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赤城と烈風
波及効果と戦史研究
96式軽機関銃
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 1904年5月、史実の日本陸軍は南山地峡の援蓋式陣地を強襲して数千名が負傷。
 マキシム機関砲10挺の弾幕射撃を封じる為、艦砲射撃が実施されました。
 東京第1師団の第1機関砲隊、ホチキス機関砲24挺の援護射撃は事実上無効。
 6.5ミリ銃弾7万8435発を浴びせますが、銃眼を直撃して破壊する事は出来ませんでした。

 日本陸軍の榴弾は援蓋式陣地を破壊出来ず、敗色濃厚の事態は直径254ミリ砲弾の直撃で急転。
 名古屋第3師団の第2機関砲隊、ホチキス機関砲24挺は援護射撃を実施していません。
 史実では第1機関砲隊、第2機関砲隊の合計48挺を総て旅順攻撃軍に配属。
 歩兵突撃の援護射撃を繰り返しますが、当世界の第四師団長は強引に配置転換を図ります。

 小川又次少将は帝政ドイツ陸軍から招聘された教官、メッケル少佐と激論を展開。
 山砲と野砲の優先順位を巡る論争で一歩も譲らず、実戦形式の直接対決も要求しますが。
 上杉謙信の再来と評される戦術家、火力主義者は陸軍の法皇も高く評価。
 山県有朋の指示で第1機関砲隊と第2機関砲隊、機関銃48挺の配置転換が実現します。


 南山陣地攻撃の際、機関砲の連続射撃は無効の実績が確認された。
 小銃の射撃は緊張と動揺で命中せず、無駄弾が多い。
 榴散弾が炸裂しても、豪胆な熟練兵の前進は阻止出来ない。
 機関砲の射撃音が響いた時に限り、総ての敵兵が頭を伏せて停止する。

 冷徹な実戦経験者の報告書は高く評価され、奥軍の参謀長も機関砲の運用を一任。
 6月15日ロシア軍と得利寺で激突の際、第四師団長は敵軍を誘い込み機関砲48挺を連射しますが。
 8月24日に開始の遼陽攻撃、マキシム機関砲10挺の潜む鞍山站陣地攻撃も南山地峡の教訓を活用。
 戦利カノン砲で機関砲陣地を潰した後、首山堡の敵兵を機関砲48挺の前に誘い込みました。

 10月9日ロシア陸軍が南下、逆襲の際も援蓋陣地に隠した機関砲48挺を連射。
 両翼の騎兵旅団からも機関砲6挺の射撃音が響き、威嚇効果で撤収決断を促しますが。
 翌年1月25日ロシア陸軍が黒溝台、沈旦堡を強襲の際も臨時機関砲隊を第八師団に配属。
 ホチキス機関砲48挺が総勢10万超の敵軍を撃退、秋山騎兵団の救援を推進しています。


 1905年2月21日に開始の奉天攻撃では、西側迂回の先鋒を務める第三軍に機関砲256挺の大半を配属。
 帝政ロシア陸軍の強襲を機関砲の連射、恐慌状態(パニック)を誘う音響効果で撃退しますが。
 沿海州南部ポシェット湾、中部デ・カストリー湾を偵察の際にも艦載型の機関砲を連射。
 守備隊の戦意を削ぐ射撃音を盛大に響かせ、停戦まで被害を最小限に抑えています。

 日露戦争の際に陸軍屈指の情報将校、明石元次郎
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