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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第三十四話 イゼルローンにて(その4)

帝国暦 485年 10月20日  イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル



「さあ、私を殺しなさい」
「……」
ヴァレンシュタインが自分を殺せと言った。この男の言うとおりだ、この男は敵なのだ、キルヒアイスを殺した男でもある……。

「貴方にはやるべき事が有るはずです。私の死を踏み台にして上に行きなさい。それがジークフリード・キルヒアイスの望みでもある……」
「!」

何を言った? 何故それを知っている? 偶然か? 俺とキルヒアイスの望み、何時か姉上を取り戻し、銀河帝国を簒奪する。新たな帝国を創る。ルドルフに出来たことが事が俺に出来ないわけはない……。

ヴァレンシュタインを見た。彼は穏やかな笑みを浮かべている……。どこまで、何を知っている? 殺せ、殺すんだ。この男は危険だ、間違いなく危険だ。この男の穏やかな笑みに騙されるな。

自分の死を踏み台にして上に行け……、確かにこの男を殺せばその武勲は比類ないものとなるだろう。裏切り者、ヴァンフリートの虐殺者、血塗れのヴァレンシュタイン……。

殺すべきだ、殺すべきなのだ……。俺は昇進し、また一歩夢に近づく……。ブラスターを抜いた、一発で苦しまずに終わらせる。それが俺がこの男にかけられるせめてもの情けだ。

「殺さないで! お願いだから殺さないで!」
女がヴァレンシュタインの前に転がり出た。両腕を開いてヴァレンシュタインを守ろうとしている。

「退きなさい、ミハマ大尉」
「退きません、大佐を守るって決めたんです。弾よけになるって決めたんです。退きません!」
ヴァレンシュタインがミハマ大尉と呼んだ女はボロボロ涙をこぼしていた。怖いのだろう、ブルブル震えてもいる。それでも彼女は俺を睨みヴァレンシュタインを守ろうとしていた。

「何を馬鹿な事を……、退きなさい、ミハマ大尉!」
「嫌です、退きません!」
「自分も彼女と同じ思いです。大佐を殺すなら、その前に俺を殺してもらおう。俺が生きているうちは貴方を殺させない!」

低くどすの利いた声で男が前に出てきた。両手を後ろに組み、胸で俺を押すようにして女と俺の間に入ろうとする。抵抗はしない、しかしむざむざとヴァレンシュタインを殺させもしない、男は全身でそう言っている。

「大佐は本当は貴方と一緒に戦いたかったんです。この人を殺さないで……。殺すくらいなら帝国に連れて帰って。……お願い……」
俺と一緒に戦いたかった? 愕然としてヴァレンシュタインを見た、彼は苛立たしげな表情をしている。本当なのか? だとすればこの男は俺の何を知っているのだ? 背筋にチリチリと嫌なものが走った……。

「退きなさい! バクダッシュ中佐、ミハマ大尉、貴方達は関係ない! これは私とミューゼル准将の問題です!」
「その通りです、私達には関係ありません。これは私とミハマ大尉が勝手に決めた事です。貴方には関係ない」
「そうです、大佐には関係ありません」
「何を馬鹿な事を……、理屈になっていない!」

ヴァレンシュタインが首を振って吐き捨てるように声を出した。その途端、バグダッシュ中佐と呼ばれた男が弾ける様に笑い声を上げ始めた。
「我々の気持ちが分かっていただけましたか、大佐は何時も一人で全てを背負ってしまう。我々がそれをどれだけ情けなく思っているか……」
「そうです、中佐のいうとおりです」

今度はミハマ大尉が笑い始めた、泣きながら笑っている、バグダッシュ中佐も一緒に笑っている。滅茶苦茶だ、正直途方に暮れた。この状況でどうやってヴァレンシュタインを殺すのだ? リューネブルクを見ると彼も呆れたような表情をしている。

オフレッサーが太い声で笑い出した。頭をのけぞらせて笑っている。その声の大きさに男も女も笑うのを止めた。オフレッサーは一頻り笑うと真顔になった。
「俺も随分と修羅場をくぐったが、これほど馬鹿馬鹿しい修羅場は初めてだな。長生きはするものだ」
オフレッサーがまた笑った。

