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Magic flare(マジック・フレア)

作者:とよね
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第3話 廃庭園ノ少女


 ―1―

 寮の部屋に入った時には零時を回っていた。緑の壁紙。バス・シャワー付き。細長い空間にはベッドと机と姿見だけ。クローゼットには何も入っていない。安ホテルのような内装だ。クグチはベッドに腰をおろし、重い溜め息をついた。
 南紀でも道東でも、とにかく、多数派と同じものを見ていなければ生活できない。見えないものを見えないままでいては正気を保てない。スーツケースのサイドポケットから眼鏡を取り出したが、装着する気は起きず、窓の外をぼんやりと見つめた。
 細い道を挟んだ反対側は雑居ビル。どの窓も闇を湛えている。左隣はコーヒーショップ。右隣には見知った建物がある。ボウリング場だ。南紀にもこれとそっくり同じ形とデザインのボウリング場があった。垂れ幕も同じだ。店員まで同じだとしても驚かない自信がある。
 遠くで車の流れる音がする。何がそんなに面白いのか、どこかで若い男女が笑い転げている。
 眼鏡をかけてみた。
 窓の外の様々な色彩より早く、室内に浮く矢印に気付いた。掌ほどの緑の矢印が、目の高さで、机の一番下のひきだしを指している。
 クグチは腰を屈め、パイル材のひきだしに手をかけた。
 何も入っていなかった。が、矢印はひきだしの底を指し続けている。試しに底板の隅を指で押してみた。反対の隅が浮き上がった。
 二重底だ。
 するとドアがノックされた。クグチは底板から指を離し、「はい」と答えた。
 ドアノブが回り、遠慮がちに開いた。
 廊下に男が立っていた。体つきは逞しく、温厚な目をしている。恐らく同年代だ。目があうと微笑を浮かべた。どこか自信なさげな顔をしており、クグチと同じ眼鏡をかけている。彼も守護天使を持っていないのだ。そして、腕には枕を抱えている。
「明日宮さんですか?」
「はい」
「枕、これ、持ってくるの忘れてて」
 クグチはベッドをふり返り、初めて枕がないことに気がついた。
「……ありがとうございます」
「随分早かったですね。明日来るかと思ってた」
「ええ、まあ」
「僕は島です。明日から……あ、もう今日ですね。よろしくお願いします」
 廊下の端の階段からブザーが聞こえた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。今の音は?」
「門限です。一時でシャッター閉まるから。明日宮さんは特殊警備の仕事長いんですか?」
「二年半です。十八の時から」
「そうなんだ。俺半年めなんだ。お互い大変な時に来ちゃったね」
 クグチは最後の一言の意味がわからず、島を凝視した。
 島の顔から血の気が引く。
 彼は口をつぐみ、目をそらした。
「……ここ、守護天使のない人が多いんですね」
「聞いてなかったんだ。ごめん。今の気にしないで」
「ここはそういう人が集められてるんですか」
「うん、まあ。試験運用チームだから。知ってて来たのかと思ってた」
「試験運用?」
「朝になったら岸本さんか万乗さんから説明があると思うので……今は寝た方がいいと思いますよ」
 明らかに気休めとわかる笑顔で島は言った。
「ここも慣れれば居心地悪くないですよ。冬は本当に暗いですけどね。ドームに雪が積もって。これから夏だからいいけど」
 クグチは気を取り直して、枕を抱え直した。
「ありがとうございます。もう寝ます」
「はい。また今日の夜、歓迎会やりますんで。それじゃ」
 島が去ってから、クグチは戸を閉め、内鍵をかけた。
 矢印がまだ浮いていて、ひきだしを指している。
 クグチは底板を外した。
