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機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
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63話

 夢を、見ている。
 彼女はあまり夢を見ない性質だが、この頭の中の視覚野を刺激する光景は確かに過去の出来事の反復だった。
 空から降る冷たい白い塊。水が結晶化した、やわらかな冷然。
 だが、彼女の視界が捉えているものはそんな些末な出来事ではない。
 コロニーの中、深々と降りつもる雪を吹き飛ばしていく爆風。榴弾が炸裂し、マズルフラッシュの裂けるような閃光が迸り、巨人同士が鋼鉄の肉体を躍動させる。
 18mほどもある巨躯―――白い外殻のMS-06FZがMS-06F2へと躍りかかり、灼熱の斧をその体躯に叩き付けた。
 彼女は、走っていた。長くなり始めた髪を靡かせ、ただ只管に極寒の戦場を走っていた。
 10代後半―――当時のジオン公国の状況であれば、彼女もまた徴兵されていた筈だった。だが、彼女は軍へは行かなかった。理由は、彼女が裕福な階級の出だったことに依る。
 オリジナル11―――『ジオン』を単なる1サイドから、地球と戦えるほどにまで引き上げた伝説の11人。それらに及ばずとも、ジオン設立当初から建国に奔走していた系譜に連なる彼女は兵役を免除されたのだ。
 高貴な出として育ち、己に誇りをもって生きてきた彼女にとって、それは拷問以外の何物でもなかった。
 戦地で、戦い斃れていく同輩。
 サイド3で、ただ鬱屈とその報告を聞く己。
 単なる生まれというだけの原因。人は、ただ生まれた場所の違い、自分を産んだ人間の違いなどというあまりにもどうにもならない理由で、恣意的に強大な不平等を背に負わなければならない。そして、世界の人間はそのあまりにもわかりきった格差から目を逸らし、享楽に耽っているのである。
 そんな彼女にとって、その『クーデター』は好機ですらあった。己の存在価値を、己の存在の重さを知るための機会。
 家族の静止も振り切り、彼女はシェルターから抜け出した。
 元々軍属として訓練していた彼女は、民間人の誘導などでもきちんと働けた。
 あらかた主要な区画の避難民の誘導が終わっても、彼女は止まらなかった。まだ、助けを求めている人がいる。自分はそのために働く義務がある。そんな直感のまま、黒髪の彼女は人の少なくなった区画にも足を運んだ。
 息が切れそうになる。雪地装備でも凍えるような場所で、彼女は四肢末端が凍死しそうになるのも構わず、ただ走り続けた。
 鼓膜を破るような音。思わず身を竦ませ、あたりを見回した時だった。
 ビル群の中から音を立てて巨人が飛び出してきた。
愚鈍そうな見た目の機体―――《ドム》。左手を破損した《ドム》がヒートサーベルを振りぬいた、その瞬間だった。
 何かが視界を過った。対MS用の、相応サイズの手榴弾。
 不味い、と思うより早く彼女は身を伏せるのと、その物体が爆裂したのは同時だった。
 人間よりも巨大な『手榴弾』が炸裂、爆風を爆ぜさせながら金属片を周囲に撒き散らす。立っていれば、彼女は金属を食らって身体中に穴を作っていたところだ。
 立て続けに響く激烈な金属音。うつ伏せになりながら顔を上げれば、投擲された剣で磔にされた《ドム》目掛けて(ヴァイス)薔薇(ローゼ)の《グフ》が肉迫し、ヒートサーベルを握った右腕を金属の刃で切り飛ばし、その刃を《ドム》の胴体に突き付けていた。
 投降の通信でもしているのだろうか―――その光景を眺めながら、身を起こした彼女は、誰かが建物の間からすり抜けてきたのを確かに網膜に焼き付けた。
 子ども。自分より幼い、金髪の少女。
 小さな少女、巨大なMS。そのあまりにも不釣りあいな光景に、彼女は血の気の引く感覚をまざまざと感じた。
 背後で音が鳴ったのを聞いたのは、果たして偶然だったのだろうか。思わず振り返った彼女は、その琥珀色の瞳にその機体を映した。
 ビルの上に立つ機体。一見それは《ゲルググ》に見えた。だがそれが《ゲルググ》じゃないと気づけたのは、一重に彼女の出自故にでしかなかった。
 MS-17《ガルバルディα》。無骨ながらもどこか流麗さを感じるその機体が左手に握ったシュツルム・ファウストを《グフ》に向ける。
 ダメだ、と声を張り上げる。クラッカーなどとは比較にもならない爆風、金髪の少女。それを撃ったら―――。
 だが無意味。次の瞬間にはパンツァー・ファウストの弾頭が光を引いて飛翔する。
 また身を屈めたのは、生存本能という非-合理的認識と、幾許かなりとも軍人としての教養という合理的判断の2要素が無理やり彼女を抑えつけたのだ。
