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黒魔術師松本沙耶香 毒婦篇

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14部分:第十四章


第十四章

「倒せるのは。それか」
「速水さんですか」
「彼には声をかけなかったのかしら」
 今度はそれを問う。速水の実力を知っているからこその問いであった。
「既にあの方は他の仕事に出ておられまして」
「捕まらなかったのね」
「時として御二人で仕事をされることもあるそうで」
「ええ。色々な縁でね」
 それを認めて頷く。
「その機会も多いわ」
「今回はその縁がなかったということですか」
「そういうことになるわ。けれどそれならそれでいいわ」
 それに構う沙耶香ではなかった。ここでも悠然と言葉を述べる。男の後ろにある海と上海の高層ビル群をちらりと眺めて。また言うのであった。
「一人で。充分だから」
「それは自信ですね」
「そうよ。今迄私が倒せなかったり退けなかった相手はいないわ」
 彼女の覚えている限りそうであった。だからこその自信であった。
「だから。安心していいわ」
「では地獄でそれを見守ります」
 男はそこまで聞いて顔に微笑みを浮かべさせた。
「まだ判決まで向かっているところでしょうが」
「安心していいわ。すぐに彼女もそちらに行くから」
「はい、それを楽しみにしています」
 その言葉を聞いて微笑む。
「おそらく間も無く本人が貴女の前に出て来るでしょうが」
「それを伝えに来たのかしら」
「本来はそうでした」
 沙耶香の問いにこくりと頷く。
「それが果たされて何よりです。それでは」
「武運を祈るとは言えないわね」
 ここでそれは否定して妖艶に笑うのであった。
「私は武は使わないから」
「そうですね。それでは幸運をお祈りします」
「ええ。私にとって幸運は常にあるもの」
 沙耶香はその言葉を受けて妖艶な笑みのまま述べる。
「それは何故かわかるかしら」
「何故ですか?」
「私にはスポンサーがいるからよ」
 これが沙耶香の答えであった。
「死神という最高のスポンサーがね。これでわかったわね」
「はい。それでは死神のもたらす幸運がありますように」
「ええ。それじゃあ最後に」
 ここで右手に何かを出してきた。それは深紅の一輪の椿であった。
「あげるわ、これを」
「椿ですか」
「何を出そうかと思ったけれどこれにしたわ」
 その手の中に出した椿をいとおしげに眺めながら述べる。
「それでいいかしら」
「有り難いです、椿は好きな花でして」
 にこりと笑って沙耶香に言葉を返した。
「最後にこれをいただけるとは」
「よかったら解毒剤もあるけれど」
「残念ですが生半可なそういったものは」
「そう。効かないのね」
「だからこそ恐ろしい女なのです」
 その微笑みが何かを笑ったものになる。その対象が彼女なのか彼女にやられた自分自身なのかはわからない。だがそうした笑みを浮かべたのは事実であった。
「ですが。貴女は」
「ええ、仕事だからね」
 また煙草を口にやって応える。
「それは任せておいて」
「それでは。私はこれで」
「そのまま行くのかしら」
 一礼して姿を消そうとする男に対して問うた。
「椿だけで本当にいいのね」
「何分欲がない性格でした」
 しかし沙耶香の問いに穏やかに笑ってこう述べるだけであった。
「それで結構です」
「そう。そちらの世界にいるにしては珍しいわね」
「それで今まで生きてこられました。今までは」
「ええ。そういうことね」
「はい、それではこれで」
 最後にまた一礼して姿を消す。だが最後に一言沙耶香に対して言葉を置いていった。
「最後のお別れを」
「また。生まれ変わってね」
 沙耶香は自分の前から姿を消してそのまま死の世界に向かう男に最後の言葉を贈った。結局彼女が彼の最期に贈ったものは椿とこの言葉であった。しかしそれが男にとっては最高の贈り物となったのであった。沙耶香はそれを感じてまずは満足していた。
 満足しながら上海の空と海、高層ビルを眺める。青と白の世界がそこにある。それ自体は美麗と言ってもよかった。清らかな二色の世界だ。しかし沙耶香が見ているそこには微妙に黒いものが全体にかかっていた。しかし彼女はその黒を平然と受け入れていたのであった。
「黒があるのならそれはそれで構わないわ」
 風を右から感じ煙草を咥えながら呟く。
「ならその黒を消し去ればいいだけだから」
 そう言いながら煙草を吸い上海を眺めていた。これから起こる出来事に彼女なりに思いを馳せながら。今は煙草と景色を楽しむのであった。
 その日の昼はまたしてもレストランに入った。観光のガイドブックでもよく紹介されている有名な店である。彼女はそこを選んであえて入ったのである。お目当ては上海料理である。
「いらっしゃいませ」
「席は空いているかしら」
 出迎えてきた白い中華服の店員に対して問う。若く奇麗な娘であった。チャイナドレスだが下には黒いズボンを穿いている。これがまた非常に中国的であった。
「どのようなお席ですか?」
「そうね。店の奥がいいわ」
 その時の気分で述べる。
「それでいいかしら」
「わかりました。ところで」
「何かしら」 
 沙耶香は自分に問うてきた店員の言葉に応える。
「お客様は御予約はされていませんね」
「ええ、それはしない主義なの」
 うっすらと笑って店員に答える。
「空いていなかったらそれでいいけれど」
「左様ですか。幸いにして」
「空いているね」
「はい、どうぞこちらへ」
 彼女が案内役をする。そうして清代を思わせる内装の店内を進みながら店の奥に入る。そこは特別にしつらえたと思われる一室であった。沙耶香が案内されたのはその部屋であった。
 
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