| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第七章 銀の降臨祭
  第二話 三匹がイク!!

 
前書き
 
 ヤマグチノボル氏が亡くなりました。


 この場を借りて、哀悼の意を表します。


 本当に、残念で仕方ありません。 

 
 アルビオンの首都ロンディウム。
 そのホワイトホールでは、上陸を許してしまった連合軍への対処についての激論が繰り広げられていた。状況は最悪としか言い様がない。頼りのアルビオン空軍艦隊は、先日行われた艦隊戦において、残っていた四十隻の艦隊の大多数を失ってしまい。制空権は完全に握られてしまっている。そして、これまでの敗北により、死者や怪我人、離反者も含めれば、既に全軍合わせても四万を少し超える程度の数しか残っていなかった。
 敵は六万の軍勢で、今は制空権も握られている。対してこちらは四万弱の軍勢と二桁にも届かない数の戦艦だけ。
 更に敵は未知の魔法を使う。
 『レキシントン号』を堕とした巨大な光。
 空一面に映る、質感さえ感じさせる程の幻影。
 敗北は間近であった。
 にも関わらず。
 全ての責任者たるクロムウェルには、全く焦りは見られなかった。それどころか、笑みさえ浮かべ、非難の視線を受け流している。
 そんな余裕が見える姿に、将校たちの何人かは、まだ策があるのではと期待染みた目を向けていた。
 期待を掛ける将校たちの考えの通り。確かにクロムウェルには、策があった。自身が考えた策ではないが、この逆境を払えるだけの策が確かにある。
 だが、それを口にすることが出来ない。
 何故ならば、それは確かに有効な手段であったが、非道と呼ばれるものだったからだ。
 自分に向けられる視線をくぐり抜けるように、背後に立つ黒ずくめの秘書に視線を送る。
 返ってきたのは……。

 『早くしろ』

 ただそれだけ。
 クロムウェルは内心の焦りや動揺を顔に出すことなく、机を軽く拳で鳴らす。
 耳をふさいでも聞こえそうな喧騒の中、その音は大きくホワイトホールに響き渡った。

「さて、それでは奴らを一掃する話をしようか」










「わた、わたしは怖いのです! メイジでもなんでもない、た、ただの男のわたしが、あの、あの悪魔のような作戦を命令するなどっ! それにっ! もしっ! もし失敗したらと考えたら……お、恐ろしくて!」

 会議は無事終了した。
 最後には熱狂の内に終わったほどだ……が。
 しかし今。クロムウェルの心は荒れに荒れていた。
 不安で狂いそうになる心を保つように、シェフィールドの足にすがりつく。かつてアルビオン王の寝室だった場所で、みっともなく這い蹲りながら。

 会議で決まった作戦は、大きく二つ。

 一つ……サウスゴーダの住民から食料を奪うこと。
 連合軍の目的はアルビオンを征服することだ。そのため、戦争に勝ったあとのことも考えなければならない。ならば、飢え死にしそうな民を見捨てる可能性は低い。結果、敵の数少ない食料はさらに減り、足止めとなる。
 効果は大きいだろうが、食べ物の恨みは深い。
 例えこの戦争に勝ったとしても大きなしこりは残る。
 その際のスケープゴートとして亜人を用意してあるとは言え、完璧とは言えない……。

 二つ……サウスゴーダの水に罠を仕掛けること。
 それも特別性の……将軍たちには『虚無』の罠だと行っているが、その実は……分からない……教えられていないのだ……だが、わたしは知りたいとは思っていない……それどころか知りたくないとすら思っている。

 なのに……。

「いい、一体な、何をするのですか?」

 知りたくもないのに……聞いてしまう……。
 口にしてしまう。
 恐ろしさのあまり……。
 聞いてしまう。

 嫌だ。

 嫌だ……ッ。

「サウスゴーダの水に仕掛ける罠とは?」

 嫌だッ!

 知りたくないッ!!

「それで本当に倒せるのですか?」

 知りたくはないっ!!

「勝てるのですか?」

 ああ……何でだ……なんでわたしはあの時、あんなことを願ったのだ……ッ!?

 あんな物乞いの老人の言葉など、無視すればよかった……ッ!!

 ただの冗談だったのにっ!!

 王になりたいなど……ッ!!

 それなのに、そこから始まってしまった……。

 虚無の力を語り……アルビオン王家を滅ぼし……トリステインに攻め入り……。

 暴風に回される風車の如く、箍が外れたかのように回り始めた私の運命は……今……終わりに向かっている……ッ!!

 限界を超える暴風に耐えられず、壊れてしまう風車のように……ッ!!

 そんなところにいるのに……わたしは未だ何も知らないッ!!?

 この指輪は何だっ!?

 この女は一体何者だっ!?

 わたしを王にした目的は何だッ!?

 わたしは何も知らないッッ!!??

 ああッ!?

 知るのは怖いッ!!

 だが……。

 だがッ!! 

 このまま何も知らない方が……もっと怖いッッ!!?













「中隊長殿は初陣の筈ですよね?」
「え? あ、ああ。そうだが」

 唐突に隣りから声を掛けられたギーシュは、それが自分の年上の部下であるニコラであると分かると、小さく頷いて答えた。

「それにしちゃあ、随分と冷静ですなあ」
「……まあ、これも訓練の成果かな?」
「訓練?」
「魔法の特訓に付き合ってくれた人がいるんだが、その人がこれがもう、滅多矢鱈に強くてね。前に立つだけで震えが止まらなくなってしまう程の人なんだ。だから、まあ、それが原因と言えば原因じゃないかな?」
「へぇ~……そりゃとんでもないメイジなんでしょうねぇ。それだけ凄いと有名なメイジなんじゃありませんか?」

 うんうんと頷きながら聞いてくるニコラに、ギーシュは頬をヒクつかせながら首を振る。

「いや。彼はメイジじゃないよ」
「え!? メイジじゃない?」
「とんでもなく強い……騎士さ」
「そりゃ一体どう言った――」
「軍曹、そろそろじゃないか?」

 ニコラが身体を乗り出して問いかけてきたが、上空に艦隊が姿を現したことに気づいたギーシュが、それを止める。

「おっと、そうですね。話の続きは今度(・・)聞かせて下せえ」
「そうだな……今度(・・)しよう」 

 含みを持たせた顔でニヤリと笑い掛けてきたニコラに、ギーシュもニヤリと笑みを返す。
 それを合図にしたかのようなタイミングで、艦隊が砲撃を開始する。十数隻からなる艦隊の一斉射撃は、ギーシュの前にそびえ立っていたサウスゴーダの城壁を打ち砕き始めた。
 砲撃音が空から降ってくるたびに、城壁が崩れていく。
 その光景を見て、ギーシュはゴクリと唾を飲み込む。

