開封の夢
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4部分:第四章
第四章
「それもな。しなかったらしなかったでいいか。それでまた別の生き方がある」
この開封は人が多く様々な華やかなものがある。文章を書くのが上手い彼はこうして勉強をする傍らで芝居の脚本を書いたり詩を書いたりしてそれで生計を立てている。実はそのおかげで生活は結構いいものだったりする。
そちらで生きてもいい、そうも思い。今はそれで満足するのであった。
「栄耀栄華でなくても」
そうでなくても、と思い。
「幸せに過ごせればそれでいいな」
「ねえ林回さん」
「あっ、はい」
あれこれと考えているとまた主人が声をかけてきた。
「朝御飯できてるから。一緒に食べようよ」
「わかりました。それでは」
「朝は御粥だよ」
「おっ、御粥ですか」
実は彼の好物である。
「そうだよ。だから冷めないうちにね」
「わかりました。それでは」
机から身体を起こして応える。
「今行きます」
「今日の御粥は特別だよ」
主人は今度はこんなことを言ってきた。
「ちょっとね」
「といいますと」
「及第粥なんだよ」
「それですか」
「そう、林回さん殿試までいったんだよね」
「はい」
当然ながら彼が書生であることは主人も知っている。郷里の父のつてでこの家に下宿している。だから知らない筈がないのである。
「それは終わったかな」
「ええ、それはもう」
それを受けたのは少し前の話である。だからこそその結果が心配だったりするのだ。
「後は」
「そうかい。じゃあちょっと遅れたけれど」
「遅れた?」
「及第粥だからね」
及第粥はその言葉通り科挙に及第する体力をつける為の粥である。豚の内臓を入れているのはそれで精をつける為なのである。
「そのつもりだったんだけれど。まあいいや」
「いいんですか」
「食べてよ」
主人の声は実に明るいものだった。
「是非。ささっ」
「わかりました。それじゃあ」
応えながら扉に向かいあらためて思うのだった。あの夢は確かに素晴らしかった。けれど今の暮らしもまた。満ち足りて不足のないものだった。
「このままでもいいな」
微笑んで思ったのだった。夢で味わって栄耀栄華も確かに素晴らしいが今の生活もまた。科挙の結果は確かに心配だが落ちてもそれはそれでまた楽しい人生が過ごせるのだと思った。こう思えば気がかなり楽になった。
「何だ、そんなものなんだな」
今度はこう思った。これまでは栄耀栄華を追い求めていたが夢で味わっただけで満足できた。それがわかってしまえば本当にどうということのないものだった。
受かってもいいし受からなくてもいい。どちらでも幸せはある。自分の気の持ちようによって。そのことがわかった林回は今静かに扉を開けた。するとそこには主人の皺だらけだが明るい笑顔と。お粥の美味しそうな香りが彼を待っていたのであった。穏やかな幸せが。
開封の夢 完
2009・1・1
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