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菊と薔薇

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7部分:第七章


第七章

「それは。ですが」
「ですが?」
「誠は一つではないのですね」
 ふとこうしたことを言うのだった。質素にせざるを得ないその着物の袖を寂しげに振ったうえで。そのうえで悲しそうに言うのだった。
「誠は」
「どういうことですか?」
「我が国は今誠を貫こうとしています」
 彼女は自分の国のことを語った。
「生きる為に」
「我が国は。死ぬわけにはいきません」
 執事もそれはわかっていた。この時日本はまさに生きる為に戦おうとしていた。それがこの時の日本の誠だったのだ。揺るぎない誠だったのだ。
「その為には」
「それは英吉利も同じこと」
 そして今度はアンの国のことを言った。
「英吉利もまた生きる為に」
「それは」
「誠と誠がぶつかり合う」
 日本と英吉利の戦争が近いことを感じての言葉だった。
「正しいものは幾らもあるがうえに」
「アン様は」
「ですが。それでも私達は友人です」
 このこともまた語った。
「何があろうともです。ですからこの手紙を」
「それでは」
「送って下さい。是非」
 最後に執事に告げた。そのうえで彼女は一人寂しく自分の部屋に戻った。こらえきれぬ悲しみをその胸の中に一人だけで持っていようとするかの様に。
 手紙と菊は倫敦に届いた。アンはそれを自宅の地下で開いていた。夫も子供達も皆戦場に行き孫達は疎開した。家に残った僅かな使用人達と共に暗い地下室に篭りそのうえで独逸の空襲をやり過ごしながら。そのうえで彼女からの手紙を開いたのだった。薄明かりの中で。
「お手紙ですか」
「はい」
 長年仕えてくれている年老いた婆やに対して静かに答える。
「私の古いお友達からです」
「左様ですか」
「朱雀様・・・・・・」
 手紙を読みながらその友人の名を呟くのだった。薄暗い、弱い明かりの中で。明かりに照らされて花瓶にさしている赤い薔薇が見えた。ただ一輪さされていた。
「そうですか。この戦いが終われば」
「この戦いが終われば?」
「御会いしましょうと。そう書いてあります」
「お友達とですか」
「その通りです」
 こうその婆やに答えるのだった。地下室の中にうずくまるように座りながら。
「この戦いが終わればです。お互いに」
「そうできると宜しいですね」
 婆やはアンの言葉を聞いてその通りだと頷くのだった。
「是非」
「はい。ですから」
 ここで彼女は机の上にあったペンを取った。そして懐から紙を取り出しそこに書いていくのだった。それが終わってから花瓶のその一輪の薔薇を取って。そのうえで言うのだった。
「この空襲が終われば」
「どうされるのですか?」
「この手紙を届けて下さい」
 婆やに対して願うのだった。
「私も共に参りますので」
「郵便局にですか」
「そうです。御願いします」
 アンはまた言った。
「是非」
「わかりました。それでは」
 婆やもまた彼女の言葉に静かに頷くのだった。
「このカチュア、何がありましても」
「この戦いも何時かは終わります」
 終わらない戦いはない、彼女はそれはわかっていた。
「ですからその時にまた」
「戦いが終われば。平和になればですね」
「そうです。また御会いできます」
 爆撃の音が響く中で強い声で言うのだった。
「終わらない苦しみなぞないのですから」
 彼女もまた決意していたのだった。会おうと。そしてその為に耐えようと。辛い戦争の中でそのことを決意しつつ彼女と会うことを楽しみにしていたのだった。
 
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