 菓子の箱が隠れていた。電磁情報シールが貼られている。矢印が形を変え、文字になる。
〈present for you!!〉
 先ほどの島には、矢印が見えている様子はなかった。これが自分だけに見えているとしたら……どういうことだろう。クグチは考え、思いつく。眼鏡の個体識別チップだ。南紀社製のロットに反応するよう印づけられたということなら。でも誰が。
 文字が砕けた。菓子箱を手に取り、蓋を開けた。
 女神を象ったガラスのトロフィーが後ろ向きに入っていた。
 土台には、何世代も昔のカード型のメモリーデバイスを保管するスペースがある。カードが刺さったままだ。
 トロフィーを持ち上げた。土台の表側に記された文字を見て、顔がさっと熱くなり、息が止まった。

〈第三十七回全日本電脳競技会 個人部門優勝記念 道東工科大学 明日宮エイジ〉

 懐かしい名だった。
 明日宮エイジはクグチの実の父親だ。
 誰かがこれをクグチにわかるように隠した。
 最初の衝撃が去り、動悸が静まってから、クグチは平静を装ってトロフィーを箱に戻し、隠した。
 強羅木は、ここに父親の友人がいると言っていた。向坂という名だったと、クグチは思い出す。
 いや、その男であるなら、直接手渡しすればいいだろう。近い将来必ず会うことになるのだから。
 誰であるにしろ、メッセージは消えた。仕込んだ人間には、クグチが父の遺品を手に入れたことは確実にわかる。

 ―2―

 クグチは時間ぎりぎりまで寝て、のんびり起きた。寝て起きた時には二重底のことなどほとんど忘れかけている。起き上がり、ひきだしを開けてみた。底は二重底のまま、菓子箱は隠されたままだった。悪い冗談のように思う。
 食堂は寮の二階の奥にある。遅めに行ったせいか、既に半分は空席だった。カウンターの端のトレイを取り、洋風の朝食を提供されるがまま受け取って、クグチははたと止まった。どのテーブルに座ればいいかわからなかったのだ。
「よう、新入りか」
 誰かが声をかけてきた。後ろに並んで朝食を受け取っていた中年の男だ。同じ特殊警備員の制服を着ている。男は人のいい笑みを見せた。
「はい、昨夜来たばかりで……よろしくお願いします。席とか決まってるんですか?」
「おう。右側の手前から一班、二班、三班、四班……あんた何班?」
「十三班です」
 途端に男の目もとが引き攣り、笑みが消えた。近くのテーブルで食事をしていた警備員たちまでもが口をつぐんでクグチを見る。
 数秒してから男は無表情で奥に顎をやった。
「あっち」
 万乗マキメがこちらを見ていた。片手をあげて手招きする。クグチは礼の言葉を呟いて、そそくさとテーブルの間を縫って歩いた。
 十三班のテーブルでは、マキメの他に五、六人が一緒に朝食をとっていた。その中に島もいた。島の隣、マキメの向かいの席がちょうど空いていた。
「おはよう。寝れた?」
「おはようございます。はい。ここ失礼します」
 座ると、マキメがケチャップやバターの入った籠を目の前に寄せてくれた。
「みんな、昨日話した新人、彼のことだから。南紀から来た明日宮クグチ君ね」
 クグチと他の警備員たちは順に、名乗って挨拶をした。これで全員ではないとマキメは言ったが、ここにいる顔の中では、クグチと島が一番若いようだ。星薗と名乗る男が五十代半ばほど。肌は浅黒く目は充血し、ただならぬ陰気を漂わせている。他には、いかにもついこの間まで失業者だったような風体の冴えない中年の男が二人。あと二人は三十前後の、マキメと同年代の男女だった。
「七、八人でチームを分けて、実働八時間、三交代制になってる。残りのメンバーとは引き継ぎの時に挨拶しようか。今の内に聞いておきたいこととかある?」
「担当区域はどういう場所ですか?」
「担当区域は呼ばれた場所」
 クグチはマキメを見つめる。
「十三班に限っては担当区域が特に決まってないんだ」