「始まる……ッ」

 シティオブサウスゴーダ攻略作戦が……始まった。














 シティオブサウスゴーダの陥落は、攻撃開始からたった三日のことだった。
 連合軍の被害は軽微であった。
 こんなにも早く大都市であるシティオブサウスゴーダを制圧出来たのには二つの理由がある。
 一つは、住民からの協力。
 食料を取り上げられたことに対する恨みは強く。元々、革命軍であるレコンキスタにもいい感情がなかったことからも、住民の中から連合軍に協力するものが続出した。直接的に戦力になってくれる者もいたが、何よりも力になったのは情報だ。住民から渡された情報により、街に潜む亜人の始末が随分と楽になった。
 二つ目は、攻撃開始と共にシティオブサウスゴーダに現れた幻影の軍勢により、アルビオン軍が動揺したことだ。
 街の中に突如現れた敵の軍勢に、シティオブサウスゴーダにいたアルビオン軍の指揮官の動揺は大きく。街中の軍勢がただの幻影だと判明する頃には、もはや取り返しのつかないところまで来ていた。
 しかし、あまり知られていないことだが、もう一つの理由があった。
 それは、赤い騎士。
 街中にいた亜人の数は多く。例え人間用に整備された市街地では、上手く身体を動かせない亜人たちであっても、その力と数は驚異であり。全てを始末するには、時間が掛かるはずであった。
 しかし、連合軍がこの亜人と戦うことは、一番最初の城壁の攻略戦が、最後とも言えた。
 街の中での亜人との戦いは、住民からの情報によって判明した、建物に潜む亜人との戦いしかなくなったのだ。
 何故ならば、街中を堂々と練り歩いていた亜人たちは、既に、赤い騎士によりそのほとんどが始末されていたからだ。赤い騎士が目撃されたのは本当に短い間だけ。最初の攻撃開始と共に現れた幻の軍勢と共に現れ、軍勢と共に消えたのだ。街中にいた亜人の悉くを、赤い騎士がその短時間で始末したことも、幻の軍勢が本物と勘違いされ、事実の判明が遅れた要因の一つだった。
 そんな様々なことが合わさった結果。三日でのシティオブサウスゴーダの制圧が実現したのだ。
 そして今、士郎の前では、シティオブサウスゴーダの中心の広場にて、街の解放が宣言されている。
 そこには、市長や議員、市民の他、連合軍の首脳陣の姿があった。
 広場の中央に設けられた壇上の上では、連合軍総司令官であるド・ポワチエ将軍の演説が行われている。
 立派な勲章がいくつも胸にぶら下げたド・ポワチエが、誇らしげに胸を張り、サウスゴーダの解放と、限定的な自治権を認めることを発表していた。
 サウスゴーダ中の市民が集まっているのではないかと勘違いしてしまうほどの人ゴミから離れた場所。
 建物の壁に背を預けながら、耳だけを演説に向けた士郎がいた。
 士郎はド・ポワチエの演説に歓声を上げる市民の様子をどこかぼうっとした視線で眺めている。

「どうした相棒?」
「……いや、ただ少し疲れただけだ」
「そりゃあんだけ亜人を斬りゃあな……まっ、それだけじゃないようだけどねぇ」

 腰から響いてくる声に、士郎は小さく苦笑を浮かべる。

「……何時もながら、知ったような口を聞くな」
「別にデルフじゃなくても分かるわよ」
「ルイズ……戻ったのか」

 人ごみの中から現れたのは、乱れた桃色の髪を手櫛で整えながら歩いてくるルイズだった。ルイズは士郎の横に立つと、同じように壁に背を預ける。

「何処に行っていたんだ?」
「ん? まあ、別に大したことじゃないわよ。ただ、サウスゴーダ攻略戦で、わたし達結構色々武勲を立てたじゃない。それで勲章を授与しようって言われたんだけど、それを断ってたのよ」
「は? おいおいルイズ。それはいいのか?」

 何でもないことのように口にしたルイズの言葉に、は? と目を見開くと、士郎は焦った様子を見せる。ルイズは顔を寄せてくる士郎の頬をぺちぺちと軽く叩いた。

「何よもう、少しは落ち着きなさいよ」
「いや落ち着くもなにも……本当にいいのか?」

 かつて名誉だ貴族の誇りだと言って躍起になっていた頃のルイズの姿を思い浮かべながら、ルイズを見下ろす士郎。ルイズはそんあ士郎に優しく笑いかけると、小さく首を振る。

「いいのよ。勲章とか名誉とか……そんな躍起になって手に入れるようなものじゃなくなったし。それに、シロウは目立ちたくないんでしょ」
「あ、ああ」

 士郎を見上げながら、ルイズは一歩士郎に近づき、更に身体を寄せる。
 近づくルイズに士郎は動揺しながらも、身体を離すことはない。

「ならますます必要ないわね。それに……あんな奴から勲章を貰っても嬉しくないし」

 肩を竦めながら笑ったルイズは、視線を士郎から壇上に立つド・ポワチエに向ける。

「そうか……噂をすれば影と言ったところか、勲章授与が始まるようだな」
「そうね……って、あれ、もしかしてギーシュじゃない?」
「ああ。それにジュリオもいるな」

 士郎たちの視線の先では、壇上の上に新たに上がった者たちの姿が映っていた。その中には知り合いの姿もある。学院の生徒であるギーシュと第三竜騎士隊隊長のジュリオだ。壇上の上では、勲章を首に掛け、市民からの拍手を受けながら、ギーシュがはにかんだ笑顔を浮かべている。市民の中から、ギーシュに良く似た青年が、壇上に上ると、ギーシュに抱きついた。

「確かギーシュには兄がいたな」
「良かったわね。家族に祝福されて……」

 ルイズが何処か寂しげな笑みを浮かべるのを見た士郎は、顔を向けず、ルイズの頭に手を置くと、ゆっくりとした仕草で撫で始めた。

「ルイズも……良く頑張ったな」
「……ん……ありがと」











 トリステインの王都。トリスタニアの王宮の執務室で、一人の少女が目を瞑り床に膝を着いていた。物音一つ立たない執務室の中、一心に祈りを捧げている少女は、この国の女王。御年十七歳のアンリエッタ
だった。
 アンリエッタは黒い衣服で身を包み。目の前にある小さな祭壇に置かれた始祖ブリミルの像に祈りを捧げている。深いベールに隠された顔が、どんな表情が浮かんでいるのか判然としない。
 しんっと静まり返った執務室の中、彫像の如く動かず祈りを捧げるアンリエッタの耳に、ノックの音が聞こえ。続いて、枢機卿であるマザリーニの声がドアの向こうから掛けられた。

