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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第九話 獅子搏兎

宇宙暦 794年 2月 1日  ハイネセン 後方勤務本部 ミハマ・サアヤ


キャゼルヌ大佐の私室の雰囲気は非常に気まずいものでした。私の目の前で大佐が苦虫を潰したような表情をしています。そして時々私を親の仇を見るような眼で見るのです。大佐、私が悪いんじゃ有りません。悪いのはヴァレンシュタイン少佐です。そして少佐をヴァンフリート4=2へ放り込もうとしている大佐達です。

「ヴァレンシュタイン少佐はこれが必要だというのだな」
「はい」
キャゼルヌ大佐がリストを睨んでいます。その気持はとっても分かる。少佐が要求した兵器、物資の一覧は膨大なものだから。もう直ぐ年度末だから在庫整理でもやるんじゃないかと思えるくらいです。

「……分かった、約束だからな、用意しよう」
「有難うございます、それと……」
「何だ、未だ有るのか」
「はい、これらの部隊をヴァンフリート4=2へ」

部隊の記されたリストを大佐に恐る恐る差し出すと大佐は睨むような眼でリストを見ながら受け取りました。
「……第三十一戦略爆撃航空団、第三十三戦略爆撃航空団、第五十二制空戦闘航空団、第十八攻撃航空団……。ヴァンフリート4=2で何をやるつもりだ? 正気なのか? いや、正気なのだろうな……。分かった、用意しよう」

御願いです、溜息交じりに答えないでください。なんか凄い罪悪感です。でも未だ有るんです、大佐……。
「それと、これらの人をヴァンフリート4=2へ」
「……分かった」
大佐は私が差し出したリストを見ることも無くOKしました。諦めたみたい……。

「それから……」
「未だ有るのか……」
御願いだから溜息を吐かないでください、大佐。それと恨めしそうに私を見るのも駄目です。私はただの御使いです。

「ヤン中佐を第五艦隊の作戦参謀に……」
「……第五艦隊? 今回の出撃に加えろというのだな?」
「はい」
大佐が私を睨んでいます。針の筵ってこういうのを言うんだ、納得。

「……後でヤンをそっちに行かせる。奴は怠け者だからな、仕事をさせたかったら自分で説得しろと少佐に言え。第五艦隊への転属は承知した、他には」
「もう有りません……。有難うございました、失礼します」
私は急いで部屋を出ました。大佐、私が悪いんじゃありません、何度も言いますが悪いのはヴァレンシュタイン少佐です。

少佐の元に戻ると少佐はヴァンフリート星系の星系図、ヴァンフリート4=2の地図、そして基地の設計図を見ていました。時折コンピュータで何かを確認しています。そして私の方を見ることも無く問いかけて来ました。

「キャゼルヌ大佐は何と?」
「少佐の要求は全て受け入れてくれるそうです。但し、ヤン中佐に事情を説明して欲しいと言っています」

少佐は黙って頷きました。私、嘘は吐いていません。
「ミハマ中尉、情報部のバグダッシュ少佐に連絡を取ってください。そして帝国軍の遠征軍の艦隊編制、将官以上の地位にある人間のリストを要求してください」
「将官以上ですか?」

各艦隊の司令官というなら分かります、でも将官以上? そんな思いがつい口に出ました。少佐が私を見ました、冷たい眼です。すみません、私、間違ってました。でも謝る前に冷たい声が聞こえました。
「将官以上です」
「はい……」

身が竦みました。ヴァンフリート4=2に行くと決めて以来ヴァレンシュタイン少佐の表情は変わりました。それまではいつもにこやかに笑みを浮かべていたのに、昨日から少佐の顔には笑みが有りません。そして目は凍てつくように冷たい……。

雰囲気も変りました。これまでの穏やかで暖かい雰囲気は有りません。何処か周囲を拒絶するかのような厳しい雰囲気を身にまとっています。以前の少佐が陽だまりなら今はブリザードです。補給担当部の人間は少佐の変貌に皆驚いているけど、ヴァンフリート4=2に行くのだと知って皆納得しています。戦場に赴くので緊張しているのだろうと……。

そうじゃないんです。少佐は本当は帝国と戦いたくなかったんです。いつか帝国に戻るために戦いたくなかった。それが戦う事になってしまった……。多分心を殺しているんだと思う。そうでなければ戦う事など出来ないから。

少佐が心を殺したから私の知っている少佐も死んでしまった……。いつも穏やかで優しい微笑を浮かべていた少佐、意地悪でサディストでどうしようもない根性悪だけど、それでも今の少佐よりずっと、ずっと良い、ずっと人間らしかった……。もう会えないのだろうか……。


バグダッシュ少佐は昨年のスパイ騒動の解決で大尉から少佐に昇進しました。もっとも少佐への昇進はスムーズに決まったわけではありません。例のスパイ騒動がバグダッシュ少佐とキャゼルヌ大佐への仕返しだという事が問題視されたのです。

