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ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~

作者:平 八郎
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第76話 演習 その2

 
前書き
遅くなりました。

台風の影響で会社に缶詰めした影響で、一日遅れはほぼ無理。
盆明けで忙しくなってきたところに、実家で空調機のドレンが詰まったと夜中に呼び出しと
なかなかハードな感じです。

次の日曜日のUPは、シトレ中将が統本にどれだけ運動できるかだと思います。 

 
 
 宇宙歴七八九年九月二四日 ロフォーテン星域キベロン演習宙域

 『敵』旗艦撃沈による訓練終了がメールロー中佐より宣告されて三〇分後。戦艦エル・トレメンドと戦艦コシチェイは並列錨泊し、両艦から与圧ハッチが延び接舷作業が行われている。その様子を俺とモンティージャ中佐は、司令部会議室のスクリーンで眺めていた。

「わざわざ接舷する必要がありますかねぇ……」
「叔父さんが自分を叩きのめしてくれた可愛い甥っ子に会いに来たいんだろう。双方の『撃沈艦』があちこちに散らばっていて、再集結するには余裕があるからな」

 俺以外誰もいないことをいいことに、モンティージャ中佐はカステル中佐の椅子を移動させ、そのシートの上に足を乗せて寛いでいる。当のカステル中佐は突然の対抗演習の後始末の為、演習宙域管理部と調整すべく出払っているので、しばらくは戻ってこない。

 今回の対艦隊戦闘訓練は査閲部が主催・計画して行ったもので、その結果集計と総評は当然査閲部の面々が担当することになる。彼らがその集計作業をしている間は、参加部隊は再集結と休養をとることができる。幸いというか、まぁ優位な態勢で状況が終了したので、爺様は留守番時間分の休憩時間を俺にくれたわけだ。

「ハイネセンに戻れば、いつでも会えるんですから何もここで会わなくてもいいような」
「ジュニアスクールの保護者参観みたいなものか。ご愁傷さまだ」
「結果が結果ですからね……あんまりいい気分にはなれませんよ」

 そう結果。第四四高速機動集団は第四七高速機動集団に圧勝した。ほぼ同数の相手に射程ぎりぎりの後背から襲われたにもかかわらず、第四四の喪失判定は三割に達しない。一方で第四七は五割弱を失っている。これが双方均質の戦力であるというならば、ビュコック爺さんは用兵巧者として讃えられる。一方でグレゴリー叔父は二度と司令艦橋には立ち入ることができなくなるだろう。本来被害は、敵味方逆であるはずなのだ。

 だが俺や爺様達が想像した以上に、戦力質に差がありすぎたのかもしれない。結成以前はそれなりの部隊で活躍していたであろう艦もいただろうが、グレゴリー叔父の指揮に隊として応えるにはまだまだ全然足りなかった。そのあたりどう査閲部が評価するかは分からないが、それほどグレゴリー叔父に辛辣な評価はしないはずだ。

 まぁグレゴリー叔父は三ケ月くらい訓練に勤しむことになるだろうが、逆に言えば第四四の練度は高く維持されていると評価されて、ハイネセン帰投後短い休養の後に即前線投入ということも考えられる。椅子のリクライニングを大きく反らして、天井に向かって溜息を大きく一つ吐くと、そのタイミングでノックがされた。モンティージャ中佐が場の先任として『入れ』と告げると、そこにはブライトウェル嬢が立っていた。

「失礼します。ボロディン少佐。ビュコック司令官閣下がお呼びです。司令官公室迄ご出頭ください」
「わかった。中佐、どうやらさっそく四者面談のようです」
「ボロディン少佐」
 カステル中佐の椅子に両足を延ばしたままのモンティージャ中佐は、軽い声で部屋を出ていこうとする俺の背中から声をかけてくる。
「バグダッシュの奴も言ってたが、俺の目から見ても君は矛盾の塊で、正直不気味にすぎる。だが少なくともグレゴリー=ボロディンに対して恥じることは何もない。今の第四四高速機動集団の基礎を作ったのは、他の誰でもない君だ。背を丸めるな。胸を張れ。胸を張って勝ったと言ってこい」