「呼ばれた場所って、では、他の班から応援求められたら行くみたいな感じですか」
「そんな感じ」
 島を見た。彼もマキメに同意して頷く。
「呼ばれない時は何してるんですか?」
「待機時間は割と自由だよ。漫画読んでてもいいし、筋トレしててもいいし。いつでも出動できるように二人以上での行動になるけど。あと訓練。南紀でもそんな感じだったんじゃない?」
「そんな感じでした」
「私は副班長で新人担当だから、しばらく一緒に行動してもらうよ。島君とまとめて面倒見るから」
「よろしくお願いします」
「他は? 何かない?」
 クグチは少し迷ってから尋ねた。
「ここの室長への挨拶は、引継ぎの時になりますか?」
 今度はマキメが、そんな質問は予想外だという顔で見つめ返してきた。
「えっ、何? 室長? ああ。ええ? 室長への挨拶、必要かなあ」
 何人かが忍び笑いを漏らした。
「上司になる人ですし、一応」
「室長ね。うん。向坂っていう人がいるけどぶっちゃけ十三班にはノータッチだよ」
 クグチは目を瞠った。
「都市庁のワーキンググループの花井さんっていう人が十三班の担当。ていうかこの部署、正式には道東には十二班までしかないことになってるから」
「あの、万乗さん、あの……」
 島が控えめに口を挟んだ。
「明日宮君、そこら辺のことあんまし聞いてないみたいで……」
「……そうなの?」
「はい」
 わかった、と言って、マキメはハムにフォークを突き立てた。
「まあいいよ。花井さんも普段こっちに顔見せないからね、何かあったら私か岸本さんから言うから。じゃ、仕事が始まったらおいおい話そうか。もうすぐ時間だよ」
 クグチは他の班員に倣って食事を始めた。食事の味はほとんどわからなかった。

 結局、花井とかいう上司への挨拶もなかった。
 今日は訓練がない日だそうで、簡単な引継ぎが終わってからは、各々将棋盤を囲んだり、室内用モニターでスカイパネルの放送を見る。マキメが、クグチの分の外出許可証を持ってくると言って部屋を出、五分とせず戻ってきた。
「軽く町を流そうか。どこに何があるか知っておいてほしいからね」
 眼鏡ケースだけを持って、クグチは裏口からACJ支社の建物を出た。建物は三棟に分かれており、特殊警備室があるのは西棟だ。マキメが運転する車に乗って通りに出た。クグチは眼鏡をかけていない。
 歩道の人々は一人で話し続けている。
 路上に、ハンバーガーの包み紙や、ちぎれた雑誌が点々と落ちている。
 自動清掃システムの指令で動く金属の蜘蛛が、それらのごみを拾い上げ、背中の籠に入れ、車の気配を感じて早々に退避する。
「味気ない町でしょ」
 マキメが苦笑する
「っていうか、寒々しい」
「南紀もこんな感じでしたよ」
「眼鏡かレンズがなきゃどこも同じっていうよね。ところで眼鏡かけないの」
「疲れますから」
 そう言うマキメも裸眼のままだ。
「そこがスーパーマーケット。日用品とか食べ物とか、あそこで買うといいよ。西棟の中に社割のきく売店があるけど、あんまりおいしくないから」
「俺も社割使えますか」
「こっちでの社員証が届いたら使えるよ」
「あの、さっきの話ですけど……十三班は道東支社の正式な班じゃないっていう」
「気にすることはないよ」
「班の他の人、どういう人たちなんですか。島さんもそうだけど、もともと特殊警備員じゃなかった人が多いみたいですが」
「幽霊狩りの仕事にあう適性を実験調査してるって話は知ってるよね」
 そういえば強羅木がそんなようなことを言っていた。
「私らが、つまり守護天使のない人間が集められたのはその実験の一環。もともとACJの中で唯一、特殊警備の部署だけは守護天使育成サービスに加入してなくても入れるからね。私も君と同じだよ。守護天使のない特殊警備員」
「他の人たちはどうしてここに来たんですか? 見たところ、もともと特殊警備員じゃなかった人も多いようですが」
