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ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~

作者:平 八郎
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第40話 訓練

 
前書き
血圧を上げるというのは、肉体的に大変危険な行為です。
上司の血圧を上げるのは、経済的に大変危険な行為です。

そして今回の話はかなり長い割に進みが遅いので、読者の皆様の血圧が上がるかもしれません。 

 
 宇宙暦七八八年二月 マーロヴィア星域 ラマシュトゥ星系

 メスラム星域を離れて一五日後。

 ライガール星域でコクラン大尉と再会し、予備の燃料と光子魚雷などの消耗兵器、巡航艦五隻の生活必需品四か月分を搭載した稼働状態の良い帝国軍小型輸送艦と合流する。

 補給終了後は予定通りマーロヴィア星域に向けて進路をとるが、主要航路ではなく、寂れて航路情報も乏しい星系を幾つか渡り、現時点でマーロヴィア星域の最辺境となっているラマシュトゥ星系に特務戦隊は潜伏した。

 この星系は事実上、自由惑星同盟の版図における最も辺境の星系だ。これまで通過してきた星系以外との航路情報はなく、星域管区のパトロールですら半年に一回。資源らしい資源もない。小さく弱々しい赤色矮星の周りを、幾つかのガス惑星が公転しているだけ。これまで海賊の目撃情報すらない。念の為にと跳躍点宙域近辺の次元航跡を調査したが、見事にまっさらだった。

「こんな星系にいったい何の用があるというのだ?」
 比較的大きめだが名前もラマシュトゥ-Ⅳ-3としかつけられていない岩石型衛星の赤道付近に投錨した嚮導巡航艦ウエスカの狭い戦闘艦橋で、カールセン中佐は俺を睨みつけながら言った。くだらないことを言ったら縊り殺すといわんばかりの視線だが、ひるんでいても仕方がない。軽く咳ばらいをした後で、俺はできる限り軽い口調で答えた。

「訓練です。砲撃と戦隊機動を主に実施します」
「……評価は貴官がするのか?」
 実戦経験のほとんどない若造が何を言うかと、顔に書いてある。カールセン中佐にとってみればそれは当然だ。長年軍務についていて、先任艦長として部下だけでなく同僚すら教育してきた立場だ。そのキャリアを貶しているも同然の発言だろうが、ここはのんでもらわねばならない。単艦の海賊ならまだしも、草刈りの為にわざわざマーロヴィアの海賊は集団化させている。それを一隻残らず撃破するには、正確な砲撃と的確な戦隊機動が必要とされる。
「小官は査閲官業務に経験があります。予備の燃料も十分ありますので、時間の許す限り実施しましょう。僚艦の艦長をウエスカに集合させてください」
「……命令だからな。致し方なかろう」
 苦り切った表情を隠すことなく、カールセン中佐は副官と航海長を呼び、自艦と僚艦への指示を下した。その命令毎に副長や航海長の非好意的な視線が、俺の背中に刺さっているのは痛いほどわかった。

 それから一二時間後に、特務分隊の訓練は開始される。

 今回同行する五隻の巡航艦はモンシャルマン大佐の粛軍をクリアした上で、艦長の経歴・戦歴・実績を洗いざらい調べたうえで選んだ艦ばかりだ。爺様の手元に残してきた戦艦を除けばマーロヴィア星域管区内の精鋭中の精鋭と言っていい。
 だが現実には基本的な五隻単縦陣から一斉回頭による単横陣への組み換えすら上手くこなすことができない。対静止標的撃破率は五〇パーセントを切っていて、対可動標的撃破率など一〇パーセント以下だ。ロボス中将率いる第三艦隊と比較してはいけないと分かっていたが、充足率六割とはいえ帝国軍と戦い続ける制式艦隊と辺境の警備部隊ではかくも実力差があるのかと痛感させられる。

 これが一〇数年後のランテマリオ星域会戦で、混成艦隊の前衛部隊が司令部からの統制を逸脱した狂乱を演じた挙句、手痛い反撃を受けて以後の攻勢を失うに至った遠因の一つだろう。日常的な警備活動を少数の艦艇で実施せざるを得ない環境下では、まともな集団訓練などする時間はない。リンチと共に働いたケリム星域のような経済的に重要な星系ならば艦艇の数に余裕があるのでまだしも……三日ぶっ通しで実施した訓練の結果が悪いという事は、再びウエスカに集まった艦長達もどうやら十分理解はしているのだが。

