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剣の丘に花は咲く 

作者:5朗
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第十三章 聖国の世界扉
  第一話 差し伸ばされる光

 
前書き
 さて、と、そろそろ物語の佳境が近づいて来た……かな? 

 
 ガラガラと、馬車の車輪が石畳の上を転がる音が響く中、トリステイン女王アンリエッタは冷めた目で窓から覗く景色を眺めていた。別に外の景色が殺風景な理由ではない。それどころか、絢爛豪華な様式の寺院が立ち並び、遠目でも分かるほど豪華な装いをした神官たちが笑いながら歩いている姿など、田舎者ではなくとも目を引くものはあちことにあり、飽きさせるような事はない筈であった。しかし、それを見つめるアンリエッタの瞳の中には、氷のような冷たさしか見られない。

「……本当に、何時来てもここは歪ですね」

 窓枠に手を当てながら、ポツリと呟く。
 窓の向こうには、一体どれだけのお金を掛けたのか、緻密な彫刻が彫り込まれた巨大な寺院が立ち並んでおり、その前を談笑しながら派手なお仕着を身に纏った神官が歩き、その後ろを商人だろうか、ゴテゴテとした装飾が付いた服を着たでっぷりと太った男が、ニコニコと笑いながら歩いている。
 アンリエッタは窓枠から顔を離すと、逆側の窓枠へと顔を向けた。
 反対の窓枠の向こう。そこには、何人ものみすぼらしいボロ切れのような服を着た人たちが、スープを配る一団の前に列を成して並んでいる姿があった。彼らはハルケギニア中から集まった信者たちであり。『神のしもべたる民のしもべ』と自らをそう称する教皇聖下が、敬虔なブリミル教徒たちを正しく導く、差別も貧困もない理想郷が、アウソーニャ半島の一角―――つまりロマリアに存在すると、ハルケギニアの各地で神官たちから教え込まれ、それを信じ唯一の希望とハルケギニア中から集まってきた平民たちであった。彼らは全てを捨てやってきては見たものの、その結果は理想と現実の狭間に全てを無くしてしまい、今は着るものや食べるものにも困窮し、一日一日をただ生きていくだけのギリギリの生活を続けていた。
 ただ味が付いた水のようなスープを奪い合う平民の横を通り過ぎ、イオニア会のものであろう石柱を何本も使った豪華な寺院の門の向こうへと消えていく神官の身に付けた、金で出来た装飾が、太陽の光りをギラリと鈍く反射する。

「“光溢れた土地”―――ロマリア……確かに、目に痛いほどですわね」

 目に刺さる残光に目を細めたアンリエッタが、口の端を歪め―――皮肉気に笑った。



 ここはロマリア連合皇国―――その首都である宗教都市ロマリア。
 ガリア王国真南のアウソーニャ半島に位置する都市国家連合体―――“皇国”と呼ばれるその国こそ、ハルケギニアに現存する国の中でも最古参の一つであるロマリア連合皇国であった。
 この“皇国”。他の国にはない特徴があった。例えば、かつてはガリアの半分を占領したこともある強大な国であったが、その長い歴史の中、多くの小国を併呑、独立を繰り返した結果、ロマリアを頂点とした連合制となったこともそうである。ハルケギニアの列強国に比べれば国力は低く、また、その生まれ故か、各都市国家は独立意識が高いため、意思統一を図ることが難しく外交戦略に弱さを持っていた。国力は低く、外交も弱い。列強国にとってロマリア連合皇国は良い獲物であった。だが、そう易々と食われる“皇国”ではなかった。不利を覆すための手を“皇国”は創り出した。それが、“ブリミル教の中心地”である。元々ブリミル教の始祖であるブリミルが没した地であるロマリアは、祖王である聖フォルサテが“墓守”として築いた王国であった。そのため、この地を“ブリミル教の中心地”とする事には何も難しいことはなかった。ロマリアの者たちは、その歴史的事実を大いに利用し、ロマリアの首都を“聖地”に次ぐ神聖な場所であると規定したのだ。
 それにより、この『ロマリア連合皇国』―――特にその首都である都市ロマリアは、彼らの思惑通り“ブリミル教の中心地”としての地位を確立し、結果、今では巨大な寺院が立ち並ぶようになった。その中でも一際目を引く寺院である聖フォルサテ大聖堂こそが、歴代の王―――何時しか“教皇”と呼ばれるようになった、全ての聖職者、そして信者の頂点である“ロマリア連合皇国”の王たちの“城”であった。
 その王の待つ城へと向かうため、宗教都市ロマリアの地を進む馬車に乗っているのは、トリステイン王国の女王アンリエッタ―――そして―――。