「守護天使のない人に限定で求人かけて、体力試験とかの後採用された人たち。島君なんかは軍隊上がりだから採用即決だったそうだね。ま、体力仕事だから」
「軍隊あがり? 島さんが?」
 島の温厚そうな目つきや、何を言うにしても自信のなさそうな口ぶりを思い出してみた。昨夜会ったばかりの人間だが、そうは見えない。
「まあ、そういうちょっと変わった編成なわけ」
 車は通りを進む。都市庁、緑地公園、消防署、学校などの、町の様々な主要施設と主要道路をマキメが解説する。
「でも、やることは他の班と同じですよね」
 そう尋ねたのは小一時間ほど経ってから、「そろそろ戻ろうか」とマキメが言ってからだった。
 返事がない。
 運転席を見た。
 前を見るマキメは眉が寄り、顔つきが険しい。
「ごめん」
「はい?」
「本当に何も聞いてないとは思ってなかった」
 マキメが何か考えている。
 考え、迷い、思いとどまり、その様子が隣にいてわかる。少し開いたままの唇が動き、何か言いかけたその時、車内で警報が鳴った。
 マキメの左手が据え付けのトランシーバーに伸びた。
「こちら十三班Aチーム万乗。どうしました」
「こちら七班Aチーム佐々木です、十三班出動願います――」
 男の声が記号を並べ立てる。初めのアルファベットと数字が位置を示していることは、なんとなくわかった。
「了解しました」
 というマキメの言葉で交信は終わった。
「……君ホントついてないね」
「万乗さん?」
「一緒に来な。口で説明するより早い。何が起きるのか見るんだ」
 マキメは制服の胸ポケットから眼鏡を抜き、装着した。車の速度がはね上がる。体が座席に押さえつけられた。
 クグチも眼鏡をつけた。途端、あふれる色彩が視覚を圧迫した。
 今日が都市の祭日であることをその時になって知った。
 無数の花と紙吹雪が都市の天井から降ってくる。
 舗道の人間が倍に増えて見える。
 若者たちは守護天使の容姿を現実にはありえない肌、髪、瞳の色で飾り立てている。祭日にはよくある光景だ。小さな妖精程のサイズにして飛ばしたり、羽をつけたりして遊ぶのは主にキッズランクの利用者だ。利用者の年齢が上がるほど、守護天使の存在は私的な色合いを増し、公の場所には出てこない。
 守護天使の容姿にも様々なパターンがある。動物や人の姿、天使や妖精といった架空の生物、樹木や石。
 好んで人の形を選び、特定の人の顔、髪、声、性格に似せて、家族として扱う人もいるが――戦争遺族。老人。老婆。子供。女。苺果汁。クグチは朝食を戻しそうになるが堪える。
 この仕事を続ける限り、人の生々しい孤独から目を背け続けていることはできない。いつまでもそれを避けてはいられない。クグチとて働いて生活をしなければいけない。
『――のドームが完成してからちょうど十年という日を、えー』イヤホンをつけると、スカイパネルに大写しになった市長の声が聞こえてきた。『こうして市民のみなさんと、えー、平和のうちに迎えることができて、えー』
 前の車が白鳥だ。
 クラクションを鳴らして追い抜き、花も紙ふぶきも非実在のサーカスも蹴散らして、マキメは車をACJ道東支社西棟の前に放置する。
「急いで!」
 正面玄関から奥へ。
 十三班の警備員控室を開け放つ。既に無人だ。マキメが二重ロックを解除して、全班共有の準備室を開け放った。
「これ! 奥の列の左から二番目!」
 鍵が投げ渡された。付属のアクリルボードに〈M‐20〉とある。ロッカーはすぐ見つかった。制帽とジャケットを取り、奥へ。
 さらにロック。マキメが解除する。
 UC銃保管庫だ。
「十三班は一番奥!」
 M-20のUC銃保管スペースで、クグチははたと足を止めた。
 見慣れたUC銃の他に、見たこともない型式の、やたら丈の長い銃がある。
 ライフルに似ている。
 ライフルのはずがない。
「君は普通のUC銃だけでいい! 行くよ!」
「はい!」