 フランクな顔つき、営内とは言えない格好だが、座ったまま敬礼する中佐の目は糸のように細く、まったく笑っていなかった。





「おお、ジュニア。休んでいる時に悪いの」

 四人掛けのソファの出迎え側に座っていた爺様の声に、客側に座っていた二人……グレゴリー叔父とコナリー准将は、敬礼する俺に座ったまま小さく答礼してきた。本来なら訪問先の士官が敬礼していたら立ち上がって答礼するべきだろうし、爺様も叔父達の非礼を責めるべきなんだろうが、そうしないということは公式の場ではなく私的な会合という意思なのだろう。
何しろこの部屋にモンシャルマン参謀長もファイフェルもいないから、これはかなり内輪の話ということになる。爺様が自分の隣の空いている席をポンポンと叩いているのがなによりの証左だ。

「コナリー准将閣下、ご無沙汰しております」
「御曹司に軍艦の中で閣下と呼ばれる日が来るとは感慨深いですなぁ。ついこの間、アントン先輩のご自宅でチキンフライパーティやっていたはずなのに」
 ようやく見慣れる位に伸びてきたキューバ髭を撫でつつ、コナリー参謀長はボロディン家を訪れる時の笑顔で応えてくれた。やっぱり子供の頃から自分を見知っている相手はいろいろとやりにくいが、血縁ではないにしても親しい先達に会うのは悪い気分ではない。
「さて取りあえず『身内』だけとなったわけじゃが、グレゴリー。シトレ中将から何か話があるのかの?」
「年明け早々、できれば一二月に再出兵し、ダゴンの星域支配圏を優勢に確立したい、とのことです」
 コンコンとティースプーンでソーサーを叩きつつ、グレゴリー叔父は爺様の問いにあっさりと答えた。俺が思わず目の前のコナリー准将に視線を向けると、准将も軽く二度頷き返してくる。

 というか腹黒親父め、一体何を考えている。三個艦隊も動員したイゼルローン攻略が失敗に終わったばかりのタイミングで、すぐさま出兵を企図するというのはあまり常識的ではない。だいたい国防委員会も最高評議会も、統合作戦本部ですら認めるとは思えない。

 取りあえずは頭の中に航路図を描きつつ、一度思考を整理するために、携帯端末でブライトウェル嬢を呼び出した。公室の扉に現れたブライトウェル嬢が三四秒後にブルーベリージャムの瓶とスプーン、それにナッツを入れる小鉢を四枚持ってきたのを見て、三将官達は微笑と苦笑と困り顔の三重奏を見せる。

「戦略的な目的はエル=ファシル星域再入植に対する保全です」
 グレゴリー叔父は早速ブルーベリージャムを小鉢に移し、そこから掬って口に運んでいる。
「エル=ファシルに一個艦隊規模の大戦力を置くことも検討されましたが、バーラトに人口三〇〇万のエル=ファシル『村』を作った手前、インフラのリソースが不足しております」
「ダゴン星域の支配権が確立しようとする動きをすれば、帝国軍がエル=ファシルに視線を向けることは少なくなる、という事か」
 爺様は腕を組み、不満顔。リーブロンド元帥のイゼルローン要塞攻略が上手くいかなかったというのも、補給路の確立に足を引っ張られてのことだ。失われた資源は、三〇〇万人の生活再建に比べるまでもない。
 だが先日シトレに会った時にこの話がなかったというのも少し妙だ。話のレベルからシトレならシンパの息子の俺を通じて爺様に伝えようとすることくらいは、問題ないはずだ。嚙み合わない話の歯車に、俺はブルーベリージャムを舌に乗せ……砂糖とビタミンCによって繋げられた糸に歯噛みした。
「小官のせいですか、もしかして?」
「……そう話を飛ばし過ぎるな、ヴィクトール。正確にはビュコック閣下とヴィクトールを甘く見た私の責任だ」
 グレゴリー叔父はそう言いつつ、家では子供の教育によくないと言ってめったに見せない、スプーンを口に咥えたまま天井を見上げた姿で応えた。

 戦略的大敗。しかしエル=ファシルの奪回には成功した。これを防衛する部隊の編成は済んでいる。帝国軍が再度エル=ファシルを攻略しようと大軍を動かす状況は確かに考えにくい。だがダゴン星域、特にカプチェランカに帝国軍が根を張られては厄介なことになる。取ったり取られたりを繰り返している惑星で、防衛維持が天体地理的に難しい場所ではある。仮に同盟軍が機動戦力を使って奪取を試みても、第四次イゼルローン攻略戦で被害をまずそれなりに受けているであろう駐留艦隊は出てはこない。つまり大規模な艦隊戦闘はあまり想定されない。