「ミューゼル准将、ブラスターを収めろ」
「し、しかし」
「命令に従え、ブラスターを収めろ」
厳しい目でオフレッサーが俺を睨んだ。

「ミューゼル准将、ブラスターをしまえ」
リューネブルクが俺を目と声で窘めた。仕方なかった、ブラスターをしまった。だがどこかでほっとしている自分が居た。その事に困惑した、俺はヴァレンシュタインを殺すべきだと思っていたはずだ。

「二人ともヴァレンシュタインを連れて帰れ」
「……」
「聞こえなかったか、ヴァレンシュタイン大佐を連れて帰れ」
バグダッシュ中佐が無言でオフレッサーに敬礼した。そしてミハマ大尉がそれに続いた。オフレッサーも答礼する。誰も喋らなかった。

「ヴァレンシュタイン、今回だけだ。次に会う時は……、容赦はせん!」
押し殺した声だった。言外に殺気が漂う……。皆が凍りつく中、ヴァレンシュタインが立ち上がった。

「次は出会わないように注意します。御好意、感謝します」
「うむ」
ヴァレンシュタインが敬礼をした。オフレッサーがそれに応える。礼の交換が終わりヴァレンシュタインが踵を返した。ふらつく彼を両脇から男と女が支える。ゆっくりと、ゆっくりと三人が去っていく。

「閣下、宜しいのですか、あの男を返してしまって……。あの男を捕え、敵を追撃するべきでは有りませんか」
リューネブルクがオフレッサーの傍に近付き問いかけた。オフレッサーは無言で腕を組んでいる。そして立ち去るヴァレンシュタインを見ていた。

「……リューネブルク准将、卿はヴァンフリートの仇を討ちたいのか?」
「そうでは有りません、後々閣下のお立場が困ったことにならないかと案じているのです」
オフレッサーは一瞬だけリューネブルクを見た。そして“そうか……”と呟くとまたヴァレンシュタインを見た。

リューネブルクの言うとおりだ。ヴァレンシュタインを返したとなれば必ずそれをとがめる人間が出るだろう。やはりヴァレンシュタインは殺すべきだったのだ。後味は悪いかもしれない、しかし殺すべきだった……。

そして敵を追うべきなのだ、多分敵はもう撤収しているだろう。だが敵を追ったという事実が残る。このままではヴァレンシュタインを逃がし、侵入してきた敵も逃がしたことになる……。

追うべきなのだ、ヴァレンシュタインの姿が見える。追えば間に合う、オフレッサーは望んでいない様だが進言すべきだろう……、リューネブルクも賛成してくれるはずだ。傍に行くか、そう思った時だった……。

「……装甲擲弾兵は己の身体を武器として敵と戦う。トマホークを構えた敵と向き合う恐怖は言葉には表せん……。その恐怖を押し殺して敵と戦う……、臆病者には出来んことだ。俺は装甲擲弾兵こそ勇者の中の勇者だと思っている……」
「……」

オフレッサーが前を見ながら話し始めた、低く呟くように……。リューネブルクはそんなオフレッサーの横顔を見ている。そして俺は何となく傍に行けず黙って二人を見ていた。

「だが軍のエリート参謀や貴族達の中には俺達を野蛮人、人殺しと蔑む人間もいる……。口惜しいことだとは思わんか?」
「それは……」

リューネブルクが口籠り溜息を吐いた。内心忸怩たるものが有った。俺もその一人だ、装甲擲弾兵の重要性は理解しても何処かで野蛮だと、時代遅れだと蔑んでいた。

「俺達は野蛮人でも人殺しでもない、帝国を守る軍人であり武人(もののふ)なのだ。だからその誇りと矜持を失ってはならん。それを失えば装甲擲弾兵はただの人殺しに、野蛮人になってしまう……」
「……」
リューネブルクがオフレッサーの言葉に頷いている。リューネブルクも装甲擲弾兵だ、オフレッサーの言葉に感じるものが有るのだろう。

「あの男は死を覚悟して負傷者を運んで来た。それを殺せばどうなる? 武勲欲しさにヴァレンシュタインを殺した、恨みに狂ってあの男を殺したと言われるだろう。それではただの人殺しだ……。俺は装甲擲弾兵総監だ、装甲擲弾兵の名誉を汚す様な事は出来ん……」
そう言うとオフレッサーは太い息を吐いた。

名誉を汚す、その言葉が胸に響いた。俺はあの男を殺すべきだと思った。だがオフレッサーは殺すべきではないと考えた。何故殺すべきだと考えた? 武勲か? 恨みか? それとも恐怖か……。

あの時、確かに俺はヴァレンシュタインを怖いと思った。恐怖から殺そうとしたのか? だとすれば俺は何とも情けない男だ。これから先一生後悔しながら生きる事になっただろう。俺はオフレッサーに感謝すべきなのか?

