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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百二十九話  権威




宇宙歴 796年 6月 28日  第三艦隊旗艦ク・ホリン  フレデリカ・グリーンヒル



貴賓室では食事が終り三人でお茶を飲んでいる。ヤン提督は紅茶、私とホアン委員長はコーヒー。穏やかな時間が過ぎていた。結構人見知りするヤン提督も飄々とした人柄のホアン委員長との会食は負担に感じなかったようだ。ヴァレンシュタイン委員長との会食とはまるで様子が違う。

やはり乗艦を変えて貰って良かった。ヴァレンシュタイン諮問委員長との会食の後、ヤン提督と委員長が激しい口論をしたという噂が流れた。多分サロンに人が居たから私達の会話に聞き耳を立てていたのだろう。私達の様子にトラブルが有ったと判断したのかもしれない。

或いはザーニアル参謀長、カルロス副参謀長の周辺からだろうか。会食の後、二人には事情を説明しておいた。多少の言い合いが有った事、しかしヴァレンシュタイン委員長はその事を気にしていない事、むしろ大人げない事をしたと謝罪された事などだ。二人は不安そうだったが委員長は私情で動く様な人ではないと説明すると納得してくれた。

ホアン委員長が捕虜交換の調印式の裏話を話してくれている。それによるとトリューニヒト議長はハイネセンで何度もリハーサルをしたらしい。その度に最高評議会の委員長達は皆がアマーリエ陛下の役をやりたがったのだとか。議長に片膝を着かせるのが楽しかったようだ。“皇帝になったような気分だったよ”と言ってホアン委員長が笑い声を上げた。

「ところでヤン提督はイゼルローンに来る途中ヴァレンシュタイン委員長と遣り合ったそうだね」
「御存じなのですか?」
「知っている、ワイドボーン提督に聞いたからね。いかんなあ、若い女性に心配をかけては。早く老けてしまうよ」

ホアン委員長が私に視線を向けるとヤン提督が困ったような表情で“済まない、グリーンヒル少佐”と謝罪してきた。私は“いえ、そのような事は”と言うのが精一杯だった。ホアン委員長が声を上げて笑った。飄々としているけどちょっと意地悪なところが有る。でも不愉快には感じない、人徳だろう、羨ましい事だ。

「それにしても大したものだ、彼と遣り合うとはね。ヤン提督は見かけによらず図太い」
ホアン委員長がヤン提督を褒めた。もしかすると皮肉っているのだろうか? 提督も困惑している。
「そんな事は有りません」
「そうかね、私ならさっさと逃げ出すが」
「本当は私も逃げ出したかったんです」
ホアン委員長が一瞬目を見張った後笑い出した。ヤン提督も苦笑している。私も笑わせてもらった。久しぶりに笑った様な気がする。

「心配かね、彼が」
笑い終えたホアン委員長が問い掛けるとヤン提督が少し間をおいて頷いた。
「……諮問委員長は人間不信に陥っています。そして民主共和政にもかなり醒めた、いや否定的な見方をしている。そういう人物が大きな影響力を持って自由惑星同盟を動かしている。不安に思うのはおかしいのでしょうか?」
「……」

「彼が人間不信に陥ったのは私にも責任が有ります。いや私の所為だと言い切っても良いでしょう。私には彼の人間に対する不信感を非難する資格は無いと言われれば一言も有りません。しかし、だからかもしれませんが不安になるんです。……ホアン委員長は一緒に仕事をしていて不安を感じる事は有りませんか? 私は感じ過ぎなのでしょうか?」
ヤン提督に問われホアン委員長が“ふむ”と声を出した。コーヒーを口に運ぶ。

「ヤン提督はヴァレンシュタイン委員長が独裁者になると思っているのかな? 話し合いではその事が出たそうだが」
「いえ、そうは思いません。彼は亡命者です、独裁者になろうとはしないでしょうしなれるとも思えません。でも独裁的な影響力を持つ事は無いと言えるでしょうか? 彼の一言で全てが決まってしまう、そんな影響力。それは民主共和政国家では不健全だと思うのですが……」
「独裁的な影響力か、面白い表現だな」
冷やかしている感じではなかった。感心している、そんな感じだ。

「軍では上意下達です。その所為で余り気付きませんでした。しかし政治家になってからも大きな影響力を維持している、いえ影響力は増大している。何処か不自然な感じがするのですが……」
ヤン提督がもどかしそうにしている。上手く説明できない、そう思っているのだろう。

「独裁ではない、少なくとも法の下では同等である。そして権力者としても法を超えることは無い。しかし実質は他者を従わせる、他者の上に立つ独裁的な影響力を持つか……。或いは権威のようなものと言い換えても良いかもしれんな」
ホアン委員長がウンウンと頷いている。ホアン委員長がヤン提督に視線を向けた。

「ヤン提督、君はヴァレンシュタイン委員長がある種の権威を持ち始めたのではないか、そう考えているのかね?」
「権威ですか、そこまで明確に考えていたわけでは有りません……」
ヤン提督は首を振って言葉を濁したがアン委員長は気にした様子を見せなかった。