 そこを踏まえたうえで、シトレは自分の第八艦隊とシンパの第四四・第四七両高速機動集団を出動させようと考えていた。第四四は実戦経験がある上、ビュコック少将の実績を考えればもう中将になってもおかしくないので、大規模艦隊戦闘が行われない遠征に参加したことで中将へ昇進させることができる。

 第四七は完全新編制の部隊で、指揮官は四二歳の少壮の少将。既に少将に昇進して六年。前線でも後方でも実績を上げているが、高速機動集団レベルの戦力を直率しての武勲はない。誰の目にも中将としてやっていくだけの将器をもっているから、本当に足りないのは目に見えた武勲だけだ。大規模艦隊戦闘が行われない遠征でまずは部隊として初陣し、あと一・二度前線参加すれば間違いなく武勲を上げるだろう。そしてグレゴリー叔父も中将へ昇進できる。

 以上のシナリオ通り進めば、シトレは被害を自軍にほとんど出すことなく近いうちにビュコック・ボロディンの両『中将』を率いることができる。その機会としてのダゴン星域攻略。戦略的にはエル=ファシル星域再入植環境を整えることで、出兵の道義・理論としては間違いではない。だがかなり恣意的で軍内政治的な行動だ。付き合わされる兵士のことを考えれば、褒められた話ではない。間違いではなくてもどうかと俺は個人的には思う。

 そこまで考えた上で第四四と第四七は同じ場所での訓練を行うことになった。しかも第四七に大きなハンデを付けた対抗演習も行わせることも含めて、だ。第四四の動員はほぼ決まっていて、その第四四に第四七がそれなりに一撃を喰らわせるだけの能力=前線戦闘においてまず味方を撃たない能力はあることを証明させたかった。

 だが第四四は想定以上の対応能力を見せ、第四七は想定以上の大敗北を喫した。ハンデを付けてもこれなら、『ちょっと前線で戦うには時間が必要ではないか』と誰もが思うだろう。とても近々にダゴン星域に連れていくには難しいのではないか、と。

「そちらの査閲チームのリーダー、メールロー中佐は統合作戦本部勤務が長い人だ。悪い人物ではないし、シトレ閣下に含むところがあるわけではない。含むところがあるわけではないが……ロカンクール『少将』の副官を務めていたことがあったらしい」
 グレゴリー叔父がどこから手に入れたかだいたい想像がつく話を漏らす。
「開始五分前に我々が第四四の左後背射撃位置に付けた段階で、ビュコック閣下に中佐が与えたヒントは道義レベルを超えていないと確証できる。私は自分の手腕に驕っていた。逆に言えば第四四高速機動集団を侮っていた。それに足を掬われた」
 申し訳なかった。とグレゴリー叔父は爺様に頭を下げた。コナリー准将も同様だ。
「……まぁ、ジュニアに何か旨いものをご馳走してやるんじゃな。シトレ閣下には儂からちょっと言っておく」

 事前にその旨を爺様に話していればどうだったか。それで爺様が対抗演習の手を抜いただろうか? それはないだろう。むしろ爺様はこういうところで手を抜くようなことをさせない。ダゴンへの遠征も理としてはわかるが、シトレの焦りにも見えるような工作も爺様の好むところではない。わかるから爺様にシトレは話さなかったのだろう。そうやってでも軍内部で出世していかなければならないのはわかるにしても。

 そしてメールロー中佐も全てを知っていたわけではないだろうが、嫌がらせが上手くいったとほくそ笑んでいるのだろうか。それともちょっと大きくなり過ぎたと判断するだろうか? だがもう一人、此処には登場人物がいるはずだ。

「ちなみにサブリーダーのマロン少佐の経歴はご存知ですか?」
「……ちょっと待ってくれ。ジェフ」
「少々お待ちを……あぁ、しまった。こっちかもしれない」
 なんでコナリー准将の端末が軍個人の経歴を洗えるかと言えば、査閲部のメンバーは基本的に部隊査閲する立場上、それなりの経歴がありますよと保証書のように誇示することがある。勿論軍が極秘とする任務に就いている場合は白塗りされるが、これだけの経歴の人ならば叱責されても仕方ないと納得させる必要があるからだ。