「艦長達はこの訓練の意味を知りたがっている」
 蓄積された疲労と、結果に対する慙愧と、ミスを指摘する小生意気な若造への不満で、顔色がさえない艦長達を代表してカールセン中佐が俺に問うた。
「我々の目的はマーロヴィアに巣食う宇宙海賊の掃討にあるはず。海賊が集団化したとはいえ、その統制は脆く攻撃力は制式艦艇に比べて貧弱だ。このまま訓練を継続するよりも、速やかに戦隊を航路防衛や星系内捜索活動に戻すなり、偽装海賊としての活動を始める方が効率的だと考えるが、どうか?」

 ストレスが限界点に達しようとしているのは十分理解している。部下からの突き上げは相当なものだろう。実戦経験のほとんどないエリート崩れの若造の道楽になんで付き合わねばならないのか。彼らにおもねることは簡単だし、拒絶することも簡単だが、それでは目的を果たすだけの実力を得ることはできない。彼らが彼らのキャリアが示す実力を一二〇パーセント発揮できるようにしなければ、本物を倒すことはできない。

 査閲部に在籍していた時に話を聞いた年配の勇者達は、既に出世の望みがないことを受け入れていた。目の前の彼らはそうではない。年上の上官を命令ではあっても指揮する為には、彼らを納得させるだけの理由と統率力を示さなくてはならないのだ。俺は下腹部に力を込めて大きく息を吐くと、こちらを見つめるカールセン中佐をはじめとした艦長達の顔を一望する。いずれも五〇歳を超えているであろう、疲労がなくとも皺が顔に寄る年齢になった下級佐官達だ。その中で一番手前に座る、カールセン中佐を俺は正面から見据えた。

「海賊の掃討も確かに目的の一つですが、それだけではありません。最大の目的は、このマーロヴィア星域管区の再活性化であります」
 その言葉に、艦長達の顔に戸惑いが浮かぶ。

「その最大の障害となるのがブラックバート……ロバート=パーソンズ元准将に率いられた恐るべき海賊集団の撃滅が、この特務分隊に課された最大の任務であります」



「……“あの方”を叩くというのか」

 嚮導巡航艦ウエスカの会議室の沈黙を最初に破ったのは、やはりカールセン中佐だった。

「ブラックバートは一昨年、ケリム星域管区で第一艦隊に撃破されたはずではないか?」
 次に俺に聞いてきたのは巡航艦ミゲー三四号艦長のカール=ブルゼン少佐。幼少時に帝国から亡命してきた人物で、二等兵の頃からの経験に裏打ちされた操艦の腕とセンスは、マーロヴィア星域管区でも随一と評判の人物だ。

「仮に逃亡したとしてもケリム星域からわざわざマーロヴィア星域まで逃亡するだろうか? 経済的なことを考えれば商船の運航量の多いフェザーン方面へ行くのが普通ではないか?」
 これは巡航艦サルード一一五号艦長のマルソー少佐。後方勤務から実戦部隊に移籍した変わり種だが、海賊を単艦で長時間追跡し撃破するといった辛抱強い指揮ができる人で、五人の中では俺に対するわだかまりが最も少ないように見える。

「大体、ブラックバートがこの近辺で発見されたのなら、他管区の部隊が黙ってねぇだろう」
 呆れ顔で両手を天井に振り上げたのが巡航艦ミゲー七七号艦長のゴートン少佐。『暴れ牛』の異名があるように勇猛果敢な艦の指揮をするらしいが、上官に何度か手を挙げたらしく譴責処分の数も多い。当然、俺に対しては反感しかもっていないように見える。

「……ブラックバートの統率力は尋常ではない。エル・ファシル星域管区に在籍していた時、私の所属していた駆逐艦分隊は彼らにいいように翻弄された」
 腕を組んで苦虫を噛みながら答えるのが巡航艦ユルグ六号艦長のリヴェット少佐。この中では一番年長で、帝国軍との戦闘も海賊との戦闘も多くこなしてきた。戦闘数に比して撃破艦艇は少ないが、損害もほとんどない。

 いずれの艦長もブラックバートという名前を無視できないのは一目瞭然だった。それだけに海賊ブラックバートの名は有効であると、俺は確信して、彼らの問いに一つ一つ答えた。

