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機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
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64話

 当たり前だが、消灯時間と言っても画一的に適用されるものではない。もちろん大部分の人間は、その一律の規定に従って微睡んでいる筈であるが、視界の向こうでは煌々とした人間の活動の影が燈っていた。
 未だ格納庫の遍在するブロックには人口の光が灯っている。整備が日夜遅くまで続くのは試験装備を扱っている部隊が多いせいもあるのだろう。どれだけ性能が良かろうが、動作不良が多くては使い物にはならない。戦争に求められるのは有能なパイロットのみが使える兵器(かんおけ)ではなく、万人が安心して使える兵器(にちようざっか)である。そして、それはすぐに壊れて直しづらい兵器(ビスポーク)ではなく、少しのメンテナンスで長く使え、壊れてもすぐに代えの利く兵器(マスプロダクツ)なのだ。だが、試験部隊が相手にするのはまさに前者なのである。試験兵器の完成のためには、テストパイロットの工夫だけでは完成しないのだ。それを現実に適応するのは整備士なのだ―――。
 コロニーの中を巡る冷たく乾いた風が地面の中を這っていく。ニューエドワーズの気候のモチーフはテキサスのどこからしい。雪はあまり降らないように設定しているらしい、ということをなんとなく思い出したクレイは、眼前の舗装された道路をぴょこぴょこ歩く銀髪の少女の姿も漠然としか捉えていなかった。
 顔が冷たい。冷たさが表情筋を固着させているようだ―――。
 視神経を痙攣させる鈍い電流。既に輪郭を失い始めた黒髪の彼女の重たい幻影が後頭部の裏にべっとりと張り付く。
 後ろめたさ。言ってしまえばその程度の言葉、だがそれもやはり違うのだろう。言葉はあまりに一面的すぎる。
 軍靴が道路から崩れた屑を噛む。じょり、という濁った音が聴神経をざわつかせる。奥歯同士が噛み合い、不愉快さが神経を苛立たせる―――。
 格納庫の区画を抜けていく。夜遅くということもあって、歩哨から時折訝るような視線を貰うのは仕様がないことだろう。
 どこかの格納庫の裏手、土手のように土が盛り上がった場所で、エレアは歩き疲れたようにぺたんと腰を下ろした。
 クレイは所在なく佇んでいたが、結局おずおずとエレアと少し距離を置いて地面に座った。カーゴパンツと草を介しても、土の感触はただ固かった。
 エレアは特に何も言わず、ぱたぱたと足を動かすばかりだ。
 クレイも何も言わず、俯いたままに息を殺した。
 さわさわと角のある風が髪を揺らす。どこか取りつく島のない、雑然とした風。
 視界の端で彼女が身動ぎする。こちらを微かに一瞥したらしい、と気づき、心臓がぐねぐねと不定に蠢動するのを感じた。誰かに責められている感覚。彼女の紅い瞳が、まざまざとクレイの姿を映している―――。
 小さく掛け声1つ、柔らかそうなお尻をぱたぱたと叩いて塵を落とした銀髪の少女は、クレイのすぐ隣になんの思案も無く腰を下ろした。
 肩と肩が触れるくらいに近い。鼻からさわさわと抜けていく彼女の幽かな淡い吐息の音、身体のどこかからゆっくりと滲み出てくる彼女のねっとりした甘い薫り。確かに重さを持った彼女の存在に、クレイはそれだけで欲情と安堵をぬけぬけと感じていることを理解した。
 いつかもこんな時があった。もう何か月前だったか―――わざとらしくそれを考えようとして、クレイはふとそれが思い出せなかった。
「なんか」空を仰いだまま、銀髪の少女の頭がふらふらと揺れる。「前にもこんなことあったね」
 あったね、と色のない声で応える。身体の表皮が受け答えしているその感覚、皮相と秘奥の間に固く薄い膜が出来てしまったような感覚を、奇妙なほど客観的に感じていた。
 彼女がクレイの肩に頭を預ける。そうして左腕をクレイの右腕に絡ませ、そのちっちゃいドールのような手のひらをクレイの無骨な手の甲の上に重ね、その指先が擽るようにいんびに撫でる。 お世辞にも大きいと言えない彼女の手、その指がクレイの地面に着いた手の指の間にじっとりと這っていく。
 肘の辺りに感じるふんわりした、奇妙な重たい軽さを孕んだ存在。ジャケット越し、シャツ越し、ブラ越しでもわかるその感覚に、クレイは心臓の拍動の激と原-セックスの器官の強張りを直情的に感じた。