 クラッカーの時とは比較にもならないほどの爆音が鼓膜を劈き、彼女は悲鳴をあげた。音が聞こえない。よろよろと立ち上がった彼女は、慌てて周囲を見回す。少女の姿は、すぐに見つかった。急いで駆けよれば、外傷はない。頭を強く打っているかもしれない―――不用意に動かすのは、不味いかもしれない。だが、寝転ぶ少女の顔は爆風に吹き飛ばされた割には穏やかだった。
 ほっとしながら顔を上げ―――彼女は見てしまった。
 もっと遠くに転がる人―――肉塊。一瞥して、もうダメだ、と思った。頭から出血していた。単なる出血などではない。明らかに、血以外のものが混じっていた。もっと白くてぷにぷにしてそうな―――。
 彼女は胃の中から内容物を吐き出した。咳き込みながら、彼女はもう一度その小さな肉の塊を視界の中央に捉えた。
 無傷の少女を胸に抱きながら、彼女はその物体に近寄る。
 まだ1歳かそこらほどしかない、小さな子供。その、死体だった。
 目の前で死んだ。呆気なく、容易く。
 金髪の少女が手を伸ばす。その先、遺骸と化したその人形(ひとがた)の側、煤けたクマのぬいぐるみが寄り添うように転がっていた。
 彼女は、この不意の戦闘に喜んだ。その戦い/殺し合いで、この少女はまるで子供に踏みつぶされる蟻のように、あっさりと〈間〉の存在から単一的個物へと流転した。意味などない。意味など付与しようがない。ただ目の前に現前している出来事は、全くもって不条理な現象であり、人間の限界を超えた出来事なのだ。それに、一体どうして言語的意味を付与し得ようか。
 少女が熊のぬいぐるみを抱き上げる。
 彼女は哭いた。ただ無力で、何もできない自分を責めるようにして―――。
 ※
 ごつん。
 額に感じた鈍痛で、フェニクスは目が覚めた。
 既に消灯時間は過ぎていたが、自分の執務室には、未だに煌々と明かりが燈っている。部屋中に満ち満ちた無機的等質的な光が少しだけ気まり悪かった。
 ひりひりとする頭を撫でる。後頭部の血管が詰まり、血液の靄が思考に立ち込めている。身を縮こめたまま全身に力を入れ、身体中でどろっとして停滞している血液を再び巡らせていく。それでも思考は漠としているし倦怠は身体にこびりついているが、業務に支障をきたすほどではない。
 それにしても夢など―――オフィスチェアに寄りかかり、目頭を片手で摘まむようにして抑える。
 既に14年前。多くの人はその出来事があったことすら、知りもしない。知っていても、ただの歴史的事実として了解されているだけだ。
 忘却された歴史。未だ、フェニクス・カルナップの痕跡は一年戦争の記録の断片に刻まれたままである。
 目頭から手を離し、脱力して天井を仰ぐ。
 趙琳霞。あの存在が、きっと時間の彼方に埋もれた記憶を掘り起こさせた。
 彼女の名前をぽつりと口にする。出会って数か月―――2か月。懇意にするほどに関わりを持ったわけでもない、ただあの時の記憶に触れた存在というだけの関わり合いと言ってもいい―――。
 視線を、なんとなく彷徨わせる。やや広い執務室にはテーブルを挟んで小さめのソファが向かい合うスペースがある。チェアを引き、立ち上がったフェニクスはデスクを回り、鈍い身体を引き摺りながらソファの側へと寄った。そのままソファには座らず、端に置かれた黒い塊を手に取る。
 その黒い塊の腋に手を入れ、腕を伸ばすようにして持ち上げる。プラスチックの、嫌にきらきらしたような目がフェニクスを見返してきた。
 あの時の少女はどうしているだろうか―――言葉には出さず、タスマニアデビルのぬいぐるみに声をかける。
 眼球の中の硝子体に輪郭を失った血塗れの少女と雪のような少女の幻影が重なり、フェニクスは咽喉を強張らせた。
 業務に戻ろう。軍務中でないとはいえ、途中で寝るなど気が緩んでいる証拠だ。
 凝り固まった首回りの筋肉を解きほぐすように首を回し、ぬいぐるみをソファに置こうとした時だった。
 部屋のインターフォンが安っぽい電子音を鳴らした。
 怪訝な顔をしながら振り返る―――こんな時間に誰だ、と思うのと、ドアの向こうから声が聞こえてきたのは同時だった。
「コクトー中佐だ。カルナップ大尉はいらっしゃるか?」
 一瞬ぽかんとする。その名前と声はフェニクスには予想外だった。
 慌ててドアの前に向かう。埋め込み式のタッチパネルに触れると、音も無く無機的なドアは横にスライドした。
 ドアの前に佇立していたガスパールは、人当たりの良さそうな顔をして敬礼した。
「夜分にすまないな、大尉」
「いえ、問題はありません」フェニクスも敬礼する。ガスパールが腕を降ろすのに合わせ、フェニクスも額に当てた手を降ろした。