「隊長殿。馬車に乗ってからずっと黙り込んだままですが……気分でも優れませんか?」

 そのお付きであり護衛でもある銃士隊隊長のアニエスの二人であった。
 アンリエッタは、馬車に乗った時からずっと黙り込んだまま座っていたアニエスに声を掛ける。

「あ、い、いえ、大丈夫です。その、ただ、慣れぬ格好ですので、その、落ち着かず……」

 銃士隊の隊長として日々の勇ましい銃士隊の制服ではなく、ヒラヒラとしたドレスで身を着飾っていた。何時もの寄らば切るぞと言うような鋭い視線は、慣れぬ服装故かおどおどと揺らめいてまるで小動物のようだ。勇ましく凛々しい雰囲気も今はすっかりなりを潜め、何時もの騎士然した姿は一体何処へやら、一人の可愛らしいお嬢様の姿がそこにはあった。しかし、アンリエッタの声で我に返ったのだろうか、一度顔を左右に振るうと、アニエスの瞳の中にあったか弱さは掻き消え、良く見慣れた硬い鋼のような意思を感じられる鈍い光が瞳の中に灯った。とは言え、無骨な武人のような目が蘇ったはいいが、服装はどこぞのお姫様のようなヒラヒラとした可愛らしいものである。そのギャップに思わず変な風に口元が歪みそうになるのを必死に耐えながら、アンリエッタは表向きは平然とした様子で微笑んだ。

「あら、十分お似合いですよ」
「か、からかわないでください」

 微かに赤く染まった顔を背けながら、アニエスは小さく呟くように反対の声を上げる。

「心外ですわね。本当にそう思っているのですが」
「っ、そ、そもそもわたくしはこのようなドレスではなく、鎧を身に付け、剣を、指揮杖を振るうのが本業です。こんな格好……明らかにわたしの扱いを間違っています」

 自分の服装を見下ろして渋い顔をするアニエスに、アンリエッタは頬に手を当て困った顔をする。

「確かに今まではそれで十分でした。しかし、これからはそれだけでは足りません。何もかも足りていない現状、特に人材不足は深刻です。借りられるものなら猫の手でも必要な程ですから。あなたには何時までも剣や指揮杖だけを振るってもらているだけでは困りますのよ。近衛隊長の仕事は戦うだけではなく、時には他国の王族や貴族を相手にすることもあるのですから。そのうちあなたにもしてもらう事になるのですから、今のうちに最低限必要な教養を身につけてもらいますよ。今回はその練習にもってこいではありませんか」
「人手不足は理解していますが……今回は相手が相手です。わたしよりもマザリーニ枢機卿がお供すべきだったかと愚考しますが……」

 アニエスの言葉に、困ったようにアンリエッタは苦笑を浮かべた。

「確かにその通りなのですが……残念なことに、彼の他に留守を任せられる方がいませんので」
「そう、ですね……」

 ため息混じりの声に、アニエスも顔を歪めながら頷いてみせる。
 人材不足なのだ。
 能力だけで言えばいないことはないのだが、信頼できる者が余りにも少ないのだ。誰も彼もが、この少女王を利用して私腹を蓄える事ばかり考えており、少しでも気を許せば骨までしゃぶられてしまうため、何時も気を張っておかなければならない。
 アニエスは刃のように鋭い視線の中、微かに憐憫を込め目の前に座る自らの主を仰ぐ。

 おやつれになられた……一体何時になればこの方が心から安らげる日は来るのか……。

 一国の王。主君に対し過分な想いを抱いていると自覚しながらも、それでも振り払えない想いを胸に秘め、アニエスは微かに目を伏せる。
 王とは言え、まだ十七の少女である。友達と遊び、気になる男子との触れ合いに一喜一憂していても何ら可笑しくはない。しかし、彼女にはそれが許されない。彼女はハルケギニアでも有数の歴史を誇る一国の王なのだから。甘く浮ついていることなど出来はしない。特に周りに頼れる人がいない現状、気を抜ける暇さえないのだ。このままでは、例え結婚したとしても、その相手が気を許せる者とは言えないかもしれない。
 暗くなる思考の中、ふとポツリと、暗闇に灯る光のようにある男の姿がアニエスの脳裏に浮かぶ。