「まず本物のブラックバートは完全に撃破されたわけではありません。残念ながらケリム星域管区第七一警備艦隊の副官をしていた小官が、不本意ながら保証せざるを得ません」
 経済的なことを考えたとしても、十分に武装した警備部隊がうろつくフェザーン航路で、根拠地を失い弱体化したブラックバートが襲撃を行うのはあまりにもリスクが高い。エル・ファシルやドーリアといった星域管区は現在帝国軍と接触している故に、民間船舶の運航は制限されているか十分な護衛がついている。そしてブラックバートは旧式・廃棄予定だったとはいえ同盟軍の戦闘艦を有している故に発見されても特別任務という事で誤魔化しがきく。そして
「彼らがマーロヴィア星域にくる理由の最大のものは、偽物のブラックバートが現れる……つまり我々が彼の名前を騙って軍の護衛船団を襲うからです」

「バーソンズ閣下を倒す事が、どうしてこのマーロヴィア星域管区を活性化することにつながるのか。儂には理解できん。ボロディン大尉、説明してもらいたい」

 カールセン中佐は大きく首を振って大きな声で俺を問い詰める。納得できない説明であれば、色々な意味で容赦するつもりはないのだろう。作戦への不服従か、最悪艦ごと逃亡しようかという勢いだ。

 だがカールセン中佐がそうなるのも無理はない。徴兵され、専科学校そして幹部候補学校に推薦入学し、卒業後数年で駆逐艦の艦長となった時の上官がロバート=バーソンズ大佐(当時)なのだ。確実な戦果だけでも帝国軍の戦艦一隻を大破、巡航艦三隻に駆逐艦六隻を撃沈という大武勲を持つ中佐が、マーロヴィア星域管区の巡航艦先任艦長などをしている最大の理由は兵卒上りだから、ではない。ロバート=バーソンズの有能な部下だったという経歴が重なっているからなのだ。

 潜在的なシンパと見られ、それでいて操艦も戦闘指揮にも優れている故に艦長の職から外すことも躊躇われ、士官学校出身者でないこともあって辺境に流された。制式艦隊に所属させればその情報をブラックバートに流しかねない。海賊に身をやつすにしてもどこか遠くで、中央航路よりはるかに遠いところでやってほしい……そういう軍内部のエゴや保身から、中佐はマーロヴィア星域管区に配属されたわけだ。

 経歴をモンシャルマン大佐より付託された参謀長権限を使って読んで、俺は納得できたし中佐のエリート嫌いの根っこがとんでもないところにあって驚いたものだった。それを承知の上でブラックバートを名乗り偽装海賊作戦を組み立て、実働部隊の先任艦長に中佐を選んだ俺は、もう悪魔に魂を売ったも同然だ。

「バーソンズ元准将は宇宙海賊の中でも特異な人物です。リヴェット少佐の仰るように、並々ならぬ統率力を持ち、いまだに多くのシンパを軍内外に抱えていると思われます」

 シンパという言葉に、机の上で握られたカールセン中佐の両拳に力が込められたが、無視して俺は続けた。
「彼は海賊行為を行う目的は私腹を肥やすことではありません。それは十分承知しています。だからといって彼の海賊行為を許すわけにはいかないのです。カールセン中佐ならお分かりいただけると思います」
「……あぁ」
「彼の希望を、いささか形を変えた上で達成できる条件がこの星域……具体的にはメスラム星系に整っています。必要とされる資本はブラックバート以外の海賊組織を掃討することで得られる形になります」

 宇宙海賊の巣食う小惑星帯には機雷とゼッフル粒子による重層的な空間封鎖が実施される。堅気の鉱山会社には一時的な損失が出るが、このマーロヴィア星域にもともと堅気な会社自体が存在しない。大なり小なり海賊とつながりはあるから、取り潰しにかかる補償額など第一艦隊を動員・常駐する額に比べればまだましだ。それに行政府直轄あるいは半官半民となった鉱山会社に『新しい労働力』が軍から提供され、その製品は優先的に軍が買い取ることになる。そして幸いに爆発することのなかった機雷を処理するにも人手は必要。その為に事前実施される更地作業が若干過激であることは否定しない。

