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黒魔術師松本沙耶香 仮面篇

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12部分:第十二章


第十二章

「この方は信頼していいわ」
「そうなのですか」
「ニューヨークでも腕利きの探偵だから」
「ニューヨークで」
 シエナはそう言われて顔を真剣なものにさせる。信頼しているマネージャーから言われたことなので信用していた。それは顔にもはっきりと出ていた。
「そう。だから安心して」
「貴女がそう言うのなら」
 信頼を言葉にも出してきた。
「それじゃあ。それにしても」
「この街を甘く見ては駄目よ」
 沙耶香はそうシエナに対して述べた。
「様々な人間が生きているのだから」
「それはわかっているつもりだけれど」
「どうかしら」
 シエナのその言葉にはあえて懐疑の色を見せてきた。
「イタリアとはまた違うのよ。ここは夜もまた濃い街」
「夜も」
「ええ。その夜の住人達にも注意しないといけないのよ」
「マフィア!?それなら」
 シエナの故郷ではマフィアだのカモラだのそうした所謂犯罪組織が幅を利かしている。マフィアはシチリア、カモラはナポリを本拠地としている。どちらもあまりにも根強く勢力を張っていて警察も迂闊に手出しができない。アメリカにも彼等は進出して一つの勢力となっているのだ。
「別に。関わりもないし」
「残念だけれどマフィアとかじゃないわ」
 やはり沙耶香はそれをすぐに否定した。
「そんなものじゃね」
「では一体」
「詳しく言うことはできないわ」
 あえて言わない。そこに真意があるから。
「秘密にさせてもらうわ」
「どうしてもですか」
「ええ。それに」
「それに?」
「今夜だけよ」
 少なくとも沙耶香は話を長引かせるつもりはなかった。これは僅かに出した彼女の本心であったのだ。
「貴女は明日になればこの街を一旦離れるのだったわね」
「ええ」
 シエナはその言葉に答えた。
「次はパリと契約しているから」
「バスティーユだったわね」
 パリにある歌劇場の一つだ。パリ市民の誇りの場所の一つでもある。
「次は」
「ええ、そうよ。よく知っているわね」
「これでも貴女のファンだから」
 目を細めさせて笑った。妖しい光がそこから放たれる。
「調べてはいるわ」
「そうだったの。確か日本の方だったわね」
「そうよ」
 シエナのその言葉に答える。
「それじゃあ日本に来た時は」
「今年だったわね」
 それはもう知っていた。だから今も笑っているのだ。
「楽しみにしているわ」
「今度はチェネレントラだけれど」
 これもまたロッシーニのオペラである。童話のシンデレラをオペラにしたものだ。喜劇であり底抜けの明るさの中に深い叡智がある作品である。
「どうかしら」
「いいわね。ただ」
「ただ?」
 ここで沙耶香はそれなりのオペラ通ぶりを見せるのだった。
「セリアはないのかしら。そろもそろ」
「セリアね」
「ええ」
 十九世紀前半のオペラには大まかに分けて二種類存在する。喜劇であるオペラ=ブッフォとシリアスであるオペラ=セリアである。ロッシーニはこちらでも有名なのだ。こちらの代表作ではタンクレーディやセミラーミデがある。こちらも名作だと好評である。
「そちらは歌わないの?」
「そちらもそろそろね」
 シエナは真剣な面持ちで答えてきた。
「挑戦させてもらうわ。まずはセミラーミデ」
「いきなり難役ね」
「そうね。けれど自信はあるわ」
 余裕に満ちた笑みを見せてきた。
「しっかりとね」
「そう。じゃあそちらも期待させてもらうわ」
 沙耶香は期待する笑みを見せてそれに応えた。
「楽しみにね」
「それで。今日はこのまま帰るのだけれど」
「ええ。わかったわ」
 それに応えると共に何かを出してきた。それは。
「ワイン?」
「ええ。一本差し上げるわ」
 先程ボーイに言っていたワインだ。それを今出してきたのである。
「如何かしら」
「有り難う。それじゃあ頂くわ」
「コルクは外していないから」
 その切れ長の目をさらに細めさせて述べる。
「それは安心して」
「わかったわ。じゃあ部屋に帰ったら」
「泊まっているのはこの辺りかしら」
「今日は場所を変えてみたの」
 くすりと笑って沙耶香に告げる。
「少しね。車でそこまで御一緒願えるかしら」
「それが仕事なのだしね」
 目を細めさせたまま言う。その顔は何処か人間のものから外れていた。闇の中に浮か幻想の中に生きている妖精達の様であった。例えて言うならば闇に咲く花の精であろうか。
「では御一緒に」
「あの」
 マネージャーが沙耶香に声をかけてきた。
「シエナは。その」
「わかってるわ」
 マネージャーに顔を向けて細めさせた目で見る。その目の光は妖しいまでに輝く黒い目であった。その目でマネージャーの心の中まで読んでいたのだ。
「貴女がそう言うのなら」
「御願いします」
「?何かあるのかしら」
 事情を知らない沙耶香は目を少ししばたかせて二人に問うた。
「いえ、別に」
 だが沙耶香は同じ笑みでシエナに返事を返すだけであった。
「何もないから。安心して」
「そう。それじゃあこのワインは」
「是非飲んで。アメリカのワインだけれど」
「アメリカのワインね」
「嫌いかしら」
 それをシエナに問う。ここでの答えは沙耶香にとてはどうでもいいものであった。
「いえ、別に」
「そう」
 だからそれ程感情を込めていない対応を見せた。
「だったらいいわ」
「やっぱりイタリアのワインが一番好きだけれど」
「そう言うと思ったわ」
 やはり祖国のワインということだった。ルチアーノ=パヴァロッティもいつも故郷モデナのワインを飲んでいた。ランブルスコという発泡性のかなり甘いワインである。日本においてもかなり安い値段で飲まれるワインである。文句なしに美味いワインだ。
「イタリア人らしいわね」
「貴女は。アジア系のようだけれど」
「日本よ」
 沙耶香は正直に国籍を答えた。
 
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