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横浜事変-the mixing black&white-

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社長「これからの横浜は安泰だ。良かったな、何でも屋」

横浜中華街 南門前

 (シュ) 宇春(ユーチュン)は左手に携帯を持ちながら、呆けた顔でその場に立ち尽くしていた。

 「……この人達、今何時だと思ってるのかしら?」

 携帯の電源を入れて、画面に浮かび上がった数字の列を確かめる。午後23時半を指すそれに、彼女は思わず吐息を漏らした。そして、ヘヴンヴォイスのゲリラライブを楽しむ観衆達を眺めた。

 「まさかこんな形で生のヘヴンヴォイスを見れるだなんてねぇ」

 本来なら南門付近は歩道であり、大通りの地下を走る私鉄の駅が中華街へのアクセスを安易にする便利な場所なのだが、今では歩行者をも許さない群衆でいっぱいになっていた。

 そして群が集った原因であり、今もなお周囲を熱狂の渦へと巻きこんでいるヘヴンヴォイスは、南門の真下を陣取ってゲリラライブを繰り広げていた。とはいえ、この景色をコーディネートしたのは宇春である。何でも屋の力を存分に奮った結果がこれなのだ。

 ――でもちょっとやりすぎちゃった感があるわね……。まぁ、警察はもう少し大丈夫かしら。

 フフッと含み笑いをして大通りの方に目を移した宇春。横浜南部へと向かう道路には先ほどから一般車に紛れて警察車両が多数走り去っていくのが見える。緊急出動時は赤信号を通り越す事が出来る警察の特権が、皮肉にもヘヴンヴォイスの所業に目を瞑らせたのだ。それでも近くの交番に連絡が入っているのは間違いないだろう。

 ――初めはネットが繋がらなくて焦ったけど、やればできる子よねぇ、私。

 ヘヴンヴォイスからの依頼を受けた直後は、なぜかネットワークが通じなかった。自作の情報収集端末は別口のネット回線を使っているのに、それも圏外だった。あまりにも理不尽な状況にさすがの宇春も苛立ちを覚えたのだが、それから数分経って唐突にネットが更新され、それを皮切りに仕事を始める事が出来た。

 楽器は近所にある知り合いのスタジオから拝借し、観客集めにはSNSなどによる情報拡散で片っ端から行った。そして依頼を受けてから10分後、南門には数えるのも億劫になるほどの人で埋め尽くされたのである。

 ヘヴンヴォイスの紅一点が放つ透き通りのある力強い声色が、南門より高くそびえ立ち、夜空に上って行くのを感じながら夜風に打たれていた宇春だが、ふと自分に置かれた現状を思い出して時間をチェックした。

 ――私ったら、完全にデリヘルの仕事忘れてたわぁ。早く行かないと。

 ――この人達は……どうにかなるわよね。

 半ば責任放棄に近い事を頭にちらつかせた彼女は、忍び足みたく静かにその場から抜け出そうとしたのだが――

 「まあまあ、そんなに慌てることもないだろう」

 男口調で語られた言葉と同時に、右肩に手を当ててきた。硬い表情でそちらに振り返ると、案の定そこには先ほどの少女がいた。すぐ後ろには大男もいる。宇春は今度こそ溜息を吐き、嫌そうに呟いた。

 「私、これからデリヘルの仕事があるんだけどぉ」

 「そんなもの、相手が飢えてるだけなんだから気にするな。何でも屋の仕事というのは、広げた風呂敷を片付けるまでのことを言うのだろう?」

 「そうなのよねぇ……。出しっぱなしのままだと、信頼が減っちゃうのよ」

 がっくりと肩を落とした宇春は、ここでデリヘルの断りを入れる事にした。元々彼らに絡まなければ良かった話だし、責任は自分自身にある。何でも屋を営み始めて初の断りを入れるのがこんな状況だなんて、と彼女は表面には出さず笑った。