 つまりロバート=バーソンズが海賊行為で資本を作り、ケリム星域で実施していた活動を、行政が直轄して行うという事だ。パクリも甚だしいが、今度は非合法ではない。しかし実施するためにはブラックバートという義賊の存在は完全に抹殺されなければならない。自らの不作為を忘却させ、行動を正当化し、彼らのやってきたことを否定すること為に必要な儀式なのだ。

 そしてケリム星域で敗退・逃亡したブラックバートは数を減らしているとはいえ、恐らくは元准将の指揮下でも最精鋭で構成されているであろう。海賊を偽装した上で、彼らに勝つ為には部隊にそれなりの練度が必要になる。

「バーソンズ元准将をこの星域に引きずり出す為には、大きな餌とともに、彼の軍内外に残る名声を必要以上に貶める必要があります。その実働戦力として我々が行動するのです。そして、汚名をそそぐために出てきた彼を葬るだけの力を我々は持たなくてはならない」

 そこまで言ってから俺はカールセン中佐に視線を向けた。すでに彼の眼は深紅に染まり、俺を絞殺せんばかりに睨みつけてはいるが、その瞳の奥に僅かな恐怖が見え隠れしている。軍内で自分を育てた恩人を自分が撃つという恐怖と、純粋に歴戦の用兵巧者と戦うという恐怖。ゲリラ戦を得意とする元准将に、今の戦力・練度では到底勝ち目はないとわかっている目だ。

「……ここで偽物のブラックバートが暴れていると、元准将が耳にするまでにはそれなりの時間が必要でしょう。一ヶ月から二ヶ月は余裕があります。補給は軍の輸送船団から略奪できます。一個巡航艦分隊がフォーメーション訓練する準備は整っております」

 俺の断言に、カールセン中佐をはじめとした五人の艦長はみな沈黙で応えた。出てもいない汗を拭き、腕をきつく組み、額に手を当て、首元のスカーフを緩める。数分ののち最初に口を開いたのは、やはりカールセン中佐だった。

「それで我々が……あの方に勝てると、貴官は言うのか?」
「あの方ではなく、バーソンズ元准将です、カールセン中佐」
 本人を直接知らない強みで、俺は笑顔を浮かべて中佐に応じた。
「勝てる勝てないの問題ではなく、勝たなくてはいけない、です。まず勝たなくてはあらゆる意味で我々は生き残れないことをご理解ください」

 その会話以降、カールセン中佐ら艦長達の態度は大きな変化を見せた。俺に対する感情は敵意と隔意と不本意のままで変わらなかったが、訓練に対する熱の入れ方は明らかに強くなった。嚮導巡航艦ウエスカの戦闘艦橋でカールセン中佐の激しい叱咤が飛ばない時間はなく、副長や航海長が砲撃・操舵などの各部署の中間責任者を会議室に呼び出して厳しく叱責することもいつものことになった。

 そしてその会議には必ず俺も同席するようにしている。上司の叱責の敵意の矛先を、部下ではなく俺に向けるようにするための小細工だった。おかげさまで俺はこの特務分隊でどの階級からも満遍なく嫌われている存在となった。特に各艦の中尉や特務少尉といった中間責任者からは、『会議室でネチネチと細かいことを指摘してくる嫌味な首席大尉殿』という評価で固まった。

 常に端末を手に、会議室と戦闘艦橋を行ったり来たりして、人の粗を探している。叱られている様を見ながらも端末をいじり、なぜそのように砲撃や機動をしたのか理由を事細かく質問してくる。戦場に出たこともないくせに、一人前に人の批判をしてくる等々。査閲部にいた頃の数倍の濃度で向けられる敵意に、俺はほとほと呆れつつも、開かれる会議の回数に比例して、分隊の練度が大きく上昇していることに満足していた。

 そしてラマシュトゥ星系に到着し、訓練を開始して三週間後の三月一日。集中的な訓練の成果がはっきりと表れ、なんとか第三艦隊の末席分隊と言っても差し支えないレベルまで分隊の練度が達したのを見計らったかのように、マーロヴィア星域の何処かに居るバグダッシュから超光速通信が届いた。