 ……エミヤ……シロウ、か。

 油断ならない男である。しかし、彼の話をしている時にだけ、アニエスの主は年相応の少女の顔になっていた。アルビオン戦後に行われた会議において冷徹な手腕を持って様々な利益をトリステインにもたらし、“氷の女王”と呼ばれるようになった彼女が、唯一年相応の少女のように心を動かされる男である。
 エミヤシロウ。
 いや、今はエミヤ・シュヴァリエ・ド・シロウであるが、今をもっても信じられない男である。魔法学院の一人の生徒の使い魔でありながら、尋常ならざる功績を打ち立てた事から貴族に召し上げられた男。彼の功績はそれこそ幾つもあるが、貴族に召し上げられる切っ掛けとなった功績はもはや人が成し得るものではなかった。
 七万の軍勢を打ち倒す。
 有り得ない。
 絵物語でもこれほど荒唐無稽な話はない。
 だが、それは事実なのである。
 アニエスはその事を良く知っていた。彼が貴族になると話をアンリエッタから事前に聞かされたアニエスは、自分なりに徹底的に調べてみたからだ。
 だがその結果はと言えば、一言で言えば『分からない』、だった。
 いくら調べてみても全くの不明であったからだ。
 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの使い魔として召喚される前に一体彼が何処にいたのか、いくら調べてみても全く分からなかった(・・・・・・・・・)のだ。そう、全く分からなかった(・・・・・・・・・)。あれだけの力を持った人物である。例え表の人物でなくとも、噂話程度でも耳に聞こえて来ても何らおかしくはない。
 しかし、全くの不明(・・・・・)
 まるで、別の世界から突然現れたかのように(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)、彼の情報は欠片も手に入ることはなかった。
 
 有り得ないな。

 思い浮かんだ考えを振り払いながら、アニエスは窓越しに見える光景に視線を向ける。
 窓の向こうには、聖獣であるユニコーンの背に跨り、白いローブを羽織った騎士隊の姿があった。彼らは国賓であるアンリエッタ達一行の護衛である。武器の携帯が禁止である宗教都市ロマリアに入るため、本来の護衛である筈のアニエスたち近衛隊の武器は今は馬車に積んだ行李の中にあった。そのため、ロマリアから用意された護衛が彼らである。
 ロマリア聖堂騎士団―――“始祖が手を広げたかたち”のシンボルが刻まれた銀の聖具と、ローブを身に着けた彼らは、武装が禁じられたこの宗教都市で唯一武装が許された集団であり、ロマリアの中でも精鋭中の精鋭たる騎士団でもあった。その忠誠心は、教皇と信仰のためならば、文字通り“死ぬまで戦う”ことを恐れない程だ。死ぬことを恐れない者がどれほど危険で厄介な存在かは誰にでも分かる。彼らと敵対する事の恐ろしさは誰もが知っていた。
 そんな騎士団が護衛なのだ、心配する必要など……。

「……新教徒のわたしの命を、彼らが守るとは思えないが、な」
「何か?」
「いえ、何でもありません」

 自嘲を含んだ小さな吐息にも似た呟きに反応したアンリエッタに、アニエスは頭を振ると視界を外し窓枠の端に見える後続の馬車を何とはなしに見やる。窓の向こうに、幾つもの馬車の姿があった。アンリエッタたちが乗る馬車の後方を、幾つもの馬車が列を成して進んでいる。それら馬車には、トリステインの政治家や貴族、そして、その護衛や使用人たちが乗っている。一国の王を含むこの集団が、はるばる大洋を超えてまでこのロマリアに来た理由は、ここで行われるある式典に出席するためであった。
 その式典の招待状は、丁度士郎たちがティファニアを連れトリステインに戻る頃届いたものであった。せめて一声でも掛けてから出ようとしたアンリエッタだったが、三日もあれば到着出来るガリア上空を通る快速船は、悪化の一途を辿る関係上危険であるため使えず、そのため一週間は掛かってしまう大洋上の航路を使わなければならなかった。しかし、それでも本当はそこまで急ぐ必要はなかった筈であった。式典は今から二十日後に行われる予定であり、士郎と会ってからでも十分に間に合う余裕はあった。にも関わらず、アンリエッタがこんなにも早くロマリアへと来たのにはとある理由があった。そのため、泣く泣く士郎たちが帰る前にトリステインを出たアンリエッタは、結局士郎たちとは会えず終いであった。
 
