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黒魔術師松本沙耶香 毒婦篇

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16部分:第十六章


第十六章

「今はね」
「蟹は嫌いなのかしら」
「いえ、違うわ」
 そうではないと言う。
「ただ。普通の食べ物では駄目だから」
「そうなの」
 沙耶香はその言葉でおおよそのことを察した。彼女のことを。
「そうなのね。だから」
「詳しい話は後でね」
 そうして沙耶香にこう言ってきた。
「それでいいわね」
「ええ。私もその方が都合がいいわ」
 沙耶香もその言葉に応える。やはりここでも妖鈴と同じ笑顔であった。
「ゆっくりとね。ベッドの中で」
「ええ、ゆっくりと」
 二人の言葉が混ざり合う。既に言葉は完全に混ざり合っていた。
「話してあげるわ」
「それじゃあその前に」
 グラスを手に持つ。すると妖しい鈴の目の前に置かれていたボトルが自然に浮かんで動く。そうしてグラスの中に酒を注ぎ込むのであった。杏色の麗しい色の酒を。
「食べさせてもらうわ」
「そうした術も使えるのね」
「余興よ」
 素っ気無い言葉で返す。
「この程度はね」
「そう、この程度なの」
「私にとってはそうよ」
 余裕の笑みを妖鈴にかける。
「貴女もそうではなくて?」
「使えないことはないわ」
 妖鈴もそれは否定しない。
「けれど。得意ではないわ」
「そうなの」
「ええ。私はやはり」
「それから先はベッドの中でだったのではないかしら」
「ふふふ、言うわね」
「余計なことはいつも覚えているのよ」
 その切れ長の目をさらに細めさせて笑ってみせてきた。やはりここでもそのブラックルビーの目が妖しく光っている。それは魔界の光であった。
「いつもね。肝心なことは全くだけれど」
「肝心なこととは。何かしら」
「常識やルールの類よ」
 また笑って述べる。
「昔から言われてきたわ。そうしたものはないって」
「それじゃあ気にすることはないわね」
 妖鈴はそれを聞いて何だといった感じで言葉を返すだけであった。
「そんなものを知っていても何にもなりはしないから」
「言うわね、また」
「貴女にとっても私にとってもそうではなくて?」
 妖鈴もまた言うのだった。やはりその目に魔界の光をたたえて。
「そうしたものとは関係ない世界に住んでいるのだから」
「そうね。確かに」
 その酒を飲んでから応える。残るはデザートだけであった。
「じゃあそれは必要のないものね」
「女を抱くのと表の掟、どちらがいいかしら」
「答えるまでもないわ」
 沙耶香にとっても妖鈴にとってもそうであった。
「そんなものは」
「そうね。ところでどうだったかしら」
「今度は何かしら」
「この店の料理は」
 彼女が真のオーナーを務めている店だ。だからこそ問うたのである。
「素材も料理人も厳選したものだけれど」
「私は味には五月蝿くて」
 沙耶香は彼女にまずはこう答えてきた。
「そうしたものを楽しむ主義なのよ」
「そうした貴女から見てどうだったかしら」
「絶品ね」
 一言で評する。
「おかげで満足させてもらったわ」
「そう、その言葉心に留めておくわ」
 妖鈴は今の沙耶香の評価に口元を緩ませた。
「店の者にも伝えておくわ。限られた人間しか私の存在は知らないけれどね」
「貴女の存在をね」
「ええ、私は闇に咲く花」
 その闇の笑みで述べる。
「だから。それもまた当然のことよ」
「闇の花を愛でるのは限られた存在だけね」
「見るだけでなく愛するのは」
 また妖鈴は言う。
「さらに限られているけれどね」
「そして私は」
「ええ、特別にね」
 沙耶香の顔を見て笑う。もう睦言ははじまっていると言えた。
「私と寝られるのよ」
「それは特別なのね」
「その女と寝られるということはそれだけで最高の幸せだ」
 ふと何処かの哲学者が言うような言葉を口にする。それは中国というよりはフランスめいているがそれでもこの魔都には妙に似合っていた。
「誰かの言葉よ」
「知らないわね」
 沙耶香はうっすらと笑ってこう言葉を返した。
「そんな言葉は」
「そうなの」
「私は美しい女性なら、自分の気に入った女性なら」
 ふとした弾みの様に語るのであった。
「誰でもいいわ。気に入ったのならね」
「なら私はどうかしら」
「花は好きよ」
 答えずに花を出すのであった。
「黒い花もね」
「言うわね。それじゃあ」
「ええ。丁度食べ終わったし」
 見ればその通りであった。沙耶香は遂に酒も料理も全て食べ終えたのだ。かなりの健啖家であるがそれを全く意に介していないようである。
「行きましょう。場所は」
「ホテルを知っているわ」
 妖鈴から場所を言ってきた。
「というか。楼だけれどね」
「またそれは風情があるわね」
「楼は好きかしら」
「嫌いじゃないわ」
 沙耶香は笑ったまま答える。彼女は特に中国文化に耽溺しているというわけではない。だがそれでもその美を見る目はあるのである。だからこそ断りはしなかったのだ。
「むしろ。そこで二人で過ごすというのは」
「いいものだと思うけれど」
「そうね。その通りよ」
 また笑って妖鈴に答える。
「それじゃあ今から」
「ええ。一夜だけだけれど楽しい夜も」
 二人はこう言い合って店を後にした。そうして青い屋根の紅の楼閣において一夜を過ごした。中華風の白いシーツと赤い装飾のベッドの中に沙耶香はいた。その横には妖鈴もいる。
 沙耶香は今は髪を解いてはいなかった。上にあげたままである。スーツは脱ぎネクタイも外している。白いブラウスはボタンを全て外しており白く大きな胸をはだけさせてベッドの中にいた。隣に寝ている妖鈴は全裸だ。二人はそこで並んで寝ているのであった。
 先に声をかけたのは沙耶香であった。彼女は目だけを妖鈴に向けて問うた。
「それでね」
「何かしら」
「お店での話のことだけれど」
「ええ、それね」
 妖鈴もそれを問われることがわかっていた。だからごく自然に言葉を返すのであった。
「私のことよね」
「そうよ。色々と聞きたいことがあるわ」 
 目だけを向けたまま妖鈴に問う。
「どうしてこの街にいるのか。そして」
「話すわ。貴女には」
「それは私とこうして寝たからかしら」
「それもあるわ」
 それは認める。しかしであった。
「けれど。それだけじゃないわ」
「というと何かしら」 
 その言葉を受けてまた問う。
「貴女はいずれ私の中でだけ生きることになるから」
 沙耶香に顔を向けて妖艶に笑ってきた。
 
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