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尼僧

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第一章


第一章

                      尼僧
 長谷寺。彼がここに来たのに大した理由はなかった。
 ただの大学の休みを利用しての旅行である。それだけだった。
「しかし」
「どうしたんだい?」
「いや、遠いね」
 こう共に来ている友人に対して言うのであった。和服から手拭を出してそれで顔を拭う。電車を降りて駅に着くともう目の前には幾重にも続く緑の山が連なっていた。
「京都からここまではね」
「奈良だから近いって思ったかい?」
「そうさ。ところがね」
「ははは、奈良といっても広いさ」
 その友人は笑って彼に言ってきた。駅は小さく粗末なものだ。二本の線路が谷を思わせる鬱蒼とした山と山の間に入っていくのが見える。
 それを右に見て駅の前に来るとだ。あまりこれといって店もなく寂しいものだ。彼はそうした風景を見て友人に対して尋ねるのであった。
「なあ」
「今度は何だい?」
「いや、長谷寺といえば」
 怪訝な顔をして問うてきていた。
「あれだよな。女人高野だったよね」
「そうだよ。君も知っているだろう?」
「名札だとは聞いているよ」
 それは彼、加藤慶祐も聞いている。黒い髪を少し伸ばし細い眉は端のところで曲がっている。目は一重だがはっきりとしていて引き締まった口元をしている。背は高く足も長い。袴が短く見える程度でその下の草履がはっきりと見えている。そこに帽子を被っている。
「それはね」
「じゃあいいじゃないか」
「それはいいけれど。しかし」
「思ったより賑やかな場所じゃないっていうんだね」
「奈良ってこうなのかな」
 そしてこうも呟いて首を傾げるのだった。
「あの奈良市は賑やかだけれどね。あとは山ばかりで」
「少なくともこの辺りはちょっと行けば山ばかりだね」
「源氏物語にも出て来たからさぞかし有名かって思っていたけれど」
「紫式部も山を幾つも越えて来たってことだね」
「そうなのか。まあとにかくね」
「宿はもう取ってあるよ」
 友人から言ってきた。
「まずはそこに荷物を置いてね」
「そうしてから行くか」
「そうしよう。それじゃあね」
「うん、じゃあ」
 こうして二人はまずは駅の前から降りた。そうしてそのうえで赤い橋を越えてそのすぐ傍にあった旅館に入る。その中の一室に荷物を置くとすぐに外に出るのだった。
 外に出てまずはだ。旅館の周りを見ることになった。
 そこは他の旅館あ立ち並び流石に有名な寺の前だけはあった。それなりの町があり人もいた。だがその服が何処か古いのにも気付いたのであった。
 慶祐はそれを見てだ。首を傾げさせて言うのであった。
「明治になってもうどれだけだったかな」
「三十年だけれどね」
「それでまだ江戸時代の雰囲気があるね」
「そうだね。それは確かにね」
 友人もこのことには頷いた。見れば町並にしろ古く瓦も建物のその手すりも古く町の人達もその服は着物ばかりである。二人も着物だが帽子をしていてそれが文明開化の名残を見せている。
 その彼等から見てだ。何もかもが古いものに見えたのだ。
 それで慶祐は。また言うのだった。
「ねえ、それでだけれど」
「うん、長谷寺へ行くんだね」
「いや、その前に何か食べよう」
 こう言うのである。
「団子か何かをね」
「団子をかい」
「甘いものを食べたくなったよ」
「だからかい」
「うん、何かあるだろう?」
 こう友人に対して問い返した。
「店も」
「丁度目の前にあるよ」
 ここで言う友人だった。それと共に前を指差すとそこに確かに一軒の茶屋があった。
「あそこに入るとしよう」
「はい、それでは」
 こうしてであった。彼等はその店に入った。そのうえで入るとそこは質素でありながら確かな内装であった。黒い木で造られそこに数人の客が共にいた。
 
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