「マロン『大尉』の前任は第三艦隊旗艦部隊所属、戦艦ピウケネスの航法主任です。偶然で穿った見方をしてはいけませんが」
 ロボス中将が感づいたのか、それともマロン少佐自身の考えか。今更というところだし、問い詰めるなんてまったく意味のないことだ。
「世の中、物事が順調に上手くいくことなど、そうそうないものじゃ」
 爺様はジャムを紅茶に入れてかき混ぜつつ、そう呟いた。
「儂の過去の経験によればね……」

 それから第四四高速機動集団と第四七高速機動集団は、一〇月一二日の訓練終了日まで対抗演習をすることはなかった。第四四高速機動集団は盛大に航行用燃料を消費し、三桁単位で航法・操舵関係者を過労と心労に追い込みつつも、最終段階では集団としての陣形変更をそれなりにスムーズに行えるまで成長していた。

 一日の完全休養の後、一〇月一四日。メールロー中佐の査閲チームから訓練について簡易評価を受けた。結果としては『制式艦隊と比肩しても劣らない』という高速機動集団としては最上級の評価となった。これが高速機動集団に今後どう影響するかは今のところは分からないが、とにかく大きな事故もなく訓練は終了し、報告書と今後の課題を書き上げつつ集団は一〇月一九日にハイネセンへ帰投した。





 ハイネセンに帰投して、統合作戦本部と宇宙艦隊司令部への報告を済ませると、第四四高速機動集団には一ケ月の休養が与えられることになった。訓練前に大規模な修繕作業は終了しているとはいえ、宇宙空間で小惑星やデブリ相手に戦ってきた艦艇達の肌は荒れているし、心臓に障害が出ている船もある。将兵も大半がエル=ファシル奪回作戦前から長期にわたって宇宙空間におり、演習によって部隊再編成も済んだこと、同盟末期のように戦力の危機的状況下にないことからも、第四四高速機動集団に長期の休養があっても良いと必要と判断された。

 穿った見方をすれば、シトレの計算は自分の足自身によって掬われたわけで、次に戦線投入するにしても他の部隊に任されることになるし、その余裕があるということだろう。ロボスだってもう八年近く中将を経験しているし、次の宇宙艦隊司令長官はほぼ確定ということで、しばらく第四四高速機動集団は冷や飯を食うかもしれない。

 それで帝国領侵攻前にそれを阻止したり干渉できるだけの権限を、俺が持っているかと考えると……非常に難しいかもしれない。爺様は第五艦隊司令官になるかまでは分からないが、中将への昇進は間違いない。軍歴から言っても功績から言っても、むしろ中将にならない方が問題ある。そして爺様のことだから扱き使える便利屋参謀である俺を手放す考えはたぶんないだろう。そのくらいの仕事はしてきた自負はあるつもりだが、ということは仮に第五艦隊司令官になった場合、俺は良くて副参謀長……准将というところだろう。

 フォークのようにロボス閥ではないし、政治家にすり寄ってゴマすりしたいわけでもない。これまでの経歴からすれば、俺は統合作戦本部内勤のエリートとしては見られない。そもそも後方勤務で出世できるのはスペシャリストだから、どれにも中途半端な俺は、何処に行っても役に立つことはないだろう。結局はシトレという樹の、ビュコックという枝の、小さな葉っぱでしかないという事か。

 埒もないことを単身者用士官宿舎でグルグルと考えているのは健康に悪い。前世、仕事に行き詰まって、鬱状態になった時、少ない友人や親の勧めで小旅行に出かけたことがある。それで仕事が解決できたわけではなかったが、気分転換になったのは事実だ。それに士官学校に入った一六以来、旅行は士官学校のあるテルヌーゼンへの惑星内小旅行位なものだ。二週間程度と考えていた休暇がその倍となったので、俺は爺様に長期休暇を願った。

「まぁ、少し働かせすぎたのも確かじゃしな」

 貴官のいない間はファイフェルに任せようとの台詞と共に、申請書はファイフェルを通じて戻ってきた。妙に申請書の両端が歪んでいたのは、きっと気のせいだろう。モンシャルマン参謀長も久しぶりに家族サービスに勤しむ上、モンティージャ中佐も長期休暇を申請しているので、司令部には爺様とカステル中佐とブライトウェル嬢が残ることになる。司令部に残るといっても事実上は留守番や電話番といったところだ。かくいう俺も、爺様とファイフェルが休暇に入る二週間後から、参謀長と司令部に詰めることになる。