 オペレーション:シャルル・ド・ゴールの際に、通常の機動打撃群とは編成が異なっていたのは一重に茨の園制圧後の当該宙域の長期的な保全のためと言って良い。ニューエドワーズは支援物資を輸送するための中継点となる拠点と定められているわけだが、それ以外にもローテーションを組んで茨の園を制圧する人員が体を休める場としても機能している。人間はそもそも重力下で活動する生物で、無重力での長期的な生活は極めて大きなストレスを齎す。茨の園自体も低酸素・低重力地であるため、体を休めるのには不向きなのだ。そこで、定期的な休憩も兼ねて機動打撃群の艦船が出向いては停泊しているのだ。確かに今はソウリュウとウォースパイトがニューエドワーズで身体を休めている筈だった。
「何分忙しくてな。この時間にしか暇がなかった」
 申し訳なさげに肩を竦める。中佐なのだから大尉でしかないフェニクスは命令されれば無理をせざるを得ないのだが、そういうところは誠実な男なのだ。生真面目で無骨そうな顔が、なんとなく、クレイの姿を想起させた。
「私も夜くらいしか時間がありませんから」
「そうか、お互い忙しい身だな」
 安堵を浮かべたガスパールを執務室に入れる。ガスパールがソファに座るのを端に見ながら、棚からカップとソーサーを取り出し、素早く紅茶を注ぐ。
 わざわざいいのに、と言いつつもカップに口を付ける。紅茶の熱を含んだ息を吐いたガスパールは、満足げにソファの背もたれに身体を預ける。
 「育ちが良いということかな」もう一度紅茶を口に含む。「大尉は紅茶を淹れるのが美味い」
「こんなことばかりが上手になってしまいますよ」苦笑いとともに肩を竦める。ソファに腰掛けたフェニクスも、その濃い琥珀色の液体を飲み込んだ。
「美徳さ。最近は下賤な趣味の人が多すぎる」
 ガスパールは穏やかな表情のままにカップをソーサーに置いた。
 カップに口を付けたまま、伺うようにガスパールの顔を一瞥する。
 エリート主義的、規範的。ガスパールはそういう男だった。ティターンズ時代、フェニクスを懇意にしたのはその出自にあるといってもいい。もちろん実力を伴わない高貴さに目をかけるような人間でも、ないのだが。
「カンザキ少尉とハイデガー少尉は大丈夫か?」
「ユートとクレイですか?」
 かちゃん、とカップにソーサーを置く甲高い音が耳朶を打つ。
「ご存知で?」
 「2人はそれなりに有名人だからな」ガスパールが足を組む。「初めての実戦だったのだろう? どれほど腕が良くても実戦に耐えうるかどうかは別問題だ」
 足を組んだまま、ガスパールの視線が白磁のカップを捉える。未だ琥珀の液が残っていて、無機的な白い光を反射していた。
 シミュレーターや模擬戦闘時のVIBSの性能の向上は、それこそほとんどリアルな戦闘と差異の無い演習を可能とした。以前まことしやかに語られた様な模擬戦と実戦の違いはほどんと解消されたといって間違いはない。死ぬ可能性という面でも、VIBSを使用しての市街地やデブリ密集地での高機動戦闘を行えば障害物に激突・死亡することは起こり得る。明確な違いなどない。ただ、深淵の絶壁がすぐ隣にぱっくり開いているか、遠くに存在しているかの違いに過ぎない。
 だが、確かにそれは差異なのだ。生命の途絶という可能性に耐えられる人間などいない。普段は目を逸らしているその可能性の最果てが間近に迫れば、不安定な基盤しか持ちえない人間存在は呆気なく軋み、拉げる。そして、砕ける。それは理性を持つが故に己の孤独を知ってしまった、人間という存在に潜む普遍的法則に他ならない。普遍的法則に例外は無い。どれほど優れた人間であろうと、死という無への還元の前には芥子粒と大差ないのだ。
 部隊長を預かる身として、部下のステータスには常に気を配っている。それこそ新人ともなれば細心の注意を払うものだ。
 神裂攸人は出撃前にこそ怯えを感じていたが、作戦が終わってみれば己が生きていたことを素直に喜び、殺人に対して敬虔な態度をとっている。端的に、上手く状況に適応できている。
 だがクレイはどうだろう。一時的な心的外傷による精神状態の不安定にこそ陥ったが、今となってはすっかり平時と同じ様子である―――外面上、は。
 完璧主義者というわけではないが、それに類する性格の持ち主であるだけに不安さはある。情欲やら快楽の過度な抑圧は人間にとって害悪でしかない。抑圧された感情は、解消されるのではなく無意識の領域に貯蔵されるのだ。
 
 だからといって―――フェニクスはカップの縁を指で撫でた―――人間のやることでは、ない。

「2人ともぴんぴんしてますよ。出来た奴らです」
 己の感じる不安を語るのは憚られた。単純な逃避でしかないその感情に自己嫌悪する。
 そうか、と肯いたガスパールの顔は、妙に安堵しているようだった。有名とはいえ、どうしてガスパールが気に掛けるのだろう―――?
「未来を担うのは彼らのような優秀な人間だ。善い人材はそれだけで人類にとっての資産だからな―――」
 ガスパールの顔はどこか明後日の虚空を―――ありもしない場所を向きながら、満足を漂わせていた。 
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