 「なあ、お前は南門の由来を知ってるか?」

 デリヘルを依頼してきた知り合いに連絡を入れた直後、少女はポツリと呟いた。それが自分に向けて放たれたものだと気付いた宇春は、少し考えて答えを出した。

 「分からないわ。横浜に来てからけっこう経つけど、そういうのは気にしないし」

 「南門……別名『朱雀門』。厄災を祓い、大いなる福を招くとされるという意味から名付けられたのだそうだ」

 「厄災、福……ああ、言いたいことが分かったわぁ」

 合点がいったとばかりに納得の表情を浮かべると、彼女は身体を少女の方に向け、腰に手を当てたポーズを取った。ニヤニヤしながら呆れた調子で言葉を吐き出す。

 「朱雀さんに代わって、ヘヴンヴォイスが横浜の厄を祓って福をもたらしてくれているのねぇ。中国文化の舞台なのに、ロシアの人に救われるっていうのもおかしな話だわ」

 「偶然の産物だがな。私もさっきまで気付けなかった」

 「偶然なんかじゃ、街を楽しませることはできないわよぉ?」

 「そうかな。現に街という箱の中で生活する彼らは、こんな時間にも関わらず活気に溢れているぞ。まあ、全部お前がやってくれたわけだが」

 「ふうん……」

 宇春は口を歓心に歪めながら、それでいて糸のように目を細めた。そして青い制服の少女に対し、個人的に最も重要な点を問う。

 「で、横浜の『厄』っていうのは殺し屋かしら?それとも街に潜む全ての悪?」

 「両方だよ。この国は便利であるが故に危険すぎる。デジタル社会は、時に人が人を食らう強大な兵器になり得る。この街の場合、その筆頭が殺し屋統括情報局なのだよ。きっと『頭』もそれに気付いて、自身が作り上げた組織を解体しようと考えたのかもしれない。とはいえ、今この瞬間を動き続ける奴の本当の目的が何なのかは私にも分からないが」

 「……」

 「まだ分かっていない様子だな。後々(のちのち)知れば良いさ」

 そこで一度言葉を区切り、少女は再び(せわ)しく口を動かし始めた。

 「今回の件で、この街から危ないモノが消え去るだろう。殺し屋、暴力団、麻薬組織……規模がどれぐらいかは把握していないが、日に日に消滅していく筈だよ。太陽の光から逃れようとするネズミのようにね」

 「……」

 「裏でコソコソできる場所は正当な規律によって破壊され、心地いい光の差し込む場所が増加する。それが彼らにとって何を意味しているのか、何でも屋のお前には分かるだろう?」

 「……貴女達は何をしにここに来たの?幅を利かせすぎた殺し屋達の退治?」

 「おや、それは知らないのか。いやなに、横浜に来たのは取り越し苦労だったよ。『頭』に貸しを付けられたのが良い収穫だったぐらいだ」

 半分独り言のような言葉を吐き捨てると、少女はゲリラライブを盛り立てる群衆の方へ歩き出した。宇春は呼び止めようとしたが、ライブの喧騒に紛れて聞こえてきた彼女の澄んだ声によって行動を妨げられる。

 「これからの横浜は安泰だ。良かったな、何でも屋。祝いにヘヴンヴォイス(こいつら)の演奏を聴かせてやるよ」

 少女と無言を貫き通した大男が去り、宇春はその場に取り残される。何をするでもなく、しばらくライブ辺りを見つめていたが、やがて彼女は気付いたように言葉を紡いだ。

 「そっかぁ。この街にはもう、みーんないないのね」

 それから真反対側に位置する道路の方に首を曲げた。依然として何台か警察車両が通り過ぎていくのを見て、グレーゾーンにいる女は困った顔を浮かべて呟いた。

 「友達はいなくなるし、朱華飯店は寂しくなるし……お先真っ暗ねぇ」

 コツ、コツと(かかと)を鳴らして彼女は歩き出す。そしてバッグから携帯を取り出して、電話越しの相手へのスマイルを顔に貼り付けた。

 「何度もごめんなさいね。今からデリヘル伺えるんだけど、必要かしら?」

 そうして、何でも屋はいつもの帰り道である南門を抜け、私鉄の地下駅へ入っていった。彼女にとって、殺し屋が消えるという事実より、自分の今この瞬間こそが全てなのだ。そしてそれは、この街にいた裏側の人間達全員の共通項だ。

 風が冷たい。宇春は今更のようにそう感じたが、このときだけはいつも以上に冷たかった。

*****

 やがて横浜の街は朝を迎え、太陽が新しい一日を引きつれて顔を出した。

 人々は知らない。この街は昨晩、一人の男によって一つの世界を失ったという事を。殺し屋を始めとした裏通りの人間達が街から消えたという事実を。

 朝のニュースに浮上した『ゲリラの横浜?暴力団抗争とロックバンドが描いた二つの出来事とは?』で大まかに事情を知っただけで、彼らは根本的な面を見ていない。それはありふれた日常でありながら、とても残酷な現実だった。

 一つの世界が消えたとき、物語は終わりを告げる。 
 

 
後書き
宇春姉さん、中盤からの登場なのにラスト頑張ってます。ちょっと無理やりな感じが否めないのが反省点です。
次回が最終話です。すぐ終わってしまう程度ですが、よろしくお願いします。 
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