「もしそうだとすれば、ヴァレンシュタイン委員長が権力を求めれば危険だと言えるな」
「やはり、危険ですか」
ヤン提督の表情は暗かった。あのヴァンフリートでの一時間の事を思っているのだろうか……。

「権力と権威の融合、その融合が進めば進む程ヴァレンシュタイン委員長は危険な存在になるだろう。表向きは共和政でも内実は独裁政に近くなる可能性が有る。まるでペリクレスだな」
「……」
ヤン提督が溜息を吐いた。

ペリクレスとは何だろう? ヤン提督は分かった様だ。人の名前、おそらくは政治家の名前の様だが……。私が疑問に思っているとヤン提督が
”ペリクレスは人類が地球を住処としていたころ、古代ギリシャの政治家だった。彼が統治者であった時代のギリシャは外観は民主政だが内実は唯一人が支配する国と言われた”
と説明してくれた。なるほど、意味が分かった。

「珍しいケースでは有る。独裁者というのは独善的でも良いから揺るぎない信念と使命感、自己の正義を最大限に表現する能力、敵対者を自己の敵では無く社会の敵であると見做す主観の強さが必要だ」
「……なるほど」
ホアン委員長がコーヒーを一口飲んだ。

「しかし権威者にはそのような物は必要ない。何故なら周囲がその権威を認めるなら反対など起きないからだ。権威者が権力を求めた場合、もちろんその権力を正しく行使する能力が必要だがごく自然に独裁が成立している可能性が有る」
「……」
ヤン提督が深刻そうな表情になった。ホアン委員長がそんなヤン提督を見てクスッと笑った。

「しかし、彼は本当に権威を身に着けたのだろうか? 疑問ではあるな」
「疑問ですか」
「うむ、確かに彼の影響力は強い。しかしそれは彼の能力が必要とされているだけともいえる。今、同盟は帝国とともに新たな秩序を作ろうとしている、それ故かもしれない。彼ほど明確なビジョンを持っている人間はいないからね」
「なるほど」
頷くヤン提督を見てホアン委員長が軽く笑い声を上げた。

「秩序を作り終えれば影響力は縮小、或いは消滅する可能性も有るだろう。それに彼は権力を求めていない。多分、多少影響力の有る一政治家、それで終わるのではないかと私は思うね」
「私は心配し過ぎなのでしょうか?」
「君がヴァレンシュタイン委員長に負い目を持っているならそれが不安を増大させているとも考えられる。まあ余り深刻に考えないことだ」
ホアン委員長が“コーヒーをもう一杯貰おうか”と言った。



宇宙歴 796年 7月 15日  最高評議会ビル エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



最高評議会ビルの廊下を議長の執務室に向かって歩く。近付くにつれて徐々に警備が厳しくなっていった。執務室の前の待合室には陳情者が十人近くいた。どんな時代でも同じだな、権力者に近付く事が利益に直接つながる。俺が来訪を受け付けに伝えると直ぐに執務室の中に通された。陳情者が恨めしそうな表情で俺を見る。結構待っているのだろう、恨むなら俺じゃなくトリューニヒトにしてくれ。

部屋に入るとトリューニヒトが満面の笑みで俺を迎えてくれた。御機嫌なのも無理は無い。トリューニヒト政権に対する支持率は七十パーセントを超え八十パーセントに迫る勢いだ。近年稀に見る高い支持率だと言われている。まあフェザーンでの戦争は勝ったし愛国委員会のクーデターも潰した。捕虜交換を実施して首脳会談も成功した。支持率が高いのもおかしくは無い。我が世の春だな。後は帝国との和平条約だがこいつは外交委員会の初仕事になる。首脳会談で揉めそうなところは潰しておいた。それほど難しい仕事じゃないから初仕事にはうってつけだろう。

部屋にはターレルとネグポンが居た、議会対策でもやっていたか、或いは留守中の出来事の報告か。ちなみに捕虜を乗せた輸送船は既にイゼルローンに向かって出発している。同盟側が先ずイゼルローン要塞経由で帝国に返還しその後帝国側から同盟に対して捕虜を返還するという順序になる。

「諮問委員長、忙しいところを済まない」
「いえ、お気になさらずに」
また厄介事だろうな。心は憂鬱、でも顔は笑顔だ。宮仕えは辛いよ。四人でソファーに座った。トリューニヒトの隣にターレル。俺とネグポンが並んで正面に座る形だ。トリューニヒトが表情を改めた。

「フェザーンに行くのは明後日だったね。戻ってきたばかりで疲れているだろうが宜しく頼むよ」
「戦争に比べればずっとましです。それに艦隊を率いるわけではありませんから」
「そうか、そう言って貰えると助かる」
トリューニヒトが幾分ホッとしたような表情を見せた。まあ演技でも嬉しくは有るな。

首脳会談でフェザーンの独立が決まった。その条約終結のために俺はフェザーンに行く事になっている。帝国からの出席者はマリーンドルフ伯だ。ここでもフェザーンの政治的地位が地盤沈下していることが分かる。本来ならトリューニヒトかターレル、帝国ではブラウンシュバイク公かリッテンハイム侯が出席するところなのに明らかに格下の俺やマリーンドルフ伯が出席している。

