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雲は遠くて
182章 Dear ボブ・ディラン
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は歌詞を暗唱できる。
重要なのはメロディじゃない。歌詞だ。』(1963年、ニューヨーク)

『今はほとんどの音楽が機械で作られて、どの曲も音が全部同じだ。
だが、そういう音楽を 気に入っていない若者も 大勢いるんだ。』
(1978年、トロント)

『ロックの死。ロックがなんであるか。どう利用すればいいかを企業が理解したときに、
息の根を止められてしまった。』(1986年、トロント)

『音楽ビジネス。最初のうちは食べて行ければ十分だった。
今は音楽で稼げるとわかったから、この世界に入る人間がいる。悲しいことだと思うね。』
(1986年、トロント)

『ロック。昔は、ロックをやるなら 犠牲を 払わなければならなかった。
町から追い出されるかもしれないし、(がけ)から突き落とされるかもしれなかった。』
(1985年、ニューヨーク)

『今やロックは一大産業であり、大きな体制になっている。
最高のロックは、スポットライトを 浴びる前に 出尽くした。』
(1985年、ニューヨーク)

『メディアはいつも栄養を欲しがる肉挽き機のようだ。
決して、満足しないから 常に 栄養を 与え続けなければ いけない。』
(1985年、ニューヨーク)

『たくさん レコードを作っていると、何年も ずーっと それをやっていると、
ときどき わからなくなる。自分が 作りたいから 作っているのか、
それとも 他人に 期待されている からなのか。』
(1991年、ロサンゼルス)

『働けるなら、それ以上望むものはない。こういう時代で、この歳で、
あたりまえと言えない。働けることこそ人が求めるべきものだ。』
(1986年、トロント)(ディラン 44歳から45歳)

『ノスタルジア (郷愁) 。自分の歌が 古くなるということは ぼくには ありえない。
ディケンズの「二都 物語」は もう 百年も前に 書かれた本だけど、
懐かしい なんていうだろうか。懐かしいなんて 言われるようになると、
扱いが 変わって、みんな、歌を わかったようになるんだ。
ただ、懐かしいという 言葉に 変わったに 過ぎないのに。』
(1984年、ハンブルグ)


 信也は、1分11秒の『Dear ボブ・ディラン 』という歌を
MTRで完成させて、Youtubeにアップした。

Dear ボブ・ディラン  全歌詞

1941年に アメリカの
ミネソタ州で 生まれた ボブ・ディランは
14歳で ギターを弾いた という
「 ロックン ロール を 歌う 気持ちで
フォーク ソング も 歌っていた 」と
ディランは 語っているよ

ディラン は 19歳のときの ギターと
スーツ ケース だけで
初めて ニューヨークに
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