 馬車の天上を見上げ、アンリエッタは届けられた招待状の中身を思い返す。
 式典が始まる二十日も前にここへ来た理由を。
 アンリエッタの清らかな湖のように蒼い瞳に、チリ、と鋭ささえ感じさせる冷たい光りが過ぎった。
 届いた招待状には、表向きの式典への招待の文言だけでなく、秘密の会談を望む事も書かれていた。そのことから、アンリエッタは式典が始まる二十日も早くロマリアにやって来たのだ。この真の目的を知っているのは、アンリエッタを含め、現在の所、トリステインで留守をしているマザリーニの他には、アニエスの三人だけである。
 背もたれに寄りかかりながら、窓の外へと視線を向けるアンリエッタ。
 真っ白な石壁に沿うように石畳の上を進む馬車は、何時の間にか太い大通りを進んでおり、アンリエッタの視界に目的地が映る。大きな六本の塔。上空から見れば五芒星の形に配置されているその中央には、一際巨大な塔が建っている。魔法学院を建てる際、モチーフにされたそこが、今回の目的地であり、ハルケギニア最大宗派の頂点が住まう―――。

「―――ロマリア大聖堂(宗教庁)

 



 トリステイン魔法学院のモチーフになっているだけあって、よく似ているが、その大きさは比べ物にならないだろう。軽く見積もっても五割は確実に魔法学院よりも大きい。白いお仕着せを着た衛兵たちに囲まれながら、立派な門をアンリエッタが乗る馬車が通過する。馬車が停まると、周囲を取り囲む衛兵たちが、胸の前で両手を交差させる神官式の礼を見せた。アンリエッタは馬車の中からその様子を伺いながら、内心で小首を傾げた。到着したというのに、ドアを開ける者が来ない。これは暗に自分で開けて出て来いと言っているのだろうか? とアンリエッタが考えている間にも、事態は動いていた。何処からともなく現れた聖歌隊が、玄関前に集まると、指揮者の杖が振られ、歌声が響き始める。賛美歌だ。どうやらドアを開けなかったのはこう言う理由があったからなのだろう。
 さっさと外へと出なくて助かったと、内心で冷や汗を掻きながらも、アンリエッタは、まだ声変わりもしていない少年たちの声に耳を傾ける。目を瞑り、歌声に身を委ねるように力を抜く。ふと、ゆっくりと瞼を開く。どうやら歌が終わったらしい。澄んだ歌声に、長旅の疲れを癒されたとリラックスした表情を浮かべながら聖歌隊の面々を見やる。
 その時、聖歌隊の一番前にいた指揮者だろう金髪の少年が馬車の方へと振り向く。

「―――“月目”」

 驚きの声を上げたのは、アニエスであった。
 こちらへと振り返った少年の目には、左右ともに違う“オッドオイ”の特徴を備えた少年の姿があった。珍しいものではあるが、そんな事でいちいち軍人であるアニエスが驚くようなことではない。では何故、そんな驚きの声を上げたのか。それは、ハルケギニアでは月目と呼ばれるその目は不吉とされ、責任ある地位にその姿を見ることはほとんどないためであった。にも関わらず、そのような人物が、特にそう言った偏見が強いこのロマリアで聖歌隊の指揮者を務めるとなれば、その裏を伺いたくなるのは仕方がない。
 あるかどうか分からない裏を考え懊悩を抱くアニエスを横目に、アンリエッタは窓から左手を差し出し聖歌隊のもてなしに応える。一歩前に出た代表者だろう指揮者の少年は、アンリエッタのねぎらいに対し、右腕を体の斜めに横切らせ礼を示す。礼を示した少年は、そのまま馬車に歩いて近づいていくと、窓から差し出されたアンリエッタの手を取り、唇をつけた。
 下品なところは一切感じられない、優雅で気品が感じられる動作である。

「ようこそロマリアへ女王陛下。ご案内役を申し付けられた、ジュリオ・チェザーレと申します」

 アンリエッタは細めた目の奥に輝く冷徹な光で、恭しく頭を下げるジュリオを不自然に思われない程度に観察する。
 
「……まるで、貴族のような神官ですわね」
「さようでございますか? ご不快に思われたのならば済みません。長い閒、軍人のような生活をしていましたものですので」

 顔を上げ、ジュリオは苦笑をアンリエッタへ向ける。ジュリオが顔を上げた時、その時にはもう、アンリエッタの目に冷徹な冷めた光はなくなっていた。アンリエッタはジュリオに対し、少し慌てた調子で手を左右に振ると、申し訳なさそうに眉を寄せた。

「けなしたわけではありませんのよ。こちらこそ、不快な気持ちにさせてしまったのでしたら申し訳ありません」
「そんな、滅相もありません。それでは、我が主が陛下をお待ちしておりますので、どうぞ、こちらへ」