昇進はしたが他の人よりも三日遅れの昇進でした。バグダッシュ少佐は“まあ昇進できたんだからな、それでよしとしよう”と言っていたけどそんな単純な問題じゃありません。

この後も三日遅れの昇進というのは付いて回るし、その度に情報漏洩事件の事が蒸し返されるでしょう。他の人との出世競争では一歩とは言えなくても半歩くらいは不利になります。

少佐に連絡を取るとすぐにTV電話のスクリーンに少佐が現れました。以前は情報部に連絡を取ることなど出来なかったけど、例の事件で情報部に出向という形を取っています。私が情報部に連絡を取っても誰も不審には思わないし私の素性がばれる事もありません。

「バグダッシュ少佐、お久しぶりです」
『ミハマ中尉か、久しぶりだ。元気かな』
「はい、おかげさまで」
嘘です、昨日も連絡を取りました。バグダッシュ少佐は私達がヴァンフリート4=2に行く事を知っています。ヴァレンシュタイン少佐が怒っている事もです。

『それで、何の用かな、中尉』
「実は今回、私とヴァレンシュタイン少佐はヴァンフリート4=2に行く事になりました」
『そうか、大変だな』

「それでヴァレンシュタイン少佐が帝国軍の遠征軍の艦隊編制、将官以上の地位にある人間のリストを頂きたいと……」
『将官以上? 正気か? どれだけ手間がかかると思っている』
お願いです、そんな呆れたような声を出さないでください。困った事にバグダッシュ少佐からはヴァレンシュタイン少佐が見えません、私は身を竦めました。

「ミハマ中尉、通信を切りなさい」
ブリザードが吹雪きました。スクリーンに映るバグダッシュ少佐の顔が驚愕に歪みます。
『彼が其処に居るのか?』
小さな声でした。私も小さな声で答えました。
「はい……」

「私も中尉も戦場に行くんです、少しでも生き残る可能性を高くしておきたい。しかしハイネセンで陰謀ごっこをしている人達にはそのあたりが理解できないようです。話すだけ無駄です、切りなさい」

ヴァレンシュタイン少佐の声だけが部屋に響きます。嘲笑も揶揄も有りません、その声には切り捨てるような冷たさだけが有りました。周囲の人間も皆、顔を伏せています。誰も私達のほうを見ようとはしません。どこかでTV電話の呼び出し音が鳴りました。でも誰も出ようとしません。補給担当部はヴァレンシュタイン少佐の前に凍りついています。

『待て、ヴァレンシュタイン少佐』
「話はヴァンフリート4=2から戻ってから聞きます。生きていればですけどね」
声に冷笑が有りました。その事が更に私の身を竦ませます。
『よ、用意しよう、貴官がハイネセンを発つ前に必ず届ける、必ずだ』
「二週間です。それ以上は待てません。よろしく御願いします」
『分かった』

バグダッシュ少佐は逃げるように通信を切りました。ずるいです、少佐。私も逃げたい……。少佐はヴァンフリート4=2の地図、そして基地の設計図を見ています。そして時折溜息を吐く。私への指示はヴァンフリート4=2への輸送計画の作成でした。

こんな膨大な量の物資の輸送計画なんて私には無理! そう思ったけど口答えは出来ません。途方に暮れながら過去の輸送計画を参考に仕事を始めました。ヤン中佐が補給担当部に来たのは二時間程経って頃です。もっと早く来てください、中佐。今の少佐と仕事をするのは辛いんです。

ヤン中佐が部屋に入ってくるとヴァレンシュタイン少佐は中佐を会議室へ案内しました。私も会議室に呼ばれたけど正直勘弁して欲しいです。ヤン中佐とヴァレンシュタイン少佐は必ずしも上手くいっていません。どちらかと言えばヤン中佐がヴァレンシュタイン少佐を危険視している感じがあるんだけど、どうにも二人の間の空気は微妙です。今日もまたその間で居たたまれない思いをするのかと思うと……。

会議室の中は何時にも増して空気が重かったです。ヤン中佐は何処と無く不機嫌そうに、そしてヴァレンシュタイン少佐は無表情に席に座っています。
「私を第五艦隊の作戦参謀に推薦したそうだね、ヴァレンシュタイン少佐」
「ええ」

「一体どういうことかな、何を考えている?」
「勝つ事を考えています」
「勝つ事?」
ヴァレンシュタイン少佐はヤン中佐の問いかけに無言で頷きました。

「ヤン中佐、今回の戦いにおける同盟軍の目的はなんだと思います?」
「……ヴァンフリート4=2の基地の防衛、かな」
「そうですね、此処で基地を防衛し次のイゼルローン要塞攻防戦に利用する、そんなところでしょう」
ヤン中佐が頷きます。

「では帝国軍の目的は?」
「当然だが基地の破壊、或いは無害化だろうね」
「基地の存在を知っていればそうなります。しかし帝国が基地の存在を知っているという確証はありません。もし彼らが基地の存在を知らなければ……」
「同盟軍の撃破か……」

