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愛は勝つ

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第三章


第三章

「やっぱり」
「それはそうだけれどな。まあ御前らしいか」
 真はそう述べて笑みを浮かべた。
「そういうところはな」
「うん」
 尚志はまた頷く。
「それでさ。それで」
 彼はさらに言葉を続ける。
「彼女のお父さんと揉めたら過ごそうだね」
「そうだな」
 今度は真が頷く。彼等はここから何気ない日常会話に入った。この時まで尚志は特に若菜に興味があったわけではない。しかしそれが急に変わる時が来たのである。
 ある日のことであった。尚志はこの日も学校の図書館で本を読んでいた。今読んでいるのは小説だった。太宰治である。
「あれっ」
 ここで女の子の声がした。
「確か」
「んっ?」
 尚志もその声に気付いた。声がした右手を見るとそこには若菜がいた。にこりと笑って彼女を見ていたのである。
「矢吹さん?」
「うん」
 若菜は彼の問いにこくりと頷く。そのうえで彼に問うてきた。
「それ太宰の本だよね」
「そうだけれど」
 尚志は答える。
「ここの学校太宰の本揃ってるんだ」
「全集は全巻揃ってるよ」
 また答える。太宰の全集はちょっとした学校ならばある。今でもそれなりに女学生に人気があったりするのである。
「他の作家のもかなり」
「いいわね、それって」
 若菜は尚志のその言葉を聞いてにこりと笑ってきた。
「実は探してたのよ、本がじっくり読める場所」
「本が好きなの?」
「うん」
 その言葉にも頷く。
「そうなの。この学校に転校してから暫く落ち着かなくてはじめてここに来たよ」
「ふうん」
「よかったらね」
 尚志に声をかけてきた。
「どんな作家のがあるのか教えてくれる?」
「うん、いいよ」
 特に断る理由もなかった。尚志もそれに頷く。そうして彼は席から立ち上がったのであった。
「それじゃあこっち来て」
「そっちなのね」
「うん、そっち」
 若菜に答える。
「全集があるところはね」
 これが二人がはじめて話した時であった。それから二人は図書館で時々会うようになった。クラスでは話すことはないが図書館ではそれなりに親しくなってきていた。話しながら少しずつ仲良くなってきていた。
「ねえ」
 この日も二人は図書館で隣り合って座って話をしていた。そこで森鴎外の本を読んであれこれと話をしていた。
「何かさ」
 尚志が若菜に言う。本を見開いて話をしている。
「鴎外の作品って舞姫と高瀬舟じゃ全然違うね」
「そうよね」
 若菜もその言葉に頷く。
「文章とかね」
「舞姫って読みにくいっていうかね」
 これは確かだった。舞姫の時の鴎外は作家としてははじまりであった。高瀬舟の時は円熟期になろうとしていた。また時代的にも文章が大きく変わろうとしていたのだ。舞姫の時と高瀬舟の時ではかなり文章が違ってきているのである。従ってテーマもさることながら全く違う作品になっているのである。
「わかりにくいところがあるよね」
「そうよね」
 若菜もそれに同意する。学生では舞姫は結構読みにくいものがある。
「それに悲しい話だし」
「そうなんだよね」
 尚志もその悲しいというのには同意だった。舞姫は鴎外の若かりし日のベルリン留学での恋愛がもとになっていると言われている。
「あの人日本にまで来たそうだよ」
「そうなの。鴎外に会いに?」
「うん」
 尚志もそのことを若菜に言う。これは実際にあったことである。
「結局駄目だったみたいだったけれど」
「そうだったの」
「うん。帰るしかなくてね」
「実際に悲しい話だったのね」
 当時明治政府は有能な人材を欧州に留学させていた。その人材で国を発展させる為にだ。鴎外もその一人だったのだ。彼は医者として将来を期待されていたのだ。実際に彼は陸軍軍医総監にまでなる。当時は小説家としてだけでなく医者としても有名だったのだ。むしろ医者としての方が名が知られていたのかもしれない。
「そうだね。鴎外にも立場があったし」
「そのせいで別れるしかなかった」
「あの頃はよくあったそうだから」
 これも実際にあったことである。
「だから。結局」
「そういうの考えると舞姫って全然違って見えるわね」
「こうした小説って昔は多いわよね」
「そうだよね。太宰だって」
 太宰にも話をやる。
「自分の話をもとにしているのが多いし」
「そうね。ところでね」
「何かな」
 話はここで文学から少し離れた。
「松本君だったわよね」
「うん」
 尚志は若菜の言葉に応えて頷く。
「小説とか詳しいのね」
「別にそうじゃないけれど」
 謙遜しているがそれはわかる。彼は結構本を読んできているのは確かなのだ。
「よかったらね」
 若菜はそんな彼にまた言う。
「また教えてくれない?」
「小説のこと?」
「ええ。私好きだから」
 あらためて頼む。
「よかったらね」
「うん、いいよ」
 その言葉ににこりと笑って頷く。
「それじゃあね」
「有り難う」
 こうして彼は若菜と図書室でよく話をするようになった。これはやがて教室でもということになり話はすぐに皆の知るところとなった。皆尚志と若菜が仲良くしていることに驚きを隠せないでいた。
 
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