「心無いことを言いました、お許しください」
リューネブルクが頭を下げた。そしてオフレッサーは溜息を吐いて首を横に振った。
「いや、卿の心遣いには感謝する。だが俺はこういう生き方しかできんのだ……」

リューネブルクは少しの間俯いて黙っていた。
「……装甲擲弾兵はイゼルローン要塞に侵入した反乱軍を撃退しました。そしてローゼンリッターの隊長を斃したのです。我々は十分にその役目を果たしました。誰もそれを非難することは出来無いでしょう」

リューネブルクの言葉にオフレッサーが苦笑した。リューネブルクも苦笑している。そして苦笑を収めると二人は前を見た。ヴァレンシュタインの姿が小さくなっている。

「ミューゼル准将、リューネブルク准将」
「はっ」
オフレッサーが俺達の名を呼んだ。先程までの沈んだ口調ではない、太く力強い声だ。

「今回、敵を撃退出来たのは卿らの進言によるところが大きかった。ミュッケンベルガー元帥にも伝えておく。元帥閣下も喜んで下さるだろう」
「はっ」

オフレッサーが俺達を気遣ってくれているのが分かった。ヴァレンシュタインを逃がしたこと、敵の撤退を許したことは自分の判断だと言うのだろう。そして敵の作戦を見破ったことは俺達の功績だと報告するに違いない。

妙な男だ、一兵士としては無敵だろうが、陸戦隊の指揮官としては二流だろう。おまけに不器用で融通が利かない、どう見ても立ちまわりが上手いとは言えない。

しかし悪い男ではないようにも見える。少なくとも俺とリューネブルクの意見を受け入れて伏撃を成功させた。そして卑怯な男ではない。俺は間違いなくこの男に救われたのだ。一体この男をどう評価すればよいのか……。

「ミューゼル准将」
「はっ」
「卿はヴァレンシュタインと因縁が有るようだな」
オフレッサーが問いかけてきた。どう答えれば良いのか迷ったがリューネブルクも知っている事だ、正直に答えるべきだろうと思った。

「ヴァンフリートの戦いで小官の副官が戦死しました。ジークフリート・キルヒアイス大尉、小官にとっては信頼できる部下であり同時にかけがえのない親友でもありました」
「……そうか」

そのままオフレッサーはしばらくの間俺を見ていた。居心地が悪かったがオフレッサーからは悪意は感じられない。ただじっと俺を見ている。向こうは上級大将、こちらは准将、耐えるべきだろう。

「卿、ヴァレンシュタインに勝てるか?」
オフレッサーが低い声で問いかけてきた。
「それは……」

分からなかった。ヴァンフリートでは負けた、今回は相手の作戦を俺が見破った。次はどうなるか……。分かっているのは厄介な相手だという事だ。油断はできない……。

「分からんか」
「はい」
「あの男は自分が卿に及ばないと言っていたな」
「はい」

確かに俺に及ばないと言っていた。しかし本当にそうなのか、分からないところだ。……それにしても妙な感じだ、オフレッサーは面白がっているわけではなかった。俺を見て何か考えている。リューネブルクを見たが彼も困惑している。俺とヴァレンシュタインを比較でもしているのか?

「あの男は手強いぞ」
「……」
そんな事は分かっている。あの男は間違いなく手強い。用兵家としての力量はミュッケンベルガーなどよりはるかに上だろう。だがその後に続いたオフレッサーの言葉は意外なものだった。

「用兵家としての力量以前の問題だ」
「……」
用兵家としての力量以前の問題……、どういう意味なのだ? 大体オフレッサーに用兵家としての力量以前の問題と言われてもピンとこない。

「あの男は誰かのために命を投げ出すことが出来る。そしてあの男のために命を投げ出す人間が居る……。そういう男は手強いのだ、周りの人間の力を一つにすることが出来るからな」
「……」
あの二人の姿を思い出した。ヴァレンシュタインを必死でかばった二人……。

「卿にそれが出来るか?」
「……」
「卿とあの男の勝敗は能力以外のところでつくかもしれんな……」
オフレッサーが溜息を吐いた。俺はただ黙ってオフレッサーの言葉の意味を考えていた……。

 
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