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横浜事変-the mixing black&white-

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エピローグ

半年後 横浜駅前

 「いらっしゃいませー」

 最初の頃はこの一声を言うのが気恥ずかしくて、よく店長に注意されたりもした。お客が入って来たときも、品を補給するときも、レジを担当するときも、挨拶を欠かしてはいけない。

 ケンジはレジに立って、台にコーヒー牛乳とサンドイッチを置いた客に対して笑顔を差し向けた。

 「いらっしゃいませ。ポイントカードはお持ちでしょうか?」

 一言一言をモゴモゴさせず、ちゃんと相手が聞き取れるように言葉を優しく紡ぐ。お辞儀は45度がベスト。笑顔作りには一番苦戦した。自然に笑うのとは違い、妙に意識してしまうのだ。今ではそんな苦労の成果もあって笑顔を作り出す事が出来るようになった。それはそれで新鮮度がなくなった気もするのだが。

 半年前に始めたコンビニのアルバイト。なかなか馴染めなかったレジとの仲も、前よりは良くなった筈だ。客が求める『金の綺麗な受け渡し』を実現させるべく、ケンジは出された小銭を脳内で分類し、1秒も経たずに「768円頂戴致します」と言ってみせた。

 横浜駅前のコンビニは早朝から深夜まで常に忙しい。それはもちろん駅前にあるからであって、サラリーマンからOL、学生など様々な人達が利用する。そのためレジは愚か、品をある程度揃えるのにも一苦労で、ケンジは日中をほとんどコンビニで過ごしていた。シフトに書かれた数少ない休日の事を思い出すと溜息を吐きたくなる。

 「暁君、もう上がっていいよ」

 と、そこで店長から声を掛けられた。驚いて目を丸くするケンジ。今の時間はシフトではまだ勤務時間で、いつも帰宅するのは夜の22時。時計を見ると、針は午後の5時を指していた。

 「あの、まだまだ時間が……」

 「いや、このあと何人か助っ人を寄越してるんだ。滅多にこんなことないから、今日はゆっくりするといいよ。ああ、その分のバイト代は出すからさ」

 「え、良いんですか?」

 「ああ、君は真面目によくやってくれているからね」

 そう言って微笑む禿げた店長に頭を下げ、ケンジはレジを後にした。数十分後、コンビニから出た彼はまっすぐ横浜駅の方に歩き出した。

 春のポカポカした陽気が続いている5月。来月には梅雨前線が日本を覆うだろうから、今を楽しんでおくのも悪くない。夕時(ゆうどき)で徐々に人で溢れ返りつつある駅構内を横切り、反対側に出る。その間にも山垣学園の制服は何度も見かけた。その度にケンジは少しだけ寂しげな顔を浮かべる。

***

 暁ケンジは半年前に山垣学園を自主退学している。理由は言うまでもなく、横浜南部で起きた殺し屋同士の抗争が原因だ。

 当時、大河内降矢を殺した後に気を失った彼だが、一本道を挟んだ車に乗っていた殺し屋統括情報局の人間によって回収されている。そのため数分後に駆け付けた警察には目撃されていない。

 だが、殺し屋統括情報局の局員及び生き残った殺し屋メンバー、裂綿隊の殺し屋は現行犯逮捕となり、すぐに事後検証が行われた。ケンジがその事実を知ったのは、意識を取り戻した次の日だった。

 何故か自宅のリビングで仰向けになっていたケンジは、事態を飲み込めず、すぐに携帯で誰かしらと連絡を取ろうとしたのだが、その前に知らない電話番号からの着信が響いた。

 「もしもし」

 『やあ、暁ケンジ君』

 その声はとても伸び伸びとしていて、明朗なものだった。

 「局長、ですか」

 『どうして私が君の電話番号を知っているのか、気にならないのかい?』

 「それよりも、一体どういうことですか。なんで僕らを裏切ったんですか。というより、皆さんはどこです?」

 『落ち着きたまえ。一気に質問されても困るよ。まあ、一つ言えるのは、殺し屋統括情報局は昨日の時点で完全に崩壊したということだがね』

 「!」

 ごく自然に吐き出された言葉に、ケンジは双眸を見開いて息を飲んだ。そんな彼に追い打ちをかけるかのように、組織の創設者は淡々と結果だけを述べた。

 『助けたのは君だけだ。それ以外は全員、警察の手に殺し屋の情報と共に送り込んだ』

 「どうして、そんなことを……」

 どうにか言葉になったが、唇はひどく震え、足から体に向かってゾワリと総毛立った。それでも耳は局長の言葉を一字一句聞き逃さないように受話口に固定させた。

 『理由は単純明快だ。君を助けるためだよ』

 「……。……は?」

 『おや、分からないのかね。君という顕然たる人間を救うために、私は彼らを日常から脱落させたのだよ』

 そのときにはすでに、聴覚すらも機能していなかった。いつもは何色ともつかないキャンバスで構成されている思考が、そのときだけは真っ白に塗り潰されていた。

 『君は復讐者として、果てしないまでに自らの手を血に染めてきた。でも私にはそれが、茨の道にしか見えなくて仕方なかった。君という人間は誰よりも実直で、誰よりも人間らしい。だからこそ、あの世界で生きていくのは危険に思えた』