 そして空いた二週間。俺はボロディン家に不義理して一人旅に出ることにした。一緒にハイネセンに戻ってきたグレゴリー叔父も、レーナ叔母さんもイロナもラリサも、快くとは言い切れないが送り出してくれた。流石に宇宙船事故などがある恒星間旅行は難しいと考え、惑星ハイネセン内の観光地を総浚いして……ハイネセンポリスとは惑星内核を挟んで正反対の、南半球。やや亜熱帯地域に属するサームローイヨートにある、海岸のリゾートホテルを選んだ。

 一〇月でこれから初夏を迎える季節。学生や若いカップルなどは学期中なので殆どいない。オフシーズンというべきだが、海に入れないほど寒くもない。露店は半数近くが閉まっていて、まさにオフシーズンの観光地という雰囲気が充満している。リゾートホテルにもプールやスパなどの施設が充実しているから、ホテルから出なくても何も不自由はないのだが、気晴らしが目的なのでフェザーンで買った私服で、ブラブラと市街地というには少し寂しい道を歩いていた。

 俺は自分が不幸体質であるとは思ってはいない。思っていないはずだったが、何となく歌声に惹かれて入ったオープンテラスタイプのシーフードレストランを出たところで、この人に会うとは思ってもいなかった。

 若い水商売を思わせる艶のある金髪の女性と一緒に居た、四〇代後半か五〇代の男。肩幅はあるし恰幅もあるが、何か人の目を気にしているように目に自信が存在しない。一見しただけで愛人との不倫旅行であると自己主張している雰囲気。そして案の定、その纏う『弱気』と『金』の臭いに引き寄せられたチンピラモドキに囲まれている。

「どうかしましたか?」

 こういう事態に会った時は速やかに警察に通報すれば面倒がなくて済むのかもしれない。だが囲まれているのがその人であるなら、さっさと救ってあげた方が面倒がなくて済むと、俺は判断した。俺の声かけに、その人は地獄に救い主が現れたように気色を取り戻し、三人組のチンピラモドキは余計な邪魔すんなと俺を睨みつけてくる。そのうち一人はナイフを俺に向けた。

「そんなナイフじゃ、人は刺せないよ。見逃してあげるから早くおうちに帰りなさい」

 我ながらそれなりの煽り文句がスラスラと出てきて、自分でもおかしく笑いそうになったが、それがさらに劇的な付与効果となったのか、チンピラモドキは顔を歪ませ奇声を上げて、俺にナイフを翳して突っ込んでくる。それなりの気迫に見えるが、エル=ファシルでブライトウェル嬢のトレーニングついでに立ち会った、ジャワフ少佐とは比較にもならない。少佐でそうなんだから薔薇の騎士の色男なんていったいどんな人外なんだって思う。

 前世でこういう場面に出会うことはなかったものの、おそらく当事者として遭っていたら、そそくさと逃げていたに違いない。一度死んだことがあるからか、それとも海賊や帝国軍と戦って抗体がついてしまったのか。不思議と怖いという感覚がしない。突っ込んできたナイフを半身で躱して、付けた反動で右膝を腹にのめり込ませ、腰が曲がった状態で静止したチンピラモドキの後頭部に組んだ両手を振り下ろすと、潰れた蛙のように気を失って地面に這い蹲った。

 潰れた相手を助けることなく、他の二人は俺が視線を向けると逃げ去っていく。追うのも馬鹿らしいので、携帯端末で警察を呼ぶことにすると、その人は汗を拭きつつ俺に近寄ってきた。

「どうやら私は君に助けられたようだね。ありがとう」
 俺の右手をその人は両手で包み込むようにして上下に振る。あぁ、やっぱりこの時代も、政治家の握手の仕方は変わらない。
「この不心得者について警察が君に何か困ったことを言うようなら私が話そう。名前は明かせないが、こう見えても私はそれなりの地位にいる者でね」
 そんな地位にいる人が、こんなところで女性連れで何しているんですかと、喉まで出かかったが、口では『ありがとうございます』と答える。
「出来れば君の名前を教えてくれると嬉しい」
「自由惑星同盟軍宇宙艦隊所属、第四四高速機動集団、次席参謀のヴィクトール=ボロディン少佐です」

 俺が応えると、その人の顔は衝撃と恐怖と困惑で一気に引き攣った。それはそうだろう。何しろこの人は代議員で、『国防族』で、トリューニヒトの子分の一人で、トリューニヒト自身からも信任厚い同志と思われていない三流の政治業者である、ウォルター=アイランズその人なのだから。
 
 

 
後書き
2022.08.18 更新 
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