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釜の音

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4部分:第四章


第四章

「それでも私はあの人が」
「しかしですね」
 雨宮さんはそれでも仰ったそうだ。
「もう御主人は」
「私は待ちます」
 奥さんはやつれた、力ない声で述べられたらしい。
「あの人を。きっと戻って来られますから」
「いや、それはないです」
 若松さんはあえて厳しいことを仰ったという。
「ですからもう家を出られて」
「それだけは」
 やはり奥さんはそれを拒まれて。
「私のことは心配いりません。ですから」
「そうですか」
 そこまで言われては。御二人は引き下がるしかなかったという。本当に誰でもどうしようもないことがあるのだ。人間というものは万能ではないのだから。
「それでは」
 御二人は諦められて奥さんの下を去った。それから時が流れたがやはり御主人の女癖はなおらなかったとのことだ。家にも滅多に帰らず奥さんはいつも家で一人だった。そんな辛い時間がこれからも続くのかと皆暗鬱となっていたその時であった。
 たまたまだった。御主人がふらりと帰って来た。その時に占いの結果がわかった。
「お帰りなさい」
「ああ」
 御主人は出迎えた奥さんにぞんざいに応えたらしい。これは若松さんも雨宮さんもどうしてこれを知ったのかわからないそうだ。思えばこれも釜が教えてくれたのかも知れない。
「お風呂になさいますか。それとも」
「いらん」
 御主人はぞんざいに答えられたとのことだ。その顔は真っ赤で酒にかなり酔っているのがわかるものだったという。そうして台所から酒を取り出してそれをしこたま飲んだ後で床に入られた。全ては釜が教えた通りに進んでいたのだった。
 御主人が床に入られると奥さんはそこにやって来たそうだ。そうして。
 御主人の首を縄で絞められて。あっという間だったそうだ。
 目が覚める時間もなく死んでしまったとのことだ。本当に不思議なことなのだがその時の奥さんの顔も何故か聞いている。そうして知っている。奥さんは悲しい、だが凄みもある恐ろしい笑みで御主人の死に顔を見ていたとのことだ。僕の頭の中にもその顔はある。
 それから奥さんは家に火を点けられた。そのまま燃え盛る家の中で御主人の亡骸を抱いたまま自分も死んだという。全ては釜の鳴った通りになってしまったのだった。
「そういうことがあったのです」
 若松さんは全てを話し終えた後で僕にそう述べてきた。
「全ては釜が鳴った通りになりました」
「そうですか」
 僕は黙ってその話を聞いていた。実に恐ろしく、悲しい話だった。
「それでは結婚のお話は」
「正直。困るのです」
 若松さんは項垂れて仰った。
「昔にこうしたことがありましたので。正直話が来る度に憂鬱になります」
「しかし。受けられるのですね」
「はい」
 若松さんは頼まれた話を断るような人ではない。これはもう決まっていた。
「そのつもりです」
「それでどうされているのですか?」
 若松さんに尋ねた。
「そのお話は」
「いつもこうするしかないのですが」
 若松さんは諦念した顔で僕に答えてくれた。身体から力がふう、と抜けた感じになっていた。
「釜に聞いています」
「そうですか」
「結局はそれが一番ですからね」
 その諦めた顔に寂しい笑みが入っていた。哀しい笑みに見えた。
「どんな答えが出ても」
「そうかも知れませんね」
 僕もその言葉に納得するのだった。やはり人ではわかりかねないこともあるからだった。僕も人間が何でもわかるとは思っていない。そこまで傲慢ではないつもりだ。
「それでですね」
 そのうえでまた若松さんに尋ねた。
「何でしょうか」
「今頼まれている結婚の相談もやはり」
「ええ。まず釜に聞いてみます」
 やはりこう答えが返って来た。
「どうするべきなのか」
「いい答えが出るといいですけれどね」
「それは私も同じです」
 この答えは予想していた。誰にしろそう思うものだ。他人のものでも幸せを願いたいのは誰でも同じである。相手に余程の悪感情を抱いてはいない限り。
「できれば鳴らないで欲しい。いつも思いますよ」
「でしょうね」
 僕は若松さんのその言葉に頷いた。
「ですが」
「はい。こればかりはわからないものです」
 また寂しい、それと共に諦めた言葉が返って来た。
 
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