 クグチは大きく返事をした。出動要請から既に五分は経っている。UC銃保管庫の扉が開いた。
「おい万乗! 何でまだこんな所にいるんだ!」
 岸本だった。夜勤明け直後の寝入りばなだったらしく、目は充血し、髪はぼさぼさ。せかせか歩いてくる姿は昨夜より不機嫌そうだ。
「すみません――」
「おい新入り」
 岸本は自分のUC銃を取りながらクグチに冷たい視線をくれた。
「そっちの長い方の銃を持ってけ」
 クグチは銃器に詳しくない。
 南紀で使っていた物と同じ型式のUC銃しか使えない。
 困惑してマキメを見た。マキメもやはり、岸本の指示に動揺を隠せないでいた。
「岸本さん、明日宮君はまだ何の説明も受けていません。その銃の使い方だって」
「銃の使い方なんざどれでも同じだろうが。構えて、引き金を引くんだ! おい、UC銃は使えるだろう」
「はい、ですが」
「ですがじゃねえ、なら持ってけ! 十三班に来たからには俺の指示に従ってもらうからな」
 マキメが目をそらし、諦めたように頷いた。クグチは意を決して新しい銃を手に取った。冷たくて、ずしりと重い。
 保管庫を抜ければ特殊警備車両の駐車場だ。
 島が待っていた。クグチたち三人の姿を見て運転席に飛び乗る。全員が乗りこむと、島がアクセルを踏んだ。車は裏道に入り、隙間なく降る花の雨を突っ切る。
 車内は窮屈だ。銃が大きいせいだ。
『ありがとうございます。続けてACJ道東支社、横尾センリ支社長にお越しいただいております――』
 車が一際揺れた。不器用に抱える銃の銃身で思いきり鼻を打った。
「す、すいません……」
 島が消え入りそうな声で謝るが、速度を緩める気配はない。クグチは鼻の痛みと引き換えに気がついた。銃身に何か詰まっている。
『本日は道東居住ドーム完成十周年記念式典にあわせた発表があるとのことでございますので、まずはそちらからお願いします。どうぞ』
 かと言って銃口を覗きこむ勇気はない。
『はい、えーっ、初めまして、オーロラ・サイバネティクス・ジャパン道東支社の横尾でございます――』
 ふと外を見た。一般市民の姿は見えない。守護天使もいない。
 降りしきる花もない。
 ずいぶん寂れた場所に来た。
 冷たい漆喰の壁が並ぶ街路に、四人、五人、仲間の特殊警備員たちが張りこんでいる。みな標準形式のUC銃を持っている。
『……えーっ、まずは〈みらい〉の話ですね。いよいよ来月ですね、えーっ、約二週間先にですね、いよいよ太陽活動観測衛星〈みらい〉の打ち上げがですね、行われる予定でございましてね、えーっ』
「万乗さん、この銃何なんですか」
 クグチは小声で聞いた。助手席の岸本が鋭い目で振り返る。
「対人用の銃だよ」
 クグチはしゃべらない。
 島もしゃべらない。
 マキメもしゃべらない。
『この〈みらい〉に実装された外電磁防御システムはですね、非常に高度な装置でございまして、簡単に説明しますと外界の磁気嵐に対してですね、えー非常に強い耐性がございまして、えー我がACJ社が開発した特殊な信号のみを選別し受信する機能を具えておりまして』
 岸本もしゃべらない。
 クグチは総毛立ち、銃を投げ捨てたくなる。
「人を撃てと言うんですか」
「そういうことだ」
 クグチはイヤホンを切った。
「無理です。人を殺せって? なんでいきなりそういう話になるんです?」
「なんでいきなりって、それはお前、こっちの台詞だ。 人を撃てとは言ったがな、安心しろ、非殺傷兵器だ。麻酔銃みたいなもんだ。入ってるのは麻酔じゃないがな」
「じゃあ何が」
「新開発のマイクロチップだ。それで撃たれてもさほど痛みはないが、チップを撃ちこまれた人間は手術で除去しない限り生涯電磁体に忌避される」
「忌避って、生涯守護天使を持てないということですか」
「そうだ」
「ACJが提供する全ての電磁体も幻覚も見えなくなると」
「そういうことになるな」
「……聞いてませんよ、俺、そんなの。話が違いすぎる」