条約終結のためだけにフェザーンに行くわけではない、他にも用事は有る。フェザーン高等弁務官の交代だ。ヘンスロー高等弁務官は退任し新たにアブドーラ・ハルディーンが高等弁務官になる。良く分からん人物だがホアンの推薦という事だからそれなりの人物なのだろう。

俺の仕事は退任するヘンスローを連れ帰ることだ。こいつがフェザーンの飼い犬だったことは分かっている。フェザーンに亡命する等と言い出す前に出来の悪い犬を引き取らなければ……。トリューニヒトが宜しく頼むと言ったのはその辺りの事も含んでいる。

そして首席駐在武官にはヴィオラ准将が復帰する。本来首席駐在武官は大佐が任命されるんだが高等弁務官が新任で首席駐在武官が新任という事になるとかなり高等弁務官府は弱体化する。それは避けたいという事でヴィオラ准将が異例では有るが首席駐在武官に就任する事になった……。つらつらと考えているとトリューニヒトが話し始めた。

「外交委員会と通商委員会の設立が正式に認められた。首脳会談が成功に終わった以上、議会もすんなりと法案を可決してくれたようだ」
「……」
「順調と言って良いが問題が無いわけではない。委員長の人選だ。通商委員長は財界から選ぼうと思っている、それなりにあても有る。問題は外交委員長だ、適任者が居ない」

トリューニヒトが渋い表情をしている。そうなんだよな、外交委員長の適任者がなかなか見つからないんだ。何と言っても百五十年も戦争だけしてきた、外交という概念は非常に希薄だ。馬鹿げているんだが元の世界は様々な国が有った所為で外交が成立したがこの世界ではそれが成立しない。おかげで外交の分かる人間が非常に少ないという奇妙な事態が発生している。

「ターレル副議長とネグロポンティ国防委員長は君とシトレ元帥のいずれかをと言っているんだが如何かな?」
二人を見たがちょっと困ったような顔をしている。気持ちは分かる、俺とシトレの二人を推しているが実際にはシトレの一推しなのだ。おそらくトリューニヒトにはシトレの方が周りからの受けが良いと言った筈だ。俺では周囲に納得しない奴が少なくない。

歳が若いし亡命者だ。外交問題でちょっとでも帝国と取引すればそれだけで経験不足だ、譲歩し過ぎだと騒ぐ奴が出るだろう。実際九兆帝国マルクの国債の償還についても十二兆帝国マルク全額償還させるべきだ、年間一千億帝国マルクの償還は甘いと騒いでいる奴がいるらしい。そいつらは俺の事を帝国に甘過ぎると見ている。

その点シトレは年齢、実績共に十分だ。俺には文句を言う奴もシトレには言わない。それにブラウンシュバイク公やリッテンハイム侯にも顔を知られている。シトレ本人に問題は全く無い。
「私が外交委員長では色々と煩いでしょう」
「ではシトレ元帥で良いかな?」
「適任とは思いますが、現状では必ずしも最善とは言えないと思います」
俺が答えるとトリューニヒト、ターレル、ネグポンが訝しげな表情をした。“拙いかね”とトリューニヒトが問い掛けてきた。

「戦争が無くなった事で軍内部が揺れる可能性が有ります。軍を一つに纏めるにはシトレ元帥の権威が必要ではないでしょうか」
俺が指摘するとトリューニヒト達が顔を見合わせた。
「軍の混乱か、……無いとは言えないな」
トリューニヒトが呟いた。ターレルとネグポンは渋い顔をしている。気持ちは分かる、適材適所なのだが別な不安要素がそれを妨げてしまう。世の中には時々そういう事が有る。ネグポンは特に不愉快だろう、国防委員長なのだから。

「では誰が適任かな? 君の考えは?」
トリューニヒトが質問するとターレルとネグポンが俺に視線を向けてきた。ちょっと緊張するな。
「私はグリーンヒル大将を推薦します。視野も広いですし誠実な人柄です。帝国も信頼するでしょう」
トリューニヒトが“グリーンヒル大将か”と声を出した。そしてチラッとターレルとネグポンに視線を向けた。二人とも特に反応は無い。反対では無いようだ。

「グリーンヒル大将か、その場合統合作戦本部長をどうするかという問題が発生するね」
「シトレ元帥に復帰して頂いては如何でしょう?」
「シトレ元帥に?」
「元々元帥が宇宙艦隊司令長官に就任したのは宇宙艦隊の立て直しのためでした。その目的は十分に達成されたと思います、軍のトップである統合作戦本部長に戻られるべきかと思います」
“なるほど”とトリューニヒトが頷いた。他の二人も頷いている。

シトレを統合作戦本部長に戻す。後任の宇宙艦隊司令長官はビュコックにし、副司令長官にボロディンを持ってくる。これからの同盟はイゼルローン方面とフェザーン方面の二正面での戦争を想定しなければならん。司令長官と副司令長官で分担すれば良いだろう。まあ細かいところはネグポンとシトレにお任せだな。



 
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