「陛下……よろしいでしょうか?」
「鍵は掛かってはおりません」
「失礼します」

 アンリエッタの言葉に従い、マザリーニが執務室の中に入ってくる。

「お勤めの最中でしたか、お邪魔してしまいすみません」
「かまいません。無力なわたくしには……ただ、祈りを捧げるしか出来ないのですから」

 深いベールを被った状態で顔を伏せているため、アンリエッタがどのような表情を浮かべているのかは分からない。しかし、相対するマザリーニには、どんな顔をしているのかは予想がついていた。

 戦争で死ぬ将兵や民たちの喪に服すための黒のドレス……ですか
 この戦争での被害者を思うのはいいですが、女王としてはそれは駄目です。
 少しは成長したかと思っていたのですが……。
 女王が祈ることしか出来ないなど……何を言っているのですか……女王だからこそ出来ることがあると言うのに。

 マザリーニは次々と浮かぶ言葉を口にすることなく飲み込むと、普段と変わらない顔で報告を始めた。

「昨日、ド・ポワチエ将軍が率いる連合軍が、シティオブサウスゴーダの占領を完了したようです」
「それは良い知らせです。将軍には、わたくしの名で祝辞を送っていてください」
「わかりました。それとですな……」

 急に口ごもるマザリーニの言葉を、アンリエッタが引き継ぐ。

「悪い知らせ……ですね」
「はい。制圧前に、アルビオン軍はシティオブサウスゴーダの食料を徴収していたようです。そのため、食糧不足となった市民に対し、連合軍の兵糧から供出しました。結果。現在食料不足となっております。早急に兵糧の補給が必要です」

 アンリエッタは、ベールの下でグッと歯を噛み締めた。

「アルビオンの策……ですね」
「その通りでしょう」
「酷い話です」
「……それが戦争と言うものです」

 悲しみや怒りの欠片を見せることなく、淡々とした様子のマザリーニをアンリエッタは睨み付ける。

「そうですね……話は分かりました。手配をお願いします」
「かしこまりました。が、そろそろ国庫の残りが心配になってきております。現在も財務卿が、ガリアの大使に借金の申し込みをしております」

 マザリーニの言葉に、息を止めたアンリエッタは、一度大きく息を吸うと、

「いくらでも借金をすればいいのです。出来た借金は、アルビオンの財布から返せば……」
「……それなのですが、このままだと返済が遅れることになりそうです」
「どういうことですか?」

 顔を険しくしたマザリーニに、アンリエッタは怪訝な顔を向ける。

「アルビオンが降臨祭の終了までの期間を休戦にしたいと言ってきております」
「条約破りの言葉等信じられはしません! 例え降臨祭の間は戦は休むことが慣例であっても、そんなこと出来る筈がありません! それともあなたは信じられると言うのですかッ!? 恥知らずも学院の生徒を人質にとろうとした彼らをッ!?」

 侵攻艦隊が出発した翌日に発生したのは、魔法学院の生徒を狙った襲撃事件だった。幸い生徒たちに犠牲者は出なかったが、近衛隊の中に何人か犠牲者が出ている。犠牲者の中には、アンリエッタも面識のある者もいた。気立てのいい女性で、婚約者とこの戦争が終わったら結婚すると言っていた。
 先程までの落ち着いた様子を一変させ、掴みかかってきそうな程の勢いで迫るアンリエッタに対し、ただマザリーニは一瞥を寄越し、 

「それでも、我らはそれを受けなければなりません」

 厳しい声で告げる。

「何故ッ!?」

 絶叫するかのように叫ぶアンリエッタに対し、マザリーニは終始落ち着いた様子を見せている。

「現在のままですと、残りの兵糧では十日も持ちません。相手の言うことは信用はなりませんが、受けずとも郡は補給を受けなければ結局動けないのです。それならば、この機会にこちらに有利な条件で休戦を行えばいいのです」
「兵糧が足りないというのならばっ! その残りの十日でロンディウムを落とせばいいではないですかっ! そのための連合軍ではないのですかっ!? そのために『虚無』を切り札としてつけたのでしょうッ!!」 

 マザリーニは、ベールの向こうに見える表情さえ分かる程の距離にまで詰め寄られながらも、全く焦る様子も見せず、淡々と興奮するアンリエッタを諌めた。

「早期に決着をつけたいのはわたしも同じですが、無理な進軍は、必ず何処かにしわ寄せが来ます。なに、風向きは完全にこちらに向いています。今さら降臨祭の間休戦したからと言って、連合軍が負けるようなことはありません」
「っ……その、通りですね。すみません。口が過ぎました……休戦を許可します。休戦条件は草案を早急に上げてください」

 常に冷静な姿勢を崩さないマザリーニの姿に、やっと我に返ったアンリエッタは、唇を噛み締めながらマザリーニから離れる。我に返り、休戦を許可したアンリエッタの姿を見たマザリーニの顔に小さな笑みが浮かぶ。アンリエッタは、無表情だったマザリーニの顔に微かに笑みが浮かぶのを見て、何気なく頭に浮かんだ言葉を口にした。
 してしまった。

「枢機卿は、皆のことを信用されているのですね」

 その結果。
 アンリエッタは後悔することになる。

「……いえ、わたしは誰も信じてはおりませんぞ」
「え?」

 アンリエッタが、不思議そうな声をあげた。

「いいですか陛下。そもそも国と国との交渉だけでなく、全ての場で、我らは相手のことを信じてはならないのです」
「それは、どういう……」
「言葉通りの意味です」

 淡々と話すマザリーニの様子に言いようのない不気味さと不安を抱いた、アンリエッタは怯えるように後ずさる。

「国を動かす立場にいる者には、とても重い……重い責任があります。時には一つの言葉で万の人を殺すこともありますし、一つの指示で、国を割ることもあります……最悪、国を滅ぼすこともあります」
「国を……」
「わたしたちには、そうした力があるのです。それが政治家というものであり……そして、その力が最もある存在が……王である……あなたなのです」
「ッ!?」

 一歩ずつ後ずさっていたアンリエッタの足が、行き止まりでもないにも関わらずピタリと止まる。
 黒いベールの向こうにある顔が、真っ青に染まっていた。

「ほろ……ぼす? わ、た……くし……が?」
「だからこそ、我らは常に疑わなければなりません。騙され、利用されれば、犠牲になるのは我らだけでなく、国全体に及ぶのですから」
「つね、に、うた……がう……」