 「……」

 『勝手だと思っているだろう?だがそれは違う。仮にこうでもしなくては、君は確実に大河内によって殺されていた。復讐のために立ち上がったのに、どうしてバッドエンドを迎えなくてはならない?それが私には許せなかった』

 「……だからって、貴方が首を突っ込んでいい話じゃなかった」

 そこで、ケンジは今までの人生で初めて――

 初めて怒った。

 「貴方は今までそうやって上から全てを見てきた!勝手だって思ったよ!だって事実、貴方のやった事は自分勝手で独りよがりな偽善だ!」

 『……』

 「いつ僕が貴方に相談したんだ!いつ僕が完璧な復讐を頼んだ!貴方はそうやって誰も知らないところから僕らを見下ろして、自分の赴くがままに計画を立てただけじゃないか!僕はそんな(たなごころ)の上の復讐は望んでいない!」

 『なら、死んだ方が良かったとでも?』

 「ああそうだ、死んだ方がマシだった!今からでも僕を警察署に突き出してくれよ!みんなと同じ舞台に立たせてくれよ!僕は、僕は人を殺したんだ……!」

 『……』

 まるで一つの血管が怒りを細い管にまで行き渡らせているのではないか。ケンジは収まらない怒りに自分でも驚きながら、やりきれない思いにソファに拳を叩き付けた。痛みはない。痛みがない事実に、やるせない気持ちがさらに膨れ上がる。

 『君を裁きの場へ歩かせる気はないよ。君が行ったことは罪だ。だから、この先それを背負ってほしい。そしていつか、その真面目な根を社会に奮ってほしい。それが……』

 「もういいです。局長。もう……」

 ケンジはそこで通話を切った。電源を切るまではしなかった。もう彼が電話を掛けてくる事はないだろうというある種の確信があったのだ。

 結果として、暁ケンジは生き残った。銃声も硝煙もない、平穏ばかりが塗れた街にたった一人取り残された。

 出来ることならば彼らと同じ行く末を行きたかったと、心の底から思いながら。

***

 ――もう半年が経った。でも、昨日のことのように思えちゃうなあ。

 そんな事を考えながら、ケンジは空を見上げた。東側が少しだけ青く滲んだ空はまだ明るい。これから先、もっと陽が伸びて気温も上がるだろう。夏のコンビニはもっと忙しいそうだな、と心中で呟いた。

 局長との会話が終わったあと、彼は何度か反乱を起こそうかとも考えた。真っ先に浮かんだのは駅前で人殺しで、その後も源泉が湧き出るように案が浮かび上がってきた。だが彼はそれらの選択を全て消し流した。ここで犯罪を起こせば、局長を困らせるのではなく、逆に失笑を買うような気がしたからだ。

 そして何より、彼女を踏み躙ってしまう。

 今にして思うと、あのときの自分はどうしようもなく狂っていた。負傷していたので病院に行って、警察から事情聴取を受けて、学校側から自主退学を進められて――。その全部が昨日の事のように思える。けれどそれらはすでに過去の出来事。今の自分は殺人という前科を持った人間のクズだ。本来ならこうして陽に当たる場所にいてはならない存在だ。

 それでもこうして成り立っているなら、ひたすら生きるしかない。罪と向き合っていくしかない。それが半年の中で彼が出した答えだった。

 家路に着くべく歩を進めるケンジ。大通りを出て、住宅が立ち並ぶ通りをいつもの歩調で踏んでいく。途中の信号で身体の向きを左に変えて、車の流れをボーっと眺めていたのだが――

 「……?」

 浅い車の海の向こう側に、どこか見覚えのある人物が立っている気がする。近ごろ視力が落ちてきたのでしっかりと判別出来ないが、それでも体つきや顔立ちに記憶の引き出しが応じたのだ。少なからず分かったのは、相手がマスクをして鼻から口元まで隠している事だ。

 信号が青になった。ケンジは平然を装った足取りで、それでいて目だけはその人物を射る。

 ボヤけていた線が近づくにつれてはっきりとしてきた。足、腰、胴体。順々に確認していって、最後に顔。ケンジは何食わぬ表情でその人物と目を合わせ――

 「えっ」

 とても情けない驚きの声は、ケンジとその人物だけしか認識しなかった。だが相手はいきなりケンジの右肩に手を置き、やはり馴れ馴れしい言葉を吐き捨ててからすれ違っていった。

 「よぉ、俺も『俺ら』もまだ滅んじゃいないぜ?」

 どれだけ立ち尽くしただろうか。ようやく我に返ったときには歩行者用信号はとっくに赤で、列を作った車からクラクションの文句が放たれていた。

 急いで歩道まで走り、それから向こう側の歩道に目を送った。しかし、彼の姿はどこにもなかった。

 ケンジは背筋に冷たい何かを感じながら、その存在を確かめるように人名を呟いた。

 「……あかじま、さん?」

 どこかで、幼馴染の彼女が笑った気がした。

 『もっと強くならなくちゃならないね』と。

                                          終
 
 

 
後書き
これにて『横浜事変~the mixing black&white~』は完結です。最後まで拙作に着いて来て下さった方々には深く感謝致します。ありがとうございました。
今後についてやストーリー後記は報告の欄に書いておりますので、どうぞよろしくお願いします。 
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