「お坊ちゃまのご成長ぶりはいかがですかな?」
 明らかにマーロヴィア星域軍管区司令部ではない、場末というかスラムの中にあるアジトのような雰囲気を背景に、私服姿のバグダッシュは何時ものような軽薄な口調で俺に言った。
「もう少しで一月になりますから、そろそろご機嫌を伺おうと思いまして」
「順調ですよ。立ち歩きくらいはできるようになりました」
「まだハイキングをするのは無理ということですかな?」
「まっすぐ歩けるようになったら、こちらからご連絡いたします」
「ご隠居様もそろそろシビレを切らしておりますからね、では」

 お互い敬礼するまでもなく、あっという間にバグダッシュのほうから通信は切られると、同時に圧縮された作戦の進捗状況報告書が俺の端末に直接流れ込んできた。簡潔にしかも整然と内容が纏められた報告書で、それだけ見てもバグダッシュの有能さを十分認識できたが、内容を読み進めていくうちにその大胆さに呆れるといったほうがいいように思えた。

 まず偽名を使って物資の横流しを餌に幾つかの弱小海賊組織に接触して、海賊の勢力分布を既存の情報と照らし合わせていく。そこで確認された海賊組織を大まかに四つに分類したうえで、司令部から星域政府に通告された機雷訓練宙域の情報にレベル差をつけて漏洩させた。
当然、海賊同士での情報交換は頻繁だから、それを突き合わせて状況照合を行うだろう。それを見越して、弱小海賊の幾つかを減刑処分を餌に降伏させた。驚いた他の海賊組織は慌てて組織の引き締めを図る。そこでバグダッシュが意図的に流し込んだ偽の作戦情報に粗があることに気が付き、幾つかの情報屋が海賊自身の手によって潰された。
 海賊組織は自身の安全を守るため、比較的親交のあるいくつかの集団に纏まることを余儀なくされた。異なる集団同士の間では緊張感が高まっており、後は火をつけるだけの状況になっている。

 文章にすれば簡単に見えるが、現実にハリネズミのようにアンテナを張り巡らしている海賊と簡単に接触し、まるでゲームをするかのように相手を操ってしまう手腕はとてもマネできない。星域開拓以来、宇宙海賊に悩まされ常に主導権を奪われていたマーロヴィアが、たった一人の情報将校によって手玉に取られようとしている。

「つまりマーロヴィアはバグダッシュ一人を派遣するほどの価値もない、ということなのか?」
 俺は嚮導巡航艦ウエスカにある自分の個室で、バグダッシュの報告書を片手に溜息をつかざるを得なかった。

 自由惑星同盟が国家として成立し、ダゴン星域会戦で帝国と接触するまでの間、多くの星域と星系がその支配下に入った。産めよ増やせよ拡大せよで領域を拡大したものの、まずは初期投資人口の不足で、ついで資本の選択集中で、そして帝国との戦争で、みるみるうちにその価値を低下していったのだろう。
 メスラム星系に分不相応ともいえる巨大な星域軍管区司令部があるのも、いずれはここを根拠地にさらなる支配領域拡大を、と臨んだのだろう。が、一五〇年にわたる長い戦争が辺境への投資意欲を低下させた。それが海賊の目に留まりカビのように星域を蝕んでいった。

 ビュコック爺さんをこのド辺境に送り込んだのも、統合作戦本部が准将の定年までの四年間で成果を上げてくれれば儲けものぐらいの考えだったのかもしれない。原作の初登場時点でビュコックは中将として第五艦隊司令官まで昇進しているわけだから、このマーロヴィアでもそれなりに実績を上げたに違いない。そこで、俺は背筋が寒くなった。

 はたして俺は転生してこれまで、なにか状況を変化させているのだろうか?

 原作に登場しないキャラとしてこの世界に生を受け、士官学校では多くの原作キャラと出会い、多少なりとも運命を変更させたのだろうか? 自由惑星同盟の引きこもり防衛など果たせることなく、結局は原作通り天才ラインハルト=フォン=ローエングラムによって蹂躙させられてしまうだけなのではないか。大きな歴史のうねりの中で、凡夫一人ができることなどたかが知れている……

 バグダッシュの報告書と共に、マーロヴィア星域メスラムにある情報集積センターから転送されてきた、俺個人宛の通信文を見ながら、そう思った。

 それはアーサー=リンチ個人から。気さくな挨拶に加えて二月の人事異動における少将への昇進と、エル=ファシル星域防衛司令官への転属の連絡が記されていた。

 
 

 
後書き
2020.05.22 事前入稿 
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