 俯き、震えながら、自分自身の身体を抱きしめるアンリエッタ。マザリーニはアンリエッタのそんな様子を痛ましげに見下ろしていたが、一度強く目を瞑り、元の無表情に戻す。

「そうです。疑わなければなりません。他国の者だけではありません。同じ国の貴族も、家族も、友人も、恋人でさえ……全て例外なくです」
「そんな……の、そんなこと出来る、はずが……それで……は……生きて……いけま、せん」

 頭を抱え、とうとう蹲ってしまったアンリエッタを、マザリーニは凍りついたように動かなくなった顔で見下ろし続ける。

「ですが、陛下の言う通り。それでは生きていくことは出来ません。なので、わたしが言ったことをその通り行う必要はありませんが、自覚はしておく必要があります。信じて騙される場合と、信じず疑い騙される場合では、その後の対応に天と地ほどの違いがありますゆえ」
「……王とは……誰一人として、本当に信じられる人がいないのですね」

 蹲った姿勢で、ポツリと呟いた言葉に、マザリーニは小さく頷く。

「そうです。王とは……孤独なのです」
「……やはり……わたくしは……王になどならなければよかった」

 呟くと言うよりも、漏れたと言った様子でアンリエッタは口を開く。

「その言葉は……まだ……早いと思われますぞ……陛下……」

 蹲り俯くアンリエッタの前に立つマザリーニの視線は、手に持つ紙の上に向けられていた。紙に書かれているものは、人の名前だけ。
 マザリーニが手に持つそれは……。

 ……戦死者名簿と呼ばれるものであった。 












 マザリーニが去り、一人だけになった執務室の中。アンリエッタは壁に背をつけた姿で、身体を抱きしめ縮こまっていた。その姿を見て、この国の女王と分かる者はいないだろう。力なく、今にも消えそうな様子を呈しているアンリエッタは、痣になるほど強く自分の身体を抱きしめながら、ポツリと押し殺した悲鳴染みた声を上げた。

「……誰か……」

 アンリエッタの心には、先程までのマザリーニとの会話が思い起こされていた。
 自分の感情を優先させ、将兵の気持ちを考えず命令をしそうになったこと。
 親友であるはずのルイズのことを、無意識に『虚無』と道具扱いしたこと。
 そして……。 

「……助けて……」

 信じられるものなどいない……常に疑えと言われたことを……。
 黒いベールの向こうに隠された瞳から、涙が流れ出す。
 頬を伝い、唇まで流れた雫は、喉を痛めながら潤し、助けを求める……。

「……………………シロウ…………」

 赤い騎士に。

 守ると言ってくれたあの人に……。














 神聖アルビオン共和国との休戦が結ばれ、三日が過ぎたシティオブサウスゴーダの街は、四日後に迫る新年と、始祖の降臨祭により、妙に浮き足立つ様子が見られていた。街を歩く市民の姿も、厚着で埋もれた顔を綻ばせながら歩いている。高度三千メイルに位置する浮遊大陸のアルビオンの冬は早く、そして突然やってくるものであるのだ。
 そんな街の中。連合軍が接収した宿屋の一室の中に、一人と一本の姿があった。明々と燃える暖炉の前で正座をするルイズは、壁に立てかけられたデルフリンガーに向き合っている。

「チャンスだと思うのよ」
「まあ、そうだろうな。ここにゃ、他の女がいないからな。今のところ相棒に言い寄る女の影は見えねえし」

 暖炉の前、毛布を頭から被った姿のルイズが、デルフリンガーに真剣な顔をして言い募っている。デルフリンガーは首があればうんうんと頷きそうな勢いで相槌をうつ。

「それで、最近シロウ何だか元気がなさそうだし、ここで何かしてあげたいと思っているわけよ」
「ふむふむいい心がけだと思うが」
「だからいい考えない?」
「……相棒に頼み込んで俺っちを借りたのは、それが理由なのかい?」

 溜め息混じりの声を上げるデルフリンガーを、ルイズは睨み付ける。

「ナニ? モンクアルノ? ごちゃごちゃ五月蝿いなら、溶鉱炉に投げ込むわよ」
「……へいへい……しかし、どうして俺に聞くんだ?」
「だってあなた、何時もシロウと一緒にいるじゃない。だからシロウについて色々知ってるんじゃないかと……」

 もじもじと指先をつつき合わせながらブツブツと呟くルイズに、デルフリンガーは苦笑じみた声を返す。

「そう言うがねえ。俺だって相棒のことなんてほとんど知らねえよ」
「むぅ……でも、ほとんど何時も一緒にいるじゃない。少しぐらい何かないの?」
「とは言われてもねぇ……」

 微妙にデルフリンガーの声のターンが下がっていったが、不意に小さく声を上げた。

「…………あっ……」
「何かあるの?」

 それを敏感に聞き取ったルイズが、デルフリンガーを掴み顔を近づけた。

「何? 何? それは何なの? 早く教えなさいっ!! いいから教えなさいッ!!」  
「分かった! 分かったから落ち着いてくれッ!!」

 剣であるデルフリンガーは、掴んでくるルイズを遠ざけるための手も足もないため、好き放題にされてしまう。必死な声でルイズを落ち着かせたデルフリンガーは、やっとの思いで解放されると、呼吸をする必要がないにもかかわらず、ぜいぜいと息を切らす。

「ど、どうも、相棒は強く迫られると弱いように見えるんだが。お前さんも覚えがあるんじゃないのか?」
「確かに……弱いわね」

 デルフリンガーの言葉に、ルイズは細い顎に指先を当て考え込む。

「でも、それじゃあ普段とあまり変わらないような」
「……何時も嬢ちゃんから襲ってるのか……いやまあ、別にいいけどよ……何時もと同じが嫌だって言うんなら、何時もと違うやり方で誘ってみりゃいいんじゃねえか?」
「何時もと違う?」

 顎に指を当てながら、コテンと首を傾かせるルイズ。

「おう……そうだな。例えば、こういうのはどうだい――」

 デルフリンガーがルイズに自分の考えを話すと、最初は渋っていたルイズだったが、デルフリンガーの最後の「これなら相棒から襲ってくるんじゃないか」という言葉が決め手になり、その案を採用することになった。
 方策が決まると、ルイズは早速行動に出る。まずは宿屋の召使に買ってこさせた黒い毛皮を加工し、目的のものを作り出す。ルイズの裁縫の才能はゼロと言ってもいいが、構造が単純であったことと、作業量が少ないことから、無事に目的のものが完成する。
 ルイズは完成したものを目の前で広げると、作業で出た汗とは違う汗が頬を伝う。

