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機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
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12話

 L1ラグランジュポイント・パラオ近辺。
 度重なる負荷Gの圧。身に親しむ用在の感触に満足しながら、マクスウェルは巨人の胎の中で星海を泳いでいた。
 悪くない―――己が愛機となったMS-14J《リゲルグ》の感触を確かめつつ、デブリの中を俊敏でもって駆け抜けていく。
(コマンドポストよりヴォルフ01、ポイントE2、マイナス2.4を観測)
 ミノフスキー粒子の干渉を受けた雑音の多い無線の奥に渦巻くどよめきの声。多少の自尊を意識しながら、それでもマクスウェルという男は溺れることなく、鮮やかな青と赤に塗り染められた愛馬を強引に躾ける。
 至近に流れるデブリなどはいっそ加速のための踏み台にしてみせ、事もなげに障害物の群れの間隙を鋭角の軌道縫うようにしてルートをなぞる―――。
 MS-14の型番を見るまでもなく、《リゲルグ》はかの《ゲルググ》の改修機である。もともとジオン公国軍の次期主力機として開発された機体だ。汎用機として開発されたその由来通りに癖のない機体特性に、近代化改修によるセンサー類の刷新に高い主機出力の獲得、加えて出力に振り回されぬように慎重に調整されたバランス。機体の安定性は新人の高等練習機としては申し分ない。そればかりでなく、実戦用に改修すれば実戦にも十分耐えられる性能を有する《リゲルグ》は傑作機と呼ぶに足る機体だ。
 あと一か月早ければ―――そんな語り口で紹介される不運の名機MS-14《ゲルググ》の有用性は、10年を超える時代を超克し、実証されたのだ。
 MS、という機動兵器に対して特段思い入れのないマクスウェルだが、MS-14ナンバーを持つ機体だけは別だった。マクスウェルが初めて実戦をともにし、少ないながらもMSパイロットとして死線を共に潜り抜けた愛機の血統を持つ《リゲルグ》には、言い知れぬ親しみを感じていた。
(ヴォルフ01、ポイントE3クリア、マイナス―――)
 オペレーターの声を鼓膜の奥に響かせながら、普段寡黙なマクスウェルの口角は知らず上がっていた。
 ※
「良い機体でしょう、こいつは」
 見慣れぬ整備士が自身に満ち満ちた表情を向ける。初老にもなろうかという男の髪の毛には白いものが混じり始めていたが、がっちりとした体躯からは老いを感じられなかった。
 予想以上だった、と応じるマクスウェルの声も自然と声が大きくなる。
 マクスウェルと整備士が顔を上げる。
 ガントリーに窮屈そうに押し込められた訓練兵用の《リゲルグ》の峻烈な面持ちも、どこか満足げに見えるのは何も気のせいばかりというわけでもあるまい。
「隊長!」
 耳朶に触れる甲高い声。見知った少女の声に、振り返りながらマクスウェルは普段の鞘に納めた剣のように張りつめた雰囲気を感じさせない声色で応じた。
 栗色の健やかな髪を短く切りそろえながら、長く垂れたもみあげが、もう大人になり始めた彼女に幼さの残り香を纏わせていた。
 プルートは、普段見せない隊長の容貌に少し驚いた様子だったが、すぐに気を取り直して敬礼をした。
「いつものことだけど凄いよ!」
 敬礼を解きながら、顔を赤くしたプルートはつっかえつっかえといった様子でなんとか声を出した。
「こいつの性能の良さのお蔭だよ」
 あまりに顔を真っ赤にするプルートがつい面白く、笑みというより笑いながら顎をしゃくる。つられるようにして、厳かに佇む20mの巨人を束の間見上げると、プルートは、今度は委縮したように顔を青くしてしまった。
「本当に良かったの? 私なんかに……」
「俺は隊長だ。部下の命を預かるんだ。そのための最善の策だと思っている」
 ですが、と声を沈ませるプルートの肩に手を置く。ハッとしたように顔を上げたプルートは、それでもまだ困ったような、悩んでいるような目だ。
 それとも―――プルートの容貌から視線を上げ、その向こうに視線を投げた。
「シュティルナー少尉は《ドーベン・ウルフ》では物足りないかな?」
 わざとらしく、かしこまった声で言った。
 マクスウェルの視線の先には、いつもの格納庫ではなくパラオのがらんとした格納庫のガントリーに佇む、漆黒の孤狼が尊大な威容を湛えていた。
