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【短編集】現実だってファンタジー
Mission・In・賽の河原 前編
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三途の川。それは、現世と”あの世”を別つと言われる川であり、死者はそこを渡り、黄泉の国へと至ると言われている。そこを越える事こそが人としての死であり、恐らくは輪廻転生するために通る道。民間伝承が多いため「これが正しい」という確たる情報はなくとも、恐らくは肉体を失った魂の行きつく場所なのだろう。

さて、三途の川の河原は別名「賽の河原」とも呼ばれ、そこには親より先に死んだ「親不孝」な子供が報いとして親の供養をしなければいけない場所と伝えられている。子は積石の塔を完成させることで親の供養とするが、完成する前に賽の河原に棲む「鬼」が何度でも壊してしまうため、結局は何度やっても報われることはない。そうして疲れ果てた末に、子供は最終的には地蔵菩薩に救われるのだという。

しかし、時代は変わる。
昔の子供たちは親を貴ぶ文化が根付いていた。父は大黒柱で母は屋根。雨風凌いで子供を支える偉大な親に子は報いねばならないのが当たり前だった。だが現代ではどうか。無論失われているとまでは言わない。だが、駆け落ちや介護施設への押し込み、時には家族をその手にかけたり、勝手に縁を切られることもある今では、家族に対する考え方は変わっているだろう。

ならば必然、賽の河原のあり方も変わってくる。人心が荒廃し、畏れと敬いを忘れた現代っ子たち。すぐに反抗的な態度を取りルール違反を正当化する無法者のような輩が、時代の流れと共に河原に流れ込んだ。

その結果どうなったかというと・・・彼等は地蔵菩薩と棲みこみの鬼達が目を剥くほどのいい加減さでちっとも親へ供養をしなかったのだ。

親に感謝などするかと放り出す子供。
積石で先鋭的なオブジェを作って遊び呆ける子供。
河原の石で水切りを始め、川を渡る渡舟に石を当ててコントロールを競う子供。
酷いものになると、河原で寝転がって(いびき)をかきながら地蔵様が来るのを待つという者までいる。

流石にそんな自堕落な子供を無条件で救うのでは彼らの為にならないと考えた地蔵菩薩は、とうとう「積石の塔を完成させなければ救済しません」とまで明言するに至った。ブーイングの嵐に包まれる賽の河原。しかし、彼等には賽の河原を自力で脱出する術がない。流石に自身の置かれた状況に気付いたのか、それとも退屈になったのか、渋々ながら石を積み始める子供たち。そして仕事が久しぶりに出来たと嬉々として積石を蹴散らす鬼。
こうして河原に昔ながらの光景が戻ってきた。

ただ、子供たちは積石を崩されると怖がるや落ち込むよりキレるが先になったため、鬼たちの面目は割と丸つぶれだったが。


そんなある日の午後・・・・・・



 = = =



「鬼は?」
「さっき自分の(ねぐら)に帰って、後退の鬼が出た。次の鬼が来るまで・・・あと半刻っ
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