 クグチは口調を強めた。
「俺はそんな契約で道東に来たんじゃない。人を撃てだなんて、南紀ではそんな説明受けてませんよ! 受けてたら断ってた」
「それは俺の責任ではないな」
 岸本は冷たい声で言った後で、ついでのように付け加えた。
「あ、あとそれ実験用の試作品だからな。壊すなよ」
 恐怖と怒りが併せて身の底から湧いている。僅かに恐怖の方が勝っている。青ざめていくのが自分でもわかる。岸本のイヤホンからスカイパネルの声が漏れている。
 市民の皆様に――〈みらい〉応援キャンペーン――にご参加いただいた方には――特典として――幸福指数を――皆様にご一考いただきたく――真の国益を――ブレーキがかかる。思考が戻る。現場に着いたのだ。身についた習慣で、体は自動的に車を飛び下りる。心がついて来なくても。
 市街から遠い、荒れ寂れた区画に、そのビルはあった。人けはない。何階建てだろう……二十……二十五……「ついて来い」岸本が命じる。「ついて来なければ宿舎から放り出す」。先に出動し、外塀にひっそり身を隠している出動車両と班員たちのもとへ、岸本は大股で歩きだした。
「仕事をする気がないなら南紀に帰るんだな」
 さっと顔に血が上るのを感じた。
「申し訳ない。ほんとに。いきなりこんなことになって」
 マキメが後ろから肩に触れ、岸本に聞こえないように呟いた。
「君は後ろからついて来るだけでいい。何もするな」
 島とマキメの後ろについて、岸本や班員と合流した。塀に身を潜め、小声でやりとりしている。
 と、眼鏡の内側に簡素な地図が投影された。
「ここで間違いありません。二階までは左側の回廊突き当りの階段室で行けます。その後北棟の廊下を端から端まで走ると、七階まで通じる別の階段室があります。そのルートで行きましょう。外の非常階段を使うと窓から発見される恐れがあります」
 ロの字形の建物の北棟。六階奥。そう文字が読める。一つの部屋に星印がつき、点滅している。マキメが肩越しに教える。
「この部屋にターゲットがいる。行くよ」
「ターゲットって。サービス強制停止対象者じゃないんですか」
「もうそういう規模の話じゃないんだ。とにかく今は詳しい状況説明をしてる場合じゃない」
 マキメの声も苛立ちを含み始めていた。
「ただの利用者じゃない。ただの規約違反者でもない。悪意の人間だ。それだけ覚えときなさい」
「六班と七班が東西の裏口をおさえてる。相手はまだこちらの動きに気付いてない。正面から行くぞ。いいな」
 はい、と班員たちの返事。
 赤錆びたアーチ型の鉄の門扉が開け放たれた。破壊されたガラスの自動扉に、岸本が真っ先に走りこむ。
 もとは何かの会社だったらしい。模造大理石のエントランスは、投げこまれた石と砕け散った自動扉、食べ物の包み紙で汚されている。誰もいない受付の向こうは売店。食堂。
 中庭と回廊。
 その先で、階段に駆けこむ人の影が見えた。
 岸本が階段の下からその人影を撃った。銃声はない。ぽん、と間の抜けた音のあと、うわずった叫び声が聞こえてきた。
 痛みはさほどないと言ったが、撃ちだされ、相手の腰に刺さった太い針を見るとそうは思えない。
 どこにでもいそうな髪の薄い男が、針の刺さった腰に手を当ててうずくまり、「痛い、痛い」と訴えた。
「ACJ道東支社が独自に定める利用規約に基き、電磁体利用サービス永久停止を強制執行した」
 道東支社が独自に定める利用規約? ACJの利用規約第五章第二十一条じゃないのか? クグチは困惑を鎮めるために軽く頭を振った。岸本が男の首ねっこを掴んで引きずり起こす。
「電磁体保護法が施行される前でよかったな。もう少し遅かったらあんた、ブタ箱行きだったぜ」
 そして階段の下に突き飛ばした。
「星薗ォ! それから沢下! そいつを外の奴らに渡しとけ!」
 班員が二人、落ちてきた男を連れて一時離脱した。
