」
「じゃあ一回目は何なんだい?」
「巨人に勝った時だ」
 それが一回目なのだった。
「巨人に勝ってこそ一回目の優勝なんだよ」
「そうだったの」
「南海だってそうだったよな」
「そうだったね。南海は確かにそうだったね」
 二リーグ制になってはじめての日本一はその昭和三十四年のシリーズなのだった。別所を奪われた南海がその別所をも凌駕する大エース杉浦忠を手に入れて巨人を押さえ付けたその優勝だ。南海は巨人を粉砕してその長年にわたる雪辱を晴らしての日本一だったのだ。
「西鉄も。三原さんが」
「そう、だから阪急も」
 だからこその一回目だったのだ。阪急もまた巨人とか深い因縁があったのだ。
「今日勝ってやっと」
「あの人、喜んでくれるかな」
「いや、西本さんは笑わないな」
 本田は言った。今度はにこりとしなかった。
「あの人はそういうことで笑う人じゃないよ」
「そうだね。あの人はね」
「阪急の選手達が自分の為に頑張ってくれたこと」
 こう言った。今度は。
「そのことだけで喜んでくれる人だよ」
「皆、西本さんが育てた選手」
「ああ」
 また小坂の言葉に頷いた。試合はさらに週末に向かっていっている。終わりが間もないのは誰の目から見ても明らかだった。日の光は夕陽に近付いてきており影が長くなってきていた。秋の落ちるのが早い日が告げていたのだ。試合が終わるのが近いと。阪急の日本一が近いと。今そこにいる全ての者に伝えていたのだ。
「皆な。よくやってくれているよ」
「ねえ」
 小坂はまた本田に声をかけてきた。
「西本さんの時には一度も日本一になれなかったね」
「そうだな」
 それは事実だ。それだけはどうしても無理だったのだ。
「けれど今の阪急は」
「西本さんが作り上げたチームだ」
 まずはこう答えた。
「そして」
「そして?」
「日本一のチームだ」
 次の言葉はこうであった。
「西本さんが作り上げらた日本一のチームだ」
「日本一のチームを作り上げるのと日本一になるのはどっちが難しいかな」
「さあな」
 これについては彼も答えられなかった。こう聞かれるとどうも迷ってしまうのだ。実際のところどちらも難しい。どちらとは言えないものがあるのだ。
「西本さんはひょっとしたら」
「ひょっとしたら?」
「近鉄も優勝させるかもな」
「近鉄も」
「あと何年かかるかわからないがな」
 三年後この言葉は的中する。西本は自分が率いたチームを全て優勝させるという偉業を成し遂げたのだ。やはり彼は名将なのだ。
 
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