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異界の王女と人狼の騎士

作者:のべら
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第二十五話

 少しの間、ぼーっとしていた。
 外は青空。ちいさな雲が風に流されてゆっくりと動いていく。
 なんだかだるいな……。穏やかな天気に凄く嫌な気分のまま授業を受けるのがなんだか嫌になってきた。とりあえず授業をサボろうか……。あの悪夢をまき散らす寄生根が誰か取憑くかも知れない状態の時に、チンタラ授業なんて受けていられない。
 考えることがあまりに多すぎて何もまとまらないまま、階段を下りていく。
 
 階段の下から音が聞こえてくる。壁に反響しその声は一際大きく聞こえてきた。
 声の主がすぐにわかった。
 ……漆多伊吹の声だ。声というより叫び、いや怒鳴り声といってもいいくらいだ。いやに激高しているように聞こえてくる。そして他の男子生徒の怒鳴り声も聞こえる。
 何かトラブルが発生しているようだ。慌てて俺は階段を駆け下りる。

 階段の踊り場で漆多達がいるのが見えた。
 顔を真っ赤にした漆多が一人の男子生徒の胸ぐらを掴み、今にも殴りかかろうという勢いで壁に押しつけていた。
 周りには数人の男子生徒が少し離れて輪を作るような感じで取り巻いている。
 階段を駆け下りる足が止まってしまう。
 漆多が胸ぐらを掴んでいる奴と周りの連中を見て俺は気分が滅入るのを感じた。
 蛭町 時優(ひるまち じゆう)。
 クラスは別だけど有名な奴だ。それは悪い意味でだ。
 教員と一部の生徒の間でコイツほど評価の異なる人間はいない。ルックスはそこそこ良いし、成績もそこそこだし人当たりも結構良い。教員のいうことをよく理解して行動できるし、世話好きで嫌な仕事とかも進んでやるタイプ。それが教員と大多数の生徒の彼に対する評価だ。しかし、俺は知っている。この男の二面性を。
 如月流星を徹底的にいじめ抜いたあのクラスのリーダー格の奴が蛭町なんだ。しかしそれはいじめの事実と一緒に巧妙に隠蔽されていたということをどれほどの生徒が知っていたんだろう。実にうまくクラスの生徒達の共犯意識をあおり、連帯の名の下に如月をなぶりものにしていたんだ。
 とはいっても俺がそれを知ったんだってごく最近のことで、蛭町って奴が首謀者だとは思ってもいなかった。
 できることならコイツとその仲間に関わりたくはない。関わっても決して良いことはない。恐らく何らかのトラブルに巻き込まれる事になるだろう。
 しかし、今、そんなヤバイ奴と関わろうとしている漆多を止めないといけない。それが最優先。
 俺は階段を下りようとする。
「てめぇ、もう一回言ってみろ。何ウソ言ってるんだ! ぶっ殺すぞ」
 胸ぐらを掴んだ腕に力を入れ、漆多が激高している。
 普段は温厚なあいつがここまでキレているのは見たことがない。
 あまりの迫力にまわりも唖然となる。
 それでも蛭町はどういうわけか余裕たっぷりの顔をしてむしろヘラヘラ笑っている。その影響か仲間の連中も緊張感欠如といった感じで傍観しているようだ。。
「漆多、何をそんなに怒ってるんだい。僕はただ【聞いた話】を言ってただけだよ。……日向さんは廃校舎の三階で全裸で死んでいたんだって。そして如月君もおなじく全裸で発見されたらしいよ。それだけでわかるじゃない。そもそも廃校舎がウチの生徒達にどういう利用をされていたかを君も知らない訳じゃないだろう? だったら僕の聞いた事実から想像できるのは一つしかない。あいつらはやってたって。ふふん。いやらしいよね。まあそんな最中に火事に巻き込まれたらたまんないだろうけど。……まあ如月君は満足か? 日向さんは美人だったからね。俺もお世話になりたかったくらいだよ。ヒヒ」
 その刹那、漆多の右拳が蛭町の顔面にめり込んでいた。そしてそのままもみ合いとなる。奇声を上げながら一方的に漆多が殴る。
 蛭町は必死に防御を取っているように見える。仲間の連中もこの期に及んでもどういうわけか傍観しているだけだ。みんな口元に冷笑を浮かべているだけだ。それはなにか不気味に思えた。こいつら何を考えている。
 こいつら結構喧嘩早い連中ばっかりだったはずなのにどうしたんだ?
 奥から怒鳴り声が聞こえ、数人の教員が走ってきた。
「お前らなにやってんだ! 」
 馬乗りになっている漆多を取り押さえ、二人を強引に引きはがす。
 別の教員に介抱されている蛭町は教員の問いかけに頷いている。両方の鼻の穴からは血が流れ落ち、唇も切っているようだ。それでもその顔は何故か不敵な笑みをたたえている。
 俺はどういう訳か寒気がした。
「とにかく、漆多と蛭町、職員室へ来い!! 」
 教員達に促され、彼らと取り巻き連中は職員室へと歩いていったんだ。
 結局、俺は漆多を助けることも加勢することも何もできずに見ているだけだった。