「ほ、本当に、こ、これを着るの?」
「なかなかいい出来じゃねえか。これを着てお前さんが語尾に『にゃん』でも付けて迫りゃ。もともと迫られるのに弱い相棒はイチコロだろうよ」
「い、イチコロ……で、でも……やっぱり恥ずかし過ぎるわよッ!?」」

 絶叫し尻込みするルイズの前に広げられているものは、五点セットの変身グッズだった。
 変身するものは黒猫。
 着ること自体は簡単だ。
 いや、簡単すぎると言ったほうがいいだろう。

 三角に切り取った黒い毛皮を取り付けたカチューシャ。
 胸に巻くバンドに黒い毛皮を取り付けたもの。
 同じく毛皮を貼り付けたショーツ。
 毛皮を筒のように巻いて作った、即席の靴下。
 そして……余った毛皮を一本の縄のようにして作り上げた尻尾。

 以上五点セットを、服を脱ぎ着ることで等身大の猫に、それも男にとって非常に魅力的な牝ね……黒猫早変わり出来るのだから。
 しかし欠点を上げるのならば一つ。
 出来上がったそれは、身体の要所だけ(・・)……本当に要所だけ(・・)を黒毛皮で隠したものだったのだ。
 これを着たらもう痴女としか言い様がないだろう。
 真っ赤な顔で逃げるように、床に広げた衣装から後ずさるルイズの足を止めたのは、

「まあ、確かに。これはやりすぎかもしんねえな。これを着たお前さんを見たら、いくら相棒だって、理性が吹っ飛んで襲いかかってきそうだしな」

 デルフリンガーが何気なく言った言葉だった。
 ピタリと足を止めたルイズは、顔を俯かせワナワナと震え出す。デルフリンガーがそんなルイズの様子に気付き、声を掛けようとした瞬間、バッと顔を上げたルイズの目には、ある種の決意があった。

「お、おい?」

 デルフリンガーの声を無視し、ルイズは部屋の隅に向かって歩き出す。部屋の隅に並べてあったワインの一つを手に取ると、ルイズは瓶の蓋を開け、小さく息を吐き……。

「ちょ、ちょッ!?」

 止める間もなく一気に呷った。
 デルフリンガーの目の前で、どんどんとなくなるワインに比例するかのように、ルイズの顔が赤く染まる。
 「ぷはっ」とルイズが瓶から口を離した時には、既に瓶の中には、ワインの姿がほとんど見えなかった。
 少しふらつきながらも、デルフリンガー……いや、床に並べられた衣装の前にまで戻ったルイズは、ゴトリと瓶を床に落とすと、空いた手をゆっくりとした仕草で床に向かわせる。

「ふ、ふふふ……こ、これを着ればシロウが……あはっ……アハハハ……」

 胸に黒猫変身セットを抱えたルイズが、真っ赤に染まった顔で笑い声を上げる。暖炉で燃える火に照らされたルイズの影が、歪な形となって壁を染めた。何処かネジが緩んだ様子で哄笑するルイズの様子に、デルフリンガーが恐々とした声で呟く。

「こ、こりゃ俺っちは……とんでもないものを起こしちまったかもしれねえな……すまん相棒……無力な俺を許してくれ……」

 士郎が聞けばお前のせいだろうがッ!! と怒鳴りつけられそうなことを呟くデルフリンガーの前で、ルイズが変身セットを抱えると、部屋に設置されている小部屋に向かっていった。

「まあ、こういうのも節操なく女に手を出した相棒が悪いんだし……自業自得と言うことで……俺知~らねっ!」

 デルフリンガーの無理矢理上げた明るい声が、薪が爆ぜる音に混じって部屋の中に響き渡った。














 ルイズとデルフリンガーが宿屋の一室で会議を行っていた頃。士郎はと言えば、一人宿を離れ街の中にいた。連合軍は極力市街地への攻撃は避けていたが、それでも街に被害が全くないというわけではない。街中に潜伏していた亜人との戦い等で、街のあちこちにまだ、痛々しい傷跡が残っている。そんな一角の壁が崩れた一軒の家の中、士郎は汗を流しながら瓦礫を運んでいた。

「っよし。これで最後だな」
「あ、ありがとうございます。本当にすみません。こんなことまでしていただいて」
「いや。構わないよ。こんな寒空で壁が壊れていたら大変だからな」

 士郎の前で申し訳なさそうに頭を下げるのは、長い亜麻色の髪を持つ少女だ。髪の隙間から見える顔立ちは、息を飲むと言うほどではないが、ずっと見ていたいような安心感を抱かせる容姿の、可愛らいしい少女だった。
 頭を下げる少女の手を取り顔を上げさせた士郎は、ルイズとそう歳の変わらないだろう年頃の少女の頭に手をやると、優しく撫で始める。

「一応壁は塞いだが。応急処置だからな、落ち着いたらすぐに直したほうがいい」
「あ……は、い……」

 真っ赤に染まった顔を俯かせる少女の気付くことなく、他に何かあるかと周りを見渡していた士郎の足元に、小さな影が駆け寄ってきた。

「兄ちゃんっ遊ぼうっ!!」
「外で露天が開いてたよ! 一緒に行こうよっ!」
「あそぼあそぼ」
「きゃっ!? あ、あなたたちっ?!」

 真っ赤な顔で、しかし笑みを浮かべながら頭を撫でられていた少女は、ドアから飛び込んできた影の声に驚き、ぴょんっと士郎から飛び離れてしまう。その隙に小さな影たちは、少女と士郎の間に入る。
 士郎の足に縋り付いて催促するのは、この家の子供たちであった。
 まだ十歳に満たないだろう。士郎の足を中心に、ぐるぐる回っている。士郎は足を曲げ視線を子供に合わせると、両手を使い、それぞれの頭を撫で始める。子供たちは、士郎に頭を撫でられると、電池の切れた玩具のようにピタリと足を止め、気持ちよさそうに顔を緩めた。もっとと言うように、士郎の胸に縋り付いてきた子供たちの姿に、その姉である、先程まで士郎に頭を撫でられていた少女が、頬を膨らませながら声を上げる。

「何やってるのっ!! シロウさんの邪魔になるでしょっ!! さっさと出て行きなさいっ!!」
「うわっ! な、何言ってんだよ姉ちゃんっ! 姉ちゃんだってさっきまでシロ兄に頭を撫でられて喜んでたじゃないか!?」
「そうそう」
「もっと……撫でて」
「な、ななななななに、何言ってるのよっ!?」