 クレイは、小さく首を振るので精一杯だった。その仕草に、どうしたの、とエレアが不思議そうな顔を、少しだけクレイの方へ向けた。
「僕にはそうする権利はないんです」声は酷く掠れ気味だった。
 彼女の指が微かにクレイの指を強く握る。ただそれだけで、言葉を発することも何もしなかった。
「今僕はしたくてたまらないんですよ。抱きたくてたまらない、セックスがしたくてたまらないんです」
 彼女が身動ぎする。そうなの、と一言だけ疑問の構造の言葉をぽつりと口にした。どこか恥ずかしげなような声なのが、一層心臓を締め上げた。
「でもきっとそれは貴女である必然性は無いんです。誰でも、良いんですよ―――前に穴があれば何でも、良かった。僕はそういう人なんですよ」
 実際、最近会った知り合いとした時は良かったんですよ―――まるで他人事のように音声が耳朶を打つ。ずきずきと身体中が軋み、頭が焼き切れそうになる。ぐにゃりと歪んだ胃がありもしない内容物を吐き出すように脅迫する。
 知らず、地面に爪を立てていた。ごつごつとした感触が爪の中に入り、不快さだけが神経を撫でつける。
 彼女の手の感触が消えていることに気づいた。恐れにも似た空虚さのままに顔を上げれば、立ち上がった彼女がお尻を浚うようにしてごみを落としていた。
 行ってしまうのだ、と思った。腰椎まで届く綺麗な銀髪を揺らして、彼女は勃起したままのクレイを置き去りにして、行くのだ。
 良いのだ、と思った。悪のエビデンスは確かにクレイ・ハイデガーに存在していて、ただ彼女はその事実を理性的に精査し、判断しているに過ぎない。ただ、それだけのことである。それでもやっぱり嫌だなぁ、とは思うけれど、それはどうでもいい感傷だった。
 軍靴が地面に噛み付く音が鼓膜を打ち鳴らす。それに混じって、自分の名前を呼ぶ少女の鈴のような声がした気がして、慌てて顔を上げ―――。
 どすん、という軽い衝撃を受け止めていた。それが何なのかを理解するのは、さして難しいことではなかった。鼻孔の奥にじっとりと張り付くような甘ったるい薫りと、身体に感じるその艶めかしい肉の柔らかさ、そして理性は確かに自分がしがみついている相手がエレア・フランドールという人物であること判断した。
「前もこんなんしてたね」
 もう一度、そう彼女は言った。
 顔面の彼我距離は十数cm。薄暗がりでも、彼女のその白いかんばせははっきりと目に入った。
 外見相応に子どもっぽくて、ガーネットの瞳に静謐を満たしたエレアの顔。よっこらせ、となんだかおかしな掛け声とともに彼女はずいと身体を引き寄せる。それこそクレイの太腿どころか腰から下腹にかけての辺りにぺたんと座った彼女は、両手をクレイの頭に回した。
 彼女の力は結構強かった。ぎゅーっとクレイの頭と右わきから通って背中に回った彼女の力が強かったことは、けれどどうでも良かった。ただ、自分の顔をふっくらと包むその感触があまりにも殺人的な柔らかさだった。
 彼女の力が抜ける。
 身体が離れるにしたがって、クレイは、伺うようにエレアを見上げた。
 どうして、と口が強張る。だって、と続けようとして、それを遮るように彼女がクレイの髪の中に指を入れ、ゆっくりと頭を撫でた。
 ぞわぞわと脊髄が震える。それだけで絶頂を迎えそうな解放感だった。
 彼女は、いつも通り無邪気ににこにこしている。あまりにも幼児的なアルカイックスマイルがクレイを見透かしていく―――。
 赦してくれる、クレイは思った。彼女は、クレイ・ハイデガーという事実存在を赦そうとしている。
 クレイは慄きとともに身体を硬直させた。そのような資格が何故自分に在るというのか、この欠如だらけの襤褸の存在にどのような価値があると言うのか。だから、クレイは自分の臓腑の底に泥泉のように溜まっていた言葉を半ば狂乱しながら口から吐き出していた。
 元々大した人間じゃない。クレイ・ハイデガーが「善い」人間であるのは、所詮は体裁の問題、畢竟見栄でしかないことだとか、MSのコクピットを撃ちぬいた瞬間が予想以上に気持ち良かったこととか、従軍して戦死した人間が―――それこそ直援を務めていた身近な人間が死んだのにほとんど不感的な感情しか抱けなかったこととか、とにかくクレイは自分について口汚く罵りつづけた。最中、エレアは、やはり何も言わずにクレイの頭を愛撫し続けていた。その度に、クレイは濁流に身を任せたくなる衝動と、それに抗する意思を堅持し続けた。それは分を弁えていないことなのだ、己にそういう甘えは許されないのだ―――。