 ジュリオは軽く首を左右に振って謝罪を軽く受け止めると、馬車のドアを開け、アンリエッタの降車を促す。馬車から降りたアンリエッタとアニエスを、ジュリオが先導し大聖堂へ向かって歩き出す。アンリエッタが乗っていた馬車の後ろに付いてきていた使節団の者たちは、それぞれの馬車の前に待ち構えていたロマリアの政府の役人たちが出迎え、別の方向へと向かっている。その様子を目の端で確認している間に、アンリエッタは何時の間にか大聖堂の中へと足を踏み入れていた。
 さっと空気が変わるのを感じ、アンリエッタは顔を上げる。天井近くに設置されていた明かり窓に、はめ込まれたままのステンドグラスに陽光が突き抜け、七色のシャワーとなってアンリエッタへと降りかかってきていた。
 目の上に手を掲げ、眩しげに細めた目で天井を見上げ、不意に、自分が今ここにいる理由について思い返した。

 ―――『式典の二十日ほど前に入国されたし。神の奇跡をお見せします』……神の(・・)奇跡(・・)……そう、つまり、もう隠す気はないと言うことですか。




 
 ジュリオに先導されアンリエッタとアニエスは大聖堂の奥へと進み、そこに広がる光景を目にし、驚きを示した。

「っ、これは」
「…………」

 大聖堂の一階。その中に数ある広間の一つに広がる光景。それは、先程アンリエッタたちが街で見かけた貧民たちに似た者たちの姿があった。彼らは薄汚れた姿を毛布で包み込み、広間のあちこちに思い思いの体勢で休んでいる。敬虔にして荘厳な大聖堂に全く似つかわしくない、まるで場末の救貧院のような光景。

「難民たち、ですか。彼らは何故?」
「教皇聖下の御采配で、彼らの行き先の準備が整うまでと、一時ここを滞在所として開放しております」
「……聖堂議会の反撥も強かったでしょうに……良く開放出来ましたね。この大聖堂は、ロマリアの象徴でしょうに」

 アンリエッタの呟きに、ジュリオは悲しげな眼差を向け頷いた。

「はい。悲しいことに、“光の国”と詠われながらも、ロマリアはそのような国ではありません。どうしようもない程に、世界は矛盾に満ちています。教皇聖下は、それをどうにかして解きほぐそうとしているのですが……」
解きほぐす(・・・・・)……ですか。それは……とても素晴らしい話ですね」

 ジュリオに頷きながら、アンリエッタは先へと進む。
 話によると、ロマリア教皇―――聖エイジス三十二世は、現在、執務室で会談中とのことであった。そのため、アンリエッタたちは、時間が来るまで執務室の前にある謁見待合室において時間を潰していた。待合室で待機している閒、ジュリオはホストとしてアンリエッタに退屈を慰めようと様々な話をした。確かにその間、アンリエッタの口元から笑みが消えることはなかった。
 その顔に浮かんだ―――冷ややかな笑みを。

 

 待合室で待つこと三十分。勢い良く執務室の扉が開く。中から出てきたのは、外国の外交官や高位の神官等ではなく、上等な代物ではないが、手入れがされている小奇麗な服を着た五歳から十歳程度の子供達の姿だった。執務室から出てきた子供達の中で、一番年長だろう少年が、身体を回して執務室に顔を向ける。周りの子供達も、それに合わせくるりと執務室に向き直った。

「「「「せいか、ありがとうございました」」」」

 年長の少年に合わせ、一斉に子供達が頭を下げる。
 執務室にいる教皇聖下に頭を下げると、子供達は踵を返し走り出す。扉の前に立つアンリエッタの横を、子供達は笑いながら駆けて行く。きゃっきゃっと笑い合い駆け去る子供達の後ろ姿が見えなくなるまで見送ったアンリエッタは、顔を前に戻すと、隣に立つジュリオに視線を向ける。