 しばらくして、教室に漆多が帰ってきた。
 異常なほど憔悴した漆多がそこにいたんだ。
 思い詰めたような表情でどこか心ここにあらずといった感じで、フラフラ歩いている。
 喧嘩をしたことでこっぴどく叱られたのかもしれない。
 そして彼はぐったりとした歩調で歩き、崩れるような感じで席に着いた。
 俺はあいつに何かを話そうとして近づく。
 様子を見た紫音も心配そうな表情を浮かべながら来た。
「大丈夫、漆多君……」
 何も話せない俺の代わりに話しかける紫音。
 俺はというと何もできずに彼女の後ろに隠れるように立っているだけだ。
 空ろな眼で俺たちを見る漆多。
「ああ、柳か。スマン。心配してくれてありがとう。俺は大丈夫だ。サンキュ……」と消え入りそうな声で答えるだけだ。
「漆多……」
 と、それだけ言っただけで次の言葉が出てこない。
「月人か……。寧々が死んじゃったよんだ。俺、俺どうしたらいいんだ? 月人、教えてくれよ。何で何で、あいつはあんなところにいたんだ? 何で如月もそこにいたんだ……よぅ? 」
 漆多は寧々と如月の関係を疑っているんだ。死んでしまった彼女への切ない思いと、裏切られたような黒い疑惑。その二つの思いの間で苛まれているんだろう。きっと苦しいだろう。

【裏切られたと思っているのか? そうだよ。お前は裏切られている。恋人の日向寧々に。でもそれだけじゃないんだぜ。お前の親友の月人柊にも裏切られているんだよ。日向寧々の逢い引きの相手は如月じゃなく、俺なんだぜ。ウヒャヒャヒャ!!】 
 どす黒い想いが俺の心で蠢く。……なんだこれは。俺が俺じゃない感情が心の底の底の遙か底にあるような感じ。それを覗いてみようとするが、それは高所恐怖症の人間が高層ビルの屋上から地上を見下ろそうとする感覚に似ている。とてもできやしない。

 俺は彼の質問に答えることができなかった。本当の事を俺は知っている。そのことを話せば、漆多の寧々と如月の関係への疑惑は晴れるだろう。でも俺と寧々が一緒にいた事がばれてしまう。……親友への裏切りを俺は告白することができなかったんだ。
 本当の事を知ること、それはむしろ漆多に辛い思いをさせるだけだ。知らない方が良いこともあるんだ。
 俺と寧々が漆多に隠れて浮気をしていて、その最中に寄生根に乗っ取られた如月が現れた。そして寧々をレイプし殺害した。俺も半殺しにされたけど危機一髪逆に如月を撃退した。こんな事が信じられるというのか。
「月人、お前は寧々と如月が付き合っていたって知っていたのか? 」
 動揺を悟られぬよう平静さを保とうとする。
「いや、知らないよ。……っていうか、そんなことってあるわけないだろう? 何かの間違いに違いだ。だってお前と付き合い始めたばっかりじゃないか、日向は」
「当然俺だってウソだと思っている。でも、あいつらが、蛭町君達が言っていた事は本当らしいんだ……。あの廃校舎に二人がいたのは間違いがない。二人が裸で発見されたのも本当だったんだ」
 苦しそうに漆多がうめく。彼の言葉に若干の違和感を感じながらも、語られる事実に耳を傾けている。
「でも、二人がそんな仲だったって決まった訳じゃない」
「だったら! だったらなんであんなところに寧々がいたんだよ。なんで裸なんだよ。お前だって知ってるだろ。あの校舎がラブホ代わりに生徒達が使っていたったことくらい。それに立ち入り禁止エリアになってるんだぜ。一体、何の用事があって放課後に行かないといけないんだよ。……それに寧々と如月以外には誰も見つかっていないんだ。だから寧々の相手は如月以外あり得ないんだ」 
 それ以上は俺は何の反論もできなかった。事実と異なることを知っているのは俺だけなんだから。
 警察は被害者のプライバシーに関わることだから何も言わない。でも事件としては捜査するだろう。二人の死に方が普通じゃないからだ。
「スマン、お前にあたっても仕方ないよな。今日はもう俺は帰るよ……とてもじゃないけど授業なんて受けていられないや」
 肩を落として漆多は教室を出て行った。
 その寂しそうな後ろ姿にかける言葉が浮かばなかったんだ。
 俺の心は罪悪感で満たされていた。不貞を知られたくないために本当のことを語ることができなかった。本当の親友だと思ってくれている奴に対してだ。本当の事を言ってしまったら更に親友を苦しめることになるから……それが理由だ。そしてそのために日向寧々の名誉が傷つけられているということを知っているのに、俺は何も言えないんだ。
 命の危機にあった寧々を守れずに死なせてしまい、さらにその死後、彼女の名誉まで傷つけている。本当に最低だ……俺は。ただ、ただ俺は我が身が可愛いだけなんだ。だから何も言えないんだ。何かと屁理屈をこねくり回して自己保身に奔走する糞みたいな男なんだ。
 わかっている。それが最低なことを。親友にとるべき態度じゃないことも。わかっているけど何もできないんだ。
 してはならないことをしてしまう事と成すべき事をしない事のどちらが罪が重いのか? 何処かで聞いたせりふが俺の頭の中を浸食する。
 
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