 何をしゃべったのか、クレイ自身もよくわからなくなった当たりで発話行為を止めた。昂進した息のせいで、感情のせいで、己の赴くままに喋ることが出来なくなったのである。
 ぽつり、彼女が声を発する。びくりと身体を震わせたのは、次の言葉への偏屈な期待からだった。
「「異常」とは―――」エレアは、どこか芝居がかった風に畏まって声を出す。「所詮は多数者によって一方的恣意的に決定された意味に他ならなく、それは実在を表現する言葉などではない。本質的に「異常」である人間など存在していないのだ―――」
 つっかえつっかえになりながら、エレアがその言葉を発する。
 知っている言葉だった。その堅苦しい言い回しは、自分が何かの機会に書いた一文ではなかったか。
「クレイが最近何かの雑誌で書いた論文。『ニュータイプは「進化した人類」なのか?』っていうテーマだったっけ」
 まぁ、それはいいんだけど、とエレアはどこか恥ずかしげな微笑を浮かべた。
 もう、エレアは言葉を出すことを止めた。
 言葉は人間にのみ許された感覚器官に他ならない。だが、感覚器官は一つの刺激を捉えることに特化しすぎ、世界を理解するのにはあまりに鋭く切り取りすぎる。
 彼女は自分を赦すのだ。単純な感情論だけでなく、ご丁寧に襤褸のロジックまで添えて。
 ―――なんて間抜け。
 理法は既に答えを得ているというのに、くだらない意地が目を曇らせていた―――。
 声が漏れる。その嗚咽が情けなかった。だが、それでいいのだ―――とは素直に思えなかったけれど。
ただひたすらに、彼女の蠱惑的な肉の感触と彼女の器官の中に存在しているような体温が、クレイという存在を無条件に包括しているようだった。
 クレイは新生児にように声を上げて泣いた。エレアの胸に抱かれて、彼女にしがみつく姿を赤子と言わずになんと言うか。
「クレイは自分を責めすぎるよ。だから―――」
 私が赦してあげる。
 彼女の声が外耳に触れ、鼓膜を愛撫する。エレアのそのあどけなくもどこか重さを持った言葉がそのまま脳髄の中へと浸透していく―――。
 彼女が抱擁の力を抜き、クレイとの身体の癒着を引きはがしていく。
 暗がりでも、エレアはいつもと変わらない邪気を感じさせない笑みを浮かべていた。その薄い蠱惑的な唇が微かに開き―――。
「じゃあ、エッチしようか」
 表情一つ変えずにそんなことを言った。
「え…ええ!?」
「だってずっと固いままだよ? というか、さっきしたいって言ったじゃん」
 それは、確かにそうだった。意識を向けるまでもなく、確かにクレイの実存は素直にエレアの股座の前で傲岸な素振りを見せていた。
 顔が熱くなる。それと同時に、酷いほどの憫然を感じて―――。
 エレアの手が頬をそっと包む。ぎょっとして彼女を見返せば、紅い瞳は果敢無い光を受けてもなお確かに赤かった。
 エレアが手を離す。そうして立ち上がった少女は少し距離を置き、黒いジャケットのファスナーを降ろした。そのぎざぎざと鼓膜を刺激する音の後に、するすると布同士が擦れる音がふにゃふにゃの脳みその奥へと這いずっていく。
「―――あれ」
 だか、クレイが目にしたのは彼女の白い肌ではなかった。
 むしろ、大部分黒かった。何故か黒いカーゴパンツを脱いでいるのに、足も黒かったし上着も何故かぴったりフィットな何かで黒かった―――って。
「なんで中に水着を着ているんだ…」
 しかも競泳用で。しかも意味不明なニーソックスをはいて。
「クレイが好きそうなのを盛り合わせてみたのでしたー」
 姿を誇示するように両手を広げるエレア。
「なるほど……なるほど……?」
 納得するところなのかなんなのか―――ともあれ、暗闇なのが惜しいな、と比較的真剣に思った。
 脱いだ軍服を下敷きにして、足を投げ出すようにして腰を下ろしたエレアは内股気味になりながら膝を曲げた。利き腕ではない右手を身体の後ろにやって支えにし、利き手の左手を自分の両足の付け根の方へと伸ばしていく。
 薄い明かりの中で、はっきりとは見えるわけがない。だが、確かにエレアはそこを覆う水着の布をずらした。
 そこには、確かに存在を刳り貫かれた瑞々しい(きず)(ぐち)があった筈だったし、また事実、暗く淀んでいた。
 その源泉に惹かれるように、よろよろと立ち上がる。
 クレイ・ハイデガーは、彼女の(きずぐち)を慈しむようにして、その紅い裂け目に白いヴェールを被せた。 
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