「それでは、我が主が中でお待ちしております」

 ジュリオに手を差し向けられ、アンリエッタは執務室へ足を踏み入れる。執務室へと足を踏み入れたアンリエッタは、そこに広がる光景に感嘆の溜め息を漏らした。
 ブリミル教最高権威者である教皇の執務室は、アンリエッタの想像とは違っていた。
 まず最初に目に入ったもの。
 それは本。
 執務室の壁一面に並べられた本棚には、隙間もないほど無数の本が収められている。
 チラリと視線を巡らせたアンリエッタは、困惑を示すように微かに眉根を寄せた。数え切れない蔵書のタイトルを見るに、どうやら宗教書だけではなく、戯曲や小説、中には滑稽本だと思われるものもある。中でも特に目に付くのは、歴史書や博物誌だ。軽く視線を巡らしただけでも、そのほぼ半数が歴史書と博物誌が占めていた程である。アンリエッタの視線が、執務室の真ん中近くに設置された大きな机に向く。机の上には、乱雑に本が散らばっている。十冊ほどある本。それは全て同じタイトルであった。つい最近、ロマリアの宗教出版庁が発行した“真訳・始祖の祈祷書”である。その内容は、真と書かれていながら、何処かで見たような始祖の偉業が記された本だ。
 その『聖なる本』を片付けているのは、髪の長い二十歳程の青年。
 一瞬、教皇の秘書か召使かと思ったアンリエッタだが、机の上の本を集める青年の、その垂れた髪の隙間から覗く横顔を見て、直ぐに気付いた。

「随分と、可愛らしいお客さま、いえ、生徒さんたちですね―――教皇聖下」
「これはアンリエッタ殿。すみませんが、少々お待ちしてもらってもよろしいですか。直ぐにおもてなしの準備を―――っとと」

 アンリエッタの声に振り返った教皇―――聖エイジス三十二世であるヴィット―リオ・セレヴァレは、抱えた本を持ち上げ小さく頭を下げた。その際、重ねた本の何冊かが、手からこぼれ落ち床に散らばる。慌てて拾おうとするヴィット―リオだが、それよりも先に手を伸ばした者がいた。

「一度に全部運ぶよりも、少しずつ片付けた方が意外と早く終わりますわ」

 しゃがみ込んで散らばった本を手に持ちながら、アンリエッタは立ち上がり、近くの本棚に歩み寄る。不自然に隙間がある本棚に並ぶ本の種類を見て、何処に手持ちの本が収まっていたのか推測しながら、アンリエッタは本を収めていく。手持ちの本を全て本棚に収めたアンリエッタは、ヴィット―リオに向かって振り返る。

「更に言えば、手分けすると、もっと早く終わります」

 悪戯っぽく笑うと、一瞬呆気に取られたように目を丸くしたヴィット―リオとジュリオであったが、直ぐに笑い声を上げ、うんうんと頷き机の上に散らばる本を片付け始めた。
 散らばっていた本が全て本棚に収められると、アンリエッタはヴィット―リオに向き直り、視線で本棚を示す。

「収める場所は間違ってはいないでしょうか?」
「ええ。大丈夫ですよ。バッチリです」

 合格を受けたアンリエッタは、安堵したように小さな笑みを浮かべると、再度ヴィット―リオに向き直った。すると、ヴィット―リオはアンリエッタに向かってニッコリと笑ってみせた。誰もが見惚れるだろう魅力的な笑顔である。弧を描く目の奥に宿るのは、深い知性と慈しみ。まだ二十を幾つか超えたばかりだろうに、まるで歳経た賢者のような慈愛が見える。
 ただ笑うだけで、これだ。この若さで教皇の地位に着いたのは伊達では無いということだろう。
 アンリエッタは顔に浮かべた笑みを崩すことなく、その裏で思考を巡らせながら頭を垂れた。
 公式な場で、アンリエッタの上位に当たる者は、このハルケギニアには二人いる。ハルケギニア最大宗教であるブリミル教の頂点たる教皇と、ハルケギニア最大の国家であるガリア王国の王ジョゼフの二人だ。
 
「頭をお上げください。そのように畏まる必要はありません」
「では、お言葉に甘えまして」

 顔を上げたアンリエッタは、目の前にある異様と言えるほど整った美しい顔を見る。

「早速ですみませんが、聖下から送られてきた招待状に書かれていたことについてのお話を伺っても?」
「ええ、構いません」
「そう、ですか。なら―――」
「護衛隊長どのならば臨席されても結構ですよ。ここにいるという事は、この方もある程度事情をご存知なのでしょう」

