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三笠

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5部分:第五章


第五章

「この船がな。わかってくれるかの」
「はい」
 保次郎はまた老人の言葉に頷いた。
「そういうことなんですね」
「左様。ではわかってくれたのならいい」
「有り難うございます。それで」
 今度は保次郎から老人に声をかけた。
「この船はこのままずっとここにいてくれてるんですね」
「皆が望む限りな」
 そう保次郎に答えるのだった。
「ずっとな。おるよ」
「そうですか。ずっとですか」
「この船は日本と共にあった」
 日露戦争の後大正になり昭和になり。戦乱や混乱もあったがそれでもここに留まり続けた。そのまま日本の歴史の一つになっているのだ。
「それはこれからもじゃ」
「僕達がこの船を知っている限り」
「この船だけではない」
 これはすぐに老人によって訂正された。
「歴史を知っている限り。だから」
「はい」
 今度はすぐにわかった。今何を言うべきか。
「学んでいきます。日本のことを」
「当時の日本だけでなくな。皆必死じゃったということを」
「そうですよね。それを忘れません」
「頼むぞ。わしはもう何もできんが」
 今浮かべた笑みもまた暖かい笑みであった。何もできないとはいっても寂しいものではなかった。実に暖かいものであった。
「それでも。見ているからな」
「見ていて下さい。それできっと」
「日本をな」
「任せて下さい」
「その一言が欲しいのじゃよ」
 この言葉こそが彼が望んでいるものであったのだ。その笑みがさらに暖かいものになる。それが何よりの証拠であった。
「皆がそう思ってくれれば」
「いいんですね」
「わしは信じておるよ」
 やはり言葉には憂いも嘆きもない。
「今の日本人も。わし等と変わりないと」
「それは」
「いや、わしは知っておる」
 それは否定しようとする保次郎の言葉こそを否定した。
「それもな。だから」
「いいんですか」
「うむ、信じておるから。だから頑張ってくれよ」
「はい、僕達も必死に」
「わし等のことを忘れないでな。それでは」
 不意に老人の格好が変わった。それまでの地味な和服が消えそのかわりに濃紺の詰襟の服になった。腕先の袖には金色の巻きがある。
「またな。縁があれば会おう」
「はい、また」
「何も卑下することも何も否定することもない」
 老人の姿は消えていく。その中での言葉であった。
「何もな。全てあるがまま受け入れて考えてくれ」
「はい」
「それだけでいい。後は頑張ってくれれば」
「この船も日本も」
「残ってくれる。それを見せてもらうぞ。あちらでもな」
 それが最後の言葉であった。老人の姿は消えた。丁度その老人と入れ替わりに保正が艦橋に戻って来たのであった。
「あれ、誰かいたのか」
 丁度老人が消えたところであった。保次郎の言葉も聞こえていたのでこう問うたのだ。
「うん、ちょっとね」
「もう帰ったのか」
「別のところに行ったよ」
 こう保正に答えた。
「別のところにね」
「そうなのか。どんな人だったんだ?」
「お爺ちゃんもよく知ってる人だよ」
 保次郎は悪戯っぽく笑って祖父に述べるのだった。
「よくね」
「わしもか」
「そうだよ。とてもね」
「誰なんだか」
 保正は話がわからなくなっていた。それで孫の話を聞いていて思わず苦笑いを浮かべたのである。
「わからんわ。さっぱり」
「だから知ってるんだけれどね」
 それでも保次郎は笑って言う。
「まあいいよ。僕にもわかったから」
「僕には、じゃないのか」
 つまり人ではないのかと。こう問うたが答えは変わらなかった。
「そう、僕にもだよ」
「ふむ。それでも何かわかったんだな」
「うん、よくね。これからさ」
 彼はあらためて祖父に対して言うのだった。
「何かと大変なことがあるだろうね、日本も」
「それは当然だな」
 祖父は孫のその言葉に静かに頷いた。
「何時だって大変さ。この船が活躍した頃は特にそうだったけれどな」
「それがわかったんだよ。だから」
 微笑む。そのうえでの言葉であった。
「僕も頑張るよ。僕なりに必死にね」
「ほう」
 孫のその言葉を聞いて。驚いた表情になる。だがそれは一瞬のことですぐににこやかな笑みになってまた言葉をかけるのであった。
「いいことを言うじゃないか。だがな」
「言葉だけじゃなくだよね」
「そう。動くことが大事だぞ」
「わかってるよ。じゃあ僕はこれからの日本の為に」
「頑張れ。いいな」
「僕なりに必死にやるよ」
 爽やかな笑みになる。その笑みで見るのは海の彼方だった。
「これからの日本の為にね。あの人達と同じで」
「応援してるぞ」
 保正もまた孫と同じ海を見ていた。かつて運命をかけて戦士達が出て行った海を。その海は何処までも青く清らかに澄んでいる。その海を眺めながらの言葉であった。


三笠   完


                 2008・2・13
 
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