 一気に騒がしくなる様子に、士郎は苦笑いを浮かべると、足を伸ばし、再度ぐるりと部屋の中を見渡す。風が吹き込んでこないことと、瓦礫の姿がないことを確認すると、椅子に掛けていた外套を手に取り身に付けた。

「兄弟喧嘩も程々にな。それではな」
「あっ! ちょ、ちょっと待って下さい!!」
「ん? 何だ?」

 ドアノブに手を掛けた姿で後ろを振り向いた士郎の前で、亜麻色の髪の少女が、もじもじと身体を揺らしている。

「その、な、何かお礼を……」
「いや、構わない」
「そんなっ! ここまでして頂いたのにそんなのはっ!」

 ダメですと首を振る少女の姿に、ふっと口元を綻ばせた士郎は、ドアノブから手を離すと、少女の前まで歩いていく。少女の前で足を止めた士郎は、亜麻色の綺麗な髪の上に手を置くと、ゆっくりと、手で髪を梳くように撫ではじめる。

「くぁ……あ……っ……ん……」

 一瞬で顔を真っ赤に染めた少女が、何かに耐えるように唇をキュッと噛み締める。
 その姿を士郎は恥ずかしがっていると勘違いし、パッと手を離すと、少女は「あっ……」と物欲しげな目で士郎の手を追ったが、やはりそれも士郎は気付くことはなかった。お預けを食らった犬のような目で士郎を見上げてくる少女の目に士郎は視線を合わせると、優しく、それでいて少し悪戯っぽい顔で笑った。

「さっきの言葉だけで十分だ。特に君みたいな可愛い子のお礼なら特にな」
「ッッッ!!??」

 声を出すことも出来ず、ボッと一気に燃え上がる炎のように真っ赤に染まった少女に背を向けた士郎は、今度こそドアノブに手をかける。それを止める者はいなかった。士郎がいなくなった部屋の中、ペタンと腰が抜けるように床に座り込んだのは、亜麻色の髪を持つ少女だけでなく。

「す、すげぇ」
「ふわ、あ……」
「……ドキドキしてる」

 先程まで騒いでいた子供たちもまた、床に座り込んでいた。
 三人の顔は、少女と同じように赤く染まっていたが、

「……きゅ」
「姉ちゃん?」
「お姉ちゃん?」
「おねえたん?」

 しかしそれは、

「きゅう」
「姉ちゃんッ!!」
「お姉ちゃんッ!?」
「おねえたん?」

 姉である少女のものに比べれば、やはりまだまだであった。 
 奇妙な声を上げパタリと倒れた姉の姿に、子供たちが一斉に騒ぎ出す。姉の身体を三人が力を合わせ引きずってベッドまで連れて行こうとする中、姉である少女の顔は……幸せそうの緩んでいた。 

 











 士郎は今日五軒目(・・・)の家から出ると、今までと同じように騒がしくなる家に背を向け歩き出す。まだまだ困っている人たちは大勢いるだろう。士郎は人手が足りず困っている人がいないか辺りを見回しながら歩いていると、後ろから突然声をかけられた。 

「シロウさん!」
「シロウっ!」

 駆け寄ってくる足音は二つ。その足音と気配に覚えがあった士郎が振り向くと、獲物に襲い掛かる肉食獣の如く両手を広げ飛びかかってくる影が二つ。

「し、シエスタっ?! ジェシカ!? 何故ここ――グハァッ!!?」

 二人のボディプレスを同時に食らった士郎だが、その鍛え抜かれた強靭な肉体は何とかその衝撃に耐えることは……出来なかった。
 二人の抱きつきに耐えられなかった士郎は、後ろに倒れながらも、二人に怪我をさせないよう腕を回すと、守るように強く抱きしめる。地面の上を滑り熱を持つ背中と、衝撃にたわむ内蔵を感じながら、地面に転がった士郎は、胸に抱いた元凶の二人を非難染みた目で見下ろし、

「何をするんだ二人共ッ!?」

 文句を言うが。

「シロウさんシロウさんッ!」
「シロウシロウシロウッ! ん~……この匂い……はあ……もうっ……うふふふふふ」
「駄目だ……聞こえていない」

 犬だったら尻尾を千切れんばかりに振っていただろう二人は、士郎の胸に顔を埋めさせると、更にもっともっとと言うように顔を押し付けていた。二人がここにいる理由を知りたいのはやまやまだったが、それよりも早くこの状態をなんとかしなければならない。ここは天下の往来だ。今もジロジロと投げかけられる人の視線が痛い。
 なのでガッチリと腰に回された手を外すことを早々に諦めた士郎は、これを何とか出来るだろう人物に助けを求めた。

「助けてくれませんかスカロン店長」

 首を傾かせた士郎の視線の先には、革の衣装に身を包んだオカマ店長の姿があった。スカロンは士郎の助けを求める声と目に「ん~」と野太い声で唸りながら顎に指を当てると、その分厚い唇の端を曲げ、

「このままあたしも混ざっちゃおうかしら?」
「それだけはやめてくれえええええええええええ!!??」

 ニヤリと笑うスカロンに、遂に士郎は悲鳴を上げた。














「それで、どうしてここにいるんだ?」
「え? ああ、それはですね。わたし達はここに慰問に来たんですよ」

 何とかシエスタ達を引っぺがすことに成功した士郎は、興奮状態の彼女達を落ち着かせようと、広場に面したカフェに連れ込んだ。カフェの定員に飲み物を人数分頼み椅子に座ると、シエスタとジェシカは椅子を士郎に近づけだす。士郎が止める間もなく、近づけた椅子に座った二人は、身体を士郎にしなだれかかる。説得をするも聞くはずもなく、店の中にいる客からの視線に刺さるのを感じながら、士郎は店員が来るまでの間、乾いた笑みを口に浮かべていた。暫らくした後、店員が持ってきた飲み物を飲む時でさえ、二人は士郎から離れることなく、ベッタリとくっつきながら飲む始末だ。
 士郎は二人を離すの諦めると、左右から抱きつき、胸に顔を埋めるシエスタにここにいる理由を聞くと、シエスタは幸せそうに微笑みながらそれに答えたのだった。