今度はヴァレンシュタイン少佐が頷きました。二人ともニコリともしません。親密さなんて欠片も感じさせないけどお互いに相手の力量に関しては認めている、そんな感じです。

「問題は帝国軍が戦闘の最中にヴァンフリート4=2の基地に気付いた場合です。帝国軍は今回の戦闘の目的を同盟軍の撃破から基地の破壊に切り替えるでしょう、そうは思いませんか?」
「……なるほど、それで?」

「その場合問題になるのは同盟軍が帝国軍の行動に適切に対応できるかです。基地防衛を忘れて敵艦隊の撃破を優先しないか……。そうなればヴァンフリート4=2の基地は危機的な状況になります」
「確かにそうだな……」

会議室に静寂が落ちました。ヤン中佐は少し俯き加減に考え込んでいます。そしてヴァレンシュタイン少佐はそんなヤン中佐を黙って見ていました。
「貴官の危惧は理解した。私を第五艦隊に送ったのは、第五艦隊は作戦目的を間違うな、間違いそうになった時は止めろ、そう言う事と理解して良いか……」
「はい」

「何故私の送り先が第五艦隊なのかな、総司令部でも良いはずだが?」
「中佐は必ずしも総司令部の受けが良いとも思えません、ビュコック提督なら中佐の意見を受け入れてくれるでしょう」
「……」

ヴァレンシュタイン少佐の言葉にヤン中佐が苦笑しました。総司令部の受けが悪い、どう見ても褒め言葉じゃないけどヤン中佐は苦笑で済ませ、ヴァレンシュタイン少佐は平然としています。

「それにヴァンフリート星系は必ずしも戦い易い場所ではありません。戦闘は混戦になる可能性があります。混戦になれば総司令部は全軍の統制が取れなくなる。そうなれば各艦隊は独自の判断で動かざるを得ません。つまり、階級ではなく実力が物を言う事になる」

ヤン中佐は沈黙しています。そしてヴァレンシュタイン少佐をじっと見詰めている。少佐もその視線を正面から受け止めている。やがてヴァレンシュタイン少佐が話し始めました。

「ヤン中佐、私は亡命者です。亡命者は捕虜になる事は出来ません。帝国にとって亡命者は裏切り者なんです。捕まれば嬲り殺しにされるでしょう。私だけじゃありません。そこに居るミハマ中尉も悲惨な事になります」

ヤン中佐とヴァレンシュタイン少佐の視線が私に向けられました。私? それは捕虜にはなりたくないけど……。

「帝国には捕虜収容所などというものは有りません。あるのは矯正区ですが殆ど捕虜を野放しです。規律も規制も無い、そんなところに若い女性を送ればどうなるか……。或いはどこかの貴族が彼女を慰み者にするかもしれない。飽きれば何処かに売られるでしょうね」

「売られる?」
思わず問い返した私にヴァレンシュタイン少佐が頷きました。
「帝国には同盟に家族を殺された人間が腐るほど居るんです。彼らが貴女を買った後どうするか……」

急に怖くなりました。ヴァレンシュタイン少佐は哀れむような目で私を見ています。そしてヤン中佐は私とは視線を合わせようとはしません。見かねたのでしょうか、ヴァレンシュタイン少佐が言葉をかけてきました。

「勝てば問題はありません。勝てば……」
そう言って少佐はヤン中佐を見ました。私もつられてヤン中佐に視線を向けます。縋るよう視線だったかもしれません。ヤン中佐がほっと溜息を吐きました。

「貴官を敵にはしたくないな、ヴァレンシュタイン少佐」
「私は敵じゃありません。前から言っています」
「そうだね……。貴官の考えは理解した、出来る限りの事はしよう」
「御願いします」

ヤン中佐が会議室を出て行きました。二人とも握手も敬礼もしません。ヤン中佐は複雑な表情で部屋を出て行き、ヴァレンシュタイン少佐は無表情に中佐を見送りました。

“貴官を敵にはしたくないな”、ヤン中佐の言葉が耳に蘇りました。私もそう思います、ヴァレンシュタイン少佐を敵に回したくは無い……。ヴァンフリート4=2に行く事が決まったのは昨日でした。

それなのに少佐は僅か二日で戦争の展開をシミュレートしています。かなり精密に予測しているのは間違いないでしょう。そうでもなければこれだけの手を打てるわけがありません。おそらく宇宙艦隊の総司令部でも少佐ほどヴァンフリートで起きる戦闘をシミュレートしている参謀は居ないと思います。

物資、武器、部隊……。それらの手配をすると共にヤン中佐を第五艦隊に配属しました。そして帝国軍の将官リスト……。ヴァレンシュタイン少佐はどんな些細な事にも手を抜かずに勝とうとしています。

獅子搏兎、そんな言葉が脳裏に浮かびました。獅子は兎のような弱い動物を捕まえるのにも全力を尽くす、そんな意味だったと思います。帝国軍が弱いとは思いません、でも例え帝国軍が弱くても少佐は勝つために全力を尽くすでしょう。少佐の本当の姿を見たような気がしました……。


 
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