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武后の罠

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3部分:第三章


第三章

「皇后様は。あくまで正しき御方」
「先帝が選ばれた方ですぞ」
「父上がか」
「ならば間違いはありませぬ」
「先帝の果たされたことを思えば」
 太宗は今に至るも名君として知られている。この唐王朝を築き基礎を固めたと言っても過言ではない。その彼の名が出されたのだ。
「間違いがあるでしょうか」
「ですから」
「それはそうだが」
「それにです」
 勢いをなくした高宗に対して二人はさらに言うのだった。
「先帝はさらに仰いました」
「何とだ?」
「昭儀様のことです」
 強張った顔になった高宗に対してさらに述べる二人であった。
「あの方は危険な御方」
「花の顔をしていますがその御心は虎狼のもの」
 二人は言う。
「先帝はそう仰りあの方を退けておられました」
「宮中においても」
 実は昭儀は最初は太宗の宮中にいたのだ。だが太宗は彼女の動きを見てすぐにその危険な性質を見抜いたのだ。この辺りは流石であると言えた。
「ですから陛下、ここは」
「皇后様ではなく昭儀様を」
「待て」
 高宗はここでは二人を制するに留めたのだった。
「今は考える」
「考えられるというのですか」
「そうだ。次に会うまでに断を下す」
 こう告げたのであった。
「それまで待て。よいな」
「はっ、それでは」
「聖断をお待ちしております」
 二人はこう応えて引き下がった。しかしこの動きはすぐに他ならぬ昭儀の耳に入った。朝廷においても彼女の目と耳は存在していたのだ。
 彼女はすぐに行動に移った。高宗の前に出て泣き崩れた。そうして言うのだった。
「私は、私は」
「どうしたのだ?昭儀よ」
「ただ悲しいのです」
 泣き崩れながらの言葉であった。
「陛下と私の娘があの様な形で殺されたのが」
「殺されたのが」
「誰が殺したのでしょう」
 あえて殺したと言った。これは高宗の心にまで入った。
「どうして。この様な」
「それは」
「聞きました」
 さらに言葉を続ける。やはり泣き伏しながら。
「私を疑っている方がおられるのですね」
「それは」
「違うのですか?」
「おらぬ」
 完全に昭儀に魅せられていた高宗ははっきりと答えたのだった。
「その様な者はおらぬ」
「いないのですね」
「いる筈がない」
 無忌と遂良の言葉を完全に否定してしまった。
「若しいれば」
「いれば?」
「朕が許さぬ」
 答えながら心は自然と二人の重臣達への怒りに変わっていた。
「断じてな」
「本当でございますね」
「朕は何だ」
 彼はあえて強さを見せた。実は彼は父である太宗と比べて柔弱な人物であると評されていた。そのことがコンプレックスとさえなっていたのだ。
「何だ。答えてみよ」
「皇帝陛下でございます」
 昭儀は顔を上げて答えた。その目は涙に濡れている。
「この唐の」
「そうだ。地を統べる唐のだ」
 中国の王朝は世界の統治者であると考えられていた。このことが彼の誇りだったのだ。コンプレックスと裏返しであるだけに複雑である。
「皇帝であるな」
「その通りです」
「その誇りにかけて嘘は言わぬ」
 誇りを柱にしたのであった。
「断じてな。だからこそ」
「私を護って下さるのですか」
「どうして昭儀を見捨てることがあろう」
 またしても言ってしまった。言葉は心に刻み込まれる。
「その朕が」
「それでは陛下」
「うむ」
 昭儀を完全に信頼して頷くのだった。
「朕がついておる。何も心配することはない」
「有り難き御言葉」
「誰が何と言おうとだ」
 これで二人の重臣の運命は決まってしまったと言えた。そして二人が擁護する二人の后の命運もまた。
「朕がおる。安心せよ」
「はい・・・・・・」
 高宗はこの時気付いてはいなかった。昭儀の目は確かに涙を流してはいたが目は赤くはなっていなかった。そして顔も崩れてはいなかった。それどころか口元には最後にじっとする笑みさえ浮かんでいたことに。彼は全く気付いていなかったのであった。
 
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