 クグチには彼の何が悪いのか、彼が何をしたのかさえわからない。岸本たちはさっさと階段を駆け上っていく。
 後を追うクグチは、階段室の出口が見えたところで、何かに後ろから引っ張られた。
 銃のストラップが踊り場で手すりに引っかかっている。
 班員たちの背が階段室の出口に消えていく。
「あっ、ちょっと」
 クグチはストラップを手すりの彫刻からほどいた。
「ちょっと、待ってください――」
 後を追って走り、階段室から二階の廊下に出る。
 仲間たちの足音が遠くで響いている。
 足を一歩踏み出したその瞬間、クグチは心変わりを起こした。
 何故自分はここにいるのかと、ふと思った。
 二階の廊下は荒らされておらず、窓が大きく、明るい光が燦々と差している。そのせいか、埃っぽいのに整然とした、きれいな場所に見える。
 仲間たちの足音はもう聞こえない。
 クグチは光の中で呆然と立ち、何をしていたか思い出そうとした。
 そうだ。仕事だ。仕事って何の。特殊警備員の仕事? どうも違うらしい。
 ここに来るまで誰も本当のことを言わなかったのに、真面目に働くことだけは、しっかり要求されている。
「……馬鹿馬鹿しい」
 思わず呟くと、続けて溜め息もこぼれた。
 クグチはやる気をなくして窓に寄った。眼鏡を取る。ドーム越しだが本物の午前の光が四角い空間にまっすぐ降りている。
 回廊に一か所、中庭に下りるための短い階段があった。その階段の前のガラス扉が開け放たれている。
 中庭の土に足跡が刻まれていた。
 引き返し、階段室を下りた。
 優しい陽気がめいっぱい中庭と回廊を満たしている。
 六階で何事かが起きているはずだが、そんな気配は何も感じられない。
 開け放たれたガラス扉の前に立つと、廊下に土くれがこぼれていた。土くれは南棟に向かって進み、消える。
 南棟と西棟の間には、別の廊下が伸びていた。壁も床も、エントランスと同じ模造大理石だ。
 そちらに進むと、やがて廊下はガラス張りになる。
 熱がこもる廊下は、右に折れ、左に折れ、外には枯れた木と逞しい雑草ばかり見える。うっすら汗をかき始めた頃、温室に出た。
 出入り口には汚れたビニールのカーテンが一枚かかっているだけで、ガラスの廊下と温室とをきちんと隔てる扉はない。
 カーテンをかき分けた。
 いきなり声が聞こえた。
 クグチは緊張に強張るが、歌はやまない。少女の声が歌っている。歌詞はなく、ハミングだけだ。
 立ち枯れた蘭のタワー。野生化して床を覆い、植物の棚を征服する蔓草。
 複雑に入り組んだ棚の先で、唐突に視界が開けた。
 アクリルの透明なハープに手を回し、その少女は籐のスツールに腰かけて、柔らかいソプラノの声で、朗々と歌い続けている。
「おい」
 クグチはその空間に、非現実感がもたらす頭痛に耐えて足を踏み入れた。
「おいってば」
 夜空のような色合いのスカートに、そこから伸びる細い脚。白いブラウス。ほっそりした腕と首筋。肩にかかり、背中に、そして胸にも流れる豊かな黒髪。
「何なんだよお前……おい! ハツセリ!」
 やっと歌が止んだ。
 少女が細い顎をあげ、それをクグチに向ける。
 少しだけ目尻が吊り上った目。黒い目。好奇心と残酷さを湛えた目。
「何でだよ」
 クグチは銃のストラップを握り直す。
「何であんたが道東にいるんだ」
 少女の口角が左右対称に吊り上がった。抱きかかえていたハープからしなやかに腕を外し、スカートの裾を揺らして立つ。
「おはよう、明日宮エイジの息子」
 長い髪を後ろに払う。
「そしてこんにちは。そしてお久しぶり」
 クグチは銃を構えた。
 何故そうしなければならないと直感したのか分からない。腰を落とす。幽霊を名乗る少女は頓着せずに歩いてきて告げた。
「そして、さようなら」


 
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