「慰問? いや、それはまあ、見ればわかるんだが、シエスタは魔法学院のメイドのはずだろ。それがどうしてここに?」

 シエスタの答えに、士郎は特に驚きを示さなかった。最近そのことについて良く耳にしていたからだ。アルビオンでは、トリステインとは違い、ワインをあまり飲まないせいから、出る飲み物はお茶か麦酒しかない。それだけでなく、食事の方もまた、トリステインと大分違うことから、近々慰問隊が来るとは、最近良く耳にしていたからだ。しかし、その時の士郎には、その慰問隊の中に、『魅惑の妖精亭』が入っていたなど夢にも思わなかった。
 とは言え、今の士郎にとって疑問なのはそこではなく、『魅惑の妖精亭』の店員でも何でもないシエスタが、何故こんなところにいるのかということだ。戦時中とはいえ、魔法学院には女子生徒たちが残っているため、授業がまだ続いている筈なのだが。

「そ、それは……」

 幸せそうに顔を緩ませていたシエスタが、急に苦しげに眉を寄せる。その姿に胸騒ぎを感じた士郎は、シエスタの肩に手を置くと、ゆっくりとした口調で話しかけた。

「何があった」
「……学院が襲われました」
「っ……何だと?」

 その言葉に息を飲んだ士郎は、顔を俯かせるシエスタに顔を近づける。

「知っていることだけでいい。教えてくれないか?」
「は、はい。賊が襲ってきたのは、シロウさんたちが学院から出発してからすぐにでした。賊の狙いは貴族の方達だけだったみたいで、わたし達使用人は、ずっと宿舎に隠れていましたので、無事だったのですが。ただ、学院に来ていた近衛隊の方達の何人かが亡くなった方がいると聞きました」
「生徒には?」
「そこまでは……」

 その時のことを思い出したのか、カタカタと震えだすシエスタの身体に手を回した士郎は、グッと力を込めて抱きしめた。腕の中で、シエスタの震えが段々と止まっていくのを感じながら、士郎は耳元で囁く。

「よく頑張ったな。無事で、本当によかった」
「シロウさん……はい……っ」

 涙で瞳を潤ましながら、シエスタは士郎の身体に回した手に更に力を込め強く抱きついた。暫らくそのままでいた士郎達だったが、そっと腕に込めていた力を緩めたシエスタが身体を離す。

「……だから、学院は戦争が終わるまで閉鎖になってしまったんです。それでその間、田舎に帰るかどうしようか迷っていたわたしに、叔父さんが店の手伝いをしないかと誘いを受けたんです」
「叔父さん?」

 シエスタの最後の言葉に何か引っかかるものを感じた士郎が、その言葉を口にする。すると、シエスタはうんと頷きながら顔を上げ、士郎の前に座る人物に声を掛けた。

「はい。スカロン叔父さんが、わたしの叔父ですけど?」
「……いや、まあ、まさかとは思っていたが……黒髪は珍しいし……しかし……そうか……」

 ハハハと乾いた笑みで笑う士郎を見て小首を傾げていたシエスタだが、そこでハッと顔を反対方向から士郎に抱きつくジェシカに顔を向ける。

「そ、そう言えばシロウさんは何でジェシカ達を知っているんですか? って言うかジェシカは何でシロウさんに抱きついているんですかッ!?」
「いや、今更それか?」

 驚愕の声を上げるシエスタに、士郎が呆れた顔を向けていると、士郎の胸に顔を埋めていたジェシカがゆっくりとした仕草で顔を上げる。

「何でって……それはシロウが好きだからに決まってるじゃない?」 
「す、好きって?! ちょ、ちょっと待って! どうしてっ……て、まさか……夏休みの時……」

 士郎を挟んで二人の少女が睨み合っている。
 驚愕の顔で目を見開くシエスタに、ジェシカがニヤリと笑う。

「その夏休みが何時かは知らないけど、一時シロウたちはウチの店で働いていたことがあってね。その時ちょっと……」
「……シロウさんたちが王都にいたのは、そんなに長い期間じゃなかった。ということはジェシカ。あなたそんな短い時間でシロウさんに落とされたっていうことね……名高い『魅惑の妖精亭』の看板娘が、落ちたものね……」
「あら? 恋に落ちるのに早い遅いなんてないんじゃないかしら?」

 うふふ……と笑い合う二人に挟まれた士郎が、助けを求めるように店内を見渡すが、視線が合う客全員から死ねとジェスチャーで示された上、無視されるはめとなった。最後の希望とばかりに、前に座るスカロンに視線を移すが、スカロンは麦酒をまるで水のようにガブガブと飲みながら、顔を逸らしている。

「でも、まさかあのシエスタがシロウにねえ……」
「何ですか。何か文句でもあると言うんですか?」
「いえ別にぃ……ただ、未通女なあなたが、シロウを喜ばせられるのかなって思ってね……」
「未通女……ですか……懐かしい言葉ですね」
「へぇ……そうなんだ……」
「ええ。昔とは違いますよ。色々と……ね……シロウさんと会ったのも、わたしの方がずっと早いですし……女にしてもらったのも……ね……」
「言うわね」
「言いますとも」

 やばいやばいやばいやばいやばい……こ・れ・は、ヤバイッ!!

 ふふふふふ……と笑う二人の様子に、士郎が脂汗を流しながら必死にスカロンに助けを求める。今にも泣きそうな目で訴えられたスカロンは、やれやれと首を振ると、呷っていた木のジョッキを音を立てテーブルの上に置いた。

「シロちゃんがいるということは、ルイズちゃんもいるんでしょ? 久しぶりに会いたいわ。シロちゃん案内してくれない?」
「あ、ああ! 行こう! 今すぐに行こう!」

 天の助けとばかりにスカロンの言葉に頷いた士郎は、ジェシカとシエスタを身体に引っ付けたまま立ち上がる。テーブルに代金を置くと、非難と殺意が混じった視線を背中に受けながら店の中から飛び出した。
 その選択が、過ちであるとは知らずに……。













「まあ、上がってくれ。中にルイズがいるはずなんだが……あれ? いない?」

 シエスタたちを連れた士郎は、自分たちが借りた宿屋の一室の中にスカロンたちを招き入れるが、部屋の中には、いると思っていたルイズの姿はなかった。ただ、部屋の中の暖炉の火は強く、外に出て行ったとしても、そんなに前の話ではないだろう。
 首を傾げながらも、しなだれかかるジェシカとシエスタを引きずりながら、士郎は部屋の中に入っていく。

「どうやらルイズちゃんはいないようね。どこに行ったのかしら?」
「そのようだが。おかしいな? 今日は寒いから部屋の中にずっといると言っていたんだが」

 士郎とスカロンが顔を見合わせ、ルイズの居場所を考えていると、両脇を固めていたシエスタとジェシカ士郎を引っ張り出した。

「ちょ、おい。どうした?」
「何時までも女性を立たせているのは問題じゃないかしら?」
「シロウさん少し休みましょう」

 シエスタたちが士郎の手を引っ張って向かう先は、部屋に設置されている大きめなベッド。振り払おうと思えば振り払えたが、士郎はただ苦笑いを浮かべるだけで抵抗することはなかった。どうしようかと背後に顔を向けると、スカロンも同じように苦笑を浮かべた顔で肩を竦めている。