 さっと目を見開いた彼女は、ぶんぶんとちぎれんばかりに首を横に振った。
「そういうんじゃないよ! でも―――!」
「まぁそういうことだ。良い機体にのればそれだけ生存率は上がる」
「それは―――そうだけど!」
 プルートはなお食い下がる様子で声を張り上げた。
 随分と慕われたものだ。無口で不愛想な自分には勿体ない部下だ、と思いながら―――部下だからこそ、マクスウェルはいつもの凛然とした面持ちにした。
「シュティルナー少尉!」
 そこまで、強い声ではなかったが、通りのいい低い声は広々とした格納庫の中に強く響く。びくりと身体を震わせたプルートは、ほぼ条件反射的に背筋を伸ばした。
「単に戦力の平均化のためだけに機体の乗員配置を変えたわけじゃない。さっきも言ったが、俺はお前やエイリィの命を預かってるんだ。安っぽい感傷でやっていると思ってもらっては困るな」
 語気こそ荒くはないが、むしろ脳髄の奥に沈むようなマクスウェルの声は畏れを抱かせる。直立不動に身を固めたプルートの口元が幽かに震えた。彼女が何を思ったか、マクスウェルには知れぬことだが、濡れた深海の瞳の奥でぬらと蠢くものを確かに見て取った。プルート・シュティルナー―――『欠陥品』というスティグマを刻まれた彼女の、なんと生々しいことだろう。マクスウェルは自然と胸中がざわめくのを感じながらも、そんな感情は億尾も出さずに固い表情を保った。
 申し訳ありませんでした。先ほどと同じように―――違う。より固く、鋭い声で敬礼したプルートは敬礼を解くと、踵を返し、格納庫の出口へと歩を進める。
 短くまとめた彼女の髪がしゃんしゃんと上下に揺れていた。
「ずいぶんおモテになることで」
 整備士の男がにこりと笑う。部下なんだがな、と言いながら、マクスウェルもわざとらしく顔を険しくしてみせた後に、ぎこちない自嘲の笑みを浮かべた。
「未熟なものだ。あぁして部下の一人も不安にさせてしまう」
「いざ命のやり取りをする前に不安を取り除けることができるなら、それで十分ではありませんかな?」
「そうかな」
 そうですとも、と笑みを見せる男の顔には年長者としての落ち着きが満ちていた。それこそ一年戦争から、何人ものパイロットたちと語り合ってきたのであろう男であるからこその声色の安心感に、多少ばかりの安堵と、己の未熟を感じたマクスウェルは、小さくなっていくプルートの後ろ姿を眺めやった。
「ところで、こいつの色はどうしますかね?」
 老いた整備兵が顧望する。こいつ呼ばわりされた豚鼻の駿馬を、ともに振り返る。
 鮮やかな青と、目がちかちかするほどの赤のラインは訓練兵用にと目立つカラーリングに施されているのだ。
 新米の色を預かるほどでもありますまい、という意なのだろう。
「どうします? 大尉ほどの腕があるなら派手な色でも塗って」
「派手な色、か」
 ええ、そうですとも。そう頷く男の笑みは、年相応に落ち着いていた。
 派手な色、と聞いてマクスウェルが思ったのは真紅と白。あるいは黒だった。どれもが燦然と輝く綺羅星のごときエースと共に語られる、誉れの代名詞だ。自分にその下に続くだけの技量があるとはどうにも想像し難いこともあって、整備兵の言葉に素直に頷けなかった。
「有難い話だがやめておこう。何分思い上がりが強い質なものでな、専用色なんかがあると却って慢心してしまいそうだ」
「随分と謙虚なようで」
「部下を預かる身なのでな」
 なるほど、と整備兵がプルートを思い出すように、背後に一瞥をくれる。
「その代わり、と言ってはなんなのだが、A型の《ゲルググ》の配色にしてくれるか?」
「A型? ええ、もちろん良いですが。灰色と緑色のあれ、ですよね」
「あぁ。初めて乗った機体が《ゲルググ》だったものでな」
 初心を忘れるなかれ。どの学問、あるいはスポーツ、武道であっても語られる言葉だ。「次の任務」へ向けて、というマクスウェルのささやかな意気込みを感じたのか、整備兵は力強く頷くと、心強い笑みを浮かべた。
「といっても流石にオリジナルの配色は難しいでしょうかね。似たような雰囲気にぐらいにしか再現できませんが……」
「構わないよ。わざわざ特別に用意してもらうほどのものでもない」
「次の任務には間に合わせます」
 返事をしたマクスウェルは、束の間よぎった「次の任務」という言葉に身を固くした。
 眼前のガントリーに悠然と佇立する《リゲルグ》の冥い瞳が、どことも知れない場所を眺めていた。 
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