 アニエスに視線を向け何かを言おうとしたが、ヴィット―リオに遮られた言葉を聞いて、アンリエッタは頷いて見せる。

「では、このままでお聞きしますが、あの手紙に書かれていたことは、一体どういう事でしょうか?」
「早速核心からですか……そう、ですね」

 顎に手を当て何やら考える姿勢を見せたヴィットーリオだったが、直ぐに顔を上げると、美しい顔を悲しみに染めながらアンリエッタに問い掛けた。

「聡明なあなたです。既にこの国の矛盾についてはお気づきの筈です」

 頷くように、アンリエッタは視線を下げる。

「“光溢れる国”と謳いながらも、この国の何処にもそんな姿はありません。人を救い導くはずの神官や修道士たちは、自分の利益の事ばかり考え、本来、我々がすべき事である救い導かなければならない筈の、助けを求める貧民たちのことなど見向き気もしない。わたくしなりに色々と手を尽くしたのですが、やはり限界があります。主だった各宗派から荘園を取り上げ、大聖堂の直轄にしましたし、各寺院には救貧院を設営させ、一定の貧民を受け入れることを義務付けました。他にも、免税の自由市をつくり、安くパンが手に入る事が出来るようにしました。色々と言いましたが、結局のところ焼け石に水です。目に見える変化までは起きていません。まあ、そのお陰で、恨みは多く買いまして、最近では神官の間で新教徒教皇などわたくしを揶揄する輩が現れる始末です。まったく、失礼な話です。一体だれが新教徒なものですか。新教徒など、自分の利益の事ばかり考えている輩です。そんな輩の教皇など、考えたくもありません」
「ご謙遜を。目に見える変化はないと言いますが。聖下のご尽力を、わたくしは目にしております」

 労わるように、アンリエッタは微笑む。
 先程の難民たちなどその典型だ。
 確かに、まだまだやることは多く、超えるべき課題は数多くある。しかし、それでも、この教皇の手により助かった貧民の命は、今までで数千を超えるだろう。それは確実だ。
 
「ありがとうございます。ですが、まだです。やらなければ、成さなければならないことが数多く残っています。ですが、限界なのです。これ以上神官たちから権益を奪おうとするならば、、彼らは自分たちの欲のため、わたくしを教皇から引きずり下ろすため、確実に内乱を起こします。それだけは、絶対に避けなければなりません。ブリミル教同士が争うことなど、絶対にあってはならないのですから。とは言え、わたくしがいくら努力したとしても、現状のように限界はあります。争いの切っ掛けは多くある。それこそ無数に。教義の違い、住む場所、貴賎に何らかの利益……無くそうと努力しても、決して無くすことは出来ない。ほんの些細な事が切っ掛けで、人同士が殺し合う。人は皆、神の御子だと言うのに……これ以上に愚かしいことなどありません」



 ―――ああ―――また―――止められなかった―――。



 ヴィットーリオを見つめるアンリエッタの目に、一瞬目の前の光景とは別の映像が映る。
 それは、何処かの戦場だろうか? 家か何かだったのか、砕けた破片が焼け焦げた大地に無数に散らばる中、天を仰ぎ立ち尽くす男の背中が見える。逞しい男の背が……まるで揺らめく陽炎のように、今にも消え入りそうなほど儚げに見え―――。

 ―――ッ!

 膝が砕け、折れそうになる足に力を込めながら、アンリエッタは一瞬、目を強く硬く瞑った。直ぐに開いた目の先では、アンリエッタの様子に気付かず話を続けているヴィットーリオの姿がある。

「―――何故、このようなことが起きてしまうのか? 最も信仰に厚い者である筈の神官たち信仰が地に落ちたのは何故か? 神の忠実な下僕である筈が、自分の欲望のために神を利用するようになったのは何故か?」

 泣いているように、懺悔するように震える声を上げながら、ヴィットーリオは、広げた両の手の拳を強く握り締めた。ブルブルと震えるその拳の姿が、彼がどれ程の怒りを感じているのかを示しているかのようだ。何かに耐えるように、歯を噛み締め顔を強ばらせたヴィットーリオが、アンリエッタに向き直ると、わななく唇から震える声を押し出した。

「力―――そう、力がないからなのです」
「……力、ですか」
「そう、力なのです。以前、あなたにお会いした時にも伝えましたね。我らの信仰の力で、驕りと欲望に濁った指導者たちの目を晴らさなければなりません。人間同士の政争や戦に明け暮れる貴族や神官たちに、神の力を、神の奇跡を見せつけるのです」

 鳥が羽ばたこうとするかのように両腕を広げた先、硬く握り締められていた拳を解いた、ヴィットーリオが、アンリエッタを強い決意に満ちた目で見下ろす。その目に宿る力と、意志に、アンリエッタは時間が近づいていると知る。
 あの時の返事を返す時が。
 答えは決まっている。
 だが、その前に、確認しなければならないことがある。

「……“神の奇跡”ですか。聖下からの手紙の末尾に、そのような事が書かれていましたが、それは……」

 問いにヴィットーリオは答えず、アンリエッタに背中を向け歩き出すと、一つの本棚の前に立った。そして唐突に、何やらふんっ! やら、とうっ! 等と顔に似合わない掛け声を上げながら本棚を動かそうとし始めるが、本棚はビクともしない。アンリエッタが反応に困っていると、ジュリオがヴィットーリオに近づいていった。