「休むのはいいが、ちゃんと椅子もあるんだ。それを使ってもい――」
「それじゃあ、シロウにべったりくっつけないじゃ――」
「ベッドの方がいいんです。ほら、椅子だと固いじゃ――」

 ベッドに向かいながら口々に何かを言っていた士郎たちだったが、唐突にその口の動きが止まった。その理由はベッドの向こう側。士郎たちの視線の先にある、部屋に設置されている小部屋に通じるドアから出てきた者の姿を見たからであった。

 それは小さかった。
 それは白い肌を桃色に染め上げ、要所だけを黒い毛皮で隠していた。 
 それは桃色の髪を靡かせていた。
 それは、はしばみ色の瞳をとろんと蕩けさせていた。
 それは……。

「る、ルイズ?」
「なっ……ルイ、ズ?」
「み、ミス・ヴァリエール?」

 士郎たちが驚愕の声を上げる中、黒猫変身セットを身に付けたルイズが、覚束無い足取りで歩いてくる。酔っ払っているのか、ルイズの瞳は焦点があっておらず、頬と露わになった身体の肌が、髪と同じ、桃色に淡く色付いていた。ルイズはこくりこくりと揺らめいていた顔を、突如ピタリと動きを止めると、揺らめく瞳で士郎をじっと見つめていたかと思った瞬間。

「にゃ~んっ!」
「んな?!」
「きゃ」
「あぅっ」

 鳴き声を上げながら士郎に飛びかかってきた。前触れもなく飛びかかってきた士郎を受け止めることが出来ず、士郎はルイズと共にベッドの上に転がる。シエスタとジェシカは、ルイズが士郎に飛びかかった勢いで弾かれ、ベッドではなく床の上に転がってしまった。素早く起き上がろうとした士郎の上に、それよりも早く起き上がったルイズは、すぐにマウントポジションが始まった。マウントを取ることに成功したルイズは、士郎の鍛えられた腹筋の上で丸くなると、首を伸ばし、士郎の首元に顔を埋める。

「ちょ、おい! ルイズお前何を!?」
「みゃんみゃん」
「みゃんみゃんじゃないだろう?! 一体どうしたって……あ、ちょ、ルイズ……えらく酒臭いんだが……」
「みゃ~ん?」

 言っている意味がわからないと首を傾げるルイズの姿に、はあと溜め息を吐くと、ルイズが出て来た小部屋の中にいるものに対し、声を掛ける。

「どういう事だデルフ?」
「あ、相棒? な、なに、そんなに怒るもんじゃねえ」
「いいから説明し――うわっ! ちょ、何をするんだ!?」
「みゃんみゃん」

 突然首元を下で舐め上げられた士郎が、奇妙な声を上げる。それが面白かったのか、ルイズは鳴き声を上げながら士郎の身体のあちこちを舐め上げた。

「ちょ、ルイズ。お前、それ、本当に洒落になら、待て待て! それはヤバいヤバイって?!」
「うみゃ」

 士郎の身を包む甲冑を、手馴れた動きで外したルイズは、下着のみとなった士郎の胸に抱きつくと、うみゃうみゃ言いながら顔をすり寄せ始める。
 甲冑を外され、擦り寄るルイズの感触がダイレクトに感じ、背筋に寒気にも似た快楽が生じた。
 それでもこのような現状の説明を求めようと、横目でデルフリンガーを睨みつけてやる。

「そんなに怒るなよ相棒。嬢ちゃんはただ、相棒を元気づけてやろうとそんな格好をしてるんだ。だけどよ、どうもやっぱり恥ずかしかったらしく、それを紛らわすために、この部屋にあったワインを一気に飲んじまったんだよ」
「だとしてもだっ! これはさすがにぃっ?!」

 またもや首筋を舐め上げられ、士郎は歯を食いしばる。
 このままだと埒がいかないと、背に腹を変えられないとばかりに、シエスタとジェシカが転がっていた床に視線を送るが、何故かその姿はそこにはなかった。
 何処だと顔を上げると、丁度ドアから出ていこうとするスカロンと視線が合う。

「それじゃ、ごゆっくり」

 バチコンとウインクを一発かましたスカロンは、それだけ言うと、ドアの向こう側に投げかけた。シエスタたちの姿もなく、ルイズと二人っきりの部屋の中、士郎は牝ね……黒猫と化した、腹の上にのしかかるルイズを見上げる。
 ルイズは酒で濁った瞳を、湧き上がる情欲で濡らすと、徐々に士郎に近づいていく。

「る、ルイズ」

 桜色に染まった肌。
 熱いぐらいの体温。
 濁り濡れた瞳。
 粘性を感じさせるほどに密度の濃い、酒気と女の臭いが混じった空気。

 士郎は自分の中の枷が外れそうになっているのを感じた。今までの経験から、枷が外れると暴走してしまう恐れがある。士郎は近づいてくるルイズの姿に、枷が音を立て揺れるの感じていた。
 もう、これは駄目か……ッ!?
 士郎が諦めかけたその時、ドアが勢い良く開いた。
 助けか!? と顔をドアに向かって曲げると、そこには二匹の獣がいた。

 一匹は犬。
 茶色の少し垂れた犬耳。
 胸と尻を隠す毛皮は極力小さく。もはや服どころか下着の体も表していない。
 尻尾は少しボリュームがある形だ。

 二匹目は狼。
 犬に似た耳の形は銀狼を元にしたものだ。
 ピンッと立った耳は、何処か気高く見える。
 犬ろ同じように、身を包む衣装は服どころか下着の体を表していない。
 尻尾も同じくなかなかのボリュームがあるが、犬のものに比べれば、どこかスラリとしており、気品のようなものを感じた。

 そして二匹とも、猫と同じように露出した肌と顔が淡い桃色に染まり、瞳は酒気と情欲に濡れ揺らいでいる。

 二匹の獣はドアを後ろ手で閉じると、士郎目掛け駆け寄ってくる。色々と弾ましながら近づいてくる二匹の獣を見て、士郎はああ、これは駄目だなと嘆息した。





 二匹の獣が士郎に飛びかかってくる。





 士郎の耳にカチャリと、枷が外れた音が聞こえた気がした。







   
 

 
後書き
 感想ご指摘お待ちしております。 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