「聖下。お手伝いしましょう」
「ええありがとうございますジュリオ。助かりました。一人で出来るものと思っていましたが、やはりそう上手くは出来ませんでした」
「全く、何でも一人でやろうとするのは止してくださいと言っているではありませんか」

 二人は笑いながら本棚に手を掛けると、同時に力を込め本棚を動かし始めた。先程までピクリとも動かなかった本棚が、ゆっくりとズレていく。重々しい響きと共に動き出した本棚の裏から現れたのは、壁に埋め込まれた一つの大きな鏡。高さは二メートル、幅は一メートル程の楕円形の鏡であった。

「これは?」

 アンリエッタが本棚に寄りかかり、大きく息をついているヴィットーリオに尋ねる。

「わたくしの使える“奇跡”は、手に触れられるようなものではありません。ですが、目に見えるものです。これは、そのためのものです」
「……使える(・・・)“奇跡”ですか」

 口の中で呟いた声は、誰の耳にも届いてはおらず、アンリエッタの細めた視界の中、ヴィットーリオはジュリオから渡された聖具を模した杖を持って呪文を唱えている。耳に慣れない、しかし、何処かで聞いたことのあるような、長い、長い呪文であった。
 ヴィットーリオは、賛美歌のように美しい調べで呪文を紡いでいる。

 ユル・イル・クォーケン・シル・マリ……。

 歌うような、祈るような、呪文。そんな耳に慣れた、知るものとは全く違う呪文を耳にしながら、アンリエッタはこれから起きるだろう事に対し、身構えるように強く、深く息を吸う。何度か息を吸っている間に、呪文は完成したのだろう。執務室に満ちていた詠唱の声が消えていた。鏡の前に立つヴィットーリオが、手に持った杖を、優しく振り下ろす。杖の先にある鏡に、まるで祝福を与えるかのように。
 効果は直ぐに現れた。ヴィットーリオが杖を振り下ろすと、直ぐに鏡が光りだしたのだ。強く輝きだした光だが、唐突に光は掻き消えてしまう。光の消えた鏡。だが、良く見ると、鏡に何かが映り始めている。明らかにこの部屋とは別のものだ。
 鏡に映った光景を前に、アンリエッタは驚愕に目を見開いた。

「―――ッ、ぁ……」

 愕然とした声が、細く開いた口元から絞り出されるように零れ落ちた。
 驚愕に震えるアンリエッタを横目で見たヴィットーリオは、満足気に頷くと手に持った聖具を模した杖で床を叩いた。カンッ、と甲高い音が響き、ハッと我に返ったアンリエッタは、ヴィットーリオに顔を向ける。

「……これは、まさか、“虚無”、なのですか」

 質問ではなく、確認の意を込めてアンリエッタはヴィットーリオに問いかける。アンリエッタからの問いに、ヴィットーリオはその美しい顔に薄い笑みを浮かばせ口を開いた。

「まだ、真の信仰がこの地に広まっていた古代、呪文(スペル)とは、ただ魔法を使うためのものではなく、神への祈りの言葉でありました。神へと祈りを捧げ、奇跡(魔法)を行使する。そう聞くと、まるで貴族は全て神の使徒のようですね。ですが、信仰が地に落ち、神への祈りを捧げるものが減った、今のような時代であっても、その本質は決して変わることはありません。いえ、あってはならないのです。そして、神へ祈りを捧げ魔法を行使する、その祈り(呪文)にこれほど相応しい系統はありません」
「………………」

 敬虔な表情で、慈愛に満ちた瞳で、アンリエッタに向かい合うヴィットーリオ。アンリエッタは、ただ、無言のまま、ヴィットーリオの言葉を聞いている。
 ただ、その瞳の奥、澄んだ泉のようなその奥底。誰も気付くことが出来ないその水底に、一瞬冷ややかな光が過ぎったが、気付く者は只の一人としていなかった。

「そう、アンリエッタ殿。神は忠実な下僕であるわたくしに、民を救えと、導けとこの奇跡の技(虚無)をお与えになられました」
「……聖下が、虚無の担い手」 

 確かめるように、ポツリとアンリエッタが呟く中、ヴィットーリオは、鏡が映し出す光景からもれる淡い明かりを後光のように背に受けながら、口元に浮かべた笑みを深めた。

「アンリエッタ殿。我々は、集まらなければなりません。神に与えられた“祈り”を一つにまとめ、世界を救うため大きな“奇跡”を